98.農奴蜂起
難民キャンプに戻ると、何やら大きな人だかりができていた。
ざわざわと、人族の農奴達が集まって騒いでいる。
「いと気高きシルフィード族の姫巫女様のお話があるそうだ」
「祭祀王のご息女でアリアドネ様というらしい、お前知ってるか?」
アリアドネは、一体何をやらかすつもりなんだ。
人ごみをかき分けて覗いてみると、木製の粗末な馬車の荷台に上がったアリアドネが、聖剣エクスカリバーの柄に手を添えて、静かに立っている。
珍しい長耳族であり、金色の長い髪を風邪になびかせ、美しい碧眼を持つ美貌の女騎士であるアリアドネは、ただ立っているだけで独特のオーラを放つ。
その姿は、信心深い民には天使のようにも見えているだろう。
しかし、貧しい農奴達を集めて何の話をしようっていうんだ。
なんとなく嫌な予感がするが……止めたほうがいいだろうか。
「噂には、世界を破綻から救った聖騎士であるとも聞くぞ。あの美しく綺羅びやかな御姿を見れば騙りではあるまい」
「そんなお方が我らをお救い下さったのか、ありがたいありがたい」
拝む連中までいる始末である。アリアドネは、人族にもやけに評価が高い。
祭祀王は、各種族にいる神のお告げを聞く宗教的な指導者であり一種の神通力を持っているとされる。
その一族に連なるアリアドネは、神子の扱いを受けるわけだ。
この世界の人間は総じて信心深い。同じ神を奉じているので、他の種族にも祭祀王の一族が影響力を持つのは理解できる。
問題は、その影響力を使ってアリアドネが何をやろうとしてるかってことだ。
アリアドネは、校長先生がよくやる「みんなのざわめきが収まるまで話はしません」という状況で、黙り込んでいる。
ここに入っていって、アリアドネに話を聞くのも嫌な感じだな。
とりあえず静観していると、群衆から「みんな静かにしろ」という掛け声が自然と起こって静まり返った。
アリアドネは、広場が静寂に包まれてからもなおもしばらく溜めてから、静かに語り出した。
「お前らはゴミだ……」
聴き間違えたかと、静まり返った群衆は耳を疑う。
俺も唖然としてしまった。何だいきなり。
「聞こえなかったのか、ロクデナシの底辺人族ども。何の力も持たぬクズども、地に這いつくばって生ゴミを食らう家畜以下のクソ農奴ども。貴様らはゴミの集まりだといったんだ!」
馬車の荷台に立ったアリアドネは拳を振るって、言葉の限りを尽くして、人族の農奴達を罵倒し始めた。
何を考えているんだ。
そう思ったのは俺だけではないらしく、群衆から「なんてことを言うんだ!」という反発の声が上がる。
しかし、群衆に冷徹の視線を向けるアリアドネは、荷台の上から農奴どもを睥睨して傲岸不遜に続けた。
「恥知らずの農奴ども……お前達に今の状況が理解できないなら、私が教えてやろう! お前らは、豚の如きバクベアード族の支配に甘んじて奴隷に成り下がった。それだけでなく、ゾンビに襲われればその憎い支配者に助けてくださいと泣きつきにきたのだ」
状況を説明しながらアリアドネは、さらに声のトーンを上げる。
「この街の有様を見るがいい! お前らの頼みの綱の愚かな熊人どもは街から、ルードック族の犬コロどもに負けて街から逃げ出したんだぞ。誰もお前らのことなど助けてはくれない。それなのに、自分達では何もしようとせず、為す術もなくここでうずくまっているお前ら虫けらが、ゴミ以外のなんだというのか。反論があるなら言ってみろ!」
ざわざわとか細い囁きが聞こえるだけで、反論は返ってこない。
「やっぱりだ! お前らは誇りを持たぬ家畜だ。いや、豚小屋以下の場所で這いつくばってゴミを食らうお前らは、豚の糞だ! ミジンコにも劣る下等生物ども、その卑しい口を即刻閉ざし、顔を泥にこすりつけて窒息死しろ! お前らには息をする資格すらない、臭い息を吐いて空気を汚すんじゃない!」
もう、群衆は怒るどころではない。完全に引いてしまっている。
世界を救った慈悲深く、麗しい美姫。
貧しき農奴に食べ物を与え、怪我人をポーションで癒した聖女のごとき聖騎士様から温かい言葉を賜れるかと思ったら。
……いきなりの強烈な面罵。アリアドネは、農奴に死ねと言っている。
農奴達はとにかく困惑しきって、ざわめきが広がった。
アリアドネはその中から「あまりに酷いじゃないか、私達だって人間だぞ!」という声が上がったことを、聞き逃さなかった。
アリアドネは、マントを翻して荷台から飛び降りると、久美子に言う。
「……久美子殿、剣が欲しい。一番いい奴を」
ダンジョンで手に入った装備品は、久美子が無限収納リュックサックに入れて管理している。
長い耳をピクリを揺らしたアリアドネは、久美子から鋼鉄製の太い長剣を一振り受け取ると、群衆の中へと飛び込んだ。
悲鳴が上がり、人ごみが割れる。
そうして、一人の体格の良い男の前に立った。
「先程、声を上げたのはお前だな。私の言葉に口答えした理由を聞かせてもらおう!」
無言で後ずさりした男は、逃げられないと悟ると首を縦にガクガクと振るった。
理由を問うアリアドネに、どもりながらも答える。
「私達は、ただでさえ傷ついているんだ。それを虫けらなんて言われて、我慢ができなかった……」
「では再び尋ねる。目の前の苦難に立ち向かうこともできない、弱いお前が虫けらでなければなんだ!」
「私は、私達は……」
「お前は今、傷ついたとも言ったな。傷ついたのは、お前のプライドか?」
「違う、農奴の私達はもうプライドなんて……だ、だけど」
「だけどなんだ。はっきりと言え」
「私達は、生きてる人間なんだ。それでも、人なんだよ!」
声を震わせた男の言葉を聞くと、アリアドネは嬉しそうに鋼鉄製の長剣を、鞘から抜き放った。
ジャキンという音とともに、ギラリと鈍く光る抜き身――
男は「ヒイッ」と声を上げて思わず、アリアドネの前に両膝を突いた。
両膝を突いたその男などはマシな方で、周りの年老いた農奴達など身動きすることすらできずに、地面に倒れ込んでいる。
アリアドネの殺気に当てられて倒れた農奴達の手足はだらりと萎え、その目は光なく死んでいるようにみえた。
位を極めた聖騎士の抜剣とは、それほどの迫力なのだ。何の力も持たぬ、人族の農奴とはランクが違いすぎる。
その刃を目の前にしながら手足を震わせて、ガチガチと歯を鳴らすだけで済んでいる若い人族の男はまだ見込みがある。
鈍く輝く刃を男に向けるアリアドネ。
誰もが「不遜にも聖騎士アリアドネに口答えした男が惨殺される」とそう思った。
しかし、アリアドネは抜き身の刃をしゃがみこんだ男に向けると、男の肩に触れさせて言った。
「誇りある人間の戦士よ。お前の名は?」
「……ホーダーだ」
「よし、ホーダー。お前の誇りと勇気を讃え、偉大なる人族の王、真城ワタル様の騎士として任じよう」
「……私が、騎士だと?」
震える手で、アリアドネが差し出す鉄剣を受け取るボーダー。
感動的なシーンはいいんだけど。
なにアリアドネは、勝手に俺の名前を使ってるんだよ。
我慢しきれずに俺は出ていった。
「アリアドネ、お前は何のつもりでこんな茶番を……」
「ボーダー、ひれ伏せ。我らがご主君である、ワタル様だ」
アリアドネがさっと頭を垂れたので、ボーダーも周りの人族の農奴達も慌てて平伏した。
えっ、なんだこりゃ。
「いや……何のつもりだと聞いている」
「いと気高きご主人様。あなたの卑しき端女が、差し出がましい真似をしたことをまずはお許し下さい」
アリアドネは、ひれ伏している周りの人族に負けないと土下座してそのまま俺の足にまとわりついてきた。
またこれか、懐くな。離れろ!
「許すから、アリアドネ。説明しろ」
「ハッ、募兵を行おうと思いました。お気に障られたのなら……いけないこの下僕めを、どうぞ折檻なさってください!」
いや、募兵ってお前、最初から最後まで農奴を罵倒してただけだろ。
あたりの人族達がざわめいてる。
「公衆の面前だぞ。やめろアリアドネ!」
お前、単に俺に折檻されたいだけだろ。
SなのかMなのかはっきりしろ。
「あの人族の剣士は、神の如き種族であるシルフィード族の聖騎士を従えているというのか」
「下僕だと言ってたぞ。いつもあの美姫を、せせ……折檻とかしてるのか?」
農奴の男どもがなんか興奮している。
「折檻ってなんだ?」
「そりゃお前……」
ぼそぼそと農奴達が囁き合っている。なんだこりゃ。
騒ぎを起こした張本人であるアリアドネへの注目が、そのまま今度は俺に集まってしまっている。
「ご主人様。このボーダーという男を、農奴兵の取りまとめ役にお使いください。痩せっぽちの農奴のなかでは、使える男だと思います」
「ふうむ……」
食料状態が悪かったおかげで痩せてはいるが、無駄な肉がなく引き締まっている。
背丈もそこそこあるし、見習者の中戦士ってところか。
「よろしくお願いします。王様……」
「お前ら、アリアドネの話を真に受けてるのか」
アリアドネは勘違いしているようが、俺は王なんかじゃない。
ボーダーは騎士にしてやると剣を渡されて、すっかりその気になってしまっているようだ。
「人族の王様、その聖騎士様の言う通りだと思います。私達は街の熊人が怖くて、盗賊の犬人も怖くて、言いなりのまま支配されて、奪われても抵抗できなかった虫けらだった。でも、本当は自分たちでなんとかしなきゃいけないって、ずっと思ってたんだ!」
アリアドネに説教に当てられたのか、自分のつぶやく言葉に酔っているらしいボーダーが目を輝かせた。
その言葉に、周りの農奴達もざわつき、「そうだ、戦わないと」と賛同する声がいくつも上がる。
なるほど、アリアドネがいきなり罵倒してみせたのは、こういう効果を狙ってのことか。
農奴はこれまで逃げ続けてきた連中だった。普通に戦えと言っても尻込みする人族達を、ショック療法で奮起させる演出か。
「まあ、好きにしろよ」
どっちにしろ俺には兵なんて必要ないんだけどな。人に取り囲まれても面倒くさいだけだ。
街に入りたいと思ったら、俺は勝手に一人で押し通る。
「皆の者、この世界を救いし人族の王者、真城ワタル様のお許しが出た。人族の王者、我らが主君、世界最強の人族であられるワタル様とともにあれば、もうお前達は二度と惨めな思いをすることはない!」
アリアドネの言葉に、群衆から「おお、おおお!」と呼応する声が上がる。
現金なもので、ジェノサイド・リアリティーの征服者であるアリアドネや俺が一緒に戦うとなれば、臆病な農奴どももやる気が出るのだろう。
「熊人がなんだ、犬人がなんだというのだ。何も持たぬがゆえに虐げられてきた人々よ。お前達の苦難が救われるときがきた! 人族の尊厳を取り戻し、熊人どもの奴隷から自由な人間に立ち戻るときがきた! 共に立ち上がるときがきたのだ!」
アリアドネが叫ぶと、ボーダーを始めてとした数人が「うおおぉぉ!」と声を張り上げる。
その叫びが、周りの人族の農奴達に伝わって、波のざわめきのように大きく広がっていく。
……俺は、王子でも王者でもねえんだよ。
恥ずかしいから、それだけは止めさせておきたい。
そもそも好きにしろって、祭り上げていいって意味じゃないんだが。
ああ、もうめんどくせえな。勝手にしとけ。
「アリアドネ。街の外をほっつき歩くのも飽きた。俺はもう街の中に行くぞ」
「ご主人様。それではまず、盗賊団を何とかしませんと。そのために、農奴達を集めたのです。すぐに武装蜂起の準備を整えますので、どうかお待ちを」
「アリアドネ。お前のやり方は、まどろっこいしい。俺が一人で門を打ち破って敵を潰してくるよ」
「お待ち下さいご主人様。まだ敵の数が把握できておりませんし……」
「危ないって言うのか? 敵の数はだいたい俺も見まわって把握した。アリアドネ。俺が一人で行って、盗賊団程度に負けると思うか?」
「いえ、盗賊団の主力となっている犬人は聴力と嗅覚に優れる種族ですが、ご主人様が負けるとは到底思いません」
口では諌めるものの、さりげなく俺に敵の情報をくれるアリアドネ。
俺が一度行くと言った以上、止められないと分かっているんだな。
「よしじゃあ、行ってくる」
「御意。私どもは、どうすればよろしいでしょうか?」
「言っただろ、お前らは好きにしとけ」
別に俺は誰が何をしようと止めない。
アリアドネ達も、勝手にしたいことをやってればいい。
俺は俺で、好きにやらせてもらうだけだ。
タランタンの街の東の大門の前へと歩いて行く。
木と鉄でできた大門は閉ざされて、街壁の上からは犬人の盗賊団が弓を持ってその数は十人にも満たない。
たいした兵数ではない。
「おい、止まれそこの男! 止まれって言ってるだろ、死にてえのかぁ!」
ヒュッと、音を立てて矢が飛んできた。
門の警備の隊長格らしい犬耳の男が、警告と同時に矢を放って来た。俺が歩みを止めないので、他の連中も慌てて撃ってくる。
飛んできた矢は、かすりもしないので避ける必要もない。
威嚇射撃かと思ったが、どうやら本気で狙ってこれらしい。射撃タイミングもバラバラ、こんな実力でよく街を奪ったもんだな。
「おいそこの犬頭、扉を開けろ」
「はぁ、頭狂ってんのかお前! 奪うものもねえ貧乏人族どもに用はねえんだよ。殺す矢だってもったいねぇから、さっさと野垂れ死ね!」
灰色の鬣の犬頭が、ガルルルッと牙を剥いて叫んでいる。
なるほど、犬人の盗賊が街にいるのに、ゾンビの襲来から逃げてきた人族の農奴達が放置されている理由はそれか。
街や村を支配している熊人達にとっては、弱い人族の奴隷は労働力にもなるが。
略奪だけしかしない盗賊の犬人族にとっては、奪うものすら持たない農奴は、邪魔なだけの存在らしい。
まあ、俺にとってはどうでもいいことだけどな。
俺はとにかく街に入って、情報を集めたいのだ。人の多い場所なら、蘇生手段の手がかりが見つかるかもしれない。
「扉を開けないつもりなら、こじ開けてやるぞ」
「ウハハハッ、聞いたかお前ら。弓の前に一人で飛び出てきたと思ったら、こいつやっぱり気狂いだぜ。お前一人で何ができるっていうんだよ」
俺は、ゆっくりと背中から孤絶を抜く。
そうして、扉の前まで走ると気合を込めて大きな扉に向かって、斜めに刃を一閃させた。
全力で力を込めて、重い手応えを振り切る。
ガチっと音を立てて、扉の内側の閂を斬った手応えを感じた。
「……ふうっ」
「なんだコイツ、何のつもりだ?」
あとは、扉を勢い良く蹴りあげてやるとズシンと重たい音を立てて、街の大門が開いた。
どうやら扉は閂さえ両断すれば簡単に開くタイプだったようだ。面倒がなくていい。
「よし、通らせてもらう」
俺は大きく開いた扉から、悠々とタランタンの街の中へと足を踏み入れた。
扉の内側では、呆然とした顔の犬人盗賊どもが突っ立っていた。
次回更新予定、1/31(日)です。