48.転がった先にぶつかり合う
転移で『庭園』に戻ると、和葉の姿が見えない。
嫌な予感しかしない。
「まさか、また風呂に入ってるとかないよな……おい、竜胆!」
ログハウスの風呂に向かって声をかけてみる。反応なし。
念の為に中の気配を探ってみるが、本当に誰も居ないようだ。開けて確認は……しておくべきだよな。
「おい、開けるぞ」
ギッと扉を開けるが……中にはいなかった。だよな、さすがにない。
ヒノキで出来た風呂桶からは、ちゃんとお湯が抜けている。だから、いきなり湯舟に潜っていてザバーンと飛び出てくる、なんてことはない。
なんだか発想がゾンビ物だな。中に入り風呂桶の中を覗くが裸みたいなカッコで掃除してるってこともない。漫画じゃあるまいし、ラブコメのお約束みたいなことは、そう何度も起きはしない。
しかし、お湯がきちんと抜けてるってことは、排水口も作ってあるってことだ。
「見れば見るほど、よくできてる……」
木材を切り出して作られた風呂桶は、木の香りが強い。大工道具は揃っているとはいえ、ずぶの素人が平らな板を作れるものだろうか。
力任せに木材を積み上げたログハウスだけなら俺でも造れそうには思う。
だが、水が漏らないようにしないといけない風呂桶には、緻密な製造技術がいるはずだ。
これが数学的な才能を持つ瀬木なら、もともと設計や工作が得意だから作ってみせても不思議はないが、ただの家庭的な女の子がやった仕事とは思えない。
ダンジョンの中では、生産系にも技術的な補正があると言うことかもしれない。上等な造りで落ち着く香りだ。ドラム缶より、よっぽど入り心地も良いだろう。
ここで和葉は、毎日風呂に入っているのか……そういえば少し甘い香りが混じっているような。いや、あんまりそんなことは想像しないほうがいい。
「さて、本当にどこに行ったやら」
住居のほうにも居ない。
畑を作ってるらしいから、森の方に手入れに行ったのかもしれない。
そこまで見に行っても良いが、そこまで焦ることはないか。
それより少し休もう、強い喉の渇きを覚えた俺は湖に近づいた。
遠方にキラキラと落ちてくる小さな滝がザーッと流れるを聞きながら、異常なほど澄んだ湖面を手ですくった。
水が清く舌に強い甘みを感じる。何らかの魔法的な不思議な力によって、創られた環境であることを感じる。
「ふうっ」
美味い水なのだから、それに越したことはないけどな。
時間にもっと余裕があれば、俺も和葉のように生産系スキルを実験してみたかった。
まるでここは、良くできたバーチャルリアリティゲームの世界のようじゃないか。
ここまでリアルでいながら、自由な生産ができるのことを目前にすれば、どこまでのアイテムが製造可能なのかとゲーマーの血が騒ぐ。
だが今は、紅の騎士との戦いが先決だ。
やはり、どんな場所であっても、なんでも自分の思い通りできないものだ。
俺は水を手で何度もすくって喉を潤していると、深緑に見える湖の底から何か黒い影が上がってくるのが見えた。
なんだ……巨大な魚でも跳び出してくるのか。
そう思っているうちに、それはみるみる大きくなっていき、ザバッと湖の中から姿を表した。
「竜胆!」
なんで湖の底から出現する。お前は、金の斧の女神か。
あまりのことに、俺は開いた口が塞がらなかった。
「あっ、真城くん」
「あっじゃねえよ。お前は、一体何をやってるんだ……」
水遊び……じゃないな。
手に銛を持って、大きな魚を突き刺している。なんだろ、鱒かな。銛なんてあったのかと思ったら、包丁を棒に括りつけた和葉のお手製だった。なんでも作りやがる。
「お魚、食べさせてあげようと思って」
「素潜りで捕りに行ったのか、どんなワイルドだよ。せめて釣れよ!」
釣竿がこれ見よがしに置いてある意味ねえじゃねえか。なんなんだ、そのバイタリティー。お前は、無人島生活満喫のバラエティータレントか。
料理スキルの補正は、性格まで変えるのかと思えるほどだ。大人しい性格だった和葉は、ここに来てからアクティブになっている。環境が変わって、ストレスがなくなったせいだろうか。
「しかも、お前また……なんて格好してるんだよ」
「えっ……おかしいかな。ちゃんと、水着は着てるよ」
布から水着を作ったといっても、和葉はまだ簡単な服しか作れない。
白い薄布を、ふくよかな胸と股間に巻いただけに等しい。
しかもびしょ濡れだから、もう完全に透けてしまっている。これならいっそ裸で泳いだ方がマシだよ。
水着のブラトップのほうが、スケスケなのは百歩譲っていいとしよう。だってさっき裸見たし、もう言わねえ。
だけど、白いパンツのほうが完全に透けて見えてるのは、なんか……強調されて余計マズいよ。
お前、その……もうちょっとなんとかしろと思うのだが、これはもうさすがに俺の許容範囲を超えて指摘できない。
ちょっと俺の口からは言えない。
のんきな和葉は、透けて見えてること自体にまったく気が付いていないようだから、俺も気が付かない振りをしておこう。
ただ、手入れしようにも、カミソリがないといけないわけかと気がついた。今度は、生活用品にさりげなく安全カミソリを買って混ぜておこう。
これはどっちかというと、気が付かなかった俺が悪いのかも。
「とにかく濡れたままじゃマズいだろう。俺はログハウスに入ってるから、着替えたら来いよ」
「うん、そうか。七海くんの話だね……」
笑顔だった和葉は察したのか、憂鬱そうな顔をした。
そんな顔してやるなよ。
ログハウスで待っている俺のところに程なくして和葉が来た。
濡れた水着のままならどうしようかと思ったのだが、和葉はちゃんと学校指定の制服を着ていた。きちんと長い髪を櫛で梳いて、しっかりと首元までボタンを留めている。制服はきちんと洗濯してあって、破れたところも繕ってある。
さっきの湖から出てきた和葉とは別人みたいだ。こうしてみると、七海修一の幼馴染にふさわしい美少女じゃないかと思える。
身だしなみは大事だ、これなら七海の心証が良い。ちゃんと考えてくれてたのだな。
これならイケるなと思った俺は、和葉に七海を勇気付けてほしいと。
できれば未来に期待を持たせて、頑張るように発奮させてほしいとお願いした。
「そうだな、ジェノサイド・リアリティーをクリアして学校に帰れたら、全てが元通りになるぐらいのことを……」
「それは、私に嘘を吐けってことだよね」
「……だな。これは気休めだよ。言ってしまえば、それは嘘にもなる。これが誰かの見た悪夢で、夢オチで全て元通りになればどれほど良いか知らないが、現実はそれほど甘くない。死んでいった人間は二度と蘇らないし、一度壊れてしまった関係は元通りにはならないだろう」
壊れたものは元通りになんかならない。それが現実。
なんでも取り返しがつくなら、誰も悲しまないし、いつだってハッピーエンドだろうよ。
「良いよ、真城くんの思うようにしてあげる」
普段は控えめな和葉が、強い調子で「してあげる」と言った。
和葉は、俺に恩を返すためにすると言っていた。これが取引だと思えば、俺も多少は気が楽になる。
「おそらく七海は、連絡を待ち続けているだろうから……頼む」
「じゃあ、真城くんは七海くんと話してある間は、私の手でも握って側に居てね」
「おい、ちょっと待て……手を握れってどういうことだ」
「テーブルに向かい合わせに座っていれば、話している七海くんに真城くんの姿は見えないでしょう。それとも、それは怖い?」
もし「何か問題があるか」と聞かれれば、「問題おおありだ!」と返せたが。
安い挑発だと分かっていても、「怖いか」と聞かれたら拒否するわけにはいかない。
「ええいっ、分かったよ。じゃあ、そうしてやる」
「うん、真城くんが手を離したら……私はそこで話すのやめるから」
こいつ……まさか、俺を脅してきやがるのか。
だったらいい度胸だと思ったが、そうではなかった。テーブルに向かい合わせに座った和葉の手は、少し震えている。
和葉にとっても、七海は大事な幼馴染だったのだ。
それが、たとえ過去形であったとしても、過去はなくならない。和葉なりに悩みぬいて七海と決別したものを、俺の都合でまたそれが元通りであるかのように演じなければならない。
何のために和葉が装いを整えてきたのかと考えれば、和葉を脅して酷なことを要求しているのは俺だと気がついた。
和葉は、たとえば「七海を勇気づけないと多くの生徒が死ぬぞ」なんて、そんなクソみたいな説得では動かない。
だって街の生徒どもは、和葉を無視して、拒絶して、虐め抜いて、爪弾きにした連中なのだ。
和葉にとって、死のうが生きようがどうでも良い連中。むしろ死んでくれたほうがいいクズ共。そいつらを助けるために頑張ってくれなんて、どの口が言える。
「竜胆、俺のために七海をしっかり騙し切ってやってくれ」
「分かってる。私は真城くんが居てくれたら、ちゃんとできる」
これは、俺の責任だ。俺は自分の都合で、七海の気持ちも、和葉の気持ちも利用するのだ。
それを忘れないように……ああそうだ、こっちも忘れていた。
「これは、七海から竜胆に渡してくれと託された『神秘の護符』だ。これはジェノリアでもこれ以上ないぐらい貴重な守護効果のついたアイテムだ。それを渡すのは、七海の真心なんだろう」
「そのプレゼントを、受け取った振りをすればいいんだね。喜んで見せればいいんだね」
そう俺に何度も確認と取るように尋ねる和葉の微笑みは、いっそ凄絶といえるものだった。
いつものぼんやりとした顔ではない。男を騙しきる覚悟を決めた女の顔をしていた。俺が、そうさせる責任を取らなくてはならないと思えば、心苦しい。
「その、そうだな……頼む」
「分かった、じゃあ始めるね」
和葉は、俺がテーブルの上に置いた『神秘の護符』を握り締めると、テーブルの上に載せた『遠見の水晶』に向かって、七海修一の名前を呼びかけた。
俺の手を、握りしめたまま。
「和葉……和葉なのか!」
「うん七海くん、私だよ」
和葉の優しい声色。
だからこそ、俺には痛く聞こえる。
「良かった和葉、無事だったんだね」
「おかげさまで……いや、七海くんにそういう言い方はおかしいかな。私が無事なのは、真城くんのおかげだから」
そう言いながら、和葉は俺の手のひらを包み込むようにぎゅっと掴む。
俺は二人の会話を側で聞きながら、自分がここにいるのが七海にバレるのではないかと気が気でないのだが、息を殺してなんとか耐えた。
「そうだね、和葉……すまない。不甲斐ない僕は、和葉が辛いときに何の役にも立てなかった、それどころか僕のせいで酷い目に合わせてしまって」
「もう気にしないで、七海くんのせいじゃないよ。七海くんに悪いところがあったとしても、私も一人で落ち着いて考えて、許そうって思えたから。私と同じように、七海くんも大変だったんだよね」
「ああっ、和葉……ありがとう」
七海の嗚咽。
和葉の『許す』という一言を、七海はどれほど渇望したことか。
だがその言葉が偽りだと気がついたとき、和葉が本当は許してなどいないという事実を七海が知ったとき、一体どうなってしまうのか。
俺は考えたくもない。
それまでに、この危険なゲームを終わらせるしかない。
ある意味、それこそがタイムリミットだ。
「ほら、ちゃんともらったよ。七海くんからのプレゼント。真城くんから聞いたけど、『神秘の護符』っていう凄いアイテムなんだってね。私は、これが守ってくれるから大丈夫だね」
「もしかして、そこにまだ真城くんは居るのか……」
俺は、心臓が止まりそうになった。どこかに、七海が疑うようなところがあったか?
身動きするわけにはいかない。逃げようにも、俺の手を握り締める和葉の力は、どんどん強くなっていく。なんだこの苦行。
和葉は、優しい笑顔を水晶に向けて答えた。
「ううん、どうして?」
「いや、ならいいんだけど」
「真城くんは、ちょっとそっけないよね。私にこれを渡したら、また冒険に行っちゃったよ」
「そうか……変なことを聞いてしまってごめん。そちらの様子もよく分からないから、和葉のことが心配で、僕は少し神経質になってしまっていたみたいだ」
俺からは画面に映る七海の姿は見えない。声が聞こえるだけだ。
逆に言えば、俺の姿は見えなくても七海にも音は聞こえているはずだ。七海の息遣いが、まるでこちらの状況を探っているように感じて、俺はドクドクと高鳴る心臓の鼓動すら聞こえるのではないかと恐れた。
なぜ和葉は、こんな苦行を俺に強いるのか。
それは聞くまでもないだろう。和葉は、俺を罪に問うているのだ。
この残酷な嘘を吐くことを自分に強いているのは、お前だと責めているのだ。
和葉が今感じているであろう心の痛みを、俺にも味わえということなのだろう。
だからこんなにも、握り締める手に強く力を込めて、決して離してくれない。
和葉の柔らかく包み込むような柔しい手にどれほど強く握りしめられても、俺の硬い手はどうってことないはずだ。
それなのに、その強さは俺の心には酷く堪えた。
つながった手が、まるで罪悪感で俺を縛る手枷のように感じた。
「私は大丈夫だよ。ここはモンスターもいなくて安全だし、見て分かるだろうけど部屋には一通りのものが揃ってるから、生活にも不自由してない」
「それでも、もう一度安全な街に……いや、すまない。和葉が元気にしているならいいんだ。元気な声が聞けて本当に良かった」
だったらさっさと通信を切って欲しいのだが、久しぶりに話せたのがよっぽど嬉しかったのか、七海はとりとめのない会話を止めようとしない。
それに少し焦れたのか、和葉は俺の手のひらの真ん中を親指でこねくり回しながら、適当に応対している。
そんな真似をされるとくすぐったくてしょうがないのだが、一言も発するわけにいかない俺は必死に声を殺す。
俺が悪いのは分かるけど和葉、ちょっと遊び過ぎじゃないか。
「街には戻りたくないけど、もう一度学校に戻りたいね」
「そうだな、そのために僕は頑張るよ。一刻も早くこのゲームをクリアして、和葉を元の日常に戻してみせる!」
上手い誘導だ。
そうやって、頑張ろうって感じで終わらせてくれ。和葉は、俺の指を弄ぶのにも飽きたのか、不意に手を離してくれた。
「うん、ごめんなさい。私は、頑張ってる七海くんに何もできなくて……」
「良いんだ。僕は、和葉が無事でいてくれるだけで頑張れる。必ず君を元の世界に返してみせると誓う!」
ホッとしたのもつかの間、和葉はまた手を伸ばし、俺の手を弄って俺の指という指に、ほっそりした指を全部絡ませてきた。
ちょっと和葉、なにを考えている。俺は今、緊張ですごい手汗かいてるんだけど……いいのかよ。
さすがに遊びが過ぎる。そう思って不満気な視線を向けたら。
和葉は画面の向こうの七海ではなく、俺に向かって直接微笑みかけたので俺は背筋がゾクッとした。
コイツ……。
一切の動きを封じられた俺の手を、和葉は絡めた指でぐっと引き寄せて、言う。
「ありがとう七海くん。期待してるね!」
「もちろんだ和葉、元の世界に戻ったら、君に伝えたいことがあるんだ」
「それは戻ったら……ちゃんと聞くよ」
「ああっ、一刻も早くその日を迎えられるように僕は頑張る。それじゃあ、また……」
名残惜しそうな七海の声がゆっくりと小さくなって、プツンと音を立てて通信は途絶えた。
すっごい疲れた!
「竜胆……お前なぁ!」
「今日は、このまま手をつないでてね」
「ああっ?」
「私は、それぐらいの働きはしたと思うけど……」
「助かったのは感謝するけど、手をつないだままとか意味が分からないんだが」
「さっきのお魚、新鮮なうちにさばいちゃわないとね。真城くん、何が食べたいかな。和風、洋風? お刺身にしても大丈夫なのかな、煮付けも美味しそうだけど」
いや、待て待て、何が食べたいかなじゃねえよ。
俺がいうことも聞かず、和葉は俺の手を握ったまま、片手でテキパキと料理をこなした。
料理スキル補正すげえとしかいいようがないし、手を離せと言えない異様な凄みが今日の和葉にはあった。
明るく振る舞いながら、やはり嘘をつかせてしまったことで酷く傷つけてしまったのかもしれない。
そう思ったら、ちょっとおかしなわがままぐらい、バツゲームと思って付き合ってやるかという気にさせられた。
全ては身から出た錆だ。
さすがに片手では飯を食うのは無理だと言ったら、ようやく手を離してくれた。
「そうだ、真城くん。この『神秘の護符』いる?」
「竜胆が持っていようとは……思わないよな」
俺がそう言いかけたら、和葉の笑顔が深まった。
さっきちゃんと言ったじゃないか「受け取った振りをする」と。俺がいらないと言えば、その場で捨てるかもしれない。
「分かったそれは俺がもらう。使えるアイテムだからな」
俺が『神秘の護符』を付けるために、自分がこれまで付けていた疾風の腕輪を外すと。
和葉が、すかさずそれを受け取った。
「これは、私がもらうね」
「まあ、それはいらないから勝手にしろ」
「うん、真城くんの匂いがするね」
「どうでもいいけど、ちゃんと洗って使えよ!」
食事の前にびっしょりとかいた手汗を澄んだ湖の水で清めようと、しゃがんだとき。
湖面に映った自分の苦笑をしげしげと眺めて、信じられないぐらい遠くまで来てしまったものだと独りごちた。
今俺が置かれたこんがらがった状況を、ジェノサイド・リアリティーに来る前の俺に説明して、トラブルに巻き込まれないように気をつけろと言っても、きっとバカを言うなと信じないだろう。
世の中ってのは、そのバカげたあり得ないことばかり起こるものなんだぜ
孤高で生きようとしても、まるでビリヤードの玉のように運命のキューに弾かれて、他の玉とぶつかり合う。
閉じられたダンジョンの中はまるで、玉がひしめくビリヤード台だ。
結局、どこまで行っても一緒か。次に何が起こるかなんて誰にもわからないが。
前に進むには、邪魔な他の玉を弾きつつ、まっすぐに転がっていくしかない。
転がっていくならば、俺はやはり一番前がいいからな。
とりあえず地下十階まで攻略ということで、次回からは後半戦スタートかなとも思っております。
ところで、現在の総死傷者数のお尋ねがありましたが、確認できてるだけで。
総数百八十六人に対して、今回黒の騎士に殺された、七海ガールズ五人、アスリート軍団二人死亡を加えて。
総死亡者 七十八人 生存者 九十八人です。