22.庭園での休息
「さてと無事送り届けたから、俺はこれで行くぞ」
任務完了、さあ本格的な冒険に向かうぞ。
「真城くん、ちょっと待ってっ!」
「なんだ、竜胆。用事があるなら早く言え」
女の子の遅い足に合わせて来たから、だいぶ時間を無駄にしてしまった。
早く行かないとウッサーたちが追いかけてくる可能性もあるし、一刻も早く新しい領域の探索に向かいたくて気が急いている。
「あのっ、いきなりここに住めと言われましても、勝手がわからず……」
「そこのログハウスには必要最低限の家具は揃っている。畑には果物や野菜がわんさかなってるし、池の水は綺麗で釣り糸を垂らせば魚も結構釣れるぞ。そこのドラム缶で、五右衛門風呂もできる。ドラム缶の底にスノコを敷いて、薪で焚いて入ればいい、説明は以上だ」
「そんなに早口に言われても分かんないよ~」
「説明なんてなくても、だいたい分かるようにできてる」
こうしている間にも、他の連中だって頑張って冒険しているだろうし、俺が居ないことに気がついたウッサーたちに追いつかれたら事だ。
俺は誰よりも早く進まなければならない、のんびり庭園で休んでいる暇はない。
「こういうお風呂初めてで、そうだ真城くんもお風呂入ったほうがいいんじゃないかな!」
「風呂か、そういえば最近入ってないが……」
文明人だった頃は毎日入っていたが、好きで入っていたわけではない。最初の数日は多少気になったが、二日も入らないとまったく気にならなくなるものだ。
風呂に入らなくて死んだという話は聞いたことがない。命がけで戦ってる冒険者に、身だしなみを気にしている余裕はない。
「入ったほうがいいよ、このお風呂の入り方とかいろいろ教えて欲しいし……」
「竜胆、お前なんで俺をそんなに引き止めたがる」
もしかして、ここに一人で取り残されるのは寂しいとかなら。
そんな乙女チックな事情なら付き合いきれない。こっちは、遊びでやってるんじゃないんだよ。
「うん……。えっとそうだ。私、手紙を書きたいの」
「手紙?」
「うん、七海くん。私が突然居なくなったら心配するかなと思って。大丈夫だよって、手紙ぐらい書いて渡してもらったほうがいいんじゃないかな」
「なるほど、それは気が付かなかった」
「七海くんは常識的で良い人なんだけど、一度思い込むと一直線になっちゃうところがあるから、もし真城くんが私を攫ったとか、とんでもない誤解をしたら大変なことになっちゃう……」
「いや、さすがにそれはないだろ」
相手はあの学園一位の完璧イケメン、七海修一だぞ。
幼馴染が街から消えたら心配はするだろうが、そこまで話が通じなくなるとは思えない。
「念の為にってことなんだけど、今はこんな状況だから、ちゃんと七海くんが分かるように説明しておいた方がいいと思う」
「分かった。手紙を書くなら少し待ってもいい」
ちょっと和葉の言うことは大げさすぎるが、七海も幼馴染が街から居なくなったことに気がつけば心配するだろう。
七海修一は、生徒たちの暴発を防止する安全弁だ。俺が次にいつ地上に戻れるかは分からないが、手紙ぐらい渡して安心させてやったほうが良い。
「じゃあ私が、お風呂沸かしてみるね」
なぜ手紙を書くのに風呂を沸かすと思ったが、時間があるなら風呂ぐらい入ったほうがいいのか。
身体の疲労はポーションで治せるが、心の治療までは出来ない。たまには風呂で心を癒やすのも良いかもしれない。
「いや、風呂の準備は俺がやるから、お前はさっさと手紙を書け」
「うー、じゃあ私は御飯作る!」
「竜胆は、手紙を……まあいい、じゃあ飯でも作ってろ。風呂に入ると決まれば、さっさと沸かす」
飯はどっちにしろ食わなければならないのだから、作ってくれるというものを断ることもない。
ワイルドを気取っていても、巨大毒虫の生肉ばかり食いたいわけではないのだ。ここでまともな物が食えるなら、俺もありがたい。
俺は鎖帷子と服を脱いでパンツ一丁になると、ドラム缶を持ち上げて一気に小さな湖畔に飛び込んだ。
そして、ドラム缶を力ずくで水中に沈めて、また力ずくで持ち上げる。
いちいち桶で汲んでる時間がもったいないから一気にやる。バッシャーンと激しく水音が鳴って、水面が大きく波打った。
「よいしょっと!」
「すごっ、豪快だね……」
近くの畑で、野菜を採取していたらしい和葉は、水のたっぷりはいったドラム缶を担いでいる俺を見て呆れているようだ。
ちょっとキツイけど、これも肉体の鍛錬の一環でやっている。ドラム缶を担いで、何のランクが上がるかは分からないけどな。
「竜胆が自分で風呂を沸かしたいときは、木桶があるから、それで何度かに分けて水を汲むといい」
「分かったよ」
俺は、石組みの上に水が並々と入ったドラム缶を乗せると、ログハウスの横に備蓄してある薪を石の隙間にくべて炎球で火をつけた。
これで後は、焚けるのを待つ。俺なら熱めの湯がいいが、和葉が入るならせいぜい、三十分ってとこか。
今回はスノコを下に沈めない。俺一人ならそのままざぶんと入ってしまうのだが、和葉が入るのを考えるとちょっとワイルドすぎるので、適度にお湯が温まったら別のドラム缶にホースで移し替える。
そうすると熱すぎにならないので安全だ。サイフォンの原理で、高低差さえあればお湯はホースで簡単に移し替えることができる。
「それで、竜胆は何を作ってるんだ」
「お野菜があるから、ポトフでも作ろうと思って」
ポトフって女の子らしい洒落た言い方だが、ようは鍋の煮込み料理だな。
荒く切ったニンジン、タマネギ、カブ、セロリが鍋に浮んでいる。
和葉によると、食器棚に塩や香辛料、コンソメなどの調味料が揃っていたので、その味付けだけでも十分いけるそうだ。
「煮込み料理なら、肉がないと寂しいだろう。これを入れて見ないか」
「うえっ、なにそれ!」
俺はリュックサックから、巨大毒虫の肉を取り出す。
青と赤と緑が入り混じった、カラフルなお肉である。
「ほら三階にワームいただろ、あれの肉を後で食おうと取っておいたんだ」
「そんなもの生で食べたらお腹壊しちゃうよ!」
壊さないんだな、それが。
グロテスクなのは認めるところだが、他のモンスターの肉よりも瑞々しく保存期間も長く、安心して食える生肉である。
ゲームで大丈夫なのだから、ここでも危険などあるはずもない。
まあ、そう言いつつ俺も最初は用心して解毒ポーションなどを飲んでいたが、人体実験で大丈夫だと立証されている。
「大丈夫だ、何度も食ってるから生でも食える」
「ううっ、じゃあ私も少し……うん、思ったより癖がなくて淡白ね、まあこれなら」
俺はちょっと和葉を見なおした。ペティナイフでワームの輪切り肉を小さく切り取ると、水で洗って食べてみせたのだ。
俺も戦闘に次ぐ戦闘で、頭がおかしくなってたから食えたものだが、シラフの状態で巨大毒虫の生肉を食えるとは、コイツもどっかおかしい(褒め言葉)。
「さすが職業:料理人だな」
「その料理スキルって、いまいち分からないんだけど。私ゲームやったことないから、普通に作るだけ」
和葉がさっと捌いて、適度な大きさに切り分けた巨大毒虫の肉を大鍋に放り込むと、ポトフが毒々しい紫色になってしまった。
どう見てもマズそうなのだが、木皿に一杯もらって食べてみるとすこぶる美味い。
というか、なんだこれ。
胃の腑に落ちると、お腹が凄く温まってくる。身体がホカホカしてきて不思議だった。
巨大毒虫肉の鍋が、おふくろの味に早変わり。
いや、俺は父子家庭だったから、本当のおふくろの味なんて知らないんだけど、どこか懐かしいような味だった。
あのグロテスク肉が、まともな味付けを施すとこんなに美味しくなるんだな。
なんだか不思議と笑いがこみ上げてきた。美味しい物を食べると、人は笑うのだ。
「竜胆は、もともと料理が上手かったのか」
「うん、両親が共働きで私が作ることが多かったから得意かも。味は見たつもりだけど……美味しかった?」
俺は静かに頷く。もともと汁料理は好きなのだが、こんな味わいは初めてだった。
もしかしたら職業は、ランダムではなく本人の現実の能力に合わせて決まるのかもしれない。
お淑やかに見えて実は乱暴なウッサーや久美子が武闘家や忍者で、知的で優しい性格の瀬木が僧侶。
可もなく不可もなくの俺は中戦士スタートだったし、料理しか取り柄のなさそうな和葉が料理人か。
自分だって腹が減ってるだろうに、俺に先に食べさせて美味いというと幸せそうな顔で笑っている。
和葉を眺めていると、人に食べさせることが本当に好きなんだなとそこだけは微笑ましく思う。
初期職業が、本人の適性で決まっている公算は高い。
和葉のおかげで、またひとつジェノリアの謎が解けた。
「さて、飯も済んだし、風呂の準備は済ませてあるから、竜胆は先に入って来い」
「ええっと、私、あの……。すごく汚いから、真城くんが先に入って!」
汚いって、まあ和葉も、風呂に入る余裕などなかったのだろうけれど。
それを言えば、俺なんかもっとなんだよな。
「お前が汚かったら、俺は汚泥の塊だぞ。気になるなら、後でお湯を入れ替えてやるから先に入ってこいよ」
女の子だから、自分の残り湯に好きでもない男に入られるのは嫌なのだろう。
俺も自分が汚したお湯の後に入られると何か嫌だから、よく分かる生理ではある。
「それなら、私が先に入るけど……真城くん、絶対に覗いちゃダメだからね」
「修学旅行に来た中学生じゃあるまいし、覗かねえよ」
「……私、温まってから一旦外に出て髪をゆっくり洗うから、その間にそおっと見ても平気かもしれないけど、絶対覗いちゃダメだからね!」
「俺は仮眠を取ってるから、終わったら声をかけろ」
俺は、残りのマナを常時必要な強さポーションなどを作成して使いきってから。
ベッドで横になった。柔らかい寝床は久しぶりで心地良く、五秒で意識を喪失した。
ジェノリアに来てから、本当に寝付きが良くなった。
硬い石の床の上ですら熟睡できるのだから、ベッドならもっとであろう。
「……真城くん、真城くーん!」
「んんっ……なんだっ」
俺の安らかな眠りは、すぐにログハウスの外からの呼び声で目覚めさせられた。
なんだ騒々しい、そうか和葉が風呂から出たのか。俺は、すぐ起き上がるとログハウスの外に出たのだが、和葉はドラム缶風呂に入ったままだった。
「なんだ……まだ風呂から出てないのに、なんで呼んだ」
「ごめん、私のリュックサックから着替えとバスタオル取ってください……」
間抜けなことに、着替えやバスタオルを用意しておくのを忘れたらしい。
いろいろあって和葉も疲れていただろうから、仕方がないか。
しかし、女子のバッグを漁るというのは抵抗があるな。
着替えということは、下着も……ということだよね。
「おいっ……。一体何色のパンツを持っていけばいいんだ」
「何色でもいいから、あんまり見ないでっ!」
見ないで持っていけとは、理不尽なお願いだった。
これはさすがに見ちゃうだろ、出来るだけ大人しめのインナーを探したのだが、赤、黄色……紫のスケスケっておい、こんなの持っていけねえぞ。
俺はなんとか青と白の横縞模様で可愛らしいリボンがついたインナーを見つけ出し、寝間着になりそうな短パンとシャツとバスタオルも一緒に持っていく。
「着替えは、石の上においておくからな。バスタオルは……いや、バスタオルもここに置いておくから終わったら声をかけろ」
「うん……」
一瞬、バスタオルを渡そうなどと考えてしまったが、そういうわけにはいかない。
濡れた黒髪や、見ているだけで張りと艶があるのが分かる、ほんのりと上気した肌など目に毒過ぎる。
「まったく、無防備過ぎるんだよ」
俺は後ろを向いて、溜息を吐く。
俺だって女は好きだ。女の柔肌なんか、普段なら喜んで見させていただくけれども、今は見たくもなければ意識したくもなかった。
何というか、なんでだろう。俺の下半身がいつになく元気になっている。
あの料理を食ってから、身体が妙に火照ってしまって、それを抑えるためにも眠ったわけなのだが、催して収まりがつかない。
なんか元気になるものでも、入ってたのかあの料理。
いや、まさかな棚の調味料は念の為に確認したけど普通のものしかなかったし、俺の気のせいか、
下腹部を引き締めれば、こんなの気合で抑えられると思ってたんだが、なんでだクソッ。
和葉が、のんびり風呂に入っていた姿を見てしまって慌てて目を背けたが、柔らかそうな胸や太ももや尻の輪郭が……それぐらいで、こんなに興奮させられてしまったのか。
情けない……無防備で未熟なのは、俺の方だ。
ダンジョンで生の女なんぞ、見るものではないな。
「バカか俺は、ただでさえややっこしいことになってんのに」
和葉は七海修一の幼馴染だし、万が一何か間違いがあったらマズい。そうでなくても、今はそういうことを考えたくはない。
頭を冷やさないといけない。疲れているせいもあるな、きっと疲れてるんだ。
これからまた冒険に行こうとするのに、そういう日常を感じさせるものは、自分を弱くさせる。
たぶん、本当に強くなれば何事にも動じないようになる。笑顔で挨拶している相手とでも、次の瞬間に殺し合えるような男にも成れるだろう。
だが、そこまでは遠い。俺はまだ、抜き身の刃ではない。
斬るために、鞘に収められた刀身を引き抜く心構えがいる。感情をなるべく殺さなければ戦えない。
「真城くん、お風呂終わったよ……」
「ああ、そうか。竜胆は、もう休んでろ」
湯上りで火照った和葉をあまり見ないようにして、俺はまず湖に飛び込んで上から激しく滴り落ちている滝のところまで言って、頭を冷やした。
そして風呂のお湯を入れ替えて、久しぶりに湯を楽しむ。冷水と、温水を交互に浴びることで、ようやく気持ちが落ち着いた気がした。
古い下着や服はそのまま捨てて、街の店で手に入れたまっさらなパンツにジャージの上下を身につけるとログハウスに入る。
「真城くん……」
「竜胆、手紙は書いたか」
首をブンブンと横に振る和葉、まだ書いてないのか。やれやれだ。
これ以上、日常を感じさせる和葉のゆっくりしたペースに巻き込まれてはいけないと思う。
何というか、俺も今日は疲れているのだろう。少し休んだほうがいい。
クールダウンしてから、気を取り直そう。
「……あのね」
「良いからさっさと書け、その間に俺は少し寝させてもらう」
俺は言いたいことだけ言うと、ベッドにゴロリと横になって目を閉じた。
こうなれば俺は回路遮断するので、絶対に反応しない。
「真城くんは、七海くんに少し似てるね」
「はっ……、俺のどこが、対極の人間だろ!」
和葉の言ってることなんか気にすることはないんだが、そこは否定しておかなければならない。
非情なる侍、この真城ワタル様が、ボランティア気質の正義マン七海修一に似てるとか、沽券に関わるだろうが。
「一緒だよ、強くて優しいから」
「お前、前から思ってたんだけど……。たまに相手の精神にクリティカルヒットを与えてくるよな」
怒るわけにもいかず、俺はもう苦笑いするしかなかった。
世界中から罵られても俺はまったく平気だが、女に優しいと言われるのは、俺のプライドに深いダメージを与える。
「気に障ったらごめんなさい、似てるけど違うって言いたかったの。七海くんはとても良い人だし、強くて優しいけど、私のことを考えてはくれなかったから」
「なんだ女の繰り言かよ、七海はお前のことをすげえ大事にしてたよ」
俺みたいな酷い人間と比べ物にならないくらい、七海は和葉のことを大事にして守ってただろ。
それなのに、そんな言われ方……七海が和葉のイジメられる原因を作ったのは事実だが、いくらなんでも可哀想だ。
「ガラスケースに閉じ込めておくのが、人を大事にするってことなの?」
「そのセンチメンタルな例えはよく分からん。俺はお前らの都合なんか知らんが、傍目で見ても七海は精一杯やっていたぞ。あの七海修一と幼馴染で大事されているとか、どんだけ自分が幸運なのか分かってるのかよ」
「でも七海くんは、真城くんみたいに言ってくれなかったよ!」
「七海の好意に甘えて、自分だけで戦えるように頑張らなかったのはお前のほうだろ。甘やかした七海も悪いが、そういう関係は共依存って言うんだ。結果はどうあれ、あれほど心身を削って頑張っている七海が悪かったなら……竜胆和葉、お前はその百倍悪いと自覚しろ!」
「真城くんは、ちゃんと私が悪いって言ってくれるんだよね。だから私……」
「自分が悪いと自覚できたんならそれでいいんだよ。人なんか関係ない、お前も俺も七海も、みんな個人だ。人間はな、自分の責任で自分なりにやりたいことを頑張ればいいんだ。それが、生きてるってことだろ」
「うん」
「分かったら七海への手紙を書いて、お前も寝ちまえ。そして、お前も明日からは強くなれるように頑張れ。生きてる人間には、明日があるんだ」
取り留めのない女の繰り言に、いつまでも付き合う気はない。俺も明日のために、いまは休む。
まだ何か和葉が言っているようだったが、意識を遮断した俺の耳には届かなかった。
※※※
寝たいだけ寝ると、頭がスッキリとした。
いつの間にか俺の横に寝巻き代わりの白いシャツに短パン姿の和葉が寝そべっていて、幸せそうに寝息を立てていた。
なんだか鼻先を良い香りがくすぐったのは、和葉が使った石鹸の香りかと思って見ると、俺は思わず叫びそうになった。
シャツの胸元が大きくはだけているのはまあ良いとしよう、ダメなのは白いシャツだけでブラを付けてないことだ。
大きな胸の先の見えちゃいけない部分まで、完全に透けて見えてしまっている。
これは、全裸よりそそる。和葉は、こういうタイプの天然だったのか。
「おまえ……知らん男が横に寝てるのに、どんだけ無防備なんだよ」
こりゃ七海がほっとけないはずだ。
命がけのダンジョンだからあり得ないと思うんだが、心配になって探しに来るかもというのもまんざら無いこともないか。
それはともかく、まともな食事を摂って十分に休んだせいか、和葉の黒髪はすっかり元の艶やかさを取り戻して血色は良くなっている。元気になったようだから、そこはいいけどな。
俺が半身を起こすと、少し身じろぎして口元をむにゃむにゃとさせて、何か食べてるようなつぶやきを漏らす、寝ぼけているのか。
「うーん、真城くん……苦くて食べられないよ」
そりゃ、俺は食べられないだろう。どんな寝言だ。
「しかし、よく寝たもんだ」
美味い飯を食って、風呂でさっぱりとして、睡眠を十分に取ってスッキリとした。俺は、すこぶる機嫌が良い。
ここは日光があるので、時間がだいたいわかる。夕方から夜明けまで、こんなに長時間寝たのは、ジェノリアに来てから初めてじゃないだろうか。
貴重な時間を無駄にしてしまったとも言えるのだが、遅れは取り戻せばいい。
生まれ変わったような心地よさの今なら、さらに頑張れる。
寝床から起き上がって、机の上を見るとちゃんと『七海くんへ』と書かれた手紙が置いてあった。
女の子らしい可愛らしい封筒に、ハートマークのシールで封がしてある。
さすが女の子ではある。ちゃんとレターセットを持っていたのだ。
こういう可愛らしい手紙をやれば、七海も喜ぶだろう。
「これで万事良し」
俺が手紙をしまいこんで、朝飯に鍋に残っていた紫色のポトフを温めなおして食らっていると、和葉も起きだしてくる。
二日目のポトフはまた野菜や肉によく味が染みこんで、深みが出ていた。元気が身体に漲ってくる。
「ふぁぁ~、真城くんも起きたんだね」
「起きた。七海修一への手紙はこれでいいんだな」
「うん、書いておいた」
「そうか、じゃあ俺は冒険に戻る。少し後になると思うが、ちゃんとお前の幼馴染の七海に渡すから心配しなくていい。お前も元気でな」
手紙をリュックサックにしまって、装備を整えて庭園から出ていく俺を、和葉は出口まで見送ってくれる。
和葉は貸していた『減術師の外套』を差し出す。おっと、忘れるところだった。
「これ、返すね。ちょっと汚れてたから、軽くだけど洗って乾かしておいたから」
「そうか、わざわざすまないな」
俺が寝てる間にマントまで洗っておいてくれたのか。
多少汚れていても気にならないのだが、綺麗ならそれに越したことはない。
「真城くんの洗濯物もちゃんと洗っておくから……また戻ってくるよね」
「えっ、ああそうだな……まあ、しばらくしたら戻るかもな」
俺がそう言うとパアッと、和葉の顔が明るくなった。
洗濯物って、脱いだ服はもう汚いからそのまま捨てるつもりだったんだが、好きにしたらいい。
和葉の様子が気にかかるというわけではないけども、たまには生きてるか顔を出しておいたほうが良いだろうとは思う。
庭園は俺にとっても大事な場所だ。
それに生徒会に所属していない俺が街にあまり出入りすると、その度にトラブルが起きそうな気もする。
神託所でのランクアップなど、どうしてもしょうがない事情がある場合以外は、地上に戻るよりは庭園で休憩したほうがいいかもしれない。
「真城くん、私もう七海くんとは会わないね」
出ていく時に俺にかけた和葉の何気ない言葉が、少し気にかかった。
もう会わないか、俺は誰にもこの場所を教えるつもりはないし、ここに篭っている限りはそうなるのだろうけど。
後から思えば、ここで聞き返すなりして確認しておけばトラブルを事前に避けられたかもしれないのに。
人との関わりを避ける俺の悪癖が、逆に面倒を引き起こすこともあるのだった。