91.そして再び異世界へ
俺達が兄貴に匿われた先は、総合病院だった。
マスコミなど外部からの介入をシャットアウトできる場所として警備が厳重な病院が選ばれたわけだ。
政治家などがよく入院する病院が、うちの県にもあったとは知らなかった。
身体など、どこも悪くないのに入院させられるのは退屈で仕方がないが、贅沢は言えない。
さて、親父との政争であるが。
結論から先に言えば、俺の兄貴や、七海の爺様や、九条家のお歴々が動いてくれたおかげで親父との政争には勝てた。
ただ、事件の真相は発生から半年が過ぎた今でも明るみには出ていない。
公表するには、ことが大きすぎたからだ。
政府の機構の一部までもが関与して、教師六人を含む高校生百人以上が巻き込まれた人為的な大量殺戮計画があったなどと公表されれば、今の政権が吹き飛んでしまう。
そこは、ここまで大掛かりにやりきってしまった親父の勝ちといえるかもしれない。
これだけの数の高校生が、教師も含めて消えている事件に絡んで、あれほど警察隊を派手に動かしたのに、それがまったく報道されないという事実に俺は戦慄を覚える。
大人ってキタネエなと思うが、その大人の手を借りて生き延びている俺が言うことではないな。
ともかく、ことが公にならない以上、親父達の陣営も刑事罰を受けることはない。
そうでなくても、現役の国会議員である親父は、会期中には不逮捕特権があるらしく逮捕は難しいそうなのだった。
なんでそんなのがあるんだと兄貴に聞いたら、社会科の授業をまともに受けてるのかと呆れられてしまった。
スッキリとしない結末ではあるが、親父に痛手を負わせることには成功したようなので、これぐらいで良しとすべきところなのだろう。
俺は、瀬木を蘇らせるために異世界に戻るのだから、この世界がどうなろうと知ったことじゃない。
時間が稼げれば、それで良かった。政争などやりたい奴がやっていればいい。
だから、それはそれで良かったのだが、問題はやはりいくつかある。
例えば、俺の腰にまとわりついて隙あらばベッドに押し倒そうと企むウサギだ。
「旦那様、終わったんデスから、約束取り繁殖しましょうよ」
「ウッサー、お前自分の置かれてる立場が分かってねぇえのか!」
ジェノサイド・リアリティーが終わったということは、ウッサーの歯止めがなくなったということである。
繁殖をせっつかれて困っている。必死に抵抗しないと、本気のウッサーは押し返せない。
いまはウッサー達の身が危険な異世界にいるのだからと説明して、かろうじて抑えているのだが。
これが世界に戻ったら、ウッサーの歯止めがなくなるかもしれない。
マジで、この始末どうしよう。
ジェノサイド・リアリティーが終わったら、ウッサーとの関係も切れると勝手に思ってたんだが、まったく考えが甘かった。
「ウッサー殿、ご主人様が困っておられるではないですか?」
「うるさいデスよ。奴隷は黙って見てればいいデス」
「妾は、ご主人様の所有物であって、ウッサー殿の奴隷ではないです! 仮にも奥様に無礼とは思いますが、ご主人様が困ってたら守るのは妾の義務ですので、ここは止めますよ」
「ほぉー私と殺るデスか?」
「コラお前ら、殺るな殺るな! あとアリアドネ。お前は奴隷じゃなくて端女だからな。この国で奴隷にしたとか言ったら法律に触れるんだよ!」
「ハッ、差し出がましいことを申し上げました。妾は、ご主人様の卑しき端女でありました」
病室の床に、這いつくばるように平伏するアリアドネ。
本当に、それ止めて。
「端女ってのも、なんかあれだから止めだ。使用人にしとけ!」
「卑しく哀れな使用人であります」
俺の足元に擦り寄ってくるアリアドネ。ダメだこいつ、俺の言っている意図を理解してない。
アリアドネは、ある意味でウッサーよりも扱いに困る。
ただでさえウッサーが繁殖繁殖うるさいのに、アリアドネがさらに奴隷がうんぬんとかぶせると、俺が完全に変態扱いされるんだよ。
おかげで病院の看護師の俺を見る目が、「まだ若いのに可哀想ね」みたいな感じになってるだろ!
まったく、こいつらと一緒にいると気の休まるときがない。
見ての通り、ウッサーもアリアドネも、俺の病室にずっと一緒に居るのである。
俺の手元においておかないと、本気で解剖されかねない心配ということもあるのだが、人間をモンスターぐらいにしか思ってないこの二人が、ジェノサイド・リアリティーの調子で暴れたら確実に死人が出る。
なんとか俺が始終見はって暴発を防いでいる。
今の日本の常識とかを、こいつらに教え込むのは不可能であるように思う。こいつらの異世界とは、常識が違いすぎるのだ。
唯一の解決策は、早急にこの二人を元の世界に返すしか無い。
早く異世界に戻りたいと嘆いていると、俺の病室に若い男が入ってきた。
「この部屋はいつも賑やかでいいね」
仕立ての良いスーツをビシッと着込んだ若手政治家。真城誠一郎。
入ってきたのは、俺の兄貴だ。
腹違いとはいえ、俺と血が繋がってるとは思えないほどのイケメンである。嫌味なぐらい仕事ができるエリート特有のオーラと、清潔感に満ちあふれている。
ちなみにまだかろうじて二十代で、独身でもある。女性にも人気があるだろうに、これで女性スキャンダルの一つもないのだから、そうとう上手くやっているのだろう。
「兄貴」
「ああ、元気そうだな弟よ」
「これが元気そうに見えるか?」
ウッサーに抱き着かれて、アリアドネに足にまとわりつかれて辟易としているのだ。
時と場所をわきまえない性格ならまだ分かるが、この二人はそれをわきまえたつもりで盛ってくるから始末に負えない。
命の危険がない場所なら、じゃれていいと思っているのだから。
早くダンジョンに戻らないと俺の貞操が危機である。
「同じ男としては大変羨ましく思うね。そっちのバニーガールが、お前の嫁だったか? 親族として挨拶しとかなきゃいけないと思ってたところだ」
「バニーガールって言い方、古いな」
俺を誂うつもりが、逆に言い返されて兄貴は形の良い眉根を微妙にしかめた。
まだ二十代なのに、兄貴はどうもセンスが古い。
「仕事で、おっさん連中とばかり付き合ってるからか。いや、高校生に比べれば私も、もうおっさんなのか……」
「結構、気にしてるんだな」
ウッサーが兄貴に挨拶した。
「これは旦那様のお兄様、ごきげんようデス」
「う、うん……ごきげんよう」
自分で挨拶すると言ったくせに、兄貴はウッサーに少し引いている。
俺はもう慣れたが、ピンクの髪に白いウサギ耳が生えてる人間なんて、なかなか見慣れないよな。
これが、コスプレとしてもちょっとない感じの異様な生物を見た時の、まともな人間の反応というものなのだろう。
あるいは、引いているのは、無言で兄貴にも土下座しているアリアドネに対してかもしれないが。
兄貴はアリアドネのほうも気になるらしい。「これが、エルフというものか。作り物めいている……」とか呟いている。
さすがに兄貴でもエルフは知ってるらしいが、エルフじゃなくてシルフィード族らしいぞ。
ジェノサイド・リアリティーの細かい設定とかどうでもいいから、いちいち説明しないけど。
兄貴はこういう事態には素人だから、なぜ異世界人なのに話が通じるのかとか、子供みたいな質問をガンガンしてくるので困る。
そこらへんはもう魔法ってことで納得するしか無いんだよ。伝わるものは伝わるという現実を認めるしかないのだ。
「兄貴、それで今日は何で来たんだ?」
「ハハッ、用がなきゃ来ちゃいけないのかね」
「いや、そういう社交辞令は良いよ。忙しい兄貴が来るんだから、絶対なんかあるんだろ」
「可愛い弟の顔を見に来たということもあるが、星幽門を開く場所を用意できた。邪魔が入らないように、警備体制も万全にしてある」
「そうか、助かる」
俺はもう一度行ったら戻ってこないつもりなので、ゲートの安全管理などどうでもいいのだが。
七海達も行きたいと言い出しているそうだ。
蘇生手段があるかもしれないという話になれば、そうなると思っていた。
行けば、また犠牲者がでるかもしれないのに。
だから、俺は七海達にそれを伝えるつもりはなかったのだが。
あの嫌らしい創聖神が、あの会話をご丁寧にも七海達にも聞こえるようにしていたのだ。
創造神の思い通りになって癪にさわるが、こうなっては俺も止められるものではない。
七海達は仲間を取り戻して、元の世界に帰りたいのだろうから、こっちの世界の星幽門の防衛も必要になる。
「できれば、こちらからも調査隊を送りたいぐらいなんだがね」
「兄貴、それは無理だと説明はしたよな。それなりに利益提供はしたんだから、それぐらいで満足しておいてくれ」
一度、ジェノサイド・リアリティーに転移した人間しかゲートは通れない。
だから、親父の介入も心配しなくていいということもある。
兄貴には、超鋼鉄の提供やマジックアイテムを幾つか渡しておいた。久美子が神宮寺から奪った資産の一部も必要経費として渡してある。
亜人種であるウッサーや、アリアドネの簡単な身体検査も許した。それは異世界の証明ともなるものだ。
もちろん、解剖学的な調査までは許していないし、俺達が使うメインの武具は渡していない。
取引としては満足できる内容だ。
「満足ということは、残念ながらないんだよね。兄弟の情も込みで、君達がまた異界の産物を持ってきてくれることを期待しての取引だよ」
「まあ、使えるものがあればまた持ってくるよ」
「弟の活躍を期待してる」
一瞬だけ、好青年の顔に、怜悧な政治家の顔が透けて見えた。
異世界のもたらす新素材や魔術技術は貴重だ。
兄貴は、俺達から無理やり全てを奪い取るより、行き来させて調査したほうが長期的利益に繋がると判断したのだろう。
異世界へと向かう生徒の安全のために、銃器を提供することまで考えているそうだ。
金がかかるだけではなく、法律にも触れる。それだけのリスクを冒した投資を善意でするわけもなく、その分の見返りを期待されるのは当然。
肉親の情というものを全く信用できない俺としては、むしろそれぐらい求めてくれたほうが安心できるというものだった。
「それで兄貴、いつその場所には連れて行ってくれるんだ?」
「いますぐにでも行ける」
さすが、兄貴は仕事が早い。善は急げだ。
俺達は装備を身に着けて、ゲートを開くための月の石を手に、出かけることにした。
いざ、異世界へ。
次回更新予定、12/13(日)です。