26.均衡を崩す『侵攻』
敵を前にして、硬直している場合ではない。俺が固まってしまったのは、一秒にも満たない刹那。その刹那の隙でも、敵の先制攻撃を許すには十分な時間といえる。
俺は、思いっきり後方へと跳び退った。
「うわっ」
全身鎧の重たい見た目よりも随分と素早く深い斬り込み、俺の頬スレスレを黒死剣が通り過ぎて、鎖帷子の腹を剣先が削る。
まさに皮一枚だが、こんなにギリギリに避けるつもりはなかったので焦る。
なんと重い剣だろう。鎖帷子の防備など、ほとんど問題にならずに斬り裂かれてしまう。
重いだけなく速い。ガシャン、ガシャンと重い甲冑を引きずるような足取がフェイントともなっている。
これが十四階層の敵か。空を切る斬撃の速さも、深さも、力強さも脅威になる。
練達の技によるものか。
……いや、技だけじゃない。
焦っていたこともあったが、黒の騎士の不可思議な動きに、なんとなく不可解な感じがした。
だからいつもの紙一重のかわし方ではなく。
全力でバックジャンプしたのだが、それで紙一重だった。なんだか、間合いが誤魔化されている気がする。
斬り込んでくる瞬間に敵の動きが、急に早送りになったような。
何だこの変な感覚、とにかくコイツラの攻撃を避ける時は下手に体感に頼るのではなく全力にしよう。
こんな剣士が、二人。
しかも、今の俺は疲弊している。マナ不足で魔法も使えない。……考えれば考えるほど、ここは戦術的撤退しかない。
幸いにして黒の騎士は全身鎧のおかげで、攻撃の時は別として移動時は歩くことしかできない。
そこはゲームの時と一緒、相手との速度の差を考えれば十分に逃げられる。逃げるのは恥ではない。
だが、強い剣士と正面から殺り合いたい気持ちはある。
俺の剣士としての飢えだった、地下七階のエノシガイオスとの一騎打ちは良かった。
あれは、対等の戦士と戦っている実感があった。それが危険であればあるほど、命のやり取りの愉悦があった。
敵は他ならぬ剣士タイプだ。黒の騎士の黒死剣と、俺の『孤絶』どちらが強いか、試してみたい。
敵は二対一という優位にあっても、慢心せずに全力で攻撃してくる。
抜剣した黒の騎士は、左右から挟み撃ちするように俺に迫ってくる。
刃渡りの長い野太刀を振り回すスピードが足らず、両方からの斬り込みを跳ね除け切れない。
このままだと殺られる。
俺の心は熱く決闘を求めながらも、ゲーマーとしての脳は冷静に戦力差による結果を弾きだしていた。
まだ専門家に過ぎない俺の戦士ランクでは、黒の騎士二体と正面からまともに打ち合えば、もって五ターン。
脳裏に浮かぶのは、一ターンごとに削られていって五ターン目に致命傷を受け、黒の騎士二体に斬り刻まれて、自らの身体から噴きだした血溜まりに沈む俺の姿。
その敗北の幻視は、このまま進めばすぐに現実のものとなる。口惜しいが、やはり今の俺では、一度に二体を相手取るのは無理だ。
「ええいっ!」
刀を構えたままで、今一度後方へ跳ぶと、俺の眼の前で振り下ろされた二本の黒死剣がぶつかり合った。
まるで剣先が加速したように感じる。二体の黒の騎士は、機械のごとく正確に素早い斬り込みを仕掛けてくる。
知性のある生きた人間ではないのか、相手が黒鋼の全身鎧を身に着けていることもあって、ロボットを相手にしているような気分にもなる。
俺は、大広間から出て溶岩の通路の上を逃げる。
足を踏み入れればダメージを受ける溶岩の床の上を、平然と歩いて追ってくる。
ガシャン、ガシャンと音を立てて歩いているにもかかわらず、走って逃げる俺となかなか距離が広がらない。
こんなことあるわけがないのに。
まるで、遅延魔法を使われているような気分だった。
そうか、そういう魔法もあった。
相手を遅くする、自分の体感時間を早める、クイックの呪文。
「初級 放散 刻限 敏捷」
これはかなりの高位呪文。
一回で成功するとは限らないが、上手く行ったのか体感速度が上がった気がする。思ったよりも、俺の魔術師ランクは上がっているのかもしれない。
重ねがけしようと思ったが、言葉にならない。
マナは完全に枯渇。成功したのはいいが、ここで押し切られたらもう後がない。
俺は走って逃げながら考える、敵は十四階層から来ている。クイックの呪文を記した巻物をどこかで見て、学習していてもおかしくはない。
だが戦士系のモンスターはマナも魔術師ランクも低いはず、推測が正しければ初級で相殺できているはず。
「ハァ、ハァ……。早く感じるのは、俺が疲れているだけかもしれないが」
連戦の後でなければもう少し俊敏に動けたのだが、手持ちのポーションでスタミナを回復している余裕もない。
二体の『侵攻』というあり得ない事態を前にしては、もはや俺の持っているジェノサイド・リアリティーの常識は、完全に通用しなくなっていると考えたほうがいい。
本来は、力押ししかしないはずの黒の騎士が、遅延魔法を使ってくる、生きた相手。
「ハハッ、やってくれるな」
笑ってる場合じゃないんだけど、俺だって無駄に逃げまわっている訳ではない。
黒鋼の鎧を身につけて、いくら高い体力を誇るモンスターと言えど、溶岩の床にはダメージを受けているはずだ。
「そうだ、知恵があり学ぶということは、痛みや恐れを感じることでもあるだろうが」
俺を追ってきている黒の騎士は、恐れも興奮も知る同じ生き物でもある。
二体をバラけさせようという俺の翻弄にも引っかからない、敵は賢い。
じっくりと、二体で俺を追い続けている動きは、自立した知性を感じさせる。
機械めいた動きを見せていても、存外と歯ごたえのある獲物を前にして狩りの興奮に恍惚としているのかも知れない。同じ生き物なら殺せるはずだ。
「さあ、こっちだ、こっちにこい!」
俺は、敵を逃げまわりながら誘導して、予定した場所までくるとクルッと後ろを振り返る。
そして、二体の振り下ろす黒死剣を受け止めた。同時に扉のボタンを押す――
グワングワンと音がして、重い鉄製の扉が二体の黒の騎士の上に降りる。
一体は落下する扉を受けて肩を崩し、一体はガクンッと頭を横に折れ曲がらせた。
「どうだ、ハメ技の味は」
閉じる鉄の扉で相手の頭を叩く、単純な罠すぎて通用しないかと思ったが敵は動揺している。扉ハメは、喰らった経験がなかったようだ。
意表を突かれた、ということなのだろう。二体の黒の騎士は、俺に黒死剣を振り下ろしてくるがその動きは精彩に欠けた。
ガンッガンッと上から何度も降りようとする鉄の扉は、確実にダメージを与え続けた。予想外の攻撃に、引くかと思ったが敵は引かない。
これでも押し切れると、甘く見られているのかもしれない。そう思ったら、俺の心に怒りが燃えた。
「グッ、まだ!」
二体同時の斬撃に対応しきれなかった俺は、肩口に浅く一撃喰らってしまったが、扉の前を死守する。
地の利はこちらにある、このまま押し留め続ければ、敵は鉄の扉に押し潰される。
また腕を浅く斬られて、二体を一気に倒そうと狙うのは欲張りすぎると感じた。
俺は一体に攻撃を集中して、大きく突き技を喰らわせた。
ガシャンと右側の黒の騎士が向こう側に吹き飛ばされて尻餅をつく。
その隙に俺を攻撃しようと黒死剣を振り上げた左側の黒の騎士は、上から降り注ぐ鉄の扉の直撃を喰らってガクンと腰を落とした。
これでもう、相手は一体。
一対一、ならばっ!
上からは落ちてくる鉄の扉、前からは俺の振るう『孤絶』の斬撃、ついに黒の騎士は膝をついてガシャッと倒れこんだ。
そこに、ドスンと鉄の扉が落ちる。
重い扉と地面の間に挟まってついに硬い鎧が砕けた音がした。
黒の騎士は、そのまま動きを停止した。
「殺った……。ハハハッ、殺ってやったぞ!」
俺のランクで、十四階層の敵を殺った。
実質活躍したのは鉄の扉なので褒められたものではないが、攻撃魔法がほとんど効かない上に物理攻撃も強い黒の騎士二体同時で相手をしたのだから、大金星だろう。
少し休憩して、弱ったもう一体のほうも倒してやろう。
そう思って、ふと後ろを振り返って絶句した。
新たな黒の騎士が二体、通路の向こうから迫ってきている。
グワングワンと音がして、後ろの扉が開く。
先ほどの傷ついた黒の騎士が、ボタンを押して扉を開けたのだ。ジリッと黒鋼の剣を構えてこちらに近づいてくる。
完全に囲まれた。一気に三体の相手は……。
「無理だな」
頭の冷えた俺は、スッと横に移動すると、そこにあった落とし穴を作動させて下に落ちた。
※※※
「痛ッ……」
俺だって考えなしで動いているわけではない。
自分なりの安全マージンは取りつつ、考えに考えてあそこまで敵を誘い込んだ。
黒の騎士二体と殺り合って、もし殺れないと感じた場合は即座に逃げられるように落とし穴の側を戦いの場所に選んだのだ。
無理な体勢で三メートルほど落下したから、身体を激しく床に打ちつけて目に火花が散ったが、あの場で三体に囲まれて斬り刻まれてるよりはいいだろう。
リュックサックを漁り、すぐにポーションを飲んでヘルスを回復する。
俺は即座にこの階層からの撤退を決めた。落とし穴から階段を上がり、そこからさらに上の階層の階段へと退避する。
四体見かけたわけだが、敵が四体だけで来たとは限らない。
さらにたくさんの黒の騎士が群れをなして下から『侵攻』して来たなんてことも考えられる。
黒の騎士なんて、十四階層でもこんなにポンポン出てくる敵じゃないのに。
もうゲームだったときのジェノサイド・リアリティーの常識は、捨てるべきだと分かってるのだが。
モンスターも群れ、思考する、プレイヤーと考えるべきか。
そう思った俺の目の前に、黒い物体が落下してきた。
黒の騎士が俺を追って、落とし穴に飛び込んできたのだ。罠に自ら飛び込むというのは、これまでモンスターが絶対にやらなかった行動だ。
「ここまでやるかよ」
頑丈で寡黙な黒の騎士は、落下ダメージに対してもほとんど痛痒もなかった様子で、立ち上がると俺に向かって剣を突きつけてきた。
それに対して、俺が感じたのは恐怖ではなく。
強い怒りだった。
何の挑発だ、まるで俺を嬲るような行動。さっきから俺の意表を突くルール違反ばっかりやりやがって。
そっちがその気なら、こっちもチートを尽くしてやる。
「レトロゲーマー舐めるな!」
俺は飲み干したポーションを捨てると、リュックサックの中の大量の宝石を握りしめて叫ぶ。
「初級 放散 障害 創造」
黒の騎士目の前に青白い半透明の壁が出現する。
初級のウォールの呪文。創りだした壁の強度はさほど強くない、暴れまわられたらすぐに破壊されてしまうので、俺は何度も重ねがけした。
こうして一旦動きを止めておいて、次。
リュックサックの中からマナポーション代わりの宝石を握り、俺は新たに魔法をかけだした。
「中級 放散 刻限 敏捷」
失敗、高位呪文クイックの中級だからな。
だが、手元に宝石はたくさんある。成功するまでやる!
「中級 放散 刻限 敏捷」
成功、もう一度。
「中級 放散 刻限 敏捷」
失敗、もう一度。
「中級 放散 刻限 敏捷」
成功、もう一度だ!
「中級 放散 刻限 敏捷」
何度もクイックの呪文を重ねがけしたところで、俺は上級ランクのクイックアップを手に入れた。
ちょうど、そのころ緩慢な動きで眼の前の黒の騎士が透明壁を破るところだった。
俺に黒塗りの剣を振りかぶると、振り下ろそうとするが――
「遅い!」
黒の騎士が剣を振り下ろしたときには、すでに横に回り込んでいる。
「オラッ!」
俺は思いっきり横薙ぎに、『孤絶』をぶち当てた。
俺の戦士ランクでは、一撃で強いダメージを与えられない。でも、何度だって打ち続ければいいだけだ。
「グズめ、止まって見えるぞ!」
ようやく、こちらに向かって黒死剣を振り上げたときに、五回も叩きつけてやったから黒鋼の鎧の胴体はかなりひしゃげていた。
黒の騎士は、また緩慢に剣を振り下ろすが、難なくかわす。スピードがこれほど違うのだから、当たるわけがない。
「ウラッ、追ってきたことを後悔させてやるッ!」
本気にさせるのが悪い。俺は、日本に三人しかいない攻略サイト管理人だぞ。この段階で知りえないはずの魔法も全て暗唱できる。
ゲームバランス崩壊させるチートなんぞ、こっちだってやろうと思えば、いくらでもできるんだよ!
戦士ランクを鍛えるためにも、補助魔法なしで正々堂々とやりたかったのだが、ここまでやられたら武士道精神なんて言ってる場合ではない。
敵が先にあり得ない補助魔法を使ってきたのだ、こちらも使って悪い道理があるか!
俺は、緩慢な動きの黒の騎士を左右から殴りつけてボコボコにぶっ潰した。
「ハァ、ハァ……」
足元には、バラバラになった黒い甲冑が崩れて山となっている。倒せたのは良いが、こんなこと何度もやれない。
ヘルスやスタミナはポーションで回復できるが、疲労感が限界に近い。どこかで休憩を入れないとならないだろう。
七海たちのグループに拾わせてやろうと持っておいた宝石が、こんな風に役に立つとは思いもしなかった。
いや違うか……完全な攻略知識を有している俺が、ここまで追い詰められるとは、思ってもみなかったということだ。
もはや事態は、ゲームを楽しむなんて段階を超えている。
ああいいさ、向こうがなんでもありでくるなら、こっちもなんでもありで行くだけだ。
俺は新しい宝石を握り締めると、身体に防御力アップの補助魔法をかけて、クイックの呪文を唱えながら落とし穴から炎の回廊へと戻る階段を上がる。
回廊で待ち伏せていた黒の騎士どもが襲い掛かって来たが、遅い。
俺は『孤絶』を高くかざして、眼の前の敵に横薙ぎに叩きつけながら走り抜けた。
さらに前にも一体いたが、透明壁を出して足止めしてやる。
幾重にもクイックアップの呪文をかけた俺のスピードに、敵の緩慢な速度では追いつくことができなかった。
こうして、俺は黒の騎士の巣窟と化した地下八階を脱出して、一旦上の階層に戻った。
いずれは、こいつら全員叩き潰してやるつもりだが、相手をするには俺もさらに力を付けないといけない。
それに今は、この異常事態への対処が先だった。
個々の黒の騎士は機械的に襲いかかってくるだけだが、その集団の動きには明確な意図を感じる。
ジェノサイド・リアリティーのルールに反した強敵の上階への『侵攻』。いやこれはもう、攻勢と言ったほうが正しい。
ダンジョンの最奥から立ち上る邪悪なる意志は、ジェノサイド・リアリティーにいる人間全てに、新たな危険をもたらすことになるかもしれない。
悪い予感に突き動かされつつ、俺は上階へと向かう足を速めた。