83.赤と黒の地獄
階段を下って、地下十八階。
そこに広がっていたのは、赤と黒に染まった血獄である。
この階層のボスは、反救世主。
さっき、最後に見た地下大聖堂のフラスコ画もそれを暗示したものだった。
狂騒神が、この世界を滅ぼすために遣わした反救世主。
それに付き従う血獄のデーモン達。
まさに、ジェノサイド・リアリティーを締めくくるに相応しい赤と黒の死闘が本来ならば繰り広げられる予定だったのだが。
「ご主人様、妾は何か不快にさせるようなことをしたでしょうか」
「いや、別に」
アリアドネが先んじて、反救世主をぶち殺してしまったせいで台なしである。
遊んでる暇はないからいいんだけどよ。
「真城くん……真城ワタルくん」
「いま何か言ったか?」
「いえ、妾はなにも」
「あ、そうか。『遠見の水晶』か。おい、アリアドネ。お前の姿が映るとマズいから、ちょっと隠れていろ」
アリアドネにそう命じて、リュックサックから『遠見の水晶』を取り出す。
水晶にダンジョンにいる七海修一の姿が映った。本来は卓上に置いて使うものなので、ちょっと携帯するにはデカイが、テレビ電話という感じだな。このアイテムも。
「真城ワタルくん、地下四階で無事に和葉と合流できた」
「お、そうか。報告ご苦労様。こっちは、地下十七階の清掃を終えたところだ。地下十八階もその調子で片を付ける」
和葉は、七海と会うのを嫌がっていたが。
どうやら、トラブルを起こさず上手くやってくれたらしい。安堵している俺に、七海は続ける。
「だが、無事ではないこともある」
「なんだ、瀬木達に何かあったのか!」
「いや、瀬木碧くんたちは大丈夫だよ。ただ、もう二人ほど犠牲が出てしまって」
「地下四階でか。やけに早いな」
それは、ジェノサイド・リアリティーの攻略にまったく参加していない生徒もいるのだ。
犠牲が出るとは思っていたが、地下四階でとは早すぎる。
いや、そうでもないのか。
浅い階層こそ、モンスターの復活が早いってこともあるのかもしれない。
「すまない、僕のせいだ」
「いや、七海のせいじゃないさ。犠牲は俺もあるとは思っていた。何にせよ、こちらも全力を尽くす」
「そうだね。真城ワタルくんの邪魔をしてはいけない。僕達も万難を排してそちらに向かうよ」
「下で待ってるからな」
無事合流できたのはいいが、まだ地下四階程度なのか。
六十一人だったか。七海達は、非戦闘員まで連れてのダンジョン突破に、かなり苦労しているようだ。
これはそこまで一掃を急ぐ必要はないのかもしれない。
「アリアドネ、もういいぞ」
「ハッ、御身の前に」
だから、いちいち跪かなくていいっていってるだろ!
何のつもりなんだ、趣味なのかそれ。
どうせやってくると思ったから、足に纏わりつかれるまえにかわした。
何で残念そうなんだよ。
「アリアドネ、ほら敵が来たぞ」
「やります!」
跳ね上がって、エクスカリバーを抜剣すると迫りくる筋骨隆々たるデーモンに向かって斬りかかっていった。
俺の分を残しておけよ。
対峙すると、デーモンは地獄の赤鬼という印象だった。
二メートルぐらいかな、人間としては大柄のマッチョマンで頭部に羊のような立派な角が生えている。
一部が動物というのが、悪魔のイメージなのだろうな。
武器も持たず素手で掛かってくるので、何だコイツと思いつつ掴みかかってくる腕を斬り飛ばしてやる。
「カッてえな!」
腕は切断された。
しかし、この手に掛かる重みはどうだ。その身体は、超鋼よりも硬い。なるほど、これは武器は要らないわけだ。
アリアドネは、一体目を斬り殺して次に掛かっている。
俺も負けられない。
こういう硬い敵は、急所だなと重い首を斬り飛ばした。
「アブねえ……」
崩れ落ちるデーモンの後ろを飛び越えるようにして、もう一体が掛かってくる。
なかなかに鋭いパンチだが、紙一重でかわせた。
しかし、この程度ならスローの呪文を使うまでもない。
すぐさま振り返ってきたデーモンの胸を、俺は孤絶で一突きする。
心臓を一突きしたはずだが、まだ殴り掛かってくる拳を腕で受け止める。
何とか受けたが骨が砕けるかと思った、まさに鋼の拳である。
「丈夫じゃねえか」
孤絶を引きぬいて、頭を叩き斬った。
心臓から血を噴き出しても生きていて、脳天を潰してやってようやく動きを止める。
デーモンのタフさは、人間型モンスターどころではない。
これは思わぬ強敵だった。
「あまりに手応えがないと思ってたところだ」
四体を片付けて進むと、また通路の向こうから強烈な殺気が漂ってくる。
これは、楽しめそうだ。
※※※
続けてやってきたのは、グレーターデーモン。
さっきよりもさらに背丈が高い、人間でこのクラスの大きさなら化物と呼ばれるだろう。
こっちは本物の化物、黒い悪魔である。
しかも、おあつらえ向きに一体だけ。
「おい、アリアドネ。手は出すなよ」
「何をなさるおつもりですか、ご主人様?」
俺は、孤絶をゆっくりと鞘に納める。
なに、こいつらは体術を使うから、俺が素手でどれだけやれるか試してみるだけだ。
軽業師ランクの修行も怠らず続けている。
素手で戦うグレーターデーモンは、ジェノサイド・リアリティー最強クラスの軽業師ランクを誇る。
まさに悪鬼の叫びを上げながら、俺に迫るグレーターデーモン。
ブンッと俺に向かって一直線に振り下ろしてきた、その巨大な拳を、俺はあえて防御せずに受け止めた。
「ご主人様!」
「グッ……いいな、この痛み。どうした、もうこないのか?」
ジェノサイド・リアリティーを始めた頃は慣れっこになっていた、全身の骨と肉が悲鳴をあげる激痛。
ランクを上げるだけ上げて、最強となった今はむしろ懐かしさすら感じる。
グレーターデーモンが、鋭い叫びを上げながら振り下ろした拳は、俺の全身を砕きそうなほどの威力であったが、それでも俺は足に力を入れて、その場に踏みとどまった。
確かに、強烈な一撃だ。
強いは強いが、最下層のグレーターデーモンも、この程度かというあっけなさもある。
せっかく殴らせてやったんだぞ、一撃で俺を殺す拳でなければ、守護者失格だ。
「この程度か。ほら、最下層の守護者の意地を見せてみろ」
そのまま攻撃を受けた俺が異様すぎたのか、躊躇した様子を見せたグレーターデーモンだが、挑発してやると気を取り直して俺に殴りかかってきた。
だけど、もう殴らせてやらない。
今度は、その拳を即座に裏拳で撃ち返す。
バシッと音が響いて、グレーターデーモンの腕が弾かれた。
いまので腕を砕くつもりだったが、やはり頑丈。
悪くない、ならこれはどうか。
俺は、渾身の力を込めて、グレーターデーモンの巨体に正拳突きを放つ。
相手の身体を震わせるが、その巌のような分厚い胸板は崩れない。
じゃ、もう一発!
もう一発!
もう一発! もう一発! もう一発!
膂力に勝るグレーターデーモンであったが、スピードは俺よりはるかに遅い。一方的に殴り続けられる。
力任せに五発、殴り続けたところでドーンと音を立ててグレーターデーモンの巨体が仰向けに倒れこんだ。
俺は、すかさず跳び上がると、体重をかけて思いっきりグレーターデーモンの顔を踏む。ここまでがコンボ技。
グシャッと、柘榴が割れるように頭が砕けた。グレーターデーモンは、脳みそまで黒かった。
身体の頑丈さに比べると、頭部は脆い。
「やはり、弱点は頭か」
「ご主人様、剣士が体術など、危ないことはお止め下さい!」
「そうでもないだろ。鍛えるにも限界があるから、戦士ランクと軽業師ランクはバランス良く鍛えておくべきだ」
「しかし、ここは最下層ですよ。人の身で悪鬼の振るう拳を無防備で受けるなど、正気の沙汰とは思えません」
「死なない程度のダメージをだったら、いい経験値になるんだよ」
「限度があるでしょう! さっきのも余裕に見せてギリギリだったんでしょう。見てて、ヒヤヒヤしましたよ」
アリアドネは、小うるさい。さすがに、こいつの目は誤魔化せないか。
確かにさっきので、身体の骨が何本かいかれたけど、きちんと致命傷にならないように受けてるんだよ。
俺は、口の中に溜まった血をペッと吐くと。
ポーチから、最上級のヘルスポーションをグイッと飲み干す。
動くたびに身体を軋ませていた痛みが一瞬で消える。
回復した身体は、グレーターデーモンに殴られる前より元気になったぐらいだ。
戦士の骨と肉は、死ぬほどの激戦を乗り越えて強くなっていく。人の身なればこそ、悪鬼に打ち勝てるまで鍛えなければならない。
俺の身体を気遣っているのだかなんだか知らないが、ギャーギャーと小うるさいアリアドネに適当に返しながら、俺はグレーターデーモンを使って訓練を繰り返した。
「ご主人様、いい加減になさってください」
「おい、新手が来たぞ」
何だありゃ、カマキリみたいに手に反り返った刃が生えている。
ああそうか、ハンギング・デーモン。絞首刑の異名を持つ、惨殺の悪鬼である。
「なるほど、これは刀でお相手せねばならん。アリアドネ、手を出すなよ」
「またですか……」
すでにあきれられているのか、何も言わない。
アリアドネが他の敵が出てこないか見張っててくれるから、俺も遊べるということもあるので感謝はしている。
さて、まずこちらから仕掛けてみた。
速い!
さすが二刀を腕から生やしているだけのことはある。
まさに、自分の腕のように巧みに二刀流を使う。
孤絶は俺の身の丈ほどの長刀であるので、小回りが利かないのだ。
敵の素早い斬撃には、防戦一方となった。
「ご主人様、手伝いましょうか」
「まだだ!」
敵の二刀の攻撃から防戦するのに精一杯で、攻撃できないならどうすればいい。
正解は、守らなければいい!
俺は敵の斬撃を物ともせず、むしろ敵の攻撃に身を晒すようにして、大上段から相手を唐竹割りにした。
ズサッと気持よく刃が相手の身体を両断する。
ハンギング・デーモンの二刀はといえば、俺の身体には触れたものの、着込んでいる当世具足を切り裂くまでには至らなかった。
防具の強さもあるが、それ以前に俺の刃が迫ってきたので、思わず身体を引いてしまって斬撃の勢いが死んでしまっていた。
腕に刃が付いているというのも良し悪しだな。
攻めているときは強いが、受け手に回れば途端に弱くなる。
「ご主人様、お見事とはいえますが……」
「危うい戦い方だと言うんだろう。忠告は受け取っておく」
ここにきて、危険に身を晒すのが癖になってしまった。
身体を軋ませる激痛も、俺を止めることはできない。
致命傷さえ受けなければ、重傷だろうが重体だろうが、ヘルスポーションを飲めば治ってしまうと思えば。
肉を斬らせて骨を断つことを当たり前のこととしすぎてしまう。
いずれは、直さないとならない癖かもしれないが。
今はギリギリの死線を乗り越えて、なおも刀を振るうことのできるこの喜びを味わいたい。
もうすぐ、ジェノサイド・リアリティーも終わりだと思えば、なおのこと愛おしい。
この身を切り裂き、骨砕く悪鬼の攻撃ですら。
「ご主人様、デーモンロードですよ」
呪われた漆黒の鎧と、漆黒のハルバートで武装した悪鬼の王。
ボスを除けば、ジェノサイド・リアリティー最強のモンスターである。
ここまでのデーモンは、防具を付けていなかった。その異常に硬い身体は、防具を必要としなかったからだ。
そのデーモンが付けている防具となると、やはり硬いのだろうな。
面白い。
どれほどできるか試してみよう。
孤絶を構える俺に、道を開けてくれるアリアドネ。
俺に任せると言わなくても、通じるようになっている。
なに、こいつで最後だ。
後少しだけワガママを聞いてくれよ。
俺が斬り込んでいくと、ハルバートを翻してやすやすと受け止める。
よし、力比べ。
「おお、これは……」
これは強い。
鍔迫り合いでも、マスターランクのサムライである俺の力に匹敵するとは。
掛け声をかけて、全力で押してもびくともしない。
まるで、硬い壁を押しているような気分。
俺が後方に跳ぶと同時に、向こうも同じ動きをした。
悪鬼の形相では感情は読み取れないが、俺が驚いていたように、向こうも驚いていたのかもしれない。
自分と同じの強さの相手がいるなんて、高みに立てば思わなくなるものだ。
俺は思いっきり孤絶を振るえる敵に出会えて満足している。
向こうも漆黒のハルバートを存分に振るい、俺の勝るとも劣らない斬撃を繰り返した。
火花を散らし、一撃受ければ魂ごと砕けそうな鉄の塊をぶつけ合う快楽。
我が愛刀、孤絶は決して強い武器ではない。
だがその隕鉄は、どんな刃を持ってしても砕けない。
撃ち合う武器が強ければ強いほど、
相手が、強者であればあるほどに、その力を増す。
ジェノサイド・リアリティー最強の悪鬼を前にして。
孤絶は、これ以上ないほどに力を発揮してくれている。
だからあとは、孤絶を振るう俺次第なのだ。
俺の力が敵に勝れば、こいつは必ず勝利をもたらしてくれる。
そう信じた一撃が、敵の肩口に入った。
デーモンロードが着ている硬そうな漆黒の鎧ごと砕けたが、その打撃は死に至らない。
「チッ」
本当は、頭を狙ったのだ。一撃で殺れなければ
デーモンロードのハルバートの一撃が、俺を襲う――
敵もまた俺の頭を狙ったが、ハルバートが一撃が当たったのは俺の肩だった。
まったく、ここまで互角とは。
デーモンロードの漆黒のハルバートの刃は、俺の当世具足を叩き割ることはできなかった。
一撃で決めることができなければ、勝てないよな。
俺は強敵に敬意を表して、全身全霊を持っていて肩口に斬り込んだ孤絶を、そのまま深く斬り込んで相手の身体を真っ二つにした。
これで、終わり。
「ご主人様、本当にお見事な戦いでした」
「いちいち褒めなくていいさ」
敵の着ている鎧よりも、俺の当世具足の防御力が勝っただけだ。
それを褒められても嬉しくないと苦しく思ったが……。
アリアドネの着ている君主の聖衣と、装備しているエクスカリバーを見て、俺は笑ってしまった。
そうだよな、持っている武器や防具も、実力のうちだよな。
そうでなければ、地下十七階と地下十八階のボスを不意打ちしてまで、最強の武具を掻き集めて抗して見せた、かつての紅の騎士の覚悟まで否定することになってしまう。
勝者とは必ずしも強者ではない。どんな手段を使ってでも闘い抜いて、最後まで立っていた者を言う。
「この階層の敵は、以上と思われますが……」
「そうだな、アリアドネもご苦労だった」
地下十八階まで制覇してみせた俺とアリアドネは、ジェノサイド・リアリティーにおける勝者と言えるのだ。
戦い抜いて生き残った者が勝ち誇らなければ、これまで屠ってきた強者に失礼というものだろう。
アリアドネが『悪鬼の鍵』を取り出して、地下十九階への扉を開く。
俺達は、いよいよクリアに向かって進むのだった。