68.敵の侵入
「あなた、どうしたの?」
久美子が、目の前に転がるようにやってきた生徒に事情を聞く。
茶色に染めた短髪を綺麗に尖らせた背が高い生徒、名前もわからんが唯一の特徴である髪型を持って「尖り頭」と心のなかで命名する。
尖り頭は、どうやって髪を立ててるんだとも思ったが、そういや雑貨屋には整髪料もあったな。
いまどき、執行部でもないのに(執行部員でも、制服の上に鎧ぐらいつけている)制服を着ているだけなのだから、コイツはろくにダンジョンで戦えない奴なのだろう。
「こ、公園が、大変なんだよぉ!」
それだけ聞けば十分だと、俺は聖銀の剣を握り締めて公園に向かった。
公園。生徒の憩いの場で、真ん中に水飲み場があることもあって、いつもカップルでごった返しているところだ。
そこが無人なのは不気味だが、特に変わった様子はない。
てっきり、公園で激しい戦闘か虐殺が行われていると思ったのに、敵はどこだ?
「ちょっと、ワタルくん。一人で先走り過ぎよ!」
久美子とウッサーは、慌てて追ってきた。
「おい、久美子。ここの泉っていつも、執行部員が見張りに立ってたよな」
「そうね、居ないのはおかしい……用心したほうがいいみたい」
「久美子、最上級のスローの詠唱を始めろ。宝石をケチってる場合ではない」
「分かったわ」
いますぐにでも紅の騎士が出てくるかもしれない。
無人の公園には、そう思わせる不気味さがあった。
まだ時間に余裕はある。成功率が高い俺は、もしものためにマナを節約しておきたかったので、今回は久美子に任せた。
四回詠唱して最上級のスローの呪文に成功。久美子も、さすがはマスターランクである。
「なあ、お前ら……そっちじゃないぞぉ。こっちの茂みの影なんだよ」
さっきの尖り頭、血相を変えて逃げてきた割には、また戻ってきて俺達を案内する。見た目よりは肝が座ってる。
案内されて、公園の藪のかき分けて進むと、辺り一面血だらけだった。
「なあ、酷いスプラッターだろう。これやべえって思って、そういやおかしかったんだよな。いつもいるはずの執行部員もこんなときに限っていなかったし、いったい何が……」
「おい、これだけか?」
「これだけって……血だらけなのは怖いじゃん! スプラッターじゃん?」
「いや、これだけ血だらけなのに、誰か倒れてたり死体が転がってないのはどうしてだと聞いてる」
この撒き散らされた血飛沫の量は、一人二人が殺された程度とは思えない。
それなのに、肉片一つ見当たらないとはどういうわけだ。
「そんなのオレが知るわけないだろ。そういや、俺の彼女知らね? 冬美って言うんだけど」
「いや、それこそ知るわけないだろ。お前と一緒に逃げてたんじゃないのか」
尖り頭に彼女がいると聞いて、だいたいの事情は分かった。
どうせ、コイツは冬美とかいう女生徒と乳繰り合うために茂みに入って、撒き散らされた血溜まりに驚いて逃げてきたのだ。
しかし、その相手の女生徒が消えたというのも不可解。
もしかしたら敵に捕まったのか、もう殺されたのか。
俺がさらに周りを探索してみようと進んだ途端、ガサガサと音がして茂みから黒の騎士が出てきた。
「うわっ!」
出るとは分かっていたのだが、こうして唐突に対面してしまうと、一瞬動きが止まる。
驚いたのはお互いのようで、敵の動きも止まっている。
俺が聖銀の剣を構えると同時に、ガチャっと目の前にいる黒の騎士の、兜のバイザーが開いた。
兜から覗く若い女の顔。可愛らしい女生徒にみえるが、どこかで見覚えがあるようにも思える、学校の女生徒か。
「冬美!」
「なんだ、知り合いなのか?」
どうやら、尖り頭が言ってたのはこの女生徒らしい。
しかし死体じゃなくて、生きているよな? もしかして、正気なのか?
「俺の彼女だよ。いなくなったと思ったら、そんな変な鎧着て……あっ、そうかこれドッキリ? ドッキリ的なアレ?」
いや、ドッキリ的なアレではないと思うが、もっと警戒しろよ。
俺が止める間もなく、居なくなった彼女を見かけて頬を緩ませた尖り頭は、無造作に彼女に近づいて。
それが、あまりにも無防備過ぎると思ったら、案の定だった。
黒死剣を引きぬいた黒の騎士に取り憑かれたらしい冬美という女生徒に、思いっきり刺されてしまう。
……アホか。
「ギャアァッ、痛エェ!」
「あれ、刺しかた間違エチャった。綺麗にコロ、コロサないといけないのに、これジャ、死なナイのね」
甲高い女の子の声だが、声のイントネーションが妙だ。黒の騎士に取り憑かれるとこうなるのか。
黒金の鎧には、呪われていない装備もある。もしかしたら、取り憑かれたのではないのかという可能性も考えていたが、やはりそうではないらしい。
冬美という女生徒『だったもの』は、街で生徒を襲えてしまったのだからもうモンスターなのだ。
相手は、プレイヤーではなくモンスターだ。しかし、どうやってやったのか死体ではなく生きた人間にも取り憑くのかよ。
もう一度、尖り頭を刺そうとする黒の騎士の黒死剣を、俺は腰から抜いた聖銀の剣で弾いた。
そのまま殺らせるわけにはいかない。
「あれ、あんタァ、ジャマすルノ?」
「そうだ、邪魔をする。まだ中身が生きてるのか、死んでるのか知らないが……黒の騎士に取り憑かれたならば放っておけない。お前を倒させてもらうぞ!」
腹を刺されてギャアギャア喚いている尖り頭の治療、久美子達に任せて俺は敵と対峙する。
我ながら、口数が妙に多くなってしまったなと感じる。悪い兆候。
必要ならば俺には人を殺す覚悟だってある。
でも、こんな俺でもモンスターに取り憑かれただけの罪もない女生徒を殺すのには、どこか抵抗があるのだ。
「ジャマをヤンなァァ!」
奇怪なイントネーションで叫びながら、鋭く斬りつけてくる。その黒死剣の一閃を、俺は剣で撥ね退けた。
このスピードと強度、女の力とは思えない。やはり、黒の騎士が人に取り憑くと、それだけで数ランク上の強敵に変わる。
「なるほど、できるんだな……」
「アハはははハハッ!」
女の見た目に騙されたら殺られる。俺が先に攻撃させたのは、そう思って殺す覚悟を固めたかったからかもしれない。
こいつは目の前で人を刺した。俺にも攻撃してきた。
プレイヤー同士のネガティブ行為が禁止な街で、こうして戦えているということは、やっぱり人を殺すモンスターなのだ。
それを確かめたかった。
コイツはもう人間じゃないから、倒すしか無い。
断続的に上がる甲高い女の狂ったような叫びは耳障りだなと苛立ちながら、剣を強くぶつけあう。
鍔迫り合いをしながら、なんとかこの女生徒を殺さずに、呪われた鎧だけ剥ぎ取ることはできないだろうかと考えてしまう。
身体を縄かなんかで縛って、鎧だけ破壊すれば――いや、そんな甘いことでは。
一体ならばいいが、このランクの敵に囲まれると、どうしようもなくなる。次の瞬間、別の黒の騎士が来ないともかぎらない。
早く殺らなければ、こっちが殺られる。そのまえに殺るんだ、俺は殺れる。
そう思って、聖銀の長剣を強く振るった。
ガキンッと音がして、呆気無く黒死剣は俺の剣に弾き飛ばされた。
上手く武器を落とせた、これなら助けられるかも。
一度だけだ、一度だけやってみる。
「うりゃあああ!」
「キァ!」
俺は、黒の鎧を斜めに斬った。浅く鋭い斬撃で、黒金の胴を叩き割る。
続けて、鎧の両肩を剣身で強く叩き、砕く!
鎧が剥げることで、呪いが解ければ――
「どうだ?」
「ギャあァッ!」
鎧の上半身を砕かれた黒の騎士は、俺にそのまま飛びかかってきた。
両手で首を強く絞められる。バイザーは開いたままで、そこから覗く女の形相はまさに化物だった。
「ウハははハハッ、シンデシンデシンデシンデシンデェ」
「ぐぁぁ、クソッタレがっ!」
がっちりと人間とは思えないほど強力な力で首を絞められた。そこまで近づくと、むせ返るような女の汗の匂いがした。
半端に鎧を砕いたために、女の胸の艶かしい曲線や白い肌が見えてしまったのもよくなかった。そんな人間の生々しさが、俺の気を飲んで攻撃を許してしまった。
我ながら、なんという油断か。
女の鉄のように強張った手を撥ね除けて、なんとか突き飛ばしながら。
やはり助けられないと、殺す覚悟を決めた。
こんなことを繰り返していたら、俺のほうが殺られる。――悪いが、殺らせてもらう!
「グフッ」
聖銀の剣による横薙ぎは、黒の騎士の首を落とした。
その一閃は、さっきまで人間だったが黒の騎士に取り憑かれてモンスターと化してしまった女生徒を一瞬で絶命させる。
捕らえるのは難しくても、殺すのは簡単だった。黒兜をかぶったままの首が飛んで、派手に血柱が上がった。
冬美という女生徒だった黒の騎士は、首から血を拭きあげてそのまま倒れた。
生きてる人間を殺した、生々しい感触が手に残る。助けられなかったことは残念だが……。
街に、敵を入れてしまった結果がこれか。
「うおおおおおっ!」
ヘルスポーションで回復した尖り頭が、自らが血だらけになるのも構わず地面に転がった女生徒の頭を抱きしめた。
そして黒兜を毟りとって、さっきまで生きていた女生徒の顔を確認して絶叫した。
「嘘だろ、嘘だろ! 冬美!」
嘘でも冗談でもないと分かってしまう。愁嘆場というのは、いつ見てもなんとも言えない気分にさせられる。
俺がこいつの彼女を殺してしまったことにはちょっとだけ申し訳なく思うが、いま構っている暇はない。
「久美子、ウッサーこの辺りにまだ黒の騎士が潜んでる可能性が高い。人に取り憑いた黒の騎士は極端に強くなる。気をつけろよ」
「分かったわ」「分かったデス……」
「おい、尖り頭。お前はさっさと逃げろ。死にたくなければ……おい、聞いてるか!」
「うああああぁぁ……」
俺は、冬美という女生徒の首を抱えて泣きわめく尖り頭の肩に触れた。
強く声をかけて肩を揺さぶり、何とか正気に戻そうとしたが反応がない。
泣き叫ぶ声はやがて慟哭に変わり、血だらけの女の頭を抱えてその場にへたり込んだまま動かなくなってしまった。
いっそ俺を罵るぐらいの元気があればいいのに、これじゃ救えないか。
結果的に、尖り頭の恋人を俺が殺ってしまったことに対して、罪悪感があったわけではない。
戦場でそんなことをいちいち考えている暇はない。
ジェノサイド・リアリティーでは仕方がないことなのだ。俺はこっちを殺そうと向かってきた敵なら誰だって殺す。
だからって……俺だって、嗚咽に塗れて突っ伏している人間を見下ろして、何も感じないほど非情にはなりきれない。
尖り頭は、死にかけたところをせっかく助かったのだ。
できれば死なずに逃げ延びて欲しいぐらいには思っているのだが……。
「チッ……」
俺は、みんなが決死で戦ってる時に、こんなところでいちゃついているカップルどもは全員クズだと思っていた。
そんな連中、どうにでもなればいいとすら思っていた。
しかし、見た目は軟弱なチャラ男っぽい尖り頭だって、黒の騎士に取り憑かれた恋人に剣で腹を深く突き刺されて死にかけたのに。
それでも自分の身に構わず、恋人の死を先に嘆き悲しむことができる人間だった。
クズじゃない。コイツらも普通の人間だ。
ここから先、その生きたままの人間に取り憑いた黒の騎士を倒していかなければならないかもしれない。
それも含めて敵の心理攻撃だと分かっているから、俺は殺る。生き残るために……殺れると思う。
だがそれは、一時足を止める程度には、気が重いことだった。
「ワタルくん、行かないの?
「久美子、敵は何が目的なんだろうな」
「こっそりと街に入ってきて、まずさっきみたいに人に取り憑くことじゃないかしら。生きたまま取り憑かれた人間を殺すことは、死んだ人間をもう一度殺すより抵抗があるから攻撃は鈍る……」
「だな」
久美子は、俺の考えていることをよく分かってくれている。
「ごめんなさい、ワタルくんに任せてしまって、次は私が殺すわ」
「それはまあ……できれば頼む。黒の騎士は少なくとも四体、いや地下十階に見張りがいたとして五体か、あるいはもっとたくさん……俺一人で全部は殺り切れないだろうから」
執行部副部長の祇堂修の言うことを信じるならば。
それだけの数の敵に、最長で半日もの時間が与えられていた。
「公園にはもう居ないのかしら」
「もう気配がない感じだな」
公園をぐるっと一周して探索したが、他に黒の騎士は居なかった。
あいつらの習性を考えると、ここに残っていた冬美という女生徒に取り憑いた黒の騎士は見張りだったのかもしれない。
本体は、もう別の場所にいる。
そういえば、公園に居たはずの生徒達はどこにいったのだろう。全員殺されてしまったのか、誰かが襲われている間に上手く逃げ切ったか。
「安田太一くんは、このままにしておくの?」
「あの尖り頭は、そんな名前だったか」
「うん、私は生徒会役員だから生徒の顔と名前はなるべく覚えてるもの。……とは言っても、今思い出したんだけどね」
「そうか、安田はこのまま放っておく。ここのほうがむしろ安全だろう」
一度襲われた場所が二度と襲われないという保障はないが、いまの敵が潜んでいそうな街を俺達と動きまわるよりは安全だろう。
死んだ恋人の頭を抱きしめたまま動かなくなっている安田は、どうしようもないからここに残す。
「安田太一くんと、黒の騎士に取り憑かれていた向田冬美さんは、C組の生徒よ」
死んでしまった女生徒の名前やクラスを聞いたところで、どうしようもない。
せいぜい冥福を祈ってやるぐらいだ。
「人の多い公園が襲われたことを考えると、あいつらが次に襲うとしたら人がたくさんいる場所だろうな」
「そうなると宿屋か、生徒会詰所として使っている公会堂……」
「じゃあ、ここから近い公会堂のほうに向かおう」
街に居る生徒は、百人足らずまで減っている。
そこまで人通りが多いわけではないが、ここまでまったくの無人。
街の生徒達は、もう襲われ尽くして死に絶えてしまったのではないか。
足早に駆けながら、ついそんな悪い想像をしてしまう。
宿屋の扉には鍵がかかっているはずだ。
いくら強大な力を持つ紅の騎士だって、破壊不能のオブジェクトである扉は破壊できまい。
公会堂が攻撃を受けていたとしても、敵が扉を破壊できないなら、上手く立て篭もれば何とか生き残っているかもしれない。
敵はバリケードを破るのにあれほど時間がかかったのだから……間に合えばいいけどな。
「おっ!」
「うおぁ!」
公会堂に向かう角を曲がったところで、戦士の一団と遭遇した。
敵ではない、お互いに驚いて剣を向け合ったが味方である生徒だった。
しかし、こいつらは誰だ。
男女が混じった八人程度の集団。きちんと武装しているが、見覚えがない連中だった。
「ワタルくん。彼らはB班って言われてる集団よ。B組が中心だから、ワタルくんが二軍って呼んでる人達の一つ」
「なるほど、こいつらが」
「あー街で見ねェ顔だが、どうやら敵じゃねえようだァ」
二軍のリーダーはちょっと目付きの悪い男だった。長い前髪に一房白髪が混じっている。訝しげに、目を細めてこっちを睨めつけてくる。
装備は軽装タイプ、身に着けているのは硬革鎧だ。手に持っているのは、エストックという大型の刺突剣。
剣士の割には、やや小柄でほっそりと痩せているようにも見えるが。
こちらに剣を向けている腕の筋肉の付き方を見れば、それなりに戦えるのは分かる。
抜き身の刃のような凶暴な視線と、しなやかな身のこなしを見れば、名人か専門家ランクあたりだろうと察しがつく。
長いことダンジョンで戦ってきた剣士だけのことはある。おそらく、最初に話しかけてきたコイツはムードメーカーの司令塔。
後ろにいる仲間の連中も、そこそこできそうだ。
図体のでかい盾役の戦士が二人に、槍持ちが二人。後方支援の僧侶、魔法使い、盗賊が一人ずつとバランスよく職能を分担している。
そこそこできる集団とはいえる。
「お前らは、ダンジョンから戻ってきたのか」
「そうだ、執行部の連中に街が危ないかもしれねェと聞いて、ちーとばかし面倒だが、公会堂まで行くところだ」
俺はちょっと考える。
こいつらでは、黒の騎士の相手はまだ難しいような気がする。
おそらくこのままぶつかったら死ぬ。
せっかくここまで育った集団なのに、ここで潰れるのは少し勿体無いなとも感じた。
「ここは俺に任せてお前らはダンジョンに戻ったほうがいいと言ったら、素直に言うことを聞くか?」
「ふははっ、お前が一人で街に入り込んだって敵を全部殺るってのかァ。そりゃ、楽でいいけどよォ、悪いけど初対面の人間の言うことは聞かない主義でなァ」
ふざけた口調のリーダーの男は、少し芝居がかったオーバーリアクションで剣を振り上げて、大見得を切っている。
強がってみせて、味方を鼓舞するタイプなのだろう。
鎧の隙間を狙うエストックを装備しているところを見る限り、黒の騎士を相手にするヤバさをまったく聞いてないわけじゃないんだろう。
リーダーの男が強がっているのは、同じ集団の仲間の手前もあって、引けないという印象を受ける。
ここで時間を食っても仕方がない。
この集団の自信過剰気味な雰囲気は、止めても無駄だと判断した。
七海には遠く及ばないが、瀬木達よりはできる集団でそれなりに戦ってこれた自負がある。
つまり、気が大きくなっているのだ。
こういう中途半端にできる連中が一番質が悪いとも言えるな。
敵わない敵だから引いとけと言っても、素直に聞くわけもない。議論してる時間もない。
「俺達も公会堂に行くから、付いてきたけりゃ勝手にすればいい……」
「ふーん、まァ……それなら目的は同じだァ。仲良く行こうぜェ」
仲良く行くつもりはもうとうない。
敵わないと悟って逃げるなら良し、そのまま戦うなら囮に使うしかないだろう。
とにかく今は、街に入り込んだ敵を一体でも多く倒して。
できれば敵を全滅させる。それが最優先だ……。