128.木崎晶との組手
「木崎、さっきのは何がやりたかったんだ?」
瀬木と風呂に入ろうとした俺を止めに来たまではまだわかるが、自分まで裸になって入ってくるとはどういうことだ。
「だって、風呂に服を着て入るわけにいかないじゃないか!」
なんだそのこだわり。
「まあいい。瀬木に余計なことは絶対に言うなよ。言ったら追い出すからな」
「わかったよ……」
「ほら、組手をやろうぜ」
それがもともとの目的だったはずだ。
二人で胴着に着替えて、いよいよ組手である。
「う、うん。でも……」
「まずは力を見てやるから、全力で殴りかかってこい」
せっかく誘ってやったのに、木崎のパンチには全然力がこもってなかった。
「なんだそのへっぴり腰は、舐めてんのか?」
「だって、あんなことがあったあとで……」
俺に裸体を見られたことを思い出したのか、顔を真っ赤にして俯いている。
木崎はこれで、女らしい羞恥心もあるのだ。
だったらなんで風呂場に飛び込んできたのかとも思うが。
木崎の性格だと、許せなかったんだろうか。
まあそこはこの際どうだっていいが、こんな様で戦闘中に気持ちの切り替えができなきゃ命にかかわる。
「ぐだぐだ言ってないで、かかってこいよ。あれぐらいのことで恥ずかしがって本気出さないなら、俺はお前を見捨てるぞ」
挑発してやると、木崎の目付きが変わった。
そうだよ、それでいい。
「わかった。じゃあ、本気で行く!」
「こいよ」
右前の構えを取っていた木崎が、まず繰り出したのは横蹴りだった。
狙ってくるのは、足の弁慶か膝頭辺り。
蹴り潰す勢いだ。
いい初手だ。足をやられれば、人間は動けなくなる。
「くっ、この!」
次にきたのは、鼻先へのパンチ。
これも悪くない。
俺も木崎も、お上品な格闘技の型なんて習ったことはない。
だから、実戦で鍛えた喧嘩殺法しか知らない。
俺の前で木の葉のように舞う木崎の動きは、まるで重量を感じさせない。
行く先も予想させない軽やかな身のこなし。
これは本人も何も考えず打ち込んでるな。
とにかく先手を取って相手に一発当てて、あとは連打、連打、連打!
それで潰してしまう。それしか考えてない動きだった。
木崎のこういう思い切りのいいところは好きだ。
骨と骨をガチガチぶつけ合うような組手は、本当に気持ちのいい。
だが、こりゃ普通の殴り合いだ。お前はこの程度じゃないだろ。
「この程度がお前の本気か?」
「うぁぁああ!」
ただ力ずくで浴びせてくる木崎の連打を、俺も力ずくで撥ね退ける。
ぶつかり合う骨の感覚で、木崎が本気でかかってきているのはわかるが、もっと技を使えよ。
「本当、女のくせにパワータイプだな」
「これだけ当ててもビクともしねえ。真城の身体は、鉄でできてるのかよ……」
素手でも戦えるように、極限までガチガチに鍛えている俺相手に、怯むことなく連打を浴びせられるお前も凄いけどな。
普通は殴る手のほうが痛くて、躊躇してしまうものだ。
ウッサーが褒めるのも無理ない。
歯ごたえがあるので、血がたぎってしまう。
一瞬、俺も本気になって、髪を掴みあげてボコボコに殴ってやろうかと……。
いや、もちろんこれは訓練なので、そこまで凶暴な真似はしない。
まずは木崎が飽きるまで、攻撃を受け続けてやるだけだ。
しかし、木崎も諦めが悪い。
殴っても蹴っても無駄だとわかったら、今度は滑るように間合いを狭めて組み付きにかかってくる。
「絞め技で、俺に敵うわけないだろ」
「やらないとわかんねーじゃねえかぁぁ!」
そりゃそうだな。
力じゃ勝てねえと身体に教えてやる。
木崎は全力で組み付いて来るから、つい力が入りすぎてしまった。
骨がボキッと音を立てた。
マスターランクとはいえ、木崎はまだ最下層だから俺の力に骨が持ちこたえられなかったか。
力の加減が難しい。
いまのは骨までいったな。
骨を折られても、痛いと言わないのは偉い。
「すまん。痛かっただろ」
殺さなきゃヘルスポーションで回復できるとはいえ、痛めつけるのは本意ではない。
「真城……顔近い」
「はぁ?」
こいつ顔を真っ赤にして痛みに耐えてるのかと思ったら、組手の時に何考えてやがる。
まだ気持ちの切り替えができてないのか。
俺は腰の袋からヘルスポーションを取り出すと、床でぐったりとしている木崎に飲ませてやった。
もう一度、鍛えなおしてやろうと構えなおした。
木崎は、それですぐに全回復して起き上がると飛びついてきた。
「真城、もっとやるぞ」
「飛びかかってくるんじゃねーよ!」
絞め技ばっかりやってもしょうがないだろ。
もちろん飛びつきなんて受けない。俺はサイドステップでかわすと、そのまま腕を掴んで投げてやった。
木崎は、投げ飛ばされてもスッと着地して、また突っかかってくる。
ほぉ、バランス感覚も悪くない。
さすがにアスリートだけのことはある。靭やかな筋肉をしているのだろう。
「うぉぉおお!」
「何回かかってきてもな」
本気を出せば俺を捕らえられると思っているらしいから、何回でも投げ飛ばしてそんなに甘くないと教えてやる。
力の差を見せつけてやるのも、訓練だろうからな。
「ハァ、ハァ……」
「さすがに息が上がってきたか。もう止めるか?」
「まだだ!」
そうこなくちゃいけない。
だいぶ緩慢な動きになってきた木崎を、まだ性懲りもなく同じように飛びかかってくるので腕を掴んで投げ……。
「むっ!」
緩慢だった動きが急に早くなった。
投げようとした俺の腕にしがみついてくる。
どうやら疲れて見せたのは、フェイントだったようだ。
掴まれたのは、手加減しすぎたせいでもある。やっぱり弱い奴に合わせてセーブするってのは、加減が難しい。
「どうだ真城、捕らえたぞ!」
「まあ褒めてやらなくもないが、そっからどうするつもりだ」
「こうする!」
カプッと、俺の首元に噛み付いてきた。
ちょっと意表を突かれたが。
「なにがやりたいんだよ」
「ふぃんじょうのぎゃくてんをみつける」
「噛み付きながら言っても、わかんねえよ」
噛み付き攻撃自体は、必死になってるんだろうからいいけど。
俺は噛み付かれてもどうってことないんだよな。
頸動脈でも狙ってるんだろうか。
吸血鬼じゃあるまいし……舐めたり吸ったりしても意味ないから。
「ぷはっ、首筋は弱点じゃなかったのか」
攻撃の意味がほんとによくわからん。
どうせ噛むならもっと、血がにじむぐらい噛み付けばいいのに。それでも傷は付けられんだろうがな。
「木崎、なにもできないなら、そろそろ投げ飛ばすぞ?」
「ダメだ。じゃあこれだ」
木崎は俺の腕を掴むと道着の胸元に差し込む。
俺の腕に、むにゅっとした感覚が当たる。
こいつ、道着の下にブラジャーも付けてないのかよ。
いや、それ以前に。
「お前ほんとに、なにがやりたい」
「……真城は、本当に動揺したりしないんだな」
頭が痛くなってきた。
まあ、色香を武器に使うというのも、必死の技のうちと認めてやってもいいが……。
「あのなあ。俺は、どっかのラブコメ漫画の軟弱主人公じゃねえんだぞ」
「おっぱい触ってるのに……」
「はぁ……ったくどいつもこいつも。殺り合ってる時に、俺がその程度で油断して力抜くと思ってんのか」
「真城は、おっぱい触ってるんだよ!」
男に胸触らせながら、なに切れてんだよこいつ。
あまりに意味不明すぎる勢いに、ちょっとたじろぐ。
「それがどうした」
「さっきだって、凄く強く抱きしめて揉んできたのに何にも……瀬木には迫るのに、私には何も感じないのかよ。あたしだって女なんだぞ」
「お前が女なのは、よく知ってる」
さっき、見せられたところだ。
「だったらなんで、もういい脱ぐから! 脱いでやるぞ、見てろ!」
「アホか、女が脱ぐなよ」
……なんか頭にきたので、思いっきり突き飛ばしてやった。
脱ぐぞと言ってた木崎は、はだけた胴着の胸元を必死になって直している。恥ずかしいなら、なんで色仕掛けなんかやるんだよ。
「もういいよ。どうせ、あたしには女の魅力なんてないんだろ!」
そもそも俺は女になんか興味ねえと言ってやりたいところだが、このタイミングで言うとガチでホモ疑惑が出るからな。
正直に答えてやる。
「お前に魅力がないとは思わないな」
木崎は半泣きどころか完全に泣いてる。
いきなりなんだよ。心理攻撃のつもりなら、高度かもしれないが。
「嘘だ……」
「そんな嘘ついてもしょうがないだろ」
「だって、風呂場であんなことがあったあとで普通に組手しようとか言ってくるし、真城はあたしのことなんてなんとも思ってないんだ!」
「風呂場では、ちょっと揉みあっただけだろ。あの時は必死だったし、お前に魅力がないから色仕掛けが通用しないわけじゃねえよ。俺は戦闘中は、そういう感覚を遮断できるんだよ」
さすがにここまで意味不明な言動をされると、ちょっと動揺してしまうあたりまだ精神修養が足りないけどな。
「じゃあ、組手でなく普通にあたしが色仕掛けしたら、真城は応えてくれるか?」
なんでそんな話になってんだよ。
組手はどうなった。
「それは、俺も男だから、感覚を遮断してなかったらわからん」
「わかった……じゃあ、がんばる」
がんばるのは、組手だよな?
泣き止んだなら、組手を再開するぞ。
こういう話は苦手だ。
殴り合うほうが性に合っている。
まあどっちにしろ、久美子やウッサーに散々誘惑されて鍛えられてるから誘惑も通用しないと思うけどな。
平時ならともかく、気を張ってるときは女の身体に触れてもなんとも思わない。
「ともかく俺には、噛み付きも色仕掛けも利かねえ。俺から一本取るためなら何をやっても構わんが、くだらない真似しかできないならもう止めるぞ」
ようやくふざけた気分が抜けたらしく、木崎はまともな攻撃を仕掛けるようになった。
それなりに組手に付き合ってやった結果としては、まあ最低限――
「中級 放散 刻限 敏捷」
木崎が詠唱したのは、スローの呪文。
途端に木崎の拳を打ち込む速度が倍になる。
かわしたが、紙一重で拳が擦れた頬が切れたのか、鮮血が散った。
木崎も補助魔法の使い方を覚えたのか。
「見事な不意打ちじゃないか」
「なんでもやっていいって言ったのは真城だろ」
その通りだ。これが組手だとか、俺が手加減していたとかは関係ない。
奇計、奸計、軍場に立てば当たり前のこと。
隙を作って不意打ちを許した俺が悪いのだ。
スローの魔法で速度を倍速にさせた木崎は、軽快な動きで巧みに打突を仕掛けてくるが、手の内が分かってしまったのでもう当たることはなかった。
不意打ちだろうが、俺に攻撃を当てたのは事実。
これは十分に合格だな。
マスターまで鍛えた甲斐はあった。
もともとアスリートとして鍛えていた木崎の耐久度と持久力に加えて、機転を利かせることもできる。
これなら、俺達に付いて来ても危険はないだろう。
攻撃力の弱さは武器などで補えるだろうしな。
「木崎、とりあえず合格点をやろう。慢心せず、今後も鍛えろ」
「ハァ、ハァ……ありがとうございました」
組手が終わってヘトヘトになってるだろうに、その場に倒れこまず綺麗な礼をする。
こういうとこで妙に礼儀正しいのが、ウッサーの気に入ったところかもしれない。
「汗かいただろ、お前もちゃんと風呂に入ってこいよ」
「良かったら、一緒に入る?」
「ふざけてないで、一人で行ってこい」
「なんだよ。なんでもやっていいって許可が出たから、さっそく誘惑しようと思ったのに……」
「おい待て、組手の話だ!」
木崎は俺の言うこと聞かず、風呂に行ってしまった。
やれやれだな。
木崎は、俺に肌を見せても身体を触らせてもまったく平気だと思ってるんじゃないだろうか。
俺だって人並みに健全な欲はあるし、自制するのにかなりの精神力を消費してる。
正直に言えば、一度誰かに手を出したら取り返しの付かないぐらい面倒なことになりそうなので、今の距離を保ってるんだ。
露骨に誘惑されて、周りを刺激されても困る。
木崎はそういう空気をまったく読みそうにないので、早急になんとかしないといけないのかもしれない。
次回8/28(日)、更新予定です。