50.猪神
地下十一階、この擬似的な荒野の階層はなるべく開放感を出すためにか壁が少ない。隠密を使わずズンズンと進んでいけば、遠距離の敵に発見されて囲まれるという結果となる。
むしろ、厳しい戦いを望む今の俺にはそれが求めるところだ。
「ほうっ」
ブンブンと空気を切って飛んできたのは、両端に岩を括りつけた紐だった。しかも何個もが一斉に飛んでくる。
ボーラという武器だったか、太い紐に巻き込んで相手の動きを封じる原始的な飛び道具である。
俺は回転する左右の岩の間を抜けながら、眼の前に迫ってきた紐を刀で両断した。
もちろんこんな攻撃、ゲームではありえない。猪人間どもが自分達で頑張って考案した武器なのだろう。
おそらく、他のモンスターの群れとの戦いに使うためなのだろう。
猪人達も、一階のオークとコボルトの対立と同じように、十二階層に住む狼男達との対立がある。
その争いのなかで、集団戦闘を覚えたのだろうか。
学習するモンスターか、面白い。
俺は、ボーラを投げてきた数体の猪人間を順々に斬り刻みながら、笑いが抑えきれなかった。
頭を蹴り飛ばせば頭蓋骨が砕け、孤絶で叩き斬れば粗末な鉄の鎧ごと骨髄が折れるほどのあっけなく倒せる敵だが。
雑魚なりに生きようと必死に知恵を絞って打ちかかってくるところは手応えがある。
ゲームのときよりも動きは良いので、どんな予想外の攻撃を仕掛けてくるかを楽しみにしておこう。
この階層に何体居るのかは分からんが、猪人間の群れ全てが相手であれば対等な勝負になるだろう。
「さあお前ら、どうした。敵はここだぞ! どんどんかかってこい!」
俺の挑発に業を煮やしたのか、四方八方から猪人間どもが怒りの雄叫びを上げながらやってくる。
今度の連中は、先っぽにたくさんの刃物がついた鋤のような武器で突き掛かってくる。
一撃では殺せないと見て、相手に手傷を追わせて、行動を掣肘しようとする攻撃のつもりか。
その後ろからは、スリングのようなもので石礫を飛ばしてくる奴もいる。
まるで原始人がやるような泥臭い戦法だが、意外に効率的だ。こいつらは、意外に頭が良い。
こう囲まれるとすべての攻撃は避けがたい。石をかわしながら鋤の先を刀で叩き斬っていくのは、なかなかに難儀した。
それでも、力の差がありすぎる。俺に積極的に打ちかかって来た三人ほどが、孤絶が巻き起こす砂煙とともに血まみれの肉塊と代わったのを見て。
武器の先を断ち切られたやつらが、脱兎のごとく逃げ出そうとした。知恵があるから、恐怖も感じる。
「逃さねえよ!」
俺は懐から投げナイフを取り出して、放り投げた。
みんな何らかの魔法でプラスの補正がかかっているナイフだ。
サクッと背中に突き刺さると、悲鳴を上げて地面にのた打ち回った。
まあ、一撃では死なんよな。
俺は積極的に打ちかかってくる奴らを野太刀を振り回して斬り刻みながら、逃げる奴には飛び道具を背に投げて傷つけて動きを封じた。
十匹以上のモンスターの群れに囲まれたところから、一人も逃さずに殺せるかという勝負である。
全員が死に物狂いで攻めかかってくるか、それとも脱兎のごとく逃げ出せば打ち漏らしもあろうが。
実戦というのはなかなかそうはならないようだ。
積極的に攻めかかってきた八匹を殺して、逃げようとした三匹の頭を踏みつぶして砕くのにそう長い時間はかからなかった。
雑魚相手に遊んでる暇もない、どんどん進もう。
「ほう……」
猪人間どもの集落にほど近い次の広場には、十騎ほどの騎兵隊が待ち構えていた。
騎兵と言っても乗っているのは馬ではない。荒野に住む馬よりもずっしりと大きくて重量のある狂牛に、猪人間達がまたがっている。
この階層に現れた冒険者を退治するために派遣された異形の騎士団といったところか。
隊長格と思われる、枯れ草色の立派な鬣の猛獣めいた凶暴な顔つきをしている猪人間が、俺に向かって長剣を振り上げた。
かかれという合図とともに、十騎の騎兵隊が突進を仕掛けてくる。
ダンジョンで騎兵とは、ちょっと驚かされた。
猪人間が乗り物として別のモンスターを飼い慣らすとは、実に面白い。
十騎の突進による物量はそれ自体が凶器だ。
下手に後ろに逃げると突撃に巻き込まれて蹴散らされる。
ならば、前に進む!
俺は刀を強く握りしめて、突進を仕掛けてくる騎兵に向かって突貫した。
待ち構えていた猪人間の騎兵も、まさか俺が向かってくるとは思わなかったのだろう。俺の目前にいた騎兵は狼狽した様子で手に持った長槍を突き出したが、そんな気の入っていない突きが当たるわけがない。
俺はさらに、体勢を低くして突撃してきた狂牛を頭からケツまで貫き通した。
ズンッという身体がはじけ飛びそうな重量を歯を食いしばって受け止める。
「おらっ!」
そのまま、串刺しになった狂牛を持ち上げると乗っていた騎兵は、叫び声を上げながら地に落ちた。
牛ごと振り下ろして、叩き潰す。
猪人間の騎兵どもは、そのまま勢い良く突進して通りすぎてしまったようだ。
まぬけだな。何騎で来ようが、面をつけば一騎を相手にするだけでいいなら意味が無いだろ。
俺は、背中を見せた猪騎士達を襲って後ろから斬り捨てた。
狂牛などに乗っているから、容易にUターンできない。
一気に二匹、後ろから簡単に首を斬り捨てることができた。
機転の利く騎兵は、狂牛から飛び降りて長槍を構えて刃を突き立ててくる。
俺は慌てずに、刀を振るって突きつけられた槍の穂先を叩き斬り、頭を叩き潰した。
これで四匹。
一匹がそうしたのを見て、慌てて三匹が飛び降りてくる。
走って行って、手近な一匹を斬り捨てる。
二匹の猪槍兵が相手だが、槍を切り落として叩き切る。
これで七匹。
乗っていた騎兵が居なくなった狂牛は、一目散に逃げ出している。
そいつらも追いかけて殺そうと思ったが、残り三騎がやってきてしまった。
「先程の騎兵隊長か」
「グルルルルッ」
おおよそ知性は感じさせない凶悪な叫び。
だが、その眼に宿った殺気は十分だ。いいだろう相手をしてやる。
まず左右の騎兵が長槍でつきかかってきた。
その突き斬り、かわして、本命の騎兵隊長だろうとと思ったら、これは驚いた。
乗せているだけの狂牛のほうが、先に角で俺を突いてきた。
慌ててかわすが、体勢が崩れてしまったところに突き上げてきた騎兵隊長の一撃。
それはさすがに避けきれず、ガチっと当たってしまう。
もちろん、強固なミスリルの鎧は鉄の槍の刃など通さないが、猪人間風情に当てられるとは。
「俺もまだまだか」
孤絶を振り回して、一気に二匹を斬り殺す。
あとは騎兵隊長だけだ。
「なんか、言い残すことはあるか」
「グルルルラァ!」
何を言ってるのか分かんねえよ。
そう思いながら、二段突きで乗っていた狂牛もろとも一気に屠った。
猪人間の断末魔の叫びとともに、突き刺した傷口から吹き出す生暖かい血を全身に浴びる。
強敵相手なら、悪くない手応えだ。
「ふうっ……」
辺りには死体が転がり、血だらけになっている。
たった十騎を相手に疲れていてはいけないなと思いながら、ちょうど良いところにあった泉を見つけて少し休憩を入れる。
俺はヘルスとスタミナをポーションで回復して、水を飲み和葉の作ってくれた弁当を食らった。
和葉の料理スキル補正を与えてくれる弁当を使うと、やはり力がみなぎる。これに、上限までポーションによる能力値上昇補正をかければこの先も一気に突っ切れる。
立ち上がった俺は、猪人間の本拠地に向けて走りだした。
天井が高く、壁の向こう側が見えないほど広大な大広間に入る。
このエリアには、猪人間の集落がある。その最奥が区切られず、そのままボスの部屋にもなっている。
円形に築かれた柵の中に、枯れ木と枯れ草を積み上げた粗末な集落が立ち並んでいるが、村の中に立ち入っても行っても人っ子一人いない。
「どうして出てこないんだ」
ゲームのときの本拠地なら、のんきに焚き火を囲んでいる猪人間どもが次々とかかってきて面白かったんだけど。
とりあえずもっと調べてみるかと進んでい行くと、本拠地の真ん中に小山ほどの巨大な猪がいた。
「いきなり、ボスがお出ましか」
黄金色の猪神、古ノルド語で「恐るべき歯を持つ物」という意味である。
本拠地の奥に住む黄金色の猪神は、猪人間どもの母神である。
雄しかいない猪人間は、全てこのボスが産み出しているのだ。
猪人間なのに、その生態は女王蟻を抱える蟻社会みたいになっている。モンスターの生態まで考えてあるジェノリアは面白いものだ。
「愚かなる冒険者、我が領土に足を踏み入れたことを後悔するがいい!」
空気をビリビリと震わせる、黄金色の猪神の大声。
こいつは、人間の言葉が話せる知性があるらしい。
それにしても、地下十一階のボスにしてはかなり大ボス感出してくる。
そっちがその気ならこっちも付き合ってやろうと、野太刀を振りかざしてそれらしい口上を述べた。
「後悔するのはお前だ、猪神!」
「こしゃくな虫けらがッ!」
後は言葉は要らない、小山ほどの巨体の猪神が蹄を蹴ってまっすぐ突っ込んできた。
こいつはバカみたい高いヘルスとパワーを誇るので、常道としては接近を避けて遠距離攻撃を繰り返すのだが。
俺はここもあえて突貫。
そうじゃないと、面白くねえし。ジェノリア最強クラスの馬鹿力、試してやろう。
突き上げてくる巨大な牙に孤絶の刃で受け止めると、全身の骨がバラバラになったんじゃないかと思うほどの衝撃が走った。
踏ん張った足は太腿まで地面にめり込んでいるが、ミスリルの鎧の防御と高いランクに加え、各種補正がかかっている俺の身体はその圧倒的な重圧に耐え切った。
「おらっ、どうしたよ」
「……」
あえて力の差を見せてつけてやったのだ。「バカなっ!」とか言ってくるかと思ったが、敵は無言。
その代わりに感じたのは無数の殺気、周りを見回すと俺は無数の猪人間どもに囲まれていた。
その数たるや百体を超えている。もはや、猪人間の軍隊といっていい。
ゲームのジェノリアのときは階層全体でもせいぜい五十体だったのに。
こいつら、ここまで増えやがったのか。ボスがこれ見よがしに決戦を挑んできたのは、俺を部下の猪人間どもと数で囲み潰すための罠だったようだ。
モンスターのくせに伏兵戦術とはやってくれる。
槍や斧をかまえて、俺を押しつぶそうと迫ってくる百体の猪人間の群れ。
神クラスの強敵である黄金色の猪神と力比べしながら、これは相手を仕切れない。
「しゃあねえな……」
階層主が伏兵を使うとは、敵もゲームのときより手強くなっているわけだ。
ここまでやられてはしょうがない、俺も死力を尽くすことにした。
重たいリュックサックを肩から下ろして、身軽になった俺は自ら制限していた攻撃魔法を解禁する。
「上級 炎 飛翔!」
炎球の魔法で、後ろから囲み潰そうとしてくる猪人間どもを押し返す。
炎の攻撃の長所は、単純な攻撃力ではない。強烈な灼熱は、生物に本能的な恐れを抱かせ足を止める。
「熱量 炎 電光」
次に魔闘術で両足に通るマナをオーバーロードさせて、爆発的な勢いで跳び上がる。
本拠地の近くはボス部屋になるので、天井は高めなのだが、それでも四メートル頭上の壁に一瞬で到達。
天井を蹴って、グルッと視界が展開。
その反動の勢いで俺が目指すのは、黄金色の猪神の頭だ。
巨大生物の弱点は、脳か心臓と相場が決まっている。
猪神の巨体では心臓まで孤絶の刃が届かない以上、頭を潰すしかない。
孤絶を貫き通した瞬間、ブルッと小山ほどの巨体が震えた。
敵は迫ってくるし、孤絶を引き抜く時間はない。俺は、刀から手を離して地面に飛び降りる。
懐にいれていた、投げナイフで目の前にいた猪人間の一体を突き刺す。
取り落とした斧を奪って、左右の猪人間に向かって振った。
「上級 炎 飛翔!」
炎球で、後ろから近づいてくる連中を焼き殺す。
まだ全然マナが尽きた感じはない。魔術師としての上限値も上がっている。
気合を入れないと。
ボスは落とした。あとは目の前の敵を殺し続けるだけだ。敵の武器を奪ってでも、百体殺し尽くす。
「うおおおっ!」
俺は気合の叫び声を上げながら、力の続く限り足を使い斧を振るう。
斬り殺す敵はそれこそ無限に湧いてくる。
「はぁ……」
全力の俺が群れを半壊させても、敵は逃げなかった。
本拠地を落とされたら終わりだってことが分かっているのだろう。
こいつらは、顔は猪だが働き蟻そのもので、巣を守るためには死力を尽くす。
自分が言ったことだが、まさか本当に猪人間全てを相手に戦うことになるとは思わなかった。
「中級 放散 刻限 敏捷」
定期的にスローの呪文をかけている。炎球の牽制より、マナの節約になると考えたからだ。
四方は、敵で埋め尽くされている。一手間違えば、そのまま数で押し潰されて死につながりかねない。体感速度を上げれば、ミスは少なくなるだろう。
斧を振るう手を止めれば死ぬ。前の敵を斬り飛ばすことで、自分の生きるスペースを作る。そうしなければ、ミスリルの鎧の守りがいかに硬くても、数で押し切られるされる。
普通に戦えばただの雑魚でも、こうなるとギリギリの緊張感がたまらない。脳に溢れたアドレナリンが耳から垂れてきそうだ。
死に近づくことを楽しいと感じてしまう俺は、もうまともな生活には戻れないかもしれない。
夢中になって斬り刻むうちに、ボスの部屋の壁にぶつかった。勝ったなと思う。
これで四方の敵が三方になった。もはや何体殺したかも分からないが、だいぶ敵も数を減らしている。
あとは、壁を盾にして――
そのとき、あり得ない光景に、俺の思考が止まった。
頭を深々と孤絶で突き刺された黄金色の猪神が、自らの眷属である猪人間を弾き飛ばしながら、俺に向かって突進してくる。
怒りに白濁した猪神の眼は、俺を殺すことしか考えていなかった。
「クソッ、こっちは得物をくれてやったんだぞ」
頭を貫かれて死なないとは。
あれこれ思考している暇はない。ここは、死地だ。
「熱量 炎 電光」
俺は、猪人間から奪った長槍を手に握りしめて、空へと跳んだ。
脳を潰されて思考力を失った猪神は、そのまま壁に激突する。巨体がぶち当たったせいでダンジョンそのものが震撼するが、もちろん、そんなもので猪神は死ぬまい。
俺は天井を蹴って反転、猪神の背中を狙う。
脳がダメなら背中から心臓を貫き通すしかない。手に持った槍で、毛の生えた巨大な背中を突き刺した。
「どうだ!」
「グワアアアァァ!」
暴れまわる猪神の叫び声だけで、鼓膜が割れそうだった。
いまこいつの背中から振り落とされるわけにはいかない。こんな敵と正面からぶつかったら、こっちが押し潰される。
これでも死なないか。
俺は死ね! 死ね! と力を込めて、槍を猪神の背に押し込む。
俺はゲームではこいつを一度倒している。
この位置が心臓で合っているはずだ。まだ届かないのか。
こうなったらこうだ!
「放散 創造 敏捷!」
俺は、跳び上がると魔闘術を込めた拳で、槍の柄の先端を思いっきり殴りつけた。
ズブッと猪神の巨体を長槍が貫通する。
その途端、暴れまわっていた猪神の動きが弱まり、やがてその巨体を地に伏せた。
心臓を潰すことでようやく死んだ。
俺は巨体の上を歩いて、猪神の頭から孤絶を力を込めてゆっくりと引き抜いた。
あとは周りにいた猪人間どもを血祭りに上げるだけだ。
かかってくる残存の猪人間も。
母神を失ってどこへ行こうというのか逃げ惑う猪人間どもも、全て斬り捨てた。
「さてと……」
全てをやり終えた俺は、出現したボスの宝箱を開ける。
十二階への扉を開く猪の鍵とともに手に入れたのは、マナ増幅器であるムーンストーンだった。
持っているだけでマナの総量と回復速度が上がるアイテムだ。
そこまで高い効果はないが、これはアイテム扱いなので持っているだけで効果を発揮する点が長所だ。
アミュレットの装備枠を潰さないので、持っていても邪魔にならない。
そのうえ、いくつも持って効果を重複させることすら可能である。それだけにレアで、手に入れるのは難しいが。
さて、十二階への扉の前に立った俺だが……。
なんとなく嫌な予感がしてさらに進むことを避けて、一旦街に戻ることにした。
ちょっと帰還には早いが、これだけ経験値を積めば職業ランクが上がるかもしれない。
結局、手を尽くさなければ地下十一階層を死滅し尽くすことが出来なかったわけで、油断は死につながると思える。
いまの俺の実力では、紅の騎士と当たってしまってもまともに戦えない公算が高い。
ここは、ランクの上昇を優先させるべきだろう。