92.星幽門
「兄貴。一番の繁華街じゃないか、こんな場所に星幽門を開くのか」
「警備上の問題を考えると、逆に人の目があったほうがいいんだよ。相手も派手な真似はできないからね」
兄貴の車に乗せられて、着いたのは駅前近くのビルだった。ホテルやテナントがたくさん入っている場所だ。
駐車場に入ると地下に向かう。
車に乗ったまま、地下七階へ。
駐車場はここで終点だ。
「駅前にこんな施設があるとは知らなかった」
「このビルは県庁の施設も入ってるからね。ここから、さらに地下二十階まで降りる。セキュリティーを考えるなら、地下が一番だ」
しかし、地下二十階にゲートの部屋を用意するとはね。
ジェノサイド・リアリティーと同じ階層とは、なかなか皮肉が効いている。
「兄貴に、こんなブラックユーモアのセンスがあったとは知らなかったな」
「まだ私もおっさんではないだろう?」
なんだ、センスが古いって言われてるの地味に気にしてたのかよ。
ちなみに、一緒に連れられてきたアリアドネとウッサーは、後部座席で借りてきた猫のようになっていた。
「ご主人様、この車というのは、何度乗ってもなれませんね」
「身体がスースーするデス」
スピードが上がる度に、肩を震わせて小さく悲鳴をあげていた。
車を全く知らない人間が乗ると、こういう反応になるのかと、ちょっと見ていて面白い。
二人とも、体感が発達していてよく周りが見えるので、余計怖いのだろう。
車から降りても、しばらく足を震わせていた。
「もうすぐ、元の世界に戻してやるから安心しろ」
「ご主人様の国の機械文明というのは、ものすごいものですね」
お追従なのかなんなのか、キョロキョロと辺りを見回して、アリアドネがやけに饒舌である。
ダンジョンにずっと篭っていただけの俺は比較となる、アリアドネ達の世界がどうなのか知らない。
「アリアドネの国には、こんな施設はないのか」
「妾の国にも天空城というのはありますが、地下にまで石組みの構築物が続いているこの国の建物のほうが凄いように思えます。ご主人様は、こんな凄い国の王子なのですね」
なんだアリアドネ、その勘違いまだやってたのかよ。
兄貴の前で王子とか言われて、俺は恥ずかしくなってきた。
「アハハッ、ワタルは王子って言われてるのか。なるほど、確かに真城隆三郎の後継者なんだから立派な王子様だね」
「黙れ、政界のプリンス!」
兄貴が政界に出馬したての頃、持ち前の甘いマスクと真城隆三郎の長男だったこともあって『政界のプリンス』という死ぬほど恥ずかしいあだ名でマスコミに報道されていたのだ。
兄貴が親父と袂を分かって地域政党を立ち上げたのは、国家主義者の親父に対して地方自治を重視する政策的な考え方の違いということもあるだろうが。
地味にずっとプリンス呼ばわりされていたのが、恥ずかしかったという点が大きいと思う。
なんでマスコミって、なんでも王子にしたがるんだろうな。
それがあるからか、俺がアリアドネに王子呼ばわりされたことで、兄貴は上機嫌だった。
俺まで巻き添えにするなよ。
「俺が政界のプリンスなら、お前はなんだろうね。反逆の王子かな?」
「兄貴、そのどうしようもないセンス本当に止めてくれよ……」
エレベーターを降りて、ここからさらに階段を降りるというとこで、アリアドネが跪いたまま動かないことに気がついた。
「おい、どうしたアリアドネ。気分でも悪いのか」
「ユッ……ユア・ハイネス! 妾は、一層の忠節をお誓いいたします! ハーッ、ハーッ」
いきなりなんだよ。アリアドネは頬を真っ赤に上気させて、息が荒いのがちょっと気持ち悪い。なんか、悪いものでも食べたのか。
ユア・ハイネスって、シルフィード族の祭祀王の姫であるお前のほうがよっぽどハイネスだろ。
「あーこれあれデスよ。アリアドネって、騎士にこだわってるみたいデスから……反逆の王子ってフレーズで、腰が砕けたんじゃないデスかね」
ウッサーが訳の分からない解説をする。
「なんだそれ?」
「反逆の王子って、有名なお伽話があるデスよ。悪逆の王を、王国から追放された王子とそれを助けた遍歴の騎士が協力して討伐したという昔話デス」
兄貴の古いセンスが、中世的ファンタジー的な価値観を持つアリアドネにヒットしたってことかよ。
詳しく聞いても、不愉快な話にしかなりそうにないので、さっさとアリアドネを立たせて先に進むことにした。
地下には三層に渡って、階段のみの移動で検閲ゲートを潜らないと通れないエリアが続いている。
機械的セキュリティーに加えて、ちゃんと警備員も配備されている。
IDチェック、金属探知、身体検査をしなければゲートをくぐれない。
警備が厳重なビルというのは本当らしい。まるで秘密基地みたいだ。
駅ビルの地下深くにこんな施設があるなんて、何のために作ったんだろう。
金庫か何かに使うにしても、大仰すぎる。
前の市長が建てた時代遅れの駅ビルが赤字になってるとか、地方の財政危機って話をよく聞くが。
こんな金の使い方をしてれば赤字にもなるはずだ。
「さて、ワタル。ここをゲートを開く場所にしようと思うんだが、どうだろう」
「悪くない」
地下二十階。
二重のゲートをくぐった先に、コンクリート打ちっ放しの大きな部屋がある。
なんとなくダンジョンを思い起こさせる部屋だった。余計な飾り付けがないのが良い。
部屋には、俺がゲートを開くと聞いて、七海達も揃っていた。
十名程度か。
あれほどの戦いの後、生存者二十一名の約半数が参加するのだから、七海修一の人望ということなのだろうか。
ジェノサイド・リアリティーと縁ができた高校生を使って、異世界の産物を手に入れたい兄貴の口添えもあったかもしれない。
「真城くん!」
「なんだ、竜胆も来たのか」
この危険な旅に、竜胆和葉まで来るとは思わなかった。
俺に抱きつくように腕を取る和葉を、七海修一は悲壮な顔で遠巻きに見ている。
ちなみに、現代日本に戻ってから巻き起こった七海と和葉の大喧嘩については、全部説明すると大変な量になる。
端的に言えば、元の関係を取り戻そうとした七海修一に対して、竜胆和葉はついに爆発したのだ。
守りたいのは和葉だけだと言い切った七海に対して、和葉は、七海のために死んだ女の子達に対して不誠実だと責めた。
これは、罪悪感に苦しんでいる七海修一の急所を抉る残酷な言葉だと思う。
あまりに七海の急所をグサグサと突き刺すので、聞いてる俺が慄然となったほどだ。
話を聞いていて俺は、和葉は本気で七海修一を潰すつもりだなと悟った。
これが、竜胆和葉の復讐なのだ。
周りが止めるのも聞かず、和葉は自分の視点から見た七海修一という男の無思慮と不誠実さを、一から十まで並べ立て上げた。
そしてその愚行によって、自分や周りの人間がどれほど苦しめられたのかぶちまけたのである。
それは配慮に欠けた点はあるものの、全て事実に基づいた話だった。
七海にも心当たりがある話だったのだろう、だからこそより一層深く心を切り裂く言葉となった。
ジェノサイド・リアリティーの戦いで、傷つき疲れきった七海修一は、せめて幼馴染の和葉には慰めてもらえると思っていたに違いない。
そこをメッタ刺しにされたのだ。致命傷になりかねない。いや、怒りを爆発させた和葉は、本気で七海を再起不能に追い込むつもりだったと思う。
ついに破綻したかなんて他人ごとではいられない。これに関しては、俺も責任の一端があるので心苦しく思った。
俺だってジェノサイド・リアリティーで瀬木という友人を失ったのだが、まだ蘇生できるという希望がある。
それに比べて、一度壊れてしまった和葉と七海の関係性は、どんな手段を使っても直せないものだ。
しかし、この苦境にあっても七海修一という男は壊れなかった。
耳を突き刺すような和葉の叫びを全て聞いて、自分の非を認めて謝罪して、もう一度和葉の信頼を勝ち取って元の関係に戻れるように努力すると誓ったのだ。
和葉に言わせれば、これも七海の無神経さとなるのだろうが、俺は見上げた男だと感心した。
もしかしたら七海は、俺が取り繕っていた和葉の怒りなどとうに知っていて、こうなることも覚悟していたのかもしれない。
むしろ、和葉に罵倒されたあとの七海修一は、晴れやかな顔をしていたぐらいだ。
極度に感情的になった和葉が「私、真城くんのことが好きだから!」とか、売り言葉に買い言葉でとんでもないことを言ってしまっても。
七海は「真城ワタルくんには、決まった奥さんがいるから、僕にもまだチャンスがあるね」とすら言ったのである。
自分がもう何を言っても、七海修一は堪えないと悟った和葉は、また七海を無視して俺とだけ話すようになった。
そうして、今の七海と和葉の微妙な関係が続いているのである。
決裂した幼馴染の二人を見ていると、俺はなんとも苦しい気持ちになる。
俺が和葉を使って騙していた件も、七海は「あのときは僕も冷静さを欠いていたので仕方がなかった」と快く許してくれたのだ。
しかし、その優しさに満ちた配慮の男、七海修一は、和葉に絶対に許されない。
和葉だって普段はおっとりとした優しい女子だと思うが、一度堪忍袋の緒が切れて爆発すると、こんなに怖い女子もいないと俺も思い知った。
俺も、和葉は怒らせないようにしよう。
怖いから。
「私がいるから、ご飯は任せてね」
「竜胆、それは嬉しいが、七海達にも分けてやってくれよ」
俺がそう言うと、「真城くんがそう言うなら……」と言いよどんだ。
この旅を機会に、また少しでも和葉と七海が関係修復できるといいんだけど。
「それにしても竜胆、よく家族が異世界に行くのを許したな?」
うちは家族が崩壊状態だから好き勝手もできるが、普通の女子高生を危険な土地に行かせる家族ってのはどうなってるんだろう。
「許してないよ。勘当同然で出てきたよ」
「そ、そうか……」
あんまり、家庭の事情に口を挟むもんじゃないとは分かっているが。
大丈夫かよと思ってしまう。七海が行くから、大丈夫なのかな。
「真城くんと行くから、嫁に出すつもりで許してって言ったら、真城って誰だって言われちゃったよ」
「そりゃそうだろ」
そこは、七海って言っとけよ。
そうすれば、家族は心配しなかったかもしれないのに。
「あと真城くん。もう誰かさんに遠慮はいらないから、みんなと一緒にいるときも和葉って愛情を込めて名前で呼んでね」
「しかし……」
「呼んでね」
「ああ、分かったよ」
きっと、和葉が俺の腕を掴んでこれ見よがしに言うのは、七海に対する当て付けなのだろう。
あんまりだと思ったので、七海にも一度相談したのだが、和葉が七海に怒りをぶつけてる限りはまだ可能性があるからそっとしておいてくれと言われた。
七海が、そういう限りは俺も和葉を拒絶できない。
俺にも自業自得の面があるとはいえ、厄介な人間関係に巻き込まれてしまった。
しかし、俺はもう学校はどうでもいいけど、七海達だって学業があるだろうにジェノサイド・リアリティーなんかやってていいのかな。
参加するみんなどうするつもりなのかは気になるから、時間があればおいおい聞いてみることにしようか。
とりあえずまずは、ゲートを開くことだ。
俺はコンクリートの床に、月の石を置く。転がしておけばゲートが出るかと思ったら、そう簡単でもないらしい。
「えっとこれ、どうすればいいのかな?」
ジェノサイド・リアリティーに、ゲートを開く魔法なんてなかったけどな。
「ご主人様、『アリアドネの毛糸』を使う要領で良いのではないでしょうか」
アリアドネがそうアドバイスしてくれるので。
俺は、床に置いたムーンストーンに触れて、ゲートが繋がるように念じた。
なるほど、『アリアドネの毛糸』を使うときの感覚か。
魔法の感覚というのは、言葉では形容しがたい独特なものだ。
転移アイテムの場合、行きたい場所をイメージして『転移』するのだが、そのイメージは表層意識よりももっと深く強固なものでなくてはならない。
そうしないと、不意に雑念が入って違う場所に転移してしまいかねないからだと思う。
現代日本から異世界へとゲートを開くのだから、これはよっぽど深く潜らないといけない。
俺は呼吸を整えると目を瞑る。
瞑想、目を閉じることで見え出す光がある。
俺がいきたい場所、ジェノサイド・リアリティーのあの静謐なダンジョンの中だ。
「あっ、開いたデス」
ウッサーの声が聞こえたので、目を開ける。
俺の目の前に、青白い星幽門が姿を表していた。
躊躇なくゲートの中に足を踏み入れるとそこは、ジェノサイド・リアリティーの地下二十階であった。
次回更新予定、12/20(日)です。