56.攻撃は背後から
七海達を助けに、転移で地下七階の隠し部屋に飛……ばない。
俺が向かった先は、敵に破られた地下七階の扉の前だ。
飛んだ瞬間に敵と遭遇する覚悟もしていたが、すでに敵の姿はない。
まあ計算のうち、敵は入口のほうの隠し部屋まで逃げた七海達を追っている。
七海達を囮にして、背後から黒の騎士団を攻撃する。
これが俺の作戦だ。
「それにしても、これをよく越えたな」
地下八階から地下七階に登った『海神の扉』の前に重いエノシガイオスの玉座を置いて、久美子が紅の騎士を食い止めるためにダクトテープを使ってつっかえ棒までした閉鎖が、見事に叩き破られている。
玉座も、扉も、それにつっかえ棒をハメた向こう側の壁も、ほぼ破壊が不可能のオブジェクトだ。つっかえ棒に使った槍だけが、へし折れて転がっている。
敵の集団は、つっかえ棒に使った鉄の槍が耐久度の限界を迎えて折れるまで、扉を延々と叩き続けたに違いない。人間なら諦めるかもしれないところを、モンスターらしい執拗さといえる。
この先は進めないと勘違いしてくれれば良かったと思ったのだが、そうは上手くいかないということか。
この程度のブラフには引っかからないか、話は出来なくても知能の高い敵だからな。
だが、だからこそ、そこに付け入る先があると俺は考えた。
敵は、俺に向かってかつて味方だった黒川の死体をぶつけてきた。
いかに憑依してランクアップした黒の騎士とは言え、一体でこっちに向けてきたのは心理戦のつもりなのだろう。
それは、こちらの狼狽を狙う高い知性を感じさせるが、逆に言えばそれがそのまま敵の弱点なのではないか。
俺のように最強のボスが単独で急いで上がってくるのではなく、黒の騎士団を引き連れてゆっくりと探るように侵攻してきているのはなぜか。
慎重な敵は、戦力の消耗を恐れているのではないか。
さらに言えば、敵にも部下を思いやる心があるのではないか。同胞などと言って、同族に仲間意識を持つモンスターもいた。
紅の騎士が人間的なモンスターであってくれたら、それは相手の弱点になる。
どちらにしてもやることは変わらない。紅の騎士が強敵過ぎて相手にするのが厳しいなら、手足からジワリジワリと、もいでやればいい。
俺は隠密をしながら、ゆっくりと歩いて行く。
おあつらえ向きに、黒の騎士が一体歩いていた。何かを探っているようだが、本隊が近いのかもしれないが単独行動をするとはなってない。
所詮はモンスターの浅知恵か。俺は、そろっと孤絶を引き抜くと、敵に近づく。
まずは一匹!
「上級 放散 刻限 敏捷」
口の中で、スローの呪文を詠唱すると一気に距離を詰める。
走り込む俺の足音にようやく気がついて、黒い鎧兜のスリットの奥から覗く殺意に満ちた眼で、俺を睨みつけくる。
黒の騎士は、見えない糸に操られるような機械的な動きで黒死剣を抜剣したが――
――遅いんだよ。
黒死剣を振り上げたまま黒の騎士の動きが止まった。俺の孤絶が、敵の喉元に深く突きこまれている。
鎧の中は空洞だが、妙に重い手応えがある。アンデッドを斬るような感じとも違う。
命の線を断ち切ったという感覚。
クリティカルヒット。
刀を引くと同時に、ガシャンと音を立てて、鎧は崩れ落ちた。
即死させることには成功したが、その音で敵が来るかもしれない。油断なく構える。
「……ふうっ」
どうやらセーフ。素早く『減術師の外套』をかぶり直して、隠密しながら歩いて行く。
すると、目の前に俯いて倒れている人間の剣士を発見した。
長い黒髪の、これは男だな。見覚えがある、アスリート軍団の死体だ。
剣士と言ったのは、剣を持っていたからだ。身に着けている硬革のチェニックは軽装備の部類なので、もしかすると前衛職ではないのかもしれないが。
後ろから右足を切断されたあとに、倒れたところを背中からバッサリか。駆け寄って、仰向けに起こしてみたが、すでに息絶えている。
硬革のチェニックの上から、鋼鉄の胸当てを付けている。これが背中からではなく前から斬られたのであれば、一撃死することはなかったかもしれない。不運だった。
苦痛と恐怖に歪んだ形相が痛々しい。死因は、出血性のショック死といったところか。俺は医者ではないので、なんで死んだのかなんて本当はわからないけど、久美子あたりならそう判断するだろう。
さっきの黒の騎士に殺られたんなら、仇は取ってやったぞといえるのだが、どうだろうな。
名も知らない剣士に、一瞬だけ瞑目する。
そして、首を切り離しておく。
死体を傷つけて申し訳ないが、黒の騎士に死体を利用されることを避けるためだ。
人間の身体なんてあっけなく斬れてしまうのだなと思うと、なんだか物悲しい気持ちになった。
死体とはいえ人間の身体を平然とバラせる俺は、もう人間とは違う、化物の部類に近づいているのだ。
次の獲物を探すために、俺はその場を離れて薄暗がりのダンジョンの中を進んだ。
※※※
あれから五分ばかり、敵を追うように進んだが黒の騎士を一体屠っただけだ。
この階層に元々いる雑魚敵は、七海達が狩り尽くしたのか姿が見えない。
途中で一度、敵の集団を遠くに見つけたが、まさか四体以上でまとまって動いている集団を一度に相手しようとは思えなかったので、その場を迂回してゆっくりと離れた。
今の俺なら四体一度でも相手できないことはないが、戦闘している間にさらなる増援や紅の騎士が来たらと考えるとヘタは打てない。
ここは、敵の狩場だ。
後ろから敵の群れを攻撃するといっても、そうはやすやすと削らせてはくれんか。
いざとなれば、こっちは転移で逃げてもいいのだ、一度に二体相手ぐらいなら何とかなりそうなんだが。
そう思ったとき、水の中からザブンと上がってきた。
半魚人が出現したのかと刀を構えたら、また人間だった。
「……お前は、何やってるんだ」
「おおっ、真城ぉぉ!」
ビショビショに濡れた茶髪の男に抱きつかれても、不愉快なだけだ。
まさか、七海がはぐれたというもう一人が生き残っていたとは運命のイタズラだな。こういうこともあるのか。
「バカッ、大声を出すな!」
「すまん……人間に会えたからつい」
同じ人間であるというだけで、地獄に仏に見えるのだろう。気持ちはわかるが……。
しかし、殺人魚がウヨウヨしている用水路に飛び込むとは、度胸の良いやつだ。
確かに黒の騎士から逃げるなら、水の中という選択肢は悪くない。
この茶髪は間抜け面で笑っているが、死中に活を求める判断力はあるようだ。一軍のアスリート軍団に参加してるだけのことはある。
「お前、名前なんだっけ」
「ヒデェ、古屋だよ、古屋広志!」
古屋か。
もともと知りもしない名前を聞いてやるだけ、俺にしては最大限の配慮なんだけどな。
「古屋、武器は?」
「オレは弓だったんだけど、水の中で落としてしまった」
ふうん、そうだな。そういう筋肉の付き方をしてる。鋼鉄の重装備で水の中に潜ったら溺れ死んでしまう。
装備が硬革鎧だったのは、逃げるのには良かったのだろう。
元はアーチェリー部か、弓道部だったのだろう。
腰の鉄剣を抜こうとするので、俺はそれを止める。
「そんな脆い鉄の武器は、役に立たん。これを使え」
「これ、鎖か?」
「超鋼の鉄鎖だ。この硬さなら黒の騎士の黒死剣も通らん。これを敵の身体に巻きつけて、動きを止めろ……とまでは期待しないが、これで攻撃を受ければ少なくとも即死ってことはないだろう」
「ありがとう。強い武器さえあれば、俺だって戦えるゼェ」
いや、ほんとに期待してないんだけど。下手に殺る気を出されるほうが困る。
超鋼の鉄鎖が二本あったから、一本くれてやっただけの話だ。
「分かってるな、隠密行動だぞ。戦うんじゃなくて、七海達のいる入口のほうの隠し部屋までなんとか逃げ延びろ。どっちにしろ、敵の本体に動きがバレて囲まれたらしまいだ」
「オウゥゥ……」
古屋が、手に持った鎖がカチカチと小さく鳴っている。
武者震いだと思ってやりたいが、黒の騎士との死闘はこいつらにとってもトラウマになっているだろう。
元から戦力としては期待しない。
生き残るのに、足手まといになるかならないかだ。
黒の騎士が一体なら、俺が即座に屠る。敵が大量に来たり、紅の騎士が相手なら逃げる。シンプルだ。
逃げるときは、古屋は見捨てる。勝手に死ぬなり、水の中にまた飛び込んで生き延びるなりして欲しい。
ガチャリと鎧の足音がして、前から黒の騎士がやってきた。
二体……しかも、こっちに向かってくる。
チッ、二体が相手ならどうしようかと思っていたところだ。
いつもアホみたいなバランス崩壊をやらかすくせに、なんでこんなときに限ってギリギリのゲームバランスを保ってくるんだよ。中途半端なんだよ!
「古屋、殺るぞッ」
躊躇したら死ぬ。迷ったら攻撃。
俺は深く斬り込んで、敵の喉元を刺突した。
良し、やはり一撃死を狙うならここだ。
確かな手応えに、クリティカルヒットを感じる。
眼の前の敵の鎧が、ゆっくりと崩れ落ちるのを目にしながら、反射的に後ろへと飛び退る。
すぐ横からの攻撃がくると思ったからだ。
だが、来ない。
「ウゲェ!」
カエルがつぶされるような声。
古屋はもう殺られたのかと思ったら、青ざめて死にそうな顔をしながらも、手に巻きつけた超鋼の鉄鎖を投げつけて、黒死剣の斬撃を防ぎきっていた。
わざとなのか偶然なのか、巻きつけた鎖で黒の騎士の握りしめる黒死剣を引っ張って、敵の上体を崩すところまでやってる。
上出来だ。
俺は、横薙ぎに敵のスキだらけの胴体に孤絶の一撃を叩き込んだ。
クリティカルヒットでなければ、一撃では死なない。
もう一撃!
向き直って敵に向けて全力の突き込み、姿勢を崩していた敵の土手っ腹をぶち抜いた。
力尽きた黒の騎士がガシャンと崩れる。
「へへっ、やったゼェ。真城!」
「はぁ……」
たった二体を倒した程度で、得意げになっている古屋に呆れる。
まだ足が震えてるじゃねえか。超鋼の鉄鎖の防御力もあったのかもしれないが、これでラッキーにしろ、黒死剣の斬撃に対処できたのが信じられないぐらいだ。
「オレ達のコンビなら、いけるゼェ」
「くだらん御託は、ここを斬り抜けてからにしろ。敵に気づかれるから、あまり声を出すな……」
俺は、古屋に聞こえるか聞こえないかのギリギリの小声で諭した。
鎧が崩れる音ですら、近くにいる敵に気づかれるのではないかとヒヤヒヤしているのに古屋はノンキすぎる。
どうせこいつらは、和気あいあいの仲良しゴッコで来たんだろうが、ここでくだらんおしゃべりは死亡フラグだ。
ジェノサイド・リアリティーってのは、そんなに甘くない。
ほら見ろよ。
ガシャン、ガシャンと闇の向こうから鎧の鳴る音が聞こえるだろう。あれが死を運んでくる音だ。
二体、いや三体か?
また古屋を見捨てて逃げるか戦うか、判断に困る敵の数だ。チクショウめ。
「真城……」
「黙れ、死にたくなければ眼の前の敵を殺るしかない。お前は用水路に飛び込んで逃げてもいい、俺もヤバければ逃げる」
どっちにしろ、後ろを向いて逃げるのはもう無理だ。
俺は、孤絶を構えて敵に向かっていった。
敵を前にして他人にかまっている暇はない、古屋は古屋で勝手にすればいい。
ギリギリでここまで生き残ったアイツの悪運が続けば、次も生き延びられるだろう。
次回は8月22日(土)更新予定です。