65.地下十四階層
緋竜の門をくぐって、ここからさきは地下十四階層。
地下十四、十五、十六階層はいわば黒の騎士団の領域ということになる。
設定では、ジェノサイド・リアリティー奥深くを守る呪われた騎士団ということなのだが、いよいよ敵の本拠地に乗り込むのかと思えば感慨深い。
それにしても、紅の騎士はどこに行ったのだろう。
当世具足を身に着けた今の俺なら、十分相手になると思う。
ゲーム通りなら、まず一体の黒の騎士が出迎えることになるのだが。
この扉を開けて十四階に降りた瞬間、紅の騎士が現れてもおかしくはない。
あるいは、黒の騎士団の団体さんがお待ちかねとかな。
「じゃ、行くぞウッサー。くれぐれも油断するなよ」
「ハイ、旦那様」
突入した俺達は、意表を突かれることとなる。
「なぜ、敵が来ない?」
「なんだか、寒々しいところデスね」
地下十四階は、黒曜宮。
黒曜石で出来た硬質なダンジョン。ここまでの自然環境が模された階層に比べると、ウッサーが寒々しいと感じるのも無理はない。
紅の騎士が来ないのはまだ分かる。
連中の移動スピードは意外に遅い。ここまで降りてくるのが間に合わなかったと考えてもいいだろう。
ラスボス戦は、最後と相場が決まっているからいきなり出てきても興ざめだからいいにしても。
ゲームなら出迎えてくれたはずの黒の騎士が一体も来ないとはどういうことだ。
地下十階のボスであった黒の騎士が普通にモンスターとして徘徊している。
硬質な印象の黒い壁のダンジョンに当惑し、強力なモンスターの出現に恐怖する。ここでそれがないと台無しになってしまう。
「旦那様、敵が出てこないとおかしいのデスか?」
「おかしい……ことはないか」
敵は黒の騎士を二、三十体は上に侵攻させていたのだ。
その分だけ、防衛戦力を引き抜いて守りが薄くなってしまった。十分あり得る。しかし……。
「進みませんか、それとも何か罠でもあるのデスか」
「そうだな……進もう。最短距離で進むぞ」
むしろ、これが罠だったらありがたいことだ。
ここまで来て、敵が思ったよりも弱体だったら、俺が何のためにこだわりを捨てて本気になったのかも分らなくなる。
俺は進むぞ、紅の騎士。
お前が本拠地をがら空きにしているなら、油断せず、慢心せず、最速で攻略してやる。
「あっ、敵が出てきましたデス」
「ウッサー、前の敵は任せる」
ウッサーは、「ハイデス!」と叫んで、嬉しそうにウサギ耳を揺らして駆けていった。
出てきた敵は、虐殺剣士が二体。
鋼鉄の兜に、鎖帷子を着込んでいる。
一見すると普通の冒険者にも見えるが、狂戦士タイプのモンスターだ。
狂気に魅入られたという設定のわりに、鋭い長剣を巧みに使う敵だが。
神速の武闘家であるウッサーは、相手の剣が身体に届くよりも前に速く駆け抜けていった。
兜をかぶって、鎧を着込んでいても首はがら空き。
すれ違い様にウッサーの両腕から放たれた鋭い手刀が、左右の虐殺剣士の首を後ろから襲い、そのまま断ち切った。
一気に、二体瞬殺。
文句なしのクリティカルヒット。
人間型のモンスターであるから、首を断ち切られれば当然死ぬ。人間というものは、急所が多い
それにしたって、強引に手刀で首を飛ばして見せるとは、武闘家というよりは忍者のようだ。
「やるな、ウッサー」
「覚悟を決めて来たのに、この程度の敵が相手とは拍子抜けデスね。やはり罠……デスか?」
ウッサーが俺の気持ちを代弁してくれる。
十四階層に出てくる敵だ、虐殺剣士だって手だれの剣士ぐらいの強さはあるが。
黒の騎士と互角に戦えるマスターランクの武道家にとっては、あくびが出るような相手だろう。
俺は後ろからの攻撃がないか警戒していたのだが、誰もやってくる気配はない。
本来ならば、油断ならない強敵がウロウロしているはずの黒曜宮がもぬけの殻だった。
「罠かもしれんな、油断させたところで一気に畳み掛けてくるとかはあり得る」
「だったらどうします?」
「分かってるだろう。相手がどう出ようと、最短距離で攻略して行くだけだ」
「さすが旦那様デス」
前から来る敵はウッサーに任せて、俺は後ろを警戒していた。
割りと退屈な仕事だった。
ウッサーは敵を殺しながらくっちゃべっている。他の奴が相手なら、口を動かさず手を動かせと言うところだが。
口の十倍は手足を動かしているので文句は言えない。
ウッサーが難なく虐殺剣士を打ち取るのを眺めながら、俺は後ろを警戒してる。
ようやく後ろから殺気が近づいて来たかと思えば、虐殺弓兵であったりする。
「また雑魚だ、遅いんだよ!」
矢を放ってくる虐殺弓兵の首と一緒に、放たれた矢を斬り飛ばす程の余裕があった。
流れ矢に当たるほどウッサーは間抜けではないのだが、余計な仕事でもしないと腕がなまってしまう。
「もしかして、これ以上俺の戦闘経験値を上げさせないための罠なのか」
そうとでも思わないと、やってられないほどの簡単さ。
俺に付いてきたウッサーを邪魔だと思っていたのだが、これほど退屈だとむしろ一人でなくて良かったというものだ。
話し相手にはちょうどいい、ちょうど聞きたいこともある。
通路に時折現れる虐殺剣士達を、足を止めずに叩き潰しながら、俺はウッサーと少し話をする。
「そういえばウッサー。瀬木達は元気にしていたか」
「元気デスよ。ワタシがいないほうが、良いらしいデス」
ウッサーに瀬木達三軍の護衛を頼んでおいたので、様子は気になっていたのだ。
しかし、ウッサーがいないほうが良いというのは?
「いないほうがいいってのは、誰が言ったんだ」
「ワタシがいると、全部モンスターを倒してしまうので、瀬木さんたちの訓練にならないから困ると木崎さんが言ってマス」
「そうか、そう言うこともあるか」
十四階層の虐殺剣士を軽々と殺してみせるのだ、三階のモンスターなんぞ楽勝だろう。
もちろん木崎だって、本気を出せばウッサーのように一撃無双もできるはず。
そこを、瀬木達に戦闘経験値を積ませることまで考えてサポートしてくれている木崎は意外にも頭が回る。
やはり、木崎を付けておいて間違いはなかった。
さすがは、アスリート軍団の紅一点をやっていただけのことはある。
育成まで考えて動いてくれるのはありがたい。
「弱い者は無理して戦わなくてもいいのデス」
「ウッサーは、そう考えるのか」
それも一つの考え方であろうと思う。
強い者が弱い者を庇護すればいい。今の生徒会のやっていることはそういうことだ。
俺も赤の他人なら、守られて弱いままでいればいいと思うが。
浅からず関わってしまった連中は、できれば立ち向かう力を得て欲しいとも思う。
瀬木達だって弱いなりに、足掻いているのだ。弱いなりに戦い方を工夫している。
戦う決意を持つ者は、成長の機会が与えられるべきではないだろうか。
そんなことを考えながら、ウッサーととにかく真っ直ぐにダンジョンを突き抜けると、十四階層のボスの部屋まで来てしまった。
あっという間にだ。なんだこの、他愛のなさは。
「旦那様?」
「いちいち聞かなくていい、さっさと殺ってしまうぞ」
俺の返事を聞いて、ウッサーはボスの部屋に突入した。
十四階層のボスは、快楽殺人鬼だ。
黒曜石の暗い部屋の真ん中が松明でライトアップされて。
そこで道化師の扮装をした小柄な男が、投げナイフを宙に投げて曲芸の真っ最中だった。
「なんデスかこれ?」
「俺に聞くな、そういう演出なんだろう」
拍子はずれのメルヘンチックな音楽が流れている。ホラーテイスト。
ここまで来た冒険者が殺人ピエロが出てきたぐらいで驚くわけもないが、ボスキャラもいい加減ネタ切れってところか。
「クケッケケケッケケケ!」
殺人ピエロは不気味な高笑いを上げると、綺麗にこっちに向かってお辞儀した。
投げて弄んでいたナイフは、綺麗に背中に回したピエロの手に収まる。
つまらない手品を使う、雑魚ボスで俺はあまり好きではない。
こいつも、ウッサーに殺らせればいいだろう。
「殺していいんデスか、これ?」
「だから聞くなよ、前は任せると言った。さっさと殺ってしまえウッサー」
俺達の会話を聞いていて、先に仕掛けてきたのは殺人ピエロだった。
こちらに駆けて来ながら、手に持っていた投げナイフを左右の手を振り払うようにして投げる。
「何の遊びデスか、これは?」
三つ、四つ、七つ。
ウッサーは、素手で飛んでくるナイフの剣身を叩いて弾き飛ばす。
殺人ピエロはウッサーに向かってジャンプする。そのままクルッと宙を一回転すると、袖に隠していた二本の細い曲刀を飛び出させてウッサーに斬りつける。
ナイフはフェイントで、暗器である双剣が本当の攻撃。
ウッサーが並の戦士なら、そんな攻撃も通用したのだろうが。
「これで、終わりデスか?」
「――ッ!」
ウッサーは、自らに向かってくる曲刀の刀身を後ろから掴んだ。
いや、掴んだというより指で摘み上げた。それで、殺人ピエロの攻撃は止められてしまう。圧倒的な握力の違い。
両方の腕に持った曲刀を摘み上げられて、殺人ピエロはそのまま身体を宙に持ち上げられてしまう。
圧倒的な力量の差。
俺はその戦闘の様子を眺めながら、油断なく後ろを探る。
ボス戦の途中で、後ろから一気に攻めてくる。
一番ありえるパターンだと思ったが……襲撃はない。ここで来ないなら、この階層での攻撃はもうない。
その間にも、殺人ピエロとウッサーの戦闘は続く。
バシバシッと音が響いて、曲刀が左右に弾かれた。
曲刀の攻撃を諦めた殺人ピエロは、柄から手を離してウッサーにダブルキックを放ったのだ。
ウッサーは、手に摘み上げた曲刀で、殺人ピエロの蹴りを防いだ。
蹴りに跳ね除けられて、音を立てて硬い地面に転がる二本の曲刀。
「まさか、これで終わりではないデスよね?」
「クケッ!」
蹴りの反動で、後ろに飛んだ殺人ピエロは、今度は爆弾ポーションを二本投げつけた。
ウッサーは避けずに、その攻撃をそのまま待ち受ける。おい、爆弾ポーションは受けるなよ。
目の前で起きる爆発。
威力の大きさは上級といったところ。
爆弾ポーションの打撃だけは、特性が違い俺でも食らってしまう攻撃なのだ。
思わず、ウッサー! と声をかけてしまいそうになったが、元気な声が聞こえたので口をつぐんだ。
「放散 創造 敏捷……」
「――キェ?」
爆発の煙が晴れると、そこには無傷のウッサーが立っている。
爆弾ポーションの炸裂を、腕でオーバーロードさせた魔闘術のパンチで撥ね除けたようだ。
これは驚いた。魔闘術に、爆弾ポーションの威力を相殺する力があるとは考えもしなかった。
同じマナを溜めて炸裂させる技だから、同系統に当たるのかもしれない。
特性が同じなので、相殺できるということ。
それをウッサーが考えてやったというよりは、天性の戦闘センスなのかもしれない。
避ける以外には、対策法がないと思われた爆弾ポーションへの対応術。
ずっと余裕の笑みを浮かべていた殺人ピエロの顔が凍りつく。
俺も驚いたほどだから、相対している殺人ピエロには余計だろう。
こいつの奥の手が、上級爆弾ポーションの乱投だったのだから。
「これで終わりなら、殺しマスよ。まだあるなら死ぬ前にやりなさい」
「――キエエッ!」
鳥が鳴くような悲鳴を上げながら、殺人ピエロは次々と爆弾ポーションを投げつける。
焦っているのかコントロールが無茶苦茶だ。そんなものでウッサーは倒せない。
飛来する爆弾ポーションは、魔闘術を滾らせてゆっくりと近づいてくるウッサーの光る拳で左右に弾かれて無駄になるだけだった。
やがて、殺人ピエロの爆弾ポーションも尽きた。
「手品は終わりのようデスね……ではサヨウナラ」
「キャアアアア!」
苦し紛れに叫びながら殴りかかった殺人ピエロのパンチを軽く弾くと、ウッサーは無造作に手を伸ばした。
プシュッと音がして静かになった。
殺人ピエロの頭が、トマトのように派手に砕け散った。
ウッサーは握りつぶしたその死体を、ゴミのように捨てる。
「ふうっー、つまらないものを潰してしまいました」
「お前、えげつない殺し方だな」
殺れと言ったのは俺だが、さんざん煽って手を尽くさせた挙句に頭を握りつぶすとか……。
「やり過ぎでしたでしょうか?」
「いや、よく殺った。特に爆弾ポーションへの対応策を考えたのは見事だった」
俺がおざなりに褒めると、嬉しそうに小首をかしげてウサギ耳を揺らす。
こうしてみると、エプロンドレスの可愛らしい少女にしか見えないのだが、その顔は赤い鮮血に染まっている。
泉で顔ぐらいは洗ったらどうだろうか。
まあ、どうでもいいけどさ。
「ほら、お前が殺ったんだから、宝箱はお前のものだ」
出現する宝箱をウッサーが開けると、宝石や扉の鍵と一緒に、忍者が使うような手甲と脚甲が出てくる。
一応、武闘家向きの防具でもある。素材は、硬皮に超鋼が貼り付けてあるから使い物になるだろう。
「ワタシのものは、みんな旦那様のものデスよ?」
「言ってろ。ウッサーは硬い装備が嫌いみたいだが、これぐらいの装備は付けておいたほうがいいぞ」
「そうデスね。これだけあっけないと……旦那様の言い方を真似るならフラグが立つってやつデスよね」
「そういうことだ。俺は、鍵だけもらおう」
ボスの部屋にある泉で喉を潤して、装備を整えてから次の階に進むことにした。
俺は『道化師の鍵』を、階段の扉の横にある鍵穴に差し込む。ズズズッと重たい音を立てて開いていく。
油断するなと、ウッサーに声掛けする必要もないか。
十四階に黒の騎士が居なかったのだから、おそらく敵は戦力を後退させてここから先に厚い防衛ラインを張っているはずだ。
ここまで来ると、そうであってくれと願う気持ちになっている。
そうでなければ、あまりにも不気味すぎる。順調すぎる敵本拠地への攻略に、見えない敵の本隊。
悪いフラグと考えると、俺がこうしている間に瀬木達が襲われるとか……まずあり得ない。
そのために七海達を防衛に張り付かせているのだから、心配はいらないのだが。
とにかく急ぐに越したことはない。
敵の本拠地さえ叩いてしまえば、それで終わりなのだから。
「紅の騎士もそうだが、早く行かないと久美子が追ってくるかもしれないしな」
「それは、急がないといけませんデスね」
俺とウッサーは、地下十五階へと足を踏み入れた。