87.不意打ち
俺は反射的にその腕を、黛京華の腕を掴んで銃口をそらした。
ターンと、乾いた銃弾の音が響く。
懐から拳銃を取り出して、京華が俺を撃とうとしていたのだ。もう銃口から噴き出る火花まで見えた。
ギリギリで反応できたのは、神宮寺にはない殺気の塊を隣の京華から感じたからだ。
もしかしたら、京華が俺を襲ってくるかもなどと冗談では思っていたが、本当にやられるとはやられる寸前まで思ってなかったんだけどな。
ただ、それを想定の範囲内に置いていたことで、とっさに避けることができたということもある。
まさか、ジェノサイド・リアリティーでナイフじゃなく銃を向けられることになるまでは予想できなかったけどな。
刹那湧き上がってきたのは、強い自嘲混じりの苦笑だった。
しかし、女に裏切られるなんて経験を俺がすることになろうとはな。
皮肉に思ったが、不思議と不意打ちされた怒りはなかった。
意外性よりも、やっぱり京華は信用ならなかったかという諦めに似た思いが強かったからだろう。
ジェノサイド・リアリティーでは油断した奴が死ぬ。こういうことだってある。
俺は、京華を信用してないから助かったのだ。
信じるべきでない女に不意を打たれて殺られたなら、そこまでの男だったということ。
京華は京華で、自分の女という武器を使って俺と戦った。
そして、俺が勝っただけだ。
「京華、観念しろ!」
「痛いよぉ、やだぁ真城くん……手を離してね?」
俺に拳銃を持った腕を掴まれても、京華は甘えるような猫撫で声を出す。これには、さすがにムカっとくる。
離すわけねぇだろ、このアマ!
「おやおや、黛さんは失敗しましたか。真城くんは、これまでのデータで女性に甘いと判断していたんですが、ここで終わらないとはまた評価を上げざる得ませんね」
「そこまで甘くないってことだ。さあ形勢逆転だ、神宮寺!」
余裕の笑みを浮かべる神宮寺は、ゆっくりと俺に向かって銃を構える。
人質にするために掴まえている京華を盾にしたが、神宮寺はそのまま撃ちやがった。
ダンジョンに、乾いた銃声が響く。
「ううっ、なんでぇ……」
神宮寺に胸を撃たれた京華は、ばったりと倒れる。
なんでとは、俺も言いたかった。俺を狙って撃つなら分かるが、今のは明らかに京華を狙っていた。
京華は、神宮寺の仲間じゃなかったのか?
「形勢逆転? クハハハッ、今のあっけにとられた顔は良かったなあ。手元が狂って殺し過ぎちゃいそうだから、あまり笑わせないでください。私が人質を使うことがあっても、その逆はないと理解していただきたい。その程度の女の代わりなんて、いくらでもいます」
「神宮寺、お前はそこまで……」
「さて、真城くんどうします。こちらは、いくらでも使える人質がいるんですよ。真城くんの交友関係だって、調べあげてますからね。次は、九条久美子にしましょうか、それかあのウサギ女がいいかな。いや、やっぱり殺すのは、君の唯一の親友である瀬木碧からにしましょう。親友を無残に殺されたときの君の顔が見てみたい。私は、美味しいデザートを先に食べるタイプなんですよね」
俺は、何も言えず押し黙った。俺に友達はいないとか、殺れるなら殺ってみろよとは言えない。
神宮寺は、そんなブラフが利くほど甘い相手ではない。俺がそう口にした瞬間、こいつは喜々として瀬木を殺すだろう。
七海修一ですらあっけなく撃ったのだ。それにかけよった七海ガールズも銃撃した。
俺の近くに埋伏の毒として潜ませておいた京華ですら、利用価値がなくなれば即座に切り捨てた。
「こう見えてもね、私は真城くんが嫌いじゃないんですよ。君はアサルトライフルを前にして無駄な抵抗をしなかった。してたらそこで終わってますからね。君は粗暴なようで、きちんと相手との戦力差を理解している頭のいい男だ。私の配下にとも思ったが、むしろ味方にしておくのは惜しいです」
「……」
「その顔、良いですよ。クックック、気の強い女が陵辱する男を下から睨みつけて、最後の瞬間まで希望を失わないでいるような……それでこそ蹂躙しがいがあるというものです」
神宮寺は、舌でベロリと自分の唇を舐めまわした。気色悪い奴め。
俺が必死に一発逆転の方策を考える間も、勝ち誇った神宮寺はなおもしゃべり続ける。
「まったく、何が県下一の進学校なんでしょうね。我が校始まっての以来の英才と謳われた七海修一でも、私の進めている計画に何も気が付かなかった。お為ごかしの言葉を疑おうともしなかった。そもそも、この学校自体が計画に利用するために準備されていたことすら、誰も疑いもしないのだからな。現実ってこんなもんですねえ、せっかくバレたときのことを想定して策を何十にも張り巡らせてきたのに手応えがなくて本当につまらなかったなあ」
さっきから銃を撃っているのは神宮寺だけだ。
他の生徒会執行部が、どれぐらい加担しているかは分からないが、やはり同じ生徒を撃ち殺すのに躊躇があると見た。
神宮寺司さえ倒せれば、他の雑魚はなんとかなる。
「クックッ、真城くんだけです、多少手応えがあったのは。他の雑魚はともかく『私さえ殺せば何とかなる』とか、考えているんでしょう?」
「グッ……」
その俺の心を言い当てるような言葉に、俺はゾワッとした。
俺が神宮寺だけを狙って殺ろうとしているように、神宮寺も俺だけを狙ってゆっくりと嬲り殺しにしようとしている。
「良い判断だし、私でもそう思います。この期に及んでも、まだそんなことを考えられる君は素敵です。私に負けるとはまったく考えてないんですね。でも君にも人質は利く」
「……」
俺は何も言えない。意地を張って下手なことを言えば、神宮寺は即座に人質を殺していくだろう。
勝ち誇って無駄話をしてくれているなら、その間に時間稼ぎができる。
「まるで映画のワンシーンみたいですよね。卑怯にも人質を取った悪の首領を前にして、正義のヒーローが立ち向かう。ジェノサイド・リアリティー最強の剣士、真城ワタル。さあ、目を見開いてよくみなさい。君の敵はここにいる。君も庶子とはいえ、昭和政界最後のフィクサーと謳われた真城隆三郎の血統でしょう。悔しければ、この絶体絶命の状況を切り抜けてみなさい」
結局のところ、神宮寺が俺を味方に引き入れようなどと言うのは、本気ではないのだろう。
確かに俺を引き入れれば、親父に対する駒には利用できるかもしれないが、所詮使い捨てにされるだけだと俺にも分かるから神宮寺に付く選択肢はない。
そもそも、俺が神宮寺に靡かないことぐらい、敏いこの男が分からないはずがない。
だからこれは結局、猫が鼠をいたぶって殺すように、俺を嬲り殺しにしてじっくり楽しみたかっただけなのだろう。
こういうのを、『一度やってみたかった』というのがコイツの本音なのだろうな。
正義は必ず悪に勝利するみたいな構図、物語の眠たいお約束をぶち破って。人質を盾にとった悪の首領が、正義の味方相手に勝利するみたいなシーンを演じたかったのだ。
そうして、みんなの目の前で自分の考えの正しさ、優秀さを見せつけたがる。
まったく、反吐が出る。だから、俺は神宮寺のことが大嫌いだった。
こいつは、昔の俺と似ているところがある。
俺は、神宮寺の中にいる、偽悪主義者だった頃の昔の俺を嫌悪する。
俺だって、子供の頃には思ってたよ。
どうして手段を選ばないで必死に戦う悪の首領が、なりふり構わず戦うことすらできない愚かな正義の味方に勝てないのかって。
だが俺はお前と違って、もうそんな子供じゃない。
物語ならともかく、現実では、手段を選ばない悪党は正義のヒーローにきちんと勝つし、その悪党だってもっと手段を選ばぬ黒幕に負けるって知っている。
俺の目の前に銃を持って立った段階で、神宮寺司はすでに負けている。
「なあ、神宮寺。相手を間違えてないか。俺は、七海修一じゃない。正義の味方じゃないんだぜ?」
「ほう、人質は通用しないと。よろしい、じゃあまず瀬木くんから」
「いや、神宮寺司。死ぬのはお前からだ――殺れ、アリアドネ!」
その瞬間、神宮寺の首が胴体から離れた。
その首は、悪の首領を気取って勝ち誇ったいやらしい笑みを浮かべたまま、エクスカリバーで斬り飛ばされて死んだ。
悪党のあっけない末路。
もちろん、神宮寺の首を斬り落としたのは俺ではなく、ずっと隠密で、俺の周りを守っていたアリアドネだ。
アリアドネは、俺の目線の合図に気がついて、隠れたままゆっくりと誰にも気が付かれないように神宮寺の裏に回っていた。
俺だって、神宮寺達が火器を隠し持っていたことに気が付かなかった。
だから、神宮寺がアリアドネがまだ生きていることに気が付かなくても仕方がない。
だがお前も言ってたじゃないか、『実際にやってみると計画通りには進まない』って。
他のやつが気が付かないことに笑ってたくせに、この程度の展開が先読みできなかったのは策士の名が泣く。
俺を嬲って楽しもうと、時間をかけ過ぎたのが神宮寺の一番の敗因だった。
なんでだろうな。悪の首領を気取る奴は、絶対的優位に立つと、みんなおしゃべりが過ぎる。
そして、俺は神宮寺が言うように正義の味方ならぬ、黒幕の血統だったのだろう。
黒幕は敵を殺すのに、『自分の手で殺る』なんて手段は選ばない。
切断された首から、噴水のように血を噴出させながらゆっくりと崩れ落ちる愚かな策士に俺は心のなかで語りかける。
なあ、神宮寺。
ジェノサイド・リアリティーでは、正義の味方も、悪の首領も、みんな倒れるようだな。
策士を気取った神宮寺は、結局のところ黒幕には遠く及ばない小悪党だった。
「おい、生徒会執行部(SS)、さっさと銃を捨てて投降しろ。アリアドネには飛び道具が通用しないんだ。アリアドネ、銃を持っている奴は全員殺せ!」
銃という武器が、アリアドネに理解できるかどうか分からないので、これは半ば銃を捨てろという生徒会執行部員への脅しだった。
ともかくアリアドネは、一瞬にして神宮寺の周りにいた生徒会執行部(SS)の二人の首を刎ねた。
予想通り、アリアドネにアサルトライフルの近距離射撃は通用しなかった。
風の精霊の加護を受けて一切の飛び道具が通用しないアリアドネの身体は、超音速で迫るアサルトライフルの弾丸ですら避けて通る。
たとえ、アサルトライフルを持った敵相手でも、アリアドネは無敵だった。
人質を取っていた生徒会執行部の八人は、いきなり目の前で神宮寺が死んで混乱している。
もし、八人全員が戦列を組んでこっちに向かって銃撃していたなら、銃撃すら避けられるアリアドネはともかく人質になった生徒達は危なかった。
だが、幸いなことに神宮寺司というリーダーを失った生徒会執行部(SS)は即応できない。
「もう一度言う、みんなライフルを捨てろ。捨てれば助ける、捨てなければアリアドネがお前達を確実に殺すぞ!」
俺の掛け声で、捨てた奴もいればこっちにアサルトライフルを向けて発砲したやつもいる。
生徒会執行部副部長の祇堂修。この状況で、他の部員に声をかけて戦意を立て直そうとしている。
そういうことをすると殺さないといけなくなる!
――がっ、ここはまず回避の一手か。
「熱量 炎 電光」
派手に脅しの文句を叫んだ俺に向かって、執行部員達が発砲してくることは予想していたので、魔闘術で両足のマナをオーバーロードさせて使って飛んだ。
こんな乱戦で流れ弾を受けるのはゴメンだ。
まだ抗戦の意志を捨てない連中が、天井に向かって跳び上がった俺に銃を向けてくれたせいで、隙ができたともいえる。
縄目を自力で解いた久美子とウッサーが、アサルトライフルを捨てなかった生徒会執行部(SS)に襲いかかってくれた。
アサルトライフルの射線がブレてしまえば、マスタークラスまで育った忍者や武闘家の身体能力に勝てるわけがない。
祇堂修は、思いっきりウッサーに顔を殴り飛ばされて弾け飛んだ。ウッサーの渾身のパンチで、トリプルアクセルしながら飛んで行く祠堂は、気絶どころか死んだかもしれない。
天井に飛んだ俺に向かっても、流れ弾は飛んできたが一発も当たらなかった。
動いてる的に対して弾がそうそう当たるものじゃないって知識では知っているが、超音速で迫る弾丸というのはやはりヒヤッとする。
ジェノサイド・リアリティーで鍛えたとしても、やはり近代兵器を持った軍隊にすれば殺されてしまう可能性が残る。
そこら辺の限界点は、認識しておくべきだろう。
あるいはアークマスターに届けば、超音速の壁も突破できるのかもしれないが。
そこまで鍛える時間がなかったしな。
仮に更に鍛えあげてアサルトライフルを無力化できたとしても、機関砲ならどうか、戦車砲なら、ミサイルなら、核爆ならと考えていくと国家レベルの軍隊はまともに相手にしないほうがいい。
現代に戻っても、ジェノサイド・リアリティーの調子で暴れないようにしないといけない。
こうして、人質に取られていた生徒達が逆に押し返して、残り八人の生徒会執行部員は全員降伏して鎮圧された。
生徒会執行部の暴虐も、ようやく終わったとみんなが安堵したそのとき――
「みんな、死にたくなければ動くな!」
降服した生徒会執行部員が床に落としたアサルトライフルを二丁拾い上げて、こっちに向ける生徒がいた。
モジャ頭、御鏡竜二。
次回更新予定、11/23(月)です。