52.庭園への帰宅
「ワタルくんがやってるわけないでしょう!」
俺に「和葉とやった」とイチャモン付けてきた御鏡竜士に、久美子は吠えた。
握りしめた拳をわなわなと震わせて、強く強く否定した。
そのあまりの久美子の迫力に。
「やったやった」と言いながら妄想を重ねるうちに、悔しくて泣き叫び始めたほど異常な御鏡もたじろく。
一度テンションが下がってしまうと、俯いてブツブツと言いよどむ御鏡。
怒りは消えてないが、女と話している自分というものを意識しすぎて上手く喋れなくなったようだ。
「そっ、まっ、やってないって証拠……」
「言い出しっぺのあんたが、やったって証拠を見せなさいよモジャ公! やってないってのは女の勘」
「女の勘って、何の証拠にもならないぃぃ!」
「あんたのおかしな妄想よりよっぽど役に立つの。ああそうだ、当ててやりましょうか。あんた童貞でしょ!」
怒りに震えて真っ赤になっていた御鏡の顔から血の気が引き、一気に青ざめた。
寸鉄人を殺すとはこのことを言うのか……さすが忍者、容赦ねえ。
童貞とか、絶対見た目だけで決め付けてるだけだろ。
本当に童貞の見分け方があるんなら、俺にも教えて欲しい。
「ちゃ、ちゃうわああああっ!」
「否定しても分かるのよ。見たら、あーこいつ童貞だなって即座に分かる。ほらっ、その髪を掻きむしる仕草がもう童貞! ほら、もうその手のおろし方が童貞、言い訳しなくていいわよ童貞!」
「うっ、あっ、わあああっ!」
「女はね、そんな風に誰と誰がやったかも、ささいな仕草とか言葉尻とかで見分けられるの。そこからワタルくんは和葉とやってないって断言してあげる。分かったなら、変な言いがかりはやめてちょうだい」
性的な経験が皆無なことを言い当てられてしまった御鏡は、二の句が継げない。それどころか、いちいち細かい動作を挙げ連ねて、そのすべてを童貞の仕草とされてしまうので完全に身動き取れなくなった。
これは、久美子の圧勝……。
いや、そもそも何の勝負なんだよ。
「真城! 九条さんを盾に使うとか、ズルイぞぉぉ! あと僕は童貞ちゃうからああっ!」
「分かったけど、まだ俺に突っかかるのかよ……」
そこから、聞いても居ないのに御鏡の恨み節が始まった。
久美子には強く言えないのに、俺に対しては言えるらしい。
久美子にプライドをボロボロにされた御鏡は、半泣きどころか完全に泣きが入ってるので、黙れとも言いがたい。
女のヒステリーと一緒なんだろうから、勝手に語らせておくか。そのうち落ち着くだろう。
本当に果てしなくどうでも良い話だが、御鏡の喚き散らす話をなんとなくまとめると。
同じF組のクラス委員長(本来の名称は級長なんだけど、御鏡がずっとそう言ってる。言い換える意味が何かあるのか)である和葉に、御鏡は密かなあこがれを抱いていたらしい。
御鏡は、和葉ともクラスで仲が良かったと主張している。
和葉には級長の仕事があるので、会話する機会が多くて普通に優しく接してくれる女子をコロッと好きになってしまったという話だろう。
そこは俺も経験があるので、多少は理解できる。童貞だからチョロイのだ。
だからこそ、誰よりも早く竜胆和葉がイジメられているのに気がついたのは、このモジャ頭だったそうだ。
一度は、和葉をイジメてる連中に注意もしてやったらしい。
極めて怪しいものだと思うのだが、まあそこを嘘だとは決めつけまい。
今の御鏡竜士は、学校一の才媛であった九条久美子とも、曲がりなりではあるが会話が成立している。
これが学校のときであれば、御鏡と久美子はまともに会話できないほどのランクの差があったはずだ。
ジェノサイド・リアリティーの異常なテンションで、自分を正義のヒーローみたいに思い込んだ御鏡は、気が大きくなっている。
和葉をイジメる生徒達にも「やめろー」ぐらいのことは言ったかもしれない。
そして、生徒会への貢献レベルが高い生徒という扱いになっている御鏡の意見には。
みんなも、表面上は従ったのかもしれない。
「竜胆へのイジメに気がついてたんなら、御鏡が助けておけば問題なかったんじゃないか」
「僕は助けようとしたさ。和葉タンは、ろくに食べてないみたいだったし、そのうち食事に誘ってみようかなと思った矢先に、いなくなってたんだよ! そしたら真城がどっかに連れてったって言うじゃないか。僕が先に助けようとしてたんだぞぉ!」
御鏡がきちんと助けておけば、俺だってこんな面倒に巻き込まれずに済んだ。
こいつら、やることなすこと中途半端なんだよ。
むしろ、こっちが文句言いたい。
「まあ、言ってもしゃあねえか……」
「僕が助けたら、委員長と仲良くなってきっと今頃……」
なにが今頃だよ。
人にやっただのやってないだのイチャモンつけてくるが、こいつは自分がやりたいだけじゃないか。
「憧れの委員長と公園で盛ってる連中みたいなことができた、か?」
「違う! 僕の想いはあんな金で女を釣ってやってる連中とは違うんだ! 助けたらそりゃお礼とかは期待するけど……そういうんじゃないんだ、違うんだよ! 僕はもっと純真で純粋な……それを、それをぉぉ! なんでお前はいっつも僕のチャンスを奪う!」
ふーん。公園で盛ってる連中は、ただ不安感から肌を重ねてるわけじゃなくて、売春みたいなの行為も蔓延っているのか。
むしろ、そっちのほうが俺の興味を引いた。
こんな状況だ。そりゃ売れるものは、なんでも売るわな。
和葉のたおやかさは、付け込める弱さにみえる。それだけに、御鏡みたいな連中には人気があるのだろう。身体を売ろうと思えば、高値で売れたはずだ。
あれほどボロボロに落ちても、和葉はそっちには転ばなかったわけか。さすがは七海修一の想い人か。
御鏡のように、孤立していく和葉をそういう目でみた男が多かったから、和葉は逃げるためにファーストフード店の影に隠れて飢え死にしかかってたのかもしれない。
不安定になってた七海修一が街に帰って、幼馴染の和葉が貧困のために御鏡達に身を売っているのを見たら、その場で生徒会崩壊、街の秩序壊滅のバッドエンドルートもありえた。
考えてみれば、和葉が護身してくれたのも俺が助けたのも、結果的には良かったか。
御鏡のほざく戯言をハイハイと聞き流しながら、身に着けている装備を観察してランクを分析してみたが、こいつは戦士から上位職の「侍剣士」にランクアップしたってところか。
ランクアップ先に、サムライを選択したのは俺に対する当て付けかもしれないが、よくよく考えてみれば悪い選択ではない。
俺みたいな単独プレイではなく、集団プレイを考えると、僧侶系に補助がかかる聖騎士や、鍵も開けられる忍者。あるいは上位職にこだわらず、役立つ中位職を極めて行くことを選択するほうが無難である。
使いやすい武器が主に刀で、魔術師スキルに補正がかかるサムライはサポートスキルに乏しく、集団プレイにおいては人気がない。
しかし、だからこそあえてサムライという選択はある。
百人近い数が攻略に参加して、アイテムを分け合う状況では人気のないサムライ専用のアイテムは余るはずだ。生徒会から優先的にアイテムを回してもらえる御鏡なら、ベターな選択肢といえる。
青く発光しているサムライブレードも、宝箱から出たそれなりに攻撃力強化の補正がかかったものであるようだ。
益荒男の鎧も鋼の鎧よりワンランク上で、和名が付いていることから分かるように、サムライが着るとより防御力を増すアイテムだ。
「おい、真城! 聞いてるのか」
「ああ……」
お前の愚痴なら、聞いてない。
だいたい御鏡竜士もその点に関しては七海と一緒なんだよ。そんなに大事な女なら、さっさと助けてきちっと囲っとけ。
御鏡竜士の戦闘力では中途半端すぎて、俺に利用価値はない。
こんなメンタル管理の難しい男を、生徒会執行部はよく上手くおだてて使っている。神宮寺の人心管理の巧みさを感じる。
ゲームだったときのジェノリアの情報は、俺を除けばこいつぐらいしか持っていないために、待遇を良くしているということもあるのだろう。
必要な情報を引き出せたから、こいつの相手はもういいか。
「なんだ、ふざけてんのか!」
「ふざけてねえよ。俺は前から言ってるだろ、個人の選択だからなんでも好きなようにすればいいだろ」
これ以上街で議論しても、意味は無い。
俺一人なら、まだうるさく絡んできたかもしれないが、ツリ目がちな美少女である久美子に「む」っと睨まれると、御鏡はぐうの音も出ない。悔しそうに睨み返すだけで、手を出せない。
「話はまだ終わってないんだぞ……」
「あと言い忘れたけど、竜胆和葉は七海修一の彼女だぞ」
「えっ……そうなのか?」
「御鏡竜士。お前そんなことも知らないで、騒いでたのか。七海の女に手を出す勇気がある男はそういないだろ。だから、俺だって保護してても、手を出すってことはあり得ないわけだ」
和葉が七海の女だから手を出さないという言葉には説得力があったらしく、御鏡が口をつぐんだ。
七海修一はいまや、街の支配者だ。逆らうことは街から追放されることを意味する。自分がいかに危ない橋を渡っていたかようやく理解したようだ。
それにしても御鏡は余裕あるよな。惚れた腫れただの、誰がやっただのやってないだの言ってる場合じゃねえだろう。
こっちは紅の騎士をどう倒すかに頭を悩めているというのに……まあ、せいぜいが中級ランクのモジャ頭がジタバタしたところで、状況は良くならないからどうでもいいけど。
久美子を連れた俺が街から出ようとすると、入り口に生徒会執行部(SS)の赤い腕章を巻いた一団を連れた神宮寺司が待ち構えていた。
こいつのことだ、偶然ってことはあるまい。俺を待ち構えていたのだ。部下ばかりよこしやがって、ようやく真打ち登場か。
「やあ、真城ワタルくん。ごきげんよう」
「お前の顔を見て、機嫌は悪くなったけどな」
銀縁メガネを光らせた神宮寺は、白手袋を嵌めた手をさすって俺に薄笑いを向けてくる。
こいつと長く話していると、言葉尻を捕らえられて、いらない情報まで与えてしまいそうだからここはスルーかな。
「つれないね、別に話したくなければいいんだよ」
「じゃ、通らせてもらう」
「ところで、戦況はどうかな」
「そんなの七海に聞けよ」
「真城くんは、地下十一階制覇か。十二階層を攻めてるあたりか?」
「あっ?」
何気なく顔を向けたつもりだが、顔に出てしまったかもしれない。
かなり正確に、俺の攻略速度を当ててきている。久美子が教えたのかとアイコンタクトを送ったが、神宮寺には話してないと目で訴えてきた。
「簡単な推理だよ。しかし、君は上手くやったものだ。我らが指導者、七海修一の親友となった君に、もはや生徒会に入れとはいわない」
「ほう、そりゃ物分かりが良くなったもんだな」
神宮寺の言葉は、基本的に信用しないほうがいい。
こいつが、そう言うってことは、何か別の手を考えてきているのかもしれない。
「私は、感心しているのだよ。孤立していた君がここまでやってくるとは思わなかった。さすがは、真城家のご子息というところかな。庶子とはいえ……」
「お前……それ以上言ったら、潰すぞ」
神宮寺のランクがどの程度かしらないが、街をウロウロしているだけの男が戦闘力で俺に勝てるわけがない。
街でプレイヤーを殺す方法だって心当りがないわけじゃない。
なんなら神宮寺相手に実験してみてもいいんだぞ。
そう言いたくなるのを辛うじて堪えた。
そんなことを言い始めたら、疑心暗鬼を生じて街で殺し合いになる可能性もある。
もしかしたら、それが神宮寺の目的かもしれない。
しかし、殺せると思って睨む殺気に動じないとは神宮寺もたいした玉だ。
神宮寺は、下層階のモンスターすら総毛立つ俺の殺気に意も介さないで冷笑している。
街から出たところを見たところがないが、こいつがただの低ランクとも思えない。
よっぽど自分に自信があるのか、何か奥の手を隠しているのか。
「クック、これは私としたことが口が過ぎた。失言を謝罪しよう」
「言ってろ……」
「真城くんは一人で攻略を進めているが、『それがこのゲームをクリアするために最適な行動』だったね。我々としても、異存はないよ。君の言うとおり、我々の最終目的がゲームのクリアであることに変わりはない」
俺をわざと怒らせて冷静さを奪ってから、俺の言葉を使って行動を誘導しようとするつもりかもしれない。
一人で動けというのは、俺が七海を籠絡して生徒会を利用しだしたのが気に入らないという牽制か。政治屋は、いちいち言うことがまどろっこしい。
「くだらん腹の探りあいなら、付き合うつもりはない」
「私が聞きたいのは、いまや最強の生徒であり攻略の最先端となった君が、クリアまでどの程度の目算でいるかというあたりかな」
「分からん、だがベストは尽くすつもりではいる」
「頼もしいね。君がその気なら、クリアはそう先ではないだろう。それまで、街の治安は我々に任せてくれたまえ」
「神宮寺……俺と利害関係を一致させるつもりなら、部下に後を付け回させるのはやめておけ」
「それは重ねて失礼した、笛吹くん!」
小さいがよく響く声で神宮寺が名前を呼ぶと、虚空から印象の薄い執行部員が姿を現した。
やはり距離を少し取って、笛吹に後を付けさせていたか。
密偵を付ける段階で明確な敵対行動ともいえるが、いまさらだな。
こっちのランクが上がりきれば、いかに笛吹が盗賊を極めても付けまわるのは難しくなるから問題はないだろう。
「じゃあな」
俺が、これ以上ウダウダ言うなら押し通るという意志を示すと、神宮寺は薄ら笑いを浮かべて素直に道を開けた。
ダンジョンの出入口に居並んでいた執行部員達も、神宮寺にならって慌てて道を開ける。
神宮寺の「ご武運を……」という不吉な言葉に見送られて。
久美子とダンジョン一階の安全圏へと移動した。
「久美子、付けられてないか」
「……ないわね、ここなら転移を使っても大丈夫よ」
神宮寺も、すでにバレてしまった密偵を再び使うほどバカではないか。
ウッサーも持って使っているかもしれないから、そのうち『アリアドネの毛糸』の効果も割れてしまうかもしれない。
それでも、神宮寺はどうも俺に敵対寄りだからできるだけ隠したい。
いくら執行部が俺の動きを探っても、転移を使えばそこで動きを捕捉できなくなる。それは良い。
だが、勘の鋭い神宮寺ならダンジョンをあまりに高速で移動できる俺の動きをおかしいと考えて、転移できるアイテムの存在に気が付くかもしれない。
いや、もう気がついているかもな。
まあそのときはそのときだ。
俺は、久美子に『庭園』に近い座標を教えてから、転移した。