74.地下十六階
すぐにでも敵の本拠地に攻め入りたい。
その気持ちを抑えて、あえて俺は『庭園』で、休息をたっぷりと取ることにする。
久美子とウッサー、どっちが俺の隣に寝るか言い争いが始まり。
それを和葉が間に入ってなだめるという毎度のコントを聞きながら、俺は爆弾ポーションを作る詠唱を続ける。
何度も食事と短い睡眠を繰り返して、最上級の爆弾ポーションを六つ用意した。
俺が五つ、一つは久美子がマナを振り絞って作ってくれた。
なにせ敵は、紅の騎士だけではない。
その配下に当たる、黒の騎士も完全に撃破しなくてはならない。
そのためには、準備はかかせなかった。
数が多い敵を翻弄して、撃破していくには最上級の爆弾ポーションが、六つでも足りるかどうか分からない。
だからといって、必要以上にたっぷり作っておくなんて安全策も取れない。
ここで時間をかけ過ぎると、敵が先に回復を終えて街へと侵攻してくるかもしれない。際どいところだ。
むろん、休んでいる間に街への再来襲があれば救援には行くつもりだったが、幸か不幸かその知らせはなかった。
そして、いよいよ決戦となる。
俺は、鍵穴に水晶の鍵を差し込んで回す。すると、ずっと閉じられていた地下十六階への扉が、鈍い音を立ててゆっくりと開いた。
階段を降りながら、やっぱり付いてきた久美子とウッサーに話しかける。
「久美子、ウッサー。付き合うのは構わんが、危なくなったら撤退しろよ」
「撤退も、真城くんのタイミングに任せるわ」「任せるデス」
そこまで任されるのは、責任重大だな。
まあ、俺が引けといえば引いてくれるなら良いか。
「俺は滅多なことが無い限り引くつもりはないが、仮に撤退するとしたら場所はいつもの場所。地下一階の安全地帯だ。あそこが体勢を立て直すにはベストだと思う」
俺の言葉に、緊張した面持ちで久美子とウッサーが頷く。
さすがにここに至っては、二人も無駄口を叩いたりはしない。これが、いわば紅の騎士との最終決戦になるだろうから。
ここから先は、黒の騎士団本部。
デスナイトの巣窟。
「地図を見れば分かると思うが、地下十六階はさほど大きくないエリアだ」
「まるで中世のお城みたいな内装ね」
石畳の床には、赤い絨毯が敷かれている。壁には絵画が飾られていたり、素焼きのツボが置かれていたりする。
水飲み場を兼ねた噴水の真ん中には、騎士を象った石造りの彫刻まで飾ってあったりもする。
これまでのジェノリアの常識だと、彫刻やところどころに置いてある中世の甲冑などは、いかにも動き出して攻撃を仕掛けてきそうだが。
それは、ただの小道具で動き出したりはしない。
石のガーゴイルが襲い掛かってくるような見え見えの罠など、ここまで戦い抜いたプレイヤーには通用しない。
最下層では、そんな小細工をする必要がない。
「そうだな、中世のお城の中の騎士団本部ってイメージなんだろう」
食堂なのか、長机に椅子が並んでいて暖炉までもが用意されている。
ダンジョンの地下十六階に暖炉があるって違和感が酷いのだが、ただの飾りだろう。使ったら煙が篭もりそうだ。
「罠はないのね?」
「ここまで下層になると、設置型の罠はない。黒の騎士団に小細工はいらないってところかな。ただ、その強大な力だけで圧倒してくる」
「それは、騎士道精神のつもりなのかしらね」
やや揶揄を含んだ皮肉な口振りで、久美子が言う。
それはそうだ。人に取り憑いて卑劣な精神攻撃まで仕掛けておいて、なにが騎士道精神かと言いたくなる。
その姿は騎士を象っていても、デスナイトは結局のところ、邪悪なるモンスターに過ぎない。
罠はなくても、その奸智に警戒すべきだろう。この期に及んで、敵に騎士道精神など期待してはいけない。
「しかし、やけにもったいぶる」
黒の騎士団の本拠地に入れば、ところどころで黒の騎士との遭遇戦になると予想していたが敵襲はない。
ゲームのときのように、モンスターが殺られ役を演じてくれない。
モンスターが、プレイヤーと対等に考えて動く。
現実になれば、誰だって死にたくないから足掻く。
「敵は、戦力の集中を考えているんじゃないかしら。そうなると少しやりにくいわね」
「そうだな、俺達は三人しかいないから。まとめてかかってこられると、戦線を支えきれない」
俺は、紅の騎士にかかりっきりになってしまう。
そうすると残りの黒の騎士は、久美子とウッサーが担当することになる。
プレイヤーや、その死体に取り憑いていない黒の騎士はそこまで強敵ではない。
しかし、その数が多くなればいくら久美子やウッサーでもキツくなる。
まだどこかで、俺にも甘えがあるのか。
ゲーム的な都合に引きずられて、敵が戦力を分散させてくれるのではないかと期待した。
敵戦力が各個撃破できればいいと思ったのだが、そうやすやすとは行かない。
地下十六階の一番奥で敵が徹底的に守りに入れば、それはそれで攻略しづらい。
もしかしたら、俺達の真似をしてバリケードまで作ってるかもしれない。
それが、考えすぎではないとも思える。
ここまで追い詰めれば、敵だってがむしゃらになる。
時間を与えれば、その分だけ強大な敵に成長していくかもしれない。
だったら早く倒してしまいたい。
俺はすでに、紅の騎士に一度競り勝っている。
一気に押しこめば行けるんじゃないか。敵の頭を叩けば一発なんじゃないかとも思ってしまうが、それも短慮。
ジェノサイド・リアリティーで最も死に繋がる思考は、慢心。
俺は、ゆっくりと歩を進めながら、敵の意図と気配を探る。
まったく姿を現さない敵に、強いプレッシャーを感じる。
未知への恐れを感じる。それはきっと、慢心を諌めるには良いことなのだろう。
もっと確実に敵を全滅させる方法はないかと、こっちも考えよう。
「ワタルくん。罠のない階層なんだから、結局はシンプルにぶつかり合うしかないわよね。一度ぶつかってから、敵の数が多すぎる場合は、相手を引き付けて倒すという策はどうかしら」
「そうか、なるほど。『罠のない階層だから』か……」
妙なところを聞きとがめた俺の反応が少し変だったのか、久美子が聞き返してくる。
「えっ、なに? 私なにかおかしいことを言った?」
俺の顔を久美子が覗きこむ。それを手で制して、俺は言葉を続ける。
久美子の言葉で、気がついたことがあったのだ。
「いや、良いことに気が付かせてくれた。罠がないからこそ、罠を張っているということもありえると思ってな」
敵は、狡猾だ。
この階層は、お城の中を模した人工的な罠がないシンプルな構造。
ここで使える手は限られている。一番ありそうな選択肢としては、単純にボスの部屋に戦力の集中させることだが、違う戦術もある。
例えば、伏兵を潜ませての攻め込んできた敵を挟み撃ちにする。
「罠を張っている。ありえるわね」
「そうだ。ただ何もせず、全員で一番奥の部屋に待ち受けていれば話は簡単だが、それは分かりやすすぎる。むしろ奥まで誘い込んで、前後から挟み撃ちを狙う。なんてのはどうだ」
俺達ができる最善の手は、先に最奥のボスの部屋にいる紅の騎士にまっすぐぶつかることではない。
どこかに潜んでいる敵の伏兵を探ることだ。もし当たったら、各個撃破できるいい機会となる。
「どこか、敵の潜んでそうな場所に心当たりがあるの?」
「ある。地図を見てくれ、ボスの部屋手前にある左右の隠し通路がある。もし俺が伏兵を潜ませるとしたら、そこになると思う」
伏兵は戦いを仕掛けるポイントから近すぎても遠すぎてもいけない。おそらく、隠し通路の右か、左のどちらか。
どっちの先に調べようかと思って、左手の法則って言葉が頭をよぎる。
こういうのは敵から見て左側。つまり、右にいそうだと直感的に感じた。
俺が、右の隠し扉を開けると、目前に黒の騎士が四体見えた。
全体の数は目視できないが、その奥にはまだ敵が潜んでいそうな気配がある。
いきなり隠し通路を暴かれて、敵は動揺している様子だった。こちらが先手を打てる。
「あっ、本当にいた!」
「ビンゴだ、早速叩くぞ!」
隠し通路の中に潜んでいた、黒の騎士の群れ。
俺はここで、瀬木にもらった爆弾弩を取り出して使う。
これは、爆弾ポーションを遠くに射出する装置。まずは一発、敵の出鼻を挫く。
最上級の爆弾ポーションは、ヒュッと通路の中を飛んで、後方で大爆発が起こった。
そのバーンという炸裂音を合図に斬り込んでいく。
まず目前の一体。俺は、聖銀の長剣で首を斬り落とす。
グッと剣が深く入れば、もう倒せる。すぐに次だ。
久美子とウッサーが二体を倒していたので、正面の敵は残り一体。
俺は黒の騎士を真正面から叩き潰した。
唐竹割りに、黒い兜が砕け散った――脆い!
もはやただの黒の騎士は、今の俺にとっては、鎧袖一触で倒せる雑魚。
ただの鎧の塊とかした、敵の死体を踏み越えて奥の敵を叩き潰す。
「この勢いで、中にいる伏兵全てを全滅させる!」
「きゃあっ!」
俺が、そう声を上げた直後。
後ろから久美子の甲高い悲鳴が上がった。
「紅の騎士か!」
伏兵を先に攻撃されたことを悟って、こっちに来たのか。あるいは、こちらが先に伏兵を倒しにかかったことを読んだか。
どっちでも構わない。ここで決着だと、俺は爆弾弩を前の敵に一発炸裂させて、牽制を終えてから振り返る。
敵に囲まれる形になってしまいはしたが、敵戦力はだいぶ削れた。
ボスがお出ましなら、このまま敵の頭を叩くだけだと、後ろから敵に斬られた久美子をかばい、颯爽と前に出る。
しかし、俺はそこで宿敵の姿を見て絶句した。
紅の騎士であったものが、まったく装いを一新していたからだ。
後頭部を砕かれた赤い兜だけはそのままで、金髪の後ろ髪がたなびいているが。
全身の大部分を覆う鎧と、手に握った武器がまったく違った。
紅の騎士であった者は、青い外套を翻している。
鎧の表に刻印されているのは、黄金の獅子。
青い外套に包まれた、金の縁取りの綺羅びやかな全身鎧。
それは、ゴード オブ ロードスとも呼ばれる、ジェノサイド・リアリティー最強防具、君主の聖衣。
そして、手に持っている白銀のオーラをまとった同じく金の縁取りがある長大な剣は、王者の聖剣、エクスカリバー。
エクスカリバーについては、もはや説明不要だろう。
アーサー王伝説に出てくる魔法の力が宿る剣である。
君主の聖衣とエクスカリバー、この二つはともにジェノサイド・リアリティーにおける聖騎士系最強装備である。
「バカなっ」
なぜお前がそれを持っている!
その二つの最重要レアアイテムは、モンスターが手に入れられるものではない。
絶対にあり得ない。
理性ではそう思いながらも、俺の生き延びるための本能は驚愕に動きを止めることを許さなかった。
ごく自然に、今できる最適の行動を取っていた。
「ウッサー、下がれ!」
敵に飛びかかろうとするウッサーを押さえて、俺は爆弾弩を敵に向ける。そうだ、ここで使うべきは剣ではない。
爆弾ポーションだ!
瀬木が作ってくれた爆弾弩が、レバーを引くだけで弾倉に溜めた弾を放出できる連弾式だったのが幸いする。
残り四発の最上級爆弾ポーションを、俺は紅の騎士めがけて、レバーを引きながら続けて撃ち尽くした。
弩のカタパルトによって加速して飛来する四発の爆弾ポーションは、紅の騎士の目前まで迫ると。
飛び道具が効かないという特性にしたがって、厚い空気の壁に跳ね除けられて狭い隠し通路の壁に着弾して続けて大爆発を起こした。
どれほど強い敵がどのような装備に身を固めていようとも、炸裂力で足止めできる爆弾ポーションの特性が俺達の命を救う。
爆弾ポーションが炸裂している間だけは、俺達には近づけない。
「久美子、ウッサー、撤退するぞ!」
この状況は、言うまでもなく撤退。なりふりなどかまってられるか。
俺達は、あらかじめ打ち合わせしてあった退避ルールに従って、転移で地下一階の安全地帯へと飛んだ。
次回更新予定、10/15(木)です。