105.カーンの都へ
「ご主人様、妾は反対です!」
いつになく厳しい調子で、アリアドネが俺に反対している。
「アリアドネ、勘違いするなよ。俺は許可を求めてるわけじゃないからな、俺がそうすると言ってるだけだ」
「それでも、単独で敵の都に行くなどあんまりです。何のために妾が、兵を集めていると思っておられるのです」
農奴と盗賊の寄せ集めで軍隊を作ったアリアドネは、敵の熊人が放棄していった天幕や装備を拾い集めて軍を強化している。
散った軍馬も捕まえて、小規模ながら騎兵隊まで組織し始めている。
「だから訓練不足の兵隊などいらんだろ。俺が一人で、熊人どもの祭祀王と話をつけてくればいいだけだ」
「今しばらく、ほんの少しだけお時間を下さい。ボーダー達に命じ、各地の人族農奴に反旗を翻させるところです」
「それでどうするつもりだよ」
「緒戦の華々しい勝利は、虐げられている人族農奴達を勇気づけました。圧制者を打倒するという大義名分のもとに、必ずやご主人様の軍は、悪辣なるバクベアード族の軍隊に勝利することでしょう!」
白い頬を血色良く赤らめ、恍惚とした表情で、手を広げたアリアドネは演説するように語る。
こいつなんか、こっちに来てから絶好調だな。
「いや、そういう面倒臭い国盗り物語はどうでもいいから、さっさと敵の頭を叩いてくるよ」
「しかし、捕まえた敵の兵の話によると、熊人の祭祀王ゴルディオイは総勢で一万もの兵を有していると聞きますよ」
一万と言っても、そのゴルディオイとやらが、カーンの都に全軍を集結させているわけではないだろう。
むしろこっちが軍隊を引き連れてせめて行ったほうが、敵の数が寄り集まって増える気がする。
俺も考えもなしに、言っているわけではないのだ。
外の世界でも解毒ポーションやヘルスポーションが、通用するとは確かめられている。
どんな攻撃を受けても即死さえしなければ、すぐにフル回復できるのだから問題ない。
そうであれば、戦闘に他の奴の協力は必要ない。俺一人で敵の懐に忍び込んで始末すればそれが一番簡単だ。
「さっと行って、さっと殺って、さっと帰ってくるだけだから」
「ダメです。王が単騎で敵の都に出向くなど、いけません!」
興奮したアリアドネが、俺の腰にまとわりついてくる。
「はなせ! お前らの王になった覚えはない」
「ご主人様、ご無体な。そうなると、妾に約束してくださったではありませんか!」
そうかアリアドネには、そうなってやってもいいと約束したんだったか。
しかし、行動を制約されるのなら、やっぱり王なんかになりたくない。
こっそりこの街から抜けだして行くなんて、俺には簡単なことなんだ。
急にいなくなったら、アリアドネが何をやらかすか分からんから、こうしてわざわざ了解まで取ってやってるのに。
端女ごときに行動を束縛されるご主人様なんて、ありえねえだろ。
俺の腰にまとわりついて、ウルウルと青い瞳を潤ませているアリアドネを見て。
もう埒があかないから勝手に出て行くかと思ってると、久美子がやってきた。
「アリアドネ、ダメよ。ワタルくんにそんな言い方したら」
「久美子殿、しかし妾はご主人様の御為に申し上げておるのです」
「ワタルくんは、一人で行きたいところに行けばいいわよ」
「久美子殿まで、何を言ってるのです!」
ほら、久美子もそう言ってるぞアリアドネ。
「ただ、私達がどう動こうとも、それは私達の勝手ですからね。たまたま、同じ所に行っても気にしないでね」
フフンと、久美子は微笑んで、まったくない胸をそらしてそんなことを言いやがる。
「……勝手にしろよ」
「ほら、アリアドネわかった? ワタルくんには、こう言わなきゃダメなのよ」
「なるほど、さすが久美子殿」
その久美子の俺のことは全部分かってるみたいな面は、毎回気に食わないんだけどな。
確かに論は通っている。俺は俺で勝手にやるんだから、お前らの行動まで制約するつもりはない。
久美子達なら、邪魔にならないようについてくるなら足手まといにはならない。
俺が気にしなければいいだけだ。
久美子と、アリアドネはなにやら相談している。
「アリアドネ、人族農奴の反乱を煽れるならば、カーンの都以外の熊人支配地域の街で起こしてくれない?」
「陽動作戦の形ですね、もちろん抜かりありません。すでにバローニュ、アルジャス、イシュー三つの街で同時に反乱を誘発する手はずは整っております。これで、カーンの都の防備が薄くすることができるでしょう」
「じゃあ、もう一気に叩くだけね」
「はい、多少強引にはなりますが、我らがご主人様が速攻を望むのならば是非もなし。熊人どもの支配権を一気呵成に奪ってやりましょう!」
いやだから俺は、望んでないんだが……。
そんな小細工しなくても、さっと侵入して片を付けてやればいいだけだ。
熊人の祭祀王から売ってきた喧嘩なんだから、俺はそれを買ってやるだけの話で、支配権がどうこうはどうでもいい。
まあ、どうでもいいことだからこだわりもないけどな。
俺の邪魔にさえならなければ、久美子達は勝手に反乱でも国盗りでもなんでもしたらいいさ。
旅の準備を整えていると、大きな斧を背負った木崎晶が思いつめた表情でやってきた。
なんか嫌な予感がしたので、先んじて尋ねる。
「七海の様子はどうだ」
「あっ、えっと七海副会長ならまだ寝てるよ。治ったんだけど、疲れてるみたいで……」
胸を突き刺されて死にかけたんだから。
普通の神経なら、しばらくは起き上がれないだろう。
「七海も、ここまで気を張って疲れてるんだろうから少しは休ませてやれ。みんながあいつに頼りっぱなしだから……木崎。お前も、七海を支えてやってくれ」
俺がそう言うと、木崎は寂しそうな顔をした。
話は終わりだと荷造りの準備に戻ると、まだ木崎は話を続けてくる。
「真城、アタシ達も一緒に行っていいかな」
「……お前はやめとけ」
「なんでだよ! 九条さん達には、勝手にしていいとか言っといて」
「なんだ聞いてたのか……。それなら分かるように説明してやるが、お前らは力不足だから、付いてくると俺の足手まといになるんだよ」
他の雑魚兵士はともかく、あの熊領主の超鋼鉄の爪は危険だった。
あれを七海に近づけてしまったのは、俺のミスだ。
それなりにランクを高めていた聖騎士の七海だから、致命傷にならずに済んだが。
あの攻撃を受けたのが木崎だったら、殺られてた可能性だってある。
ライフルの速射をかわせるだけのスピードと、それなりのパワーに超鋼鉄の武器。
それらを兼ね備えたレベルの敵が熊領主だけとは限らない。
そう考えると、付いてこいなんて言えたものではない。
……もう殺らせてたまるか。
「なんでだよ。九条さん達はいいんだろ、なんでアタシだけ」
「お前は弱いからだ」
「じゃあ、アタシのことも真城が鍛えてくれよ。足手まとい扱いされるのは嫌だ」
「……」
「じゃなきゃ、絶対付いてく」
「……しゃあねえな。大人しく待ってたら、そのうちお前も鍛えてやるよ」
「約束だぞ!」
「ああ、約束な」
そうとでも言わないと、大人しく待ってないようなので、しょうがない。
俺は「そのうち」と言ったので、それが一年後になるか十年後になるか知らないけどな。
どうも最近、女に約束させられることが多くて参ってしまう。
俺は流されてるのかな。だとしたら、気を引き締めないといけないなと、荷造りを終えて孤絶を背負って立ち上がる。
「……必ず帰ってきてよ」
「俺を誰だと思ってる」
「真城が誰よりも強いのは知ってるよ」
「だから大丈夫だ」
拳を突き出してきたので、なんのことかと少し躊躇する。
ああそうかと気がついて、拳を打ち返す。
どうも、この体育会系のノリについていけないんだよな。
玄関に出ると、リスが箒を持って正装していた。
「よお」
「あっ、いって……らっしゃいませ?」
メイド服というほどではないが、エプロンドレスっぽい服だ。
子供に合う服もあったんだな。わりとよく似合っている。
「なんで疑問形だよ」
「上手な言い方がわからなくて」
「敬語とか適当でいいぞ。それよりどうだ、食うには困ってないか」
「ここにいれば、食事は……もらえてます」
「そうか、ならばよし」
「あっ、あの。いつ戻ってくる、ですか?」
「すぐ戻ってくるよ」
「そう、ですか」
リスは安心したように微笑んだ。
それを見て俺も安心すると、一気に駈け出した。
タランタンから、カーンの都までは、実はわりと近いのだ。
地図が正確でないのでよく分からないが、六十キロか、七十キロぐらい街道を東に行けばいい。
おそらく百キロってことはないだろう。
馬車だと一日もあれば行ける距離である。
俺なら本気で走れば、一時間もあれば行ける。
途中でトラブルがなければの話だが。
タランタンの街を出て、街道をまっすぐ東に進む。
治安が回復した周りの村を越えると、早速トラブルに出くわした。
「あいつら、なにやってやがる」
ちょうど中間あたりで、傷ついた兵士達がゾンビに囲われていた。
味方の兵士ではなく、熊人の重装歩兵達だった。
「うあー、助けてくれ!」
「みんな諦めるな、円を作って戦うんだ」
おそらく怪我人を抱えて逃げ遅れたところをゾンビの群れと出くわしてしまったのだろう。
「戦闘で、死体が大量生産されたからか……」
敗残兵にしては統率が取れてるらしく、怪我人を真ん中において円陣を組んで守ってゾンビと戦っている。
きちんと装備を整えた正規兵だから、本来なら素手で戦う知能の低いゾンビ程度には負けないのだろうが。
戦闘で疲弊した上に、怪我人も抱えている。兵士は五十人足らず、ゾンビは二百体を超えている。
囲まれている敗残兵達は多勢に無勢であり、押し切られるのは時間の問題かと思われた。
助けてやる義理もないが……。
このゾンビが黄泉還りしているのは、俺のせいだと熊領主が言ってたな。
「ふん」
俺は、孤絶を抜くと、ゾンビの群れに斬りかかった。
こんな雑魚ごとき、五分で討ち果たせる。
さてと、始末は付いた。
俺は刀身についた死肉を拭きとって、ゆっくりと鞘に納めて先に進むことにする。
「お待ち下さい!」
そこに、熊人が話しかけてきた。
さっき指示を出していた、隊長格の男か。
「なんだよ?」
「なぜ我々を助けてくださったのですか」
また面倒な問答だな。
「お前らを助けたわけじゃない。ゾンビが通行の邪魔だったから倒しただけだ」
「ならなぜ、我々も殺さないのです。戦闘で見かけたから、私は知っている。貴方は、タランタンの街を奪ったジェノサイド・リアリティーの勇士でしょう。敵同士のはずだ」
「殺して欲しいなら、殺してやるぞ?」
「いえ、自殺志願者ではありません。ただ本当に、なぜ敵を救うのか疑問に思っただけで」
「あの戦闘は、お前らを指揮していた熊領主が俺達を襲ってきたから起こっただけだ。お前らは別にいま俺と戦おうとは思ってないんだろう……だったら戦う意味はない」
俺がそういうと、熊隊長は虚を突かれたような顔をした。
「いまここで我々を逃せば、また敵になるかもしれないとしてもですか?」
皆大柄で屈強な戦士である熊人の顔は、見分けがつきにくいが。
なんとなく、こいつはクソ真面目なところが七海に似ていると思って、少しおかしくなった。
「それは面白い。俺と戦いたい奴がいれば、いつでも相手をしてやる。俺は一人でやるが、お前らは一人じゃなくてもいいぞ、千人でも万人でもまとめてかかってこいよ」
「なんたる豪気。ご尊名をお聞かせ願えないだろうか」
そうか、名前も分からなければ、力を回復しても襲ってもこれないか。
「真城ワタルだ、普段はタランタンの街にいる」
「貴方が、あの……噂は本当だったわけか。私は、バクベアード軍、百人隊長のウルスと申します。ともかく、この場をお見逃しいただくこと感謝いたします」
熊隊長の話は終わりのようだったので、俺はさっさと去った。
噂ってなんだよと思ったが、どうせ聞いても不愉快になるだけであろう。
タランタンからカーンの都へと至る道すがら、このようなことが何度かあった。
この地方のゾンビ発生問題は、ぜんぜん片付いていないらしい。
「なんだ、進んで行ったらゾンビだらけじゃねえか」
盗賊団と国盗り合戦やってる暇があったら、こっちを先に片付けろと思いながらときには刀を振るい。
ときには、面倒臭くなって炎球で焼却処分にして行った。
カーンの都が、そろそろ遠方に見えてくるという辺りで。
何かの気配に追尾されていることに気がついた。
街道とはいえ、森も近い野っ原であって隠れる場所はたくさんあるはずなのに。
見え見えの下手くそなトラッキングだった。
「いい加減、ウザい……」
立ち止まると、向こうの草むらに気配がいる。
そっと覗いてみてぎょっとした。
忍者だ、マジで忍者がいる……。
次回更新予定、3/20(日)です。