75.緊急転移
地下一階の入口近くの安全地帯へと転移した。
俺とほぼときを同じくして、久美子とウッサーも同じ座標に飛んでいる。
「大丈夫か、久美子!」
「……ぐはっ」
久美子が盛大に血を吐いた。後ろから腰を斬り裂かれた傷は深い。重症を通り越して、重体だった。
腹の傷口を布で押さえても見る間に血に染まる。当たり前だ、傷は深く内臓まで達している。
よくぞこの傷で、転移の呪文が使えたものだ。
あるいは『アリアドネの毛糸』を全員が持ってる集団は、誰かが転移すると一緒に飛べるようなシステムがあるのかもしれない。
それほどまでに、久美子の傷は深手だった。
すぐに出血性ショック死しないのが、不思議なぐらいだ。
しかし、紅の騎士の斬り込みで死なずに済んだのは、久美子だからだろう。
とっさに身体を回転して、致命傷を避けた。まさに、神業の体躱し。
いかにジェノサイド・リアリティー最高位の身体能力を持つ忍者とはいえ。
胴体を真っ二つにされてはヘルスはゼロ……命はなかった。
ここまで深く内臓まで傷つけられると、現代の医療でも治療はできないが、幸いなことにジェノサイド・リアリティーだ。
まだ久美子に息があるのを確認して、俺は口にヘルスポーションを咥えさせて、祈るような気持ちでゆっくりと嚥下させる。
飲めなきゃ、口移しでも飲ませてやる。
……久美子をここで死なす訳にはいかない。
飛び出た内臓が戻り、大きく裂けた傷がゆっくりと塞がっていく。今だけは、魔法の力に感謝する。
治療不可能な重体であろうとも、ヘルスポーションさえ飲めれば回復していくのだから。
「ふうっ……間に合ったな」
しかし、よく死ななかったものだ。
久美子だけでなく、俺達全員。
まったく、君主の聖衣を身に着けて、エクスカリバーを握った紅の騎士なんて相手を、どうすればいい。
ぐったりしている久美子に変わって、ウッサーが尋ねてくる。
「旦那様、これからどうしましょう……」
「待ってくれ……今、考えているから。……そうだウッサー。敵の襲来の可能性があるから、警戒を強めろと、エレベーターを守ってる七海に言ってきてくれ。七海がいなければ、誰でもいい」
「分かったデス!」
ウッサーはピョンピョンと跳びはねてるように駆けていった。
あれだけの激しい戦闘のあと、その直後に紅の騎士が転移して襲撃してくるとは考えにくいのだが、万が一ということもある。
どうだろう、紅の騎士が、転移してすぐ単独突撃してくることはあり得るか……。
いや、おそらくない。エレベーターを占拠したとしても、地下十階に敵の部隊が居ないと戦力を上げられないから意味が無い。
もちろん、いずれ紅の騎士はエレベーターを襲撃して、再度街を襲撃することは考慮にいれるべきだが。
地下十六階層に勢力を残していた黒の騎士団が、地下十階のエレベーターのところまで上がってくるのはかなり時間がかかるはず。
あるいは、エレベーターを経由せず無人になってしまったバリケードを破壊して直接登ってくるということもありえるが。
それはさらに時間がかかるので、今考えることではない。
どちらにしろ、紅の騎士の単独攻勢はまずあり得ないとは思う。
どんな最強の騎士でも、たった一人で生徒会全員に囲まれては苦戦するはず。
ここは叩いて石橋を渡る安全策。本格的な襲撃なら、やはり部隊でとなるだろう。
さて、また紅の騎士に武具で上回られた状況は芳しくないが。
こっちだって、地下十六階の奥まで行った。
俺は、いや俺と久美子とウッサーは、いつでも地下十六階の最奥に転移することもできる。
あと一手でチェックメイトがかかるのは、向こうも同じ。将棋で言えば、詰めろの状態だ。
敵がどこまで地下十六階を守るのに、固執してくれるかということもある。
「……悩んでいるの、ワタルくん」
俺に抱かれている久美子は、意識を取り戻したらしくそうポツリと言った。
死にかけた久美子の瞼がゆっくりと開く。透き通るような黒い瞳が、俺を見つめている。
「ああそうだ、悩んでいる。俺にはもう先が読めない!」
紅の騎士は、ジェノサイドリアリティー最高級の武器エクスカリバーと、最高級の防具である君主の聖衣で装備を固めた。
これは、本当にあり得ないことだ。
なぜなら君主の聖衣は、地下十七階のボス『暗闇の大神官』を、聖騎士が単独で倒さないと手に入らないアイテム。
エクスカリバーもまた、地下十八階のボス『反救世主』を、聖騎士が単独で倒さないと手に入らないアイテムである。
それはモンスターには、絶対にできない。階層ボスが、さらに下界の階層ボスを倒すなどあり得ないことだ。
しかし、目の前の現実を認めてしまえば、紅の騎士がそれをやったと考えるしか無い。
ジェノサイド・リアリティーにおいて、それ以外の入手経路はないからだ。
例えば、敵がゲームのシステムを超えたとすればどうか。
地下十七階と地下十八階のボスが、自分が倒されるときに出現させる特別ボーナスアイテムを、紅の騎士に素直に渡すなんてことがあり得るだろうか。
自殺をして、あり得ないだろう。だったら全部攻略したのか?
ここまで例外的な事象が起こると、俺のゲーム知識はもう役に立たない。
ただ紅の騎士の動きが、合理的であるということだけは分かる。
俺の装備は、デスナイト系に強い打撃を与える聖銀の剣と、サムライ系最強防具である当世具足だ。
その俺の力を上回るためには、紅の騎士には、そうするしかもう選択肢はないのは分かる。
しかし、どうやったか知らないが味方のモンスターを殺って、単独攻略ボーナスをゲットするとか反則以外の何物でもないだろう。
いや、これはもう反則とかそういうレベルじゃないぞ。
ジェノサイド・リアリティーの常識が、根底から覆されている。
そんな大反則をやらかした敵の動きなど分かるものか!
この期に及んで、いまさら紅の騎士が地下十六階の防衛に戦力を割いてくれるのかどうかも分からなくなった。
階層ボスは階層を守るというジェノサイド・リアリティーのルールをアイツがまともに守るかどうかなんて保障はない。
「ワタルくんにしては、気弱ね……そんなときは私を頼ってよ」
「頼るって言われてもな」
「一人で悩まないで、私にもワタルくんが考えてることを教えて」
「……分かった」
久美子はそう言って、起き上がると俺の手を強く握った。
もう手詰まりだから仕方がない、俺は藁にもすがる思いで、久美子に向かって俺が認識している状況と、考えをぶちまけた。
それを聞いて、久美子はこう言う。
「まず、紅の騎士が地下十七階と十八階を攻略してアイテムを手に入れたという可能性は、十分にあり得ると思うわ」
「どうしてそう思う?」
俺にはそれがもう、重大なルール違反だと思うのだ。
ゲームには、ルールがある。それは現実に、物理法則があるのと同じだ。
それを平然と破られたら、どうしようもなくなる。
地下十六階を守るべきボスが、自分の階層の扉を自ら開いて下に降り、仲間であるモンスターを叩き殺して……これではまるでプレイヤーではないか。
「もう敵は、プレイヤーだからよ」
「それは、どういうことだ?」
「ワタルくん、よく考えて……紅の騎士は人間に憑依しているんでしょう。だったら、中身はプレイヤーじゃない。プレイヤーとして活動できるほうが自然だわ」
「そうか……そういうことか!」
紅の騎士を、単なるモンスターと考えたのがいけなかったのだ。
あの型破りな動きは、プレイヤーだからか。だからアイツは、他のモンスターとは全然違う動きができた。
モンスターとプレイヤー両方の特性を持つ、化物。
それは、人間を取り込んだデスナイトが、プレイヤーと同じように職業ランクや能力値を持ち、成長していくということでもある。
デスナイト系が人間を取り込んで強くなる理由は、きっとそこにあったのだ。
やはり、久美子は頭がいい。
こいつは、なまじっかゲームの常識に囚われる俺よりも、ずっとクリアに物事を考えられる。
さすが優等生だなと笑おうとしたが、笑えなかった。
「すぐ私達も、チビウサギのところに行ったほうがいいわ」
もう少し休んだほうがいいと思うのに、久美子は立ち上がろうとする。
「なんでだ久美子、おそらく侵攻はもっと後に……」
「ワタルくん。相手の気持をよく考えて……味方を倒してアイテムを奪って強化するなんて、それはもう……タコが自分の足を食べるようなものじゃない」
「それは、紅の騎士が、死に物狂いになってるってことか」
あの紅の騎士が焦燥している?
確かにそうかもしれない。敵の視点でみれば、この暴挙は奥の手、もう後がない。やけっぱちになっているといっても良いかもしれない。
すると、敵の次の動きは……ここで一気に勝負を決めてくる?
俺の思考が終わる前に、「敵襲!」という声がエレベーターの方から遠く聞こえた。
そうか、敵も必死。
こちらの全員で囲まれて追い詰められるリスクを取ってでも、単身乗り込んで来やがったか。
そうだ、もはや戦いはデッドゾーンに入っている。
安全策を取るターンではない。
考えてもみれば紅の騎士が、ダンジョンの防衛側が、自ら地下十七階と、地下十八階のボスを倒してアイテムを奪い取るなんてこと、やりたいわけがない。
紅の騎士の赤い兜は、割れたままだった。
赤い鎧は砕けて、代わりを必要としていた。俺達の敵は、もう追い詰められていたのだ。
本来仲間である階層ボスを単身で倒すという無茶を通してまで、エクスカリバーを装備して、聖なる鎧を身にまとったのは苦肉の策。
だったら一か八か、街に単身で乗り込むことぐらいやってのけてもおかしくない!
俺と久美子が向かうと、エレベーター前に置かれた本陣は、敵の襲来に騒然となっていた。
エレベーターのところに攻めてきたのかと思えばそれは違う。
襲撃があったのは街中のほうだった。
七海達は、ダンジョン入り口近くのエレベーターへの攻撃は想定して硬く守っていたが、街の中から攻められるなどは想定外。
ちょうど、エレベーター前を守っていたのは、七海の率いる一軍と瀬木がまとめている三軍の女子達だった。
街の襲撃時に、街のほうで補給をしていてその場で唯一対処できたのは、仁村流砂達二軍だったようだ。
敵の襲来を恐れる弱い生徒達だって、いつまでも宿屋にこもっていられるわけではない。
街で襲撃された生徒達は、絶対的な強敵の来襲を前にして、逃げ惑ってバラバラになってしまったらしい。
その一部が、ダンジョン内のこちらにまで逃げてきて襲撃が知れたというわけだ。
完璧な防壁がある宿屋まで逃げ切ることができれば、助かるかもしれない。
街よりダンジョンの中が安全だというのは皮肉だが、瀬木が安全な側にいてホッとした。
七海は、やはり生き残る運を持っている。近くで守ってもらえと言っておいてよかった。
「すぐに、街に助けに行こう!」
七海がエレベーター前の本陣の部隊を編成して、襲われた街の救援に向かおうとしている。
生徒を守るのが目的の七海のやり方では、おそらく敵を捕捉できない。それをそのままにしておくべきではない。
「久美子、敵の目的は、俺達を倒すことではなく街の生徒の数を減らすことだな」
「そうね……」
本来なら七海に同調して、すぐ助けに行きましょうというはずの久美子が、何かを考え込んでいる。
すぐ思いつくことだ。
ここは、生徒の救援を優先すべきではない。それをすれば、敵の策に乗って戦力を分散させることになる。
街の人間を囮にしてでも、戦える力のある戦士で紅の騎士を囲んで確実に倒すことを優先すべきだ。
エレベーターを守るこちらの裏を突いて街を襲撃されたのは、してやられたともいえるが。
逆に言えば単身で乗り込んできたのは、袋のネズミとも言える。
彼我の立場は、地下十六階のときと逆転した。
これは、先に動いたほうが負ける戦いだったのかもしれない。
「……久美子、お前が言うなよ」
「ワタルくん、私はまだ何も言ってないわ」
久美子が薄く笑う。
俺は、七海に向かって声をかけた。
「七海! 俺達の目的は、あくまで紅の騎士を倒すことだ。だったら、戦力を分散させるな!」
「……敵の位置の捕捉を優先して、確実に倒すために動くということよ」
久美子が、俺の言葉を補強する。
全体の指導者である七海は、まだ迷っているようだった。
「しかし、すぐ救援に行かないと、街の生徒が襲われているんだ!」
「七海! 敵は高速で逃げるぞ。助けに行くのを優先すると後手に回る。敵を捕捉してから、全員で囲みを狭めて確実に叩くほうが結果的に犠牲は少なくなる」
俺の言葉で、七海の迷いは晴れたようだった。
ようやく分かったか、一を助けるために十を殺す選択は愚策だ。
十を助けるために、一を見殺しにするのが正解なのだ。
だが、それを言うのは憎まれ役になる。だったら、俺が言ってやる!
「分かった……みんな真城ワタルくんの策で動くぞ。戦えるもの全員でまとまりつつ、進め。街に出現した紅の騎士を囲んで叩くことが目的だ!」
そうだ、それでいい。
指導者である七海がそういう方針を示したので、エレベーターを守る全員が納得した。
「さて反撃だ……そう簡単に無双できるほど、プレイヤーが甘くないということを敵に教えてやる」
「ワタルくん、私達も手伝うわ」
確かに、モンスターとプレイヤーの特性をも併せ持つ紅の騎士は最強の敵となった。
しかし、そんな敵にも弱点がある。リュックサックを持っていないことだ、つまりマナポーションとなる宝石がない。
転移の魔法は、一度でほとんどのマナを消費する。
その回復には時間が掛かるから、すぐに囲むことができれば、転移で逃げられる前に倒せる。
これで、最終決戦にする。
そう言いながら、ここまでもつれ込んだが、これ以上の犠牲を払う訳にはいかない。
戦局は常に流動的、だがここまで来て俺達に敗北はあり得ない。
敵は一人、俺達は多数だ。
人との関わりを避けつづけて、一人で戦い抜くことを信条としてきた俺がそう言うのは笑ってしまうが、俺はもう勝つためにはなんだってやる。
戦いは数という現実を、敵に教えてやろう。
「七海、俺とともに紅の騎士を倒してくれ!」
「ああっ、もちろんだとも……僕達の友情にかけて!」
俺は、七海達の力を借りて最強の敵を囲み殺すことを決めた。
「瀬木、お前達は後ろから援護だ、本陣をしっかり守っておけよ」
「分かったよ、僕達にもできることがあるって真城くんに見せてあげるよ」
そうだ、それでいい。瀬木にもらった爆弾弩は役に立った。
あれがなければ、俺達は死んでいたかもしれない。
「真城、アタシも一緒に……」
「木崎、お前も瀬木を守ってやってくれ。敵が背後に来るかもしれないし、そのときに止められるのはお前だけだ」
前線で戦えるのは、久美子とウッサーがいるから、木崎には打撃に弱い瀬木達を守って欲しいと伝える。
木崎は少し口惜しそうだが、引き下がってくれた。
すまんな木崎。こっちにきたら、おそらく前に出る戦いしかできないお前は死ぬ。
それが目に見えてるから出したくない。ここまで来たら、お前達には生き残って欲しい。
木崎も、瀬木も、命を張らなくてもちゃんと役に立っている。
人は、自分にできることをやればいい。
「じゃあ行くか七海、ここからは出たとこ勝負だ!」
街に侵攻した最強の敵、紅の騎士を倒すために、俺達は一丸となって動き出した。
次回更新予定、10/18(日)です。