73.決戦前夜
「ねえ真城くん……やっぱり、これおかしくない?」
瀬木が、ついに聖女の修道服を来て姿を現した。
その姿は、控えめに言って地上に舞い降りた天使だった。
瀬木は、少し髪が伸びた。後ろ髪が肩先に触れるぐらいの長さになった、サラサラの髪を撫で付けただけで。
もともと中性的に見えた瀬木が、もはや完全なる美少女となっている。
普通に美少女が、ミニスカートの修道服を着ているようにしか見えない。いや、これはもう女子だ。女子ってことでいいだろ。
瀬木が女子じゃなければ、誰が女子だというのか。
周りの女どもが、誰か一人代わりに男の子になればいいんじゃないか。
木崎あたり、お願いできないだろうか無理か。
「いや、おかしくない! うん、悪くないというか……むしろよく似合ってるというか、それ以上というか……可愛い」
「かっ、可愛いとか……そんなこと言われてもぜんぜん嬉しくないよ! もうなんか、そんなにジロジロ見ないでよぉ!」
眼をギュッとつぶって、俺の前に見るなーと両手を突き出す瀬木。
いいな、その猫っぽい仕草。たまらんね。
「瀬木……物は相談なんだが、そのまま指でハートマーク作って『キュルン』とか言ってみてくれないか。きっと似合うと」
「真城くん! あんまり調子に乗ってたらぶっ叩くよ!」
瀬木は、僧侶の使う聖槌を持ち出してきて、殴りかかってくる。
おー、怖い怖い。
俺は、振り下ろされる聖槌を受け止めて、思わず笑ってしまった。
ハンマーを振り下ろしてから、叩くよというやつがあるか。
「ハハッ、軽い冗談じゃないか、そんなに怒るなよ」
「怒らないわけ無いでしょう。もう離してよ!」
俺は瀬木の聖槌を振り上げた手を軽く掴んで、そのまま瀬木を抱きしめた。武器を持って暴れたら危ないからね。
うん、やはり身体を鍛えるといっても、瀬木では限界があるんだろう。
俺の腕なかにすっぽりと収まったその小さな身体は、とても柔らかくて華奢だった。
ダンジョンにずっと篭っていたせいか、さすがに瀬木からも汗の臭いがするのだが。
それが不思議と甘酸っぱく、一言で言ってしまえば香水よりも良い匂いに感じる。
そう感じる匂いって、これは抱いていいものだ、オーケー行ってしまえと本能が叫んでいるような気がする。
やっぱただの美少女だよな。
誰だよ、瀬木が男の子とか言ってる奴は、百歩譲っても男の娘だろ。
「まあまあ、すごく似合ってるんだからいいじゃないか」
「酷いよ、人ごとだと思って! これ、死ぬほど恥ずかしいんだよ!」
瀬木は、すっかり機嫌を損ねたらしく、完全にむくれてしまっているが、聖女の修道服さえ着せてしまえばこっちのものだ。
人間は環境に適応する動物だ。今は嫌がっている瀬木だって、次第に女性の服を着ることに慣れてしまうだろう。そして……。
「まあ、そう怒るなって」
「知らない、もう真城くんとは絶交だからね!」
怒っているのか、恥ずかしがっているのか、その両方なのか。
耳たぶまで真っ赤にして、犯罪的に可愛い。ほんとヤバい。
聖女の修道服も狙いすぎなんだよな。
パッと見は、白地に青の縁取りがついている修道服なのだが。
なぜか、ものすごく際どいミニスカートで、足は白タイツを履いて隠すという組み合わせになっている。
純白の清楚さを残しながらも、短めの白タイツで足元を隠しながらツルツルしてる眩い太腿は剥き出し。
よく知らないけど、こういうのって絶対領域って言うんだろ?
このデザインを八十年代に考案していたジェノサイド・リアリティー開発者は、未来人なんじゃないだろうか。
この意地が悪いダンジョンに落とされて、いろいろ嫌な目にもあったが、今ならすべて許せる。
ジェノリアを開発した天才的ゲームデザイナー高貴なる夜 に、キスしてやりたいぐらいだ。
瀬木が剥き出しの太腿を隠そうとして、短いスカートを片手で押さえながら。
絶妙に長さが足りない白タイツを、なんとか引き上げようとする姿がそそる。
しかし、これスカートの中身とかどうなってるんだろ。
着替えるところを見せてもらえなかったから、凄く気になる。
そうなんだよな。
俺は、瀬木の着替えのシーンを見ることができなかったのだ。
瀬木を聖女の修道服に着替えさせたのは、瀬木が率いている三軍の女子達である。
瀬木に可愛い修道服に着せると教えたら、みんな寄ってたかって協力してくれたのは良いのだが。
男は出ていけと、俺だけ更衣室からシャットアウトされてしまったのだ。
同性なのにどうして見ちゃダメなんだよ。
三軍の集団は、ごくナチュラルに瀬木を女子扱いしている。
瀬木が、女子以上に女子だから仕方がないけど。
姦しい女生徒達に取り囲まれると、瀬木も逆らえないようで……もしかしたら、下着も可愛いのに変えている可能性もある!
かがんだら、中が見えないかな……ちょっと確認するだけで良いんだが。
「もう、なんでこれ短いのぉ……」
せわしなくスカートの裾を触っている瀬木を下からそっと覗き込む。
うーんギリギリで見えない。ギリギリに見えて鉄壁のガードなんだな、本当にこの修道服よく出来てる。
戦闘になれば、ミニスカートが捲れて中身が見えるかもしれない。
それだけのために、紅の騎士呼んで、この場で戦闘をおっ始めようかと思うぐらいだ。
まっ、それは冗談だけどな。
しかし、聖女の修道服を着た瀬木の可愛さは冗談じゃなくてヤバい。
聖女の修道服は、本当に瀬木が着るために用意されていたとしか思えない。
俺だけではなく、瀬木の集団はみんなそう思うらしく、女子達も盛り上がって口々に瀬木を褒めていた。
「ほんと、瀬木くん可愛いよね。私達より可愛いとかウケるけど、女としてちょっとモニョる」
「……もう碧ちゃんって、呼んだほうがいいんじゃないかな」
「ちょっと、佐敷さんも立花さんまで、ほんとみんな冗談も大概にしてよ!」
周りの女子にも可愛いと囃し立てられて、恥ずかしがった瀬木は壁際まで追い込まれて、ベールを目深にかぶって俯いてしまったが。
その仕草が、また可愛い。
ヤバい……見てるとオラ、ドキドキすっぞ。
これが恋か……。
うーん、男の子に女装させて喜ぶとか、我ながら倒錯的だと思うのだが、どう見ても可愛いから止まらない。
可愛いの爆弾、可愛いの三重奏や!
ゴホン、まあそれはともかく……真面目な話をすれば、聖女の修道服はデザインが可愛いだけではなく。
素材が布なのに魔法と物理の両面に高い防御効果を誇るから、三軍の司令塔である瀬木には相応しい装備と言えるだろう。
瀬木は、生徒会の知恵袋的なポジションであり、使い物にならなかった女子達を指導して戦えるようにした立役者なので、死なすわけにはいかないのだ。
できるだけ良い装備を着せてやるのが当然で、たまたまそれがミニスカートだったのは不慮の事故、致し方無いよね!
しかし、こんなご褒美が待っているとは、今日まで頑張って戦ってきてよかった。
ジェノサイド・リアリティー最高じゃねえか。もう、これでエンディングでいいよ。
「ワタルくん、佐敷さん達といつまで遊んでるつもりよ……」
「おっ、すまんな」
「旦那様、ぜんぜん済まなそうじゃないデス」
「ハハッ、悪い」
久美子はともかく、ウッサーにまで呆れられてしまったか。
俺だってただ遊んでるわけじゃないんだけどな。マナを回復して爆弾ポーションを溜めると決めた以上、休むのも戦いのうちだ。
「まあ、瀬木で遊ぶのはこのぐらいにしておくか。じゃ、瀬木……くれぐれも気をつけて」
「……もう真城くんは向こう行ってよ!」
やれやれ、瀬木はまだ怒っているようだ。唯一の友達に、そんなに邪険にされると悲しいな。
瀬木は、目尻に涙まで浮かべて半泣きだ。ちょっとした冗談のつもりだったのだが、からかいすぎたかもしれない。
瀬木達三軍の役割は後方支援だし、一軍で戦える木崎までを付けてあるから、滅多なことはないと思う。
心配なのも確かだが、攻勢に出ると決めた以上、いつまでもここにいるわけにもいくまい。
さて行くかと、リュックサックを背負うと。
瀬木が小走りに近づいてきた。なんだよ怒ってたんじゃないのか。
「真城くんも気をつけて……死なないでね」
「フッ、俺は死なねえよ。任せておけ、敵を倒して帰ってくるから」
瀬木が応援してくれるなら絶対勝てるさ。
なんてのまあ冗談だけど、守るものがあれば俺も気合が入る。
俺が紅の騎士を倒さずに死んだら、瀬木達もいずれは全滅だ。
この状況を考えれば、慎重にもなる。今回だけは、絶対に負けられない戦いであることは分かっている。
「旦那様、とりあえず和葉のところに行くんデスか?」
「わっ、バカ!」
俺は迂闊なウッサーの口を手で押さえた。
七海にでも聞かれたら……まあ、食料の補給があるから行ってもおかしくはないんだが。
自分にも行けない場所にいる幼馴染のところに俺が頻繁に出入りしてるとか聞いたら、いくら人格者の七海でも気分を害するだろう。
幸いなことに、防戦の打ち合わせで必死になって指示を飛ばしている七海には聞こえなかったようだ。
「そうだな、とりあえずあそこだけが安全に休める場所だから、食料の補給も必要だからいったんは行くよ」
「分かったデス」
ウッサーも付いてくるつもりか。
あと久美子も付いてくるだろうな、この流れだと。
やれやれだ、俺一人でやりたいと思ったがそういうわけにもいかないか。
俺一人で自由に十六階層の攻略をやるのと、こいつらが付いてくるのはどちらが勝率が高いだろうか。
一概には言えない、まあとにかく休むのが先決だ。
転移の魔法があるんだから、いざとなれば撤退もできる。その点で安全マージンは取れてる。
紅の騎士と一対一で戦える自信は付いたが、敵の部下がどれぐらいいるかということだ。
入口に全戦力を固めて待ち構えている可能性もある。
「転移!」
考え出すときりがない。
休まないと良い考えも浮かばないから、俺は先に休みに行くことにした。
※※※
「あっ、いらっしゃい」
「和葉が出迎えてくれるとは、珍しいな」
『庭園』の入り口に転移してきても、いつも忙しく立ち働いている和葉だが、今日はログハウスのところにいた。
「うん、そろそろ真城くんが来るんじゃないかなって予感がしてた」
「そうか」
たまたまだろうけど。そう言われてみれば、和葉は湯上りなのかしっとりしている。
長い艶やかな髪を後ろにくくっているし、シャンプーの良い香りがした。
「お風呂、私の後でも良かったら入っておいてね。その間に、お料理作っておくから」
俺は、和葉の後だからといって特に気にしない。
さっさと脱衣所で鎧と服を脱いで、身体に掛け湯してから風呂に浸かると、これはまたちょうどいい温度だった。
「ふはー、やっぱ生き返るな」
ダンジョンでは、石畳の床に直接座ったり寝そべったりするストイックな戦いが楽しいと感じているのだが。
だからといって、たまの風呂が気持ち良くないわけがない。
むしろ、たまにだからこその爽快感というものがある。
まだ出来て新しい檜風呂だから、お湯に濡れた木の香りも格別だ。
このダンジョンで、手足の伸ばせる風呂に浸かれるというのが。
「……贅沢だよなあ」
この環境を作ってくれた和葉には、感謝しなければならない。
この休憩を終えたら、いよいよ決戦だ。後少しで、この攻略も終わりかと思うと感慨深い。
規格外の強さを見せた紅の騎士を倒しても、まだ三階分残っているが。
逆に言うと後三階……。
なにせ俺は、もう上位職最高ランクである『剣神』にまで上り詰めている。
クリアはもう目前。
ゲームのときなら、あえて最下層をすぐクリアせずに能力値も最高ランクまで成長させてじっくりと遊ぶところだが。
「どうすっかな……」
本当は、このジェノサイド・リアリティーでもそうするつもりだった。
生徒会の連中が、現実世界に戻れないなど知ったことではない。
俺はもうあんな現実に戻りたくなかった。
あんなつまらない学校や、クソみてえな親の都合に振り回される日常に帰りたくないと思った。
ここは死と隣り合わせの世界だが、自分で生き方を選べる自由がある。
自分が選んだ結果が、ダイレクトに次へと現れる。死ぬか生きるかの選択の連続。
それは厳しいが、こんなに分かりやすい世界もない。
この世界にやってきて、俺は初めて生きていることを実感できた。
冷たい暗闇の中で、直面する障害を己の刀一本で打ち破る、戦いの愉悦。
そのたびに、砥石が刃物を研ぎ澄ますように俺は強くなっていく実感があった。
ダンジョンの闇の底のリアリティー。そこには、何もない代わりに無限の可能性と自由がある。
たった一人で、地の底をうろつき回ることで、俺はようやく本当に息ができた気がした。
できれば、ダンジョンにずっと篭っていられれば良いなと思った。
ここが俺の生きる場所だった。ここでなら、俺は終わりのない戦いの果てに死んでも良いと思えた。
「それでも……」
地の底でも、必死に生き残ろうと戦った七海達がいた。
力にも恵まれず、戦いにくい職業を与えられながら、それでも足掻き続ける瀬木達がいた。
死んでいった生徒、まだ生きている生徒。
みんな思い思いに戦っていたが、その願いは一つだ。現代世界への帰還。
「やりにくいよな、まったく」
俺は、温かい湯で顔をバシャバシャと洗う。
和葉もだ……生きてる人間は、生き続けたいものなのだ。みんな安全な元の世界に帰りたいと思っている。
どうして、俺達がジェノサイド・リアリティーの世界に来てしまったのか。
この虐殺迷宮の終わりに何があるのか、明確なことは何も分からない。
本当に帰れるかどうかという保障すらない。
そして、本当のところ俺自身が帰ることを望んでない。それでも……。
「それでも俺は、クリアを目指すべきなのだろ」
その先に、たとえ何があるとしても、それが自分の選択の結果なら受け入れる。
それがダンジョンにおける唯一のルールなのだから。
不意に俺の内に篭った思考が、脱衣所からの騒がしい物事で妨げられた。
久美子とウッサーの声が聞こえる。
「やめなさいよ、バカウサギ! ワタルくんが入ってるのよ」
「だから行くんデスぅ! ここからは夫婦水入らずの時間デス。邪魔するんなら殴りマスよ!」
「良い度胸だわ、この無駄乳が! 今日という今日は決着を付けてあげます!」
「久美子は、おとなしくキッチンでまな板をやってればいいデス!」
何をやってるんだアイツらは。女は三人寄れば姦しいというが、アイツらは二人で十分姦しい。
争う音は次第に激しさを増して、バキッと何かが壊れる音まで聞こえてきた。
この分だと二人が浴槽に飛び込んでくるのも、時間の問題だろう。
せっかく考え事をしていたのに、こういう昔の漫画みたいな展開なんとかならんのか……。
「まったく、俺はゆっくり風呂にも入れないのかよ」
俺は苦笑して、肩をすくめた。
命がけの戦いがまた始まろうとする前夜。
残り少ない時間で今一度心地良い湯を堪能するために、俺はざぶんと音を立てて湯船の中に深く潜り込んだ。
次回更新予定、10/12(月)です。