59.地下七階の決戦
「もうすぐね」
「ああ……」
俺は一体の黒の騎士を、即座に叩き殺した。
その横で、久美子がもう一体を忍刀で刺し殺している。
だが、もう取られたななどとは思わない。
殺りたければ、この先には手に余るほどの数の黒の騎士がいるはずだ。
数を競ってる場合でもない。
もちろん断言はできないが、この通路を曲がった先には殺気が満ちている。
階段前で敵の本隊が、俺達を待ち構えているはずだ。
そう感じて、その手前で一旦休止する。
「お前ら、これを一齧りずつ食え」
「これは?」
俺は、リュックサックから手持ちの食料を全て出して七海に手渡す
「かず……いや、竜胆和葉が作ってくれた炙り肉だ。食うと、能力値を上げるポーションとは別枠で、能力アップになる」
「和葉の……そうか助かる」
七海はそっと受け取ると、一齧りして仲間に回した。
本当は全部一人で食いたいって顔をしてたけど、ここは我慢してもらいたい。
「よし、なるべく準備してから行くから一気に突破する覚悟を決めておけ。作戦は、俺と久美子が階段前まで行って、俺が敵の本隊を向こう側の通路に引き付けている間に、久美子の誘導でお前達が地下六階まで突破する。久美子も分かってるだろうな」
「分かってるけど、ワタルくん。もし危ないと感じたら、私は貴方を優先するから……くれぐれも無理しないでね」
今の久美子の言葉は、もし俺が危ないと感じたら、七海達十一人を見捨てるということだ。
そうならないようにやってみせろと、俺のことを食い入るように見つめてくる。
「分かったよ、俺に任せておけ」
「その言葉、信じるわよ」
本当は、断言できる自信なんてあるわけがない。
見えない敵を相手にするのは、ゲームでもよくあるが、相手の出方を読んで読んで読みまくっても、まだ不安にかられる。
入り口を固めていると思った敵が、突破しようとする俺達のさらに一手先を読んで壁を二重にしていたらどうなるか。
俺が敵の本隊を、逆方向に引き付けるのを失敗したらどうなるか。
いくらでも湧いてくる「できない」を考えていても、身動きが取れなくなるだけ。止まっていれば、刻一刻と状況は悪化して、その先に待っているのは確実な死だ。
だから俺は「できる」と信じる。久美子にも、自信をもってそう言えるぐらい自分を過信する。
信じてこそ、死地を踏み越えることができる。
不安など、犬に食わせてしまえいい。
俺はできる限りの準備はしてきた。
最悪死ぬだけ、その覚悟はあるから、後のことなど知ったことではない。
俺も炙り肉を齧り終えると、リュックサックから『アリアドネの毛糸』を取り出してポーチに移し替える。緊急脱出用だ。あと爆弾ポーションをいくつか。
そして、ミスリルの鎧より硬い超鋼の鉄鎖を防具として使うために、左手に巻きつける。俺ができる準備は、これぐらい。
「じゃあ行く前に、久美子。最上級で、スローの呪文をかけてくれ」
「ワタルくん、スローの呪文は知ってるけど……最上級は難しいんじゃなかったの?」
「確かに難しい。だが、成功率はゼロじゃない。俺と久美子が二十回も繰り返せば、一回ぐらい成功するだろう。かかったら一気に行く」
七海が手伝おうかというのを、魔術師ランクが高くないとマナポーション代わりの宝石の無駄になるからと断って、俺と久美子だけでやる。
「上級 スタミナ 飛翔!」
せめてこれぐらいはと、七海ガールズ達が口々に俺に向けても防御魔法をかけてくれるが、黒の騎士ランクの敵が相手では気休めだ。
足しにはなるか。
「最上級 放散 刻限 敏捷……」
結局七回目の詠唱で、スローの呪文に成功したのは俺だった。
「よし成功した。まず、七海達は待機。俺と久美子で先行する。久美子、お前は俺が敵を引っ張ったのを確認したら、七海達を突破させろ」
「分かったわ」
俺達全員が集団だとみなされて、全員に最上級の呪文がかかっていると祈る。
七海達の集団だって、ここまで生き残ってきた猛者だ。補正があれば、敵を突破するスピードも得られる。
結局のところは、信じるしかないのだ。
自分を信じる。他人を信じる。
まるで七海修一のようなセリフで、俺には似つかわしくない。
そう心のなかで苦笑するが、そういう言葉が素直に出てくるのは悪い気はしない。
やはりいた――
駆け込んだ階段前に、横列で並ぶ黒の騎士に囲まれて。
紅の騎士は、ラスボスよろしく悠然と待ち構えていやがる。
敵の数は多い、黒の騎士も目に見えるだけで八体はいる。
その圧倒的な戦力を有する余裕からか、もともとそういう習性なのか。待ち構えているくせに敵は抜剣すらしていない。
紅の騎士の血のように鮮やかな紅色の兜。その向こうで、不敵に微笑みさえ見えた気がした。
貴様ら――
「舐、め、る、な、よぉぉぉ!」
敵の囲みに、この身を疾風と変えて跳び込み。
腕を身体ごと回転させながら、孤絶の長い刀身を一気に振り抜いた。
手ではない、腰で斬る。長大な野太刀の刀身は、一気に四体を巻き込んでなぎ倒す。
そのままの勢いで、空気の重たい抵抗に逆らいながら紅の騎士にも刃を向ける。
「ぬっ!」
「……」
紅の騎士血塗られた紅色の長剣を半ば鞘から抜いて、俺の一撃を受け止めてみせた。
一度に四体を吹き飛ばしたマスタークラスの斬撃を受けても、びくともしない。
目の前で金属がこすれ合う火花が派手に散る。それを驚く暇も、俺にはない。
素早く後方に飛ぶと、残り四体の黒の騎士が、抜剣を終えて俺が元居た場所に斬り下ろすところだった。
バックステップで跳ぶ俺を、紅の騎士と残り四体の黒の騎士がほとんどノーモーションで追ってくる。
上手く敵を引き付けられた。
だが、転がっている四体がまだ残っている。あれをあのままにはしておけない。
俺は、ウエストポーチから紫色のポーションを取り出し、即座に転がっている四体に向かって投擲する。
時間をかけて製造した、たった三本のとっておき。『最上級の爆弾ポーション』こいつは特別製だ。
階段前の入り口で、敵の四体を巻き込んで大爆発が起こった。
俺を追ってくる連中は、その爆発に振り返りもせず迫ってくるが、まあ良し。
これで、あの四体は大ダメージを受けたはず。
ここまでが今の俺の限界、久美子がいる七海の集団なら、なんとか突破できる。
それぐらいは、せめてやれる戦士でなければ、どうせ生き残れない。
「チッ!」
追撃が速い。最上級のスローの呪文をかけていてもこれか。他人のことを考えている余裕はない。
目前に、紅の騎士が迫っていた。
「熱量 炎 電光」
俺はとっさに魔闘術を足に入れて、敵の土手っ腹を蹴り飛ばした。
その反動で俺はさらに後方へと跳ぶが、それで敵を引き離してしまう恐れなど無い。
紅の騎士は、魔闘術の蹴りを受けても、そのままのスピードで迫ってくる。
蹴るタイミングが早かったのかもしれないが、体内で暴走させたマナの力を乗せて、数倍にも倍加した蹴りがまるで効いていないとは、化け物が!
だが、その動きが速すぎて、残り四体の黒の騎士と距離が離れたのは好都合だった。
俺は後方に向けて、爆弾ポーションを投げておく。
ヒュッと、紅の騎士の横を抜けて紫色のポーションは跳んでいく。
当たりなどつけている暇はない。
狭い通路を密集して、機械的な動きでまっすぐ俺に向けて向かってくる連中だから、命中させるのはわけがなかった。
後方で、大きな爆発と衝撃が起こる。一撃死はないにしろ、あれでしばらくは追ってこれない。
物理法則を凌駕するほどの存在を相手しながら、他の連中にまで追われては厄介だから。
これで、とりあえず一騎打ちに持ち込めたわけだ、ここまでは上出来。
敵は、抜剣した赤い剣で打ち付けてくる。
俺の野太刀に比べると、剣身が短い敵の長剣は早い。赤い閃光が何度も俺を襲い、防戦必死。息付く暇もない。
だが、見える。
敵の赤いモーションがかかった剣線が、俺にもハッキリと見える。
能力値上昇ポーション、和葉の料理、最上位のスローの呪文。
各種の上乗せを使い切り、高めに高めたこの瞬間ならば互角に立ち合える。
俺はついに、紅の騎士と対等の速度に到達した。
一秒を千倍にも引き伸ばしたミリ秒単位の世界で――
鮮やかな軌跡を描き襲い来る赤い死の閃光は、もはや絶望ではない。
俺にも受けられる、戦える、そして殺り合える。
一手受け間違えれば殺られそうな刹那、俺は笑っていた。
笑わずにいられるか、ついに無限の深さに思われた敵の底が見えた。
無言で俺に斬りかかってくる強敵は、もはや絶対的な存在ではない。
互角に戦え、そしていずれは凌駕できる存在。
互角の敵と斬り合うたび、斬り結ぶたびに、俺は剣士としての成長を感じた。
殺ってみるか。
「うおおおっ!」
防戦一方では面白くない。
敵の斬撃の合間を縫って、苛烈なる気勢とともに、深く一撃を繰り出す。
俺の薙ぎ払いは、敵の胴に火花を散らしながら削りとった。
――と、同時に赤の剣閃が俺の肩口を斬り裂く。
激しい痛みに、声も出ない。
速度は互角だが、鎧の騎士は防御が硬い。このまま削り合えば、負けか。
いまは殺れない。
徐々に、引き伸ばされた時間が戻ってきている。
スローの呪文の効力も切れ始めている。
ここまでか。まあいいだろう。
俺は、紅の騎士の腹に爆弾ポーションを投げつけた。
目前で大爆発が起こる。
至近距離の爆発に、俺もダメージを受けるが、これも計算のうちだ。
爆風でさらに後ろに吹き飛ぶ。
その猛烈な爆発の中を、物理法則を強引に無視する紅の騎士は突き抜けて迫るが、それも想定内。
「転移」
俺の『アリアドネの毛糸』を握りしめた左腕を斬り落とそうと紅の騎士は剣を振るうが――
腕に巻いておいた超鋼の鉄鎖が砕け散るだけで終わる。
――離脱成功。
首を洗って待っているがいい紅の騎士。
そのうちにその首を斬り落として、その兜の中身が空っぽかどうか見てやる。
次回は8月31日(月)更新予定です。