129.久しぶりにゆっくりと床につく
木崎との組手も終わり、ログハウスで就寝の準備をしていたのだが、とんでもないことが起こった。
布団を敷いていた手を止めて和葉が聞く。
「真城くん……」
「なんだ」
和葉の表情が完全に消えている。光を失った瞳に、ゾワッとする。
なんだこの怖気は、周りの急激に温度が下がったような――
「その首筋のところ、誰にやられたの?」
「首だと」
――あっ。
鏡で確認すると、首元にうっすらとキスマークが付いてた。
木崎め。見事な不意打ちじゃねえか。
さっきの意味不明な攻撃の意味が、今更ながらわかった。
気が付かずに回復ポーションで治しておかなかったのは、俺のミスだ。
「誰?」
「いや、怒るなよ。ただの虫刺されかなにかだろ」
「そういうのはいいの。別に真城くんに怒ってるわけじゃなくて、誰がやったのかだけ教えて?」
「木崎と組手をしてるときに……」
「木崎さんがやったのね」
「勘違いするなよ。なんか変なことがあったわけじゃないから、組手で偶然……おい待て」
誤魔化せない空気だったので、つい木崎の名前を口にしてしまう。
すると和葉は、静かにログハウスを出ていった。
「えっと……」
俺としたことが、止める間もなかった。
すまん木崎、お前を売ったみたいになってしまったが。
元はといえば、自業自得だからな。
俺は、突然出ていってしまった和葉の代わりに残りの布団を敷きながら黙祷した。
※※※
木崎は、ウッサー達と風呂に入ってきたらしく、すっかり湯上りだ。
後から追いかけていった和葉も、すっかり風呂上りで頭から湯気を立てている。
みんな笑顔で一見すると和気あいあいといった感じなのだが、木崎だけがなんか俯きがちに沈んでいる。
たまに和葉が動くと、ビクッと身体を震わせている。
俺に何度殴られても立ち向かってくるほど気が強かった木崎が、完全にへし折れている。
本当に何をやった……。
まあ、聞かないでおくか。
みんな風呂上りは、和葉が織った浴衣みたいな薄い寝巻きを着ている。
俺の分も織ったというので着てみたのだが、寝汗を吸う生地らしくサラッとして着心地が良かった。
「今日は木崎も居るから詰めて寝ろよ」
俺と瀬木とリスとウッサーと和葉と木崎で六人か。
リスは子供だから、スペースをそんなに取らないけど。
このログハウス。
ベッドが一つしかないから、床に布団を敷くわけだが、それでもちょっと狭いかもな。
誰がどこで寝ようと知ったことはない。
俺は遠慮せず、どかっと一つしかないベッドに寝転んだ。
「リスはご主人様と一緒に寝ます」
「こういうときは、妻に譲るもんデスよ」
真っ先に俺の横で寝ようとしたリスを、ウッサーが首根っこを掴んでポイと放り出した。
「うわ、大丈夫?」
瀬木が、とんできたリスの身体を慌てて受け止める。
うーむ。
俺としちゃあ、本当は瀬木と寝てみたいもんだけど。
それを言うとまた騒ぎになりそうなので、言わないでおくか。
風呂に一緒に入れるだけで十分美味しいしな。
一緒に寝るのはゆっくりと機会を見計らってにしよう。
「旦那様も、妻と寝たいデスよね」
「しょうがねえな。こいよ、枕にしてやるから」
成り行きとはいえ、ウッサーを嫁にしたのは事実だしな。
あんまり邪険にしてやるのも可哀想だ。
「ついでに子作りでもするデスか」
「あんまり調子に乗るようなら放り出すぞ」
このすし詰めの状況で、子作りを提案できるコイツの神経がわからない。
何度も言われてもう慣れてしまったが、いまだに本気なのか冗談なのか見分けがつかない。
「冗談デスよ。子供ができる前に、夫婦水入らずでイチャイチャするのも悪くないデス。でも、落ち着いたら考えて欲しいいデス」
「ああ、落ち着いたらな」
今後も、落ち着くことなんてないと思うが。
少なくとも、俺はまだ人の親になる覚悟はねえな。
ちびなのに、やたらと胸だけデカいウッサーの身体は、枕にするのにちょうどいいサイズだ。
やたら飛び出てる胸が固めなのだが、それがちょうどいい。
枕にされるのを嫌がるかと思えば、「母性が満たされる」とかわけのわからないことを言って喜んでるので、まあいいだろう。
リスのやつは、瀬木が面倒みて寝かしつけてやり、控えめな和葉も布団の端っこのほうに落ち着いている。
木崎はなんか迷ってるんだが、声をかけてやるべきかな。
「木崎、なんなら俺の横にくるか」
「えええ……」
何をされたのか知らないが、シメられた後で和葉の近くで寝るのがキツイだろうと思ったから誘ってやったんだが。
なんか、頬を赤らめてもじもじしだしたので俺は笑う。
俺を誘惑するとか言ってたが、そんな気は和葉にシメられたおかげでなくなったようだ。
それなら隣に寝かせても問題はない。
せっかく誘ってやったのに立ちっぱなしなんだが、そんな木崎に丸まって俺の枕と化しているウッサーが声をかけた。
「木崎。今日だけ特別に旦那様の横に寝てもいいデスよ。妻として許すデス」
「ウッサー。そういうの、お前が決めるのか?」
まあいいか。
妻気取りさせとけば、ウッサーは満足するみたいだし。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
ウッサーに言われて、勢いが付いたのか木崎が俺の横にちょこんと横になった。
俺はちょっとからかってやる。
「ふーん。本当に横に寝るんだな」
「ダメだったのか?」
「いや、別に構わんさ」
寝る場所なんてどこでもいい。
俺はもともと寝付きは良いほうだが、すぐに寝付いた。
きっと、木崎にも心を許しつつある自分がいるんだろうと思う。
仲間と認めるとは、そういうことだ。まどろみのなかで、そんなことを思った。
※※※
「うーん、気がつくと、こうなってんだよな」
夜中に不意に目が覚めると、和葉が横に寝ている。
いつの間にか明かりも消されていて、薄暗がりだ。
俺と一緒に寝ていたはずのウッサーや木崎は、ベッドの下の布団に突っ伏していた。
俺がもぞっと動いたので、横に寝ていた和葉も気づいたようだ。
ごそごとと布ずれの音をさせて、和葉が半身を起こした。
「目が覚めたの真城くん?」
「うん、ちょっとな……」
「お水飲む?」
「ああ、ありがとう」
和葉に差し出されたコップを受け取って一気に呷ると、冷たい水が喉を通って行く。
何も言わなくても、喉が乾いたとか全部わかってくれるので、本当になんというか……。
「お前といると堕落しそうになるな」
「ふぇ?」
「いやなに、こっちのことだ」
「そう……」
緩んでしまうのが、いいことなのか悪いことなのか。
毎日ではマズいが、たまには気が緩むのもいいかもしれない。
気を緩ませると決めたら、どかっとまた横になって楽にする。
当然のように俺に抱きついてくる和葉の身体は、ちょっとひんやりとしていて心地が良かった。
このまま寝てしまうかと思ったが、薄暗がりのなかで和葉が瞳を開いてこっちを見つめていることに気がついた。
「寝ないのか?」
「もう少し、真城くんの寝顔を見ていたいなと思って」
「そうか、和葉は本当に良かったのか。瀬木やリスもそうだったけど、木崎を連れてきたりしてしまったが」
和葉は一度、周りの人間との関係を断ち切っている。
こう言っては聞こえが悪いが、『庭園』は和葉の引きこもりスペースみたいなものだ。
個人プレイばっかりしている俺が言うのもなんだが、それは良くないように思う。
だから和葉の付き合いがまた広がるように、いろいろ連れてきてるってこともあるのだ。
だからこそ、和葉がどう思ってるのかは気になる。
なんか聞ける雰囲気なので聞いてしまった。
「私は、真城くんがいいならいいわよ」
「そう言われると困ってしまうんだけどな。お前の意思を聞いているんだが」
「私の意思は、真城くんがいいならいいってこと。木崎さんがちょっと調子に乗ってたみたいだから、みんなと上手くやれるように調整しておいたけど、あの程度は問題ないでしょう?」
怖いなおい。
「じゃあ質問を変えるが、和葉は俺に何を求めてるんだ?」
それがわからないと、地雷を踏みそうな気もするし。
俺は和葉に調整されるのはごめんである。
「うーん、フフッ……難しい質問ね」
和葉は、ほんの少し笑ってみせた。
「求められたから応えられるとは限らんが、お前はできるかぎりのことをしてくれているから、俺もできることがあるならな」
「私としてはそうね。真城くんが、三つの言葉を私にかけてくれたらそれでいい」
「三つ?」
謎掛けみたいな話だな。
和葉のことだから、何も求めないとか言うかと思ったんだが、これも冗談のうちなのだろうか。
「一つは、ちゃんとおうちに帰ってきて『ただいま』って言ってくれること、もう一つは私が御飯作ったら『美味しい』って食べてくれること……」
「それはなんか、言ってたな。あとの一つはなんだ?」
言葉をかけるぐらいで満足するんなら、そんな安上がりなことはないからなんでも言うといい。
「あとの一つは、フフ……ないしょ」
「なんだよ。気になるな」
「私が言えって言って言わせても、意味ないもの」
「俺が気がついて言えってことか?」
なんだろ。
よくわからん。俺に女心を察しろなどと、無理な注文だ。
「真城くんはちゃんと私のことをわかってくれてるから、そんなの気にしなくても大丈夫だよ。抱っこして?」
「抱っこ? これでいいのか」
和葉が甘えてくるなんて、珍しいこともあるものだ。
「うん。じゃあ、おやすみ……」
抱いて長い髪を撫でてやると。
和葉は、俺の胸にピトッと顔をくっつけて、そのまま眠ってしまった。
「なるほど……」
安らかな寝顔というのは、見ていて悪くないものだった。
次回9/4(日)、更新予定です。