90.そして元の世界に
俺は、教室にいた。いつも座っていた後方の窓際の座席。
窓を見れば、そこはもう石壁ではなく、外の世界が広がっていた。
元の世界に帰って来たのだ。
自然と眼が、瀬木の座っていたはずの座席へと向かう。
そこには誰もいない。
一年F組の教室に戻ってこれたのは、十名にも満たない生徒だけだった。
その代わり――
「ウッサー、アリアドネ……」
俺の隣と前の席に、居てはならない二人がいる。
なんでだよ。
「あっ、旦那様デス」
「ウッサー、お前ら」
なんで、こっちの世界の人間じゃない奴が一緒に来てるんだよ。
おいどうなってんだ創造神。
俺が、文句を言おうとする前にアリアドネが警戒の声をあげた。
「ご主人様、敵対する意志を持ったモンスターが近づいております。四……いえ人間型が五体です」
「敵対? ここはもうダンジョンではないんだぞ。ここは、人間しかいない世界だ」
アリアドネの言うとおり黒スーツに身を包んだ怪しげな男達が入ってきた。人間をモンスターと言っているのか?
サングラスまでかけている。狙ってやってるのか、どこのエージェントだ、怪しすぎだろ。
「何だお前らは?」
「……君達を保護しに来た警察だよ。いま身分証を見せるから」
「最上級 放散 刻限 敏捷」
俺は、スローの呪文を使ってみた。
時間が引き伸ばされた感覚が湧き上がる――
ウッサーとアリアドネが存在する段階でおそらくできるとは思ったが。
現代日本でもちゃんとジェノサイド・リアリティーの魔法は使える。
そして、警察を名乗る男が取り出そうとしたのが、警察手帳ではなく拳銃であったのが分かった。
なるほど、敵対的だな。
「とりあえず、眠らせる!」
俺は孤絶を逆向きに持って、男を峰打ちにした。
悪いな、俺は傷つけず気絶させるようなやり方は知らないんだ。
骨ぐらいはいくかもしれないが、死にはしない。
強く揺さぶれば、ショックで意識は奪えるとは知ってる。
俺が攻撃すると同時に、アリアドネとウッサーも動いていた。
次々に男達が呻き声を上げて倒される。
五人いても、動きが遅すぎるのだ。
これなら、ジェノサイド・リアリティーのモンスターのほうがよっぽど強かった。
「ウッサー、アリアドネ、相手は人間だから殺すなよ!」
ホントに、やり過ぎるなよ。
この国だと、たとえ相手が銃を向けてきても、殺してしまっては過剰防衛になる。
「えっと、多分死んでないデス……」
「ご主人様ご心配なく」
アリアドネは加減ができるから大丈夫そうだけど、ウッサーの返事はなんか不安になるぞ。
ウッサーは手加減苦手そうだし、死んだら死んだときのことだが。
俺は、気絶した男達の懐を漁って慄然となる。
いかにも怪しげな身分詐称のために使う名刺などとともに、本物らしい身分証もあったのだが。
警察と言ったのも、満更嘘ではなかったと分かったのだ。
ただ、普通の警官ではない。
「警察庁警備部公安課……」
警察の影の仕事を担当する部署だ。これも偽の身分証であればありがたいが、そうではないと判断したほうが無難だ。
おそらく、親父がやっているジェノサイド・リアリティー計画に参画している連中だろう。
おそらく神宮寺達とは合図が決まっていて。
それがなかったので、俺達を銃で牽制しようとしたってとこか。
あまりにもあっけなかったので、高校生に抵抗されるとは思ってなかったのかもしれない。
人を撃つことに慣れてないんだなとも思えた。
しかし、相手が公安とは、親父の手はどこまで伸びているだろう。
こんな連中が何十人いたところで雑魚だが、警察組織全体を敵に回すと厄介なことになる。
これからどう動けば親父の陰謀を潰せるか。
そんなことを思案する間もなく、公安警察官が持っていたスマートフォンが鳴り始めた。
相手の番号が表示されない特殊なスマートフォンだ。
ちょっと迷ってからから、電話を受けると聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「どうだ、確保できたか」
「その声は……」
俺の父親、真城隆三郎の声だった。
噂をすれば影というが、まさか直接電話をかけてくるとは。
偶然にしては出来過ぎている。
ここまで仕組まれていたのかと疑ってしまう。
監視されてる?
いや、そんな気配があれば気がつくはずだ。
「おや、ワタルか……ふん。どうやら神宮寺くんは、失敗したようだ」
俺が親父の手の者の電話に出たことで、神宮寺達が失敗したところまで即座に読み取ったのか。
やっぱりキレる。どうすれば、親父に勝てるのだろうと思いつつ、言葉を繋ぐ。
「そうだ神宮寺は失敗した、俺はもうお前の言いなりにはならない。お前らの好きにはさせない!」
「やけに威勢がいいじゃないかワタル。お前がジェノサイド・リアリティーの勝者ならそれでもいい。どうだ、ワシの後継者にならないか?」
「親父も、神宮寺と同じだな……どうしてお前らは、そういう物言いしかできないんだ!」
「お前の兄が使い物にならなくなったから、ワシの後釜はお前でも良いかと思ったのだが、そうか反抗するか。フハハハ、昔は可愛らしかったが、お前もそういう年頃だものなあ」
「……いまさら親みたいなことを言うな。俺と母さんをずっと放ったらかしにした男が!」
「それを恨みに思うのなら間違いだ。ワシはずっとお前を見守ってきたし、息子として愛している。だから、こうしてワシの後継者に相応しいかどうか試しもした」
愛しているだと。
だったらなんで、母さんにあんな仕打ちをした。
「ふざけやがって……」
「嘘ではない。その証拠こそが、ジェノサイド・リアリティーだ。なあワタル、あのゲーム誰が買って来たか覚えているか?」
「……ああ、クソッ」
そうだった。パソコンごとジェノサイド・リアリティーを買って俺の家に置いていったのは、親父だった。
なんで今の今まで、そのことを忘れていた。
「ワシが戯れに買ってきて、飽きたふりをしてそれとなく置いておいたから、ゲームをどこで手に入ったかなんて忘れていても無理はないがね。ワシが子供のゲームなんかに興味を持つわけないと、少し考えれば分かるだろう。あれは、元からお前にやらせるために用意したものだ」
俺が子供の頃から、親父の計画は始まってたってことか。
そして、俺もその一部として組み込まれていたのだ。
「俺は、お前の計画に操られていたのかよ。子供の頃からずっと!」
「そうとも言えるが、これは父親としての愛情だよ。お前がこの試練に勝ち抜けば、ワシの後継者として正式に認めるつもりだった。ワシは誠一郎よりも、お前に期待をかけてたんだ。ジェノサイド・リアリティー計画は、そのためのステージだった。だからお前に、打ち勝てるだけの情報を与えたつもりだったのだ……」
勝手なことを言いやがる。こいつの言うことは、全部嘘だ。母さんはこんな男の言うことを信じたから日陰者の一生を送ることになった。
兄貴が使えなくなったから、予備の俺が必要になっただけだろ。
「俺は……お前の後釜などにはならない。親父のやり方なんか、絶対に認めない!」
「ふん、大人になったんだなワタル。だったら、ワシも大人なりの対応を」
俺は、電話を切った。これ以上話すのは危険だと思ったからだ。
スマートフォンを床に叩きつけて踏み潰す。
電話をかけてきたのも向こう側からだし、親父は会話で誘導して相手の行動を縛るぐらいのことは平然とやってくる男だ。
親父の言葉を無視できなかった俺は、何度煮え湯を飲まされたことか。
俺はそれに嵌められてジェノサイド・リアリティーでも踊らされたのかもしれない。
だが、それもここまで。もう親父の振り付けでは踊らない。
大人なりの対応だと、こっちもやってやろうじゃないか。
俺達は学校の一階を回って、他の教室にもいた親父の手足となって動いている私服警官をなぎ倒した。
そして、一年A組にいた七海達と合流する。
ここからは、時間との勝負になる。
「七海。スマホの充電器ないか」
「あるけど、何に使うんだ?」
スマートフォンを捨てずに取っておいて良かった。俺は、七海から充電器を借りて、電池切れしてるスマホを充電すると、とある番号に電話を掛ける。
若い男の声と繋がる。
「誰だ?」
「携帯の電話で誰だ、はないだろ。俺だ、真城ワタルだ……兄貴」
俺の腹違いの兄である、真城誠一郎。
親父に逆らって、道州制導入を謳った地域政党を立ち上げて、うちの県の県議会を牛耳っている若手政治家だ。
「声は弟のものだが、本当にワタルなのか? ワタルが私に電話をかけてくるなんてちょっと考えにくいんだが」
「その考えにくいことが起こったから連絡したんだ。いまから説明するから、切らずに聞いてくれ」
公安まで動かしている親父に対抗できる人材となると、兄貴しか考えられない。
ジェノサイド・リアリティー計画なんて荒唐無稽な話が信用されるとも思えないが、俺は一縷の望みに賭けてみることにした。
「ふうん、どうやらオレオレ詐欺じゃないようだね」
「こんなオレオレ詐欺があるかよ」
「ハハ、冗談だ。信じられないと言いたいところだが、優凛高校の一学年消失事件については、私も怪しいと思って内偵を入れていたところだ」
「消失事件という扱いになってるのか」
「ああ、課外授業中の水難事故という話になっていたが、不可解な点が多すぎた。しかし生徒が忽然と消えた理由が、そんな計画の結果ならば辻褄は合う。今お前達がいる校舎は閉鎖されているはずだ。二学年と三学年は、他の校舎に移されているようだな。うちの県で公安が動き回ってるのも、きな臭いと思ってたところだ」
本来なら、二年生や三年生もいるはずなのに、道理で校舎が静かだと思った。
「校舎にいた。親父の手足になって働いてる公安警察の連中なら、気絶させてふん縛っておいたよ」
「良くやってくれたと言いたいところだが、親父にも知られてるならすぐ増援が向かうだろう。まずお前達の安全確保が先だ、すぐに県警を向かわせるから保護してもらえ。私もそちらに向かう」
「いや、でも兄貴、警察は親父の」
「そうじゃない。警察庁の一部は、真城隆三郎の手足となって動いているみたいだが、公安しか使えないのは政府のコンセンサスは取れてないからだ」
「それは、どういうことだ」
いきなり政府がどうのこうの言われても、俺にはさっぱりなんだが。
「いま親父が、今の政権の閣僚でなくて良かったということだ。こんな無茶な計画を押し通そうとするとは、親父も老いたな。今の政府が、ジェノサイド・リアリティー計画に絡んでないならば何とでもできる。そっちに向かわせてるのは県警の警官隊だ」
「県警は信用できるのか?」
「警察組織も一枚岩じゃない。うちの県の所轄までなら、元大臣の国会議員より地元の有力県議のほうが影響力を行使できるんだよ。少なくとも我が県は、もう親父のじゃなくて私の地盤だ。好きにさせるつもりはない」
「分かった、兄貴の言葉を信じよう」
「ああ、任せてくれ。時間さえ稼げれば、私にも政府筋や官僚にツテはある。なあに相手の手の内は分かってる、親父を追い落とせるならと乗り気になる反対派閥の連中もよく知ってるからね」
親父を相手にした政争なんて真似が高校生の俺にできるわけがないので、任せるしかない。兄貴に頼めば、俺ができることは終わったといえる。
気が付くと、七海や久美子達も、みんな電話をかけている。
ただ、親御さんに安否の確認の電話をしているというわけではないらしい。
俺と同じように、対応を始めているようだ。
「ああ、僕だ。お祖父様に繋いでくれ……」
七海は、自分の祖父に連絡しているようだ。
経団連の幹部でもある大企業家の力もバカにならないだろう。
「九条家のコネを総動員してちょうだい。総動員よ! 資金? 大丈夫お金なら心配いらないわ。時間との勝負よ、さあ動いて!」
久美子も名家の家柄ではあるので、独自の人脈を使う様子だった。
金はあると言い出してるので何かと思えば、久美子はあのドサクサで神宮寺達が集めていた財宝をちゃんと確保していた。
ちゃっかりしてるなと思ったが、そりゃ政争になれば資金もいる。
俺も兄貴の手を借りたのだからその分の借りは返さないといけないわけで、何らかの利益を供与しないといけないだろう。
ウッサーとアリアドネに警備の命令を出して。
親父の手下が来ないか窓の外の様子を窺って、また兄貴から電話がかかってきた。
「なんだ兄貴?」
「お前のお友達が動いてくれたんだな。こっちもやりやすかったと七海くん達に礼を言っておいてくれるか。上手く連携できれば、親父を出し抜けそうだ」
「それは良かった、ちゃんと礼は言っておく」
優凛高校を実験場にしたのは、おそらく私立学校で自分のコネが使えるという理由だったのだろうが。
こうなれば間違いだったように思える。親父も焼きが回ったものだ。
名家の子弟が多く通う学校を標的としてしまえば、失敗した後の反動が物凄いことになる。
手下にした神宮寺達が上手くやれると見込んだ親父の目は、どうやら節穴だったようだし。
親父もゲームに興味がないとか言わず。
もうちょっとまともに、ゲームやっとけばよかったかもな。
ちゃんとジェノサイド・リアリティーがどういうゲームか熟知しておけば、この失敗はなかったかも知れないぞ。
そう思って安堵すると、電話先の兄貴がシミジミといった口調で呟いた。
「……それにしても、ワタル。お前変わったね」
「何だよ、急に?」
「お前を助けてくれる友達がたくさんいるんだなと思ってさ。私だって、お前に嫌われてたと思ってた。お前とは、いろいろあったから……」
「いまでも好きじゃねえよ」
俺と兄貴は母親が違う。
兄貴のほうの母親は、正妻だからきちんとした家庭に育っている。
大きくなって、俺の母親が死んでから引き合わされた兄貴と俺はずっと馴染めなかった。
いまでもそうだが、親父よりはマシだからな。
「それでも私を頼ってくれて良かった。前のお前だったら、意地でも私の手なんか借りなかっただろ?」
「俺だって、いろいろあったんだよ。今回だけは負けられねぇしな」
親父の陣営が勝ってしまえば、俺はともかく異世界人であるウッサーやアリアドネが危ない。
ここで下手を打つと、実験動物にされてしまう危険性もあると思えば、わだかまりを捨てて兄貴を頼るしかない。
「そうか、大人になったんだな……」
やはり血というのは争えないらしい。
兄貴も親父と一緒のことを言ってるぞと教えてやろうと思ったが、止めておいた。
やがて、パトカーが大量に学校のグラウンドに雪崩れ込んできた。
程なくして兄貴も到着して、それらが親父の手先でないことに安堵する。
実は兄貴も親父側に付いてて俺を騙していた……なんて可能性も考えていたが、そんなことはなく、俺達生徒全員は親父の手が届かない安全な場所へと護送されることとなった。
というわけで、第二部。
ワタルくんは蘇生手段を探すため、またすぐ異世界に戻ることになりそうですが。
第二部から週一更新になります。
次回更新予定、12/6(日)です。