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短編集イロイロ(作者選)

家政婦は見た?本当に?

作者:名明 伸夫
   
 その日は風の強い嵐の夜だった。

 とある豪邸に住む主人は、二階にある自分の書斎でシガーパイプの煙を吐き出しながら、ゆったりとその時を待っていた。

 三ヶ月前、主人はシークレットサービスに依頼し妻の身辺調査を行った。そしてその結果、主人は妻の浮気を突き止めたのである。
 浮気相手は、妻が趣味で行っているゴルフ教室のコーチであった。


 主人は今日、自分を裏切った妻を殺す計画を実行しようと決意していた。


 主人は事前に妻と家政婦にばれないように、妻のお気に入りのワインに睡眠薬を混ぜていた。
 この睡眠薬は死後、薬物反応の出ない特殊な睡眠薬であり、その効果がそろそろ現れる頃であった。

 主人はシガーパイプの火を消すと、落ち着いたように机の引き出しからロープを取り出し、妻の寝室へと向かった。

 妻の寝室の前についた主人は、念のためドアをノックし様子をうかがった。

 やはり反応はない……。

 主人はゆっくりとドアを開け、寝室の中へ入った。
 妻のベッドの横に立つと、そこにはだらしなくネグリジェの胸元をはだけさせた妻が寝ていた。そうとう寝苦しかったようだ。

 主人は早速、ドレッサーの椅子を使い、手に持ったロープを天井のはりくくりつけ、ロープの先に輪を作った。

 主人は妻を起こさないよう細心の注意を払って妻を抱え上げ、妻の首をロープの輪の中に通し、そして、一気に手を離した。

 ギシッと鈍く天井がきしむ音が鳴ると、妻はそのまま目覚めることなく首を吊った。
 主人は目の前を左右にゆらゆら揺れる妻の姿をしばらく見た後、おもむろに偽装工作を始めた。

 シークレットサービスに依頼しておいた、妻の筆跡を完璧に再現させた遺書をドレッサーの上に置き、自殺に見せかけるため椅子を横に倒しておいた。

 そうして偽装工作を一通り終わらせた主人は、ふうと小さく息を吐いたまさにその時だった。


……カタッ……


 突如、廊下の方から物置が聞こえ、主人は驚き肩越しにドアを見た。

(おかしい、この家には私と妻しか居ないはずだ……)

 主人は思い切ってドアを開けて廊下を覗いた。電気は全て消え、ひと気も無かったが、主人は階段の下から明かりが漏れていることに気がついた。

(電気は家政婦が帰る前に全て消したはず……やはり誰かがいる)

 主人は足音をたてないよう階段を降りて行った。

 主人が一階へ降りると、明かりの点いたキッチンにはとっくに帰ったはずの家政婦が、何やらコンロの辺りでゴソゴソと手を動かしていた。


「おい! こんなところで何をしている!」
 主人は焦りと驚きから、つい声を荒げた。

「ひっ?!」
 家政婦はビクッと肩を震わせると、ゆっくりと振り返り主人の方を向いた。

「もう帰ったはずじゃないのか?」
 主人はまるで問い詰める様に質問を続けた。

「あ、あの……一度帰ったのですが、ガスの元栓を閉じるのを忘れてしまっていたので、それで失礼だとは思いましたが、どうしても心配で戻ってきてしまいました。も、申し訳ありません」
 家政婦はそう言って頭を深々と下げたが、主人はやけにそわそわした様子の家政婦に違和感の様なものを感じていた。

(……見られていたのか?)

 主人がそう勘ぐり始めた時、頭をゆっくりと上げた家政婦は辺りをキョロキョロと見渡すと、ぼそぼそと口を開いた。

「あ、あの……旦那様。ちょっとよろしいですか?」
「何だ」
 主人は平静を装ったが、上目遣いに主人を見る家政婦の表情に、背筋が冷たくなるのを感じた。




「実は……わたくし、見てしまったのです」




 主人の心臓がドクンと大きな鼓動を鳴らす。

「い、一体何を見たのだ……?」
 主人の全身からじっとりした汗が流れ出し、気がつけば主人は家政婦に向かって一歩ずつを進めていた。

 家政婦は浅く息を吸うとぎゅっと目をつぶり、意を決した様に主人に言い放った。


「奥様が、若い男性と楽しげに買い物をしている所を見てしまったのです!」


 主人はぴたりと歩みを止めた。
 家政婦はそう言うと、はあはあと小さく呼吸を乱していた。主人には家政婦がよほどの覚悟でこの話しをしたように見えた。

 二人の間にしばしの静寂が流れた。
 キッチン中に外から打ち付ける雨音が充満していく。

 しかし、この間にも主人の頭の中はグルグルと猛スピードで回転し続けていた。

(これか?こいつがそわそわしていた原因……私に話すか否かを躊躇ためらっていたのか?そもそも、この告白は妻が死んでいることを知っている者なら絶対に言わない言葉ではないか?……私は見られていない?)

 様々な考えが頭を巡る中、主人は家政婦への警戒心を心の隅に残したまま、妻の浮気を知らないふりをしてわざと動揺する演技をした。

「ま、まさか……何を急に言い出すのかね。妻に限ってそんなことをするはずはないよ」
 我ながら下手くそな演技だと主人は心の中で悪態をついた。

「い、いえ……あれは確かに奥様でした。私が、憶測だけでこんな話しを旦那様に言うはずありません」
 家政婦は涙目になりながら主人を見据えた。
 主人は、うーむと小さくうなり声を上げた。


 すると、階段の上に小さな影が動いた。


 そしてその瞬間に、それまでの考えを全て吹き飛ばすような衝撃が主人を襲った。

 階段から姿を見せたのは、妻が大事に可愛がっていたペルシャ猫のジャンであった。
 ジャンは優雅に階段を一段ずつ降りると、リビングにあるソファーに飛び乗り、身体を丸めた。

 主人は目を見開いたまま、ジャンの挙動を唖然としながら見送っていた。


(何故こんなことを私は忘れていたのだ……。二階には私と妻以外にこの猫がいたではないか。この猫が物音をたてた可能性だって十分に考えられる。いや、そう考えれば全ての辻褄つじつまが合うのではないか……)

 とたんに、主人の中には安堵の気持ちがじわじわと広がっていった。

「す、すいません……私がこんなことを言ったばかりに」
 家政婦が恐縮気味に俯き、そう呟くと主人はハッとしたように再び前に向き直った。

「い、いや、気にしないでくれ。それより勇気を出してその事実を教えてくれたことに感謝するよ。妻とは明日話し合ってみる」
 今度はしっかりとした演技で主人は答えた。

 家政婦は何も言わず、黙ってもう一度頭を下げた。
「とにかく今日はもう遅い。早く帰りなさい」
 主人はそう言って、片手で宙を払った。

「はい、そう致します。では旦那様、失礼します」
 家政婦は踵を返し、玄関へと向かった。

 主人は家政婦が玄関から出るまで見送った後、リビングのソファーに座り、隣で眠るジャンの頭を撫でた。



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 豪邸の門を出ると、家政婦は大きく息を吐いた。無意識の内に膝がガクガクと震える。

 彼女にとって一世一代の大芝居が今終わったのである。

(まさか、旦那様が奥様を殺すなんて……!)

 家政婦は全てを見ていた。

 ガスの元栓を閉めに戻ったのは事実だったが、二階の妙な気配に気がつき、寝室のドアの隙間から覗いた時には、主人が妻を天井に吊るし終えたところだった。

 誤って物音をたてた時に、身の危険を感じた家政婦は急いで家を出ようとしたが、間に合わず、やむなくそこで主人を騙し切る覚悟を決めた。

 そして妻の浮気を以前に目撃していた家政婦は、あえてその事実を告白したこと、そして妻の愛猫あいびょうの登場のおかげにより主人の疑念を晴らし、こうして逃げおおすことが出来たのだった。

(でも、いくら奥様を憎んでいたとはいえ、殺人まで犯した旦那様をこのままには出来ない……)

 家政婦は再び口から大きく息を吐くと傘を開き、帰路へはつかず、その足は警察署へと向かっていた。


 警察署の前に着いた家政婦は、中へ入ろうとしたが、ふいに後ろから声をかけられた。

「警察署に何かご用でも?」

 家政婦が驚いて振り返ると、パトカーに乗った二人の警察官が不思議そうな顔で家政婦を見ていた。

「あ、あの……私、実は先ほど殺人現場を見てしまって」
 家政婦は安心したようにパトカーに近づくと、警官にそう告げた。

「な、何ですって!」
 二人の警官の顔色がサッと変わった。
「早く現場へ行きましょう!」
 助手席に乗る警官が、慌てて運転席に向かって急かした。
「そうだな、申し訳ありませんが、現場まで道案内をお願いします!」
 運転席に座る警官が家政婦にそう言うと、パトカーの後部座席が開いた。

 家政婦は、はい、と頷いて後部座席に乗り込むと、パトカーは猛発進した。

 そしてパトカーが現場に向かっている間、助手席に座る警官はおもむろに携帯電話を取り出すと、どこかへ連絡を始めた。



▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼



 主人の携帯電話に着信が入ると、主人はソファーに座ったまま電話に出た。

「もしもし」
「こちら204から警視庁へ。現在、目撃者と共に殺人現場へ急行中。至急応援頼む、どうぞ」
 電話口の男は芝居口調を続ける、どうやら主人の勘は当たったようだ。

「そうか、始末はそちらに依頼する。前金はいつもの口座に振り込み済みだ、始末後、残りの金を振込む」
 主人は淡々と言葉を発する。
「了解」
 それだけ言うと電話は切れた。

 主人は携帯電話をテーブルに放り出すと、口元に不気味な笑みを浮かべた。

「やはり見ていたのか、念のためシークレットサービスに尾行を頼んで正解だったな。危うくとんだミスをするところだったよ……はっはっはっ!」

 主人は大きく高笑いし、ジャンの背中を撫でようとしたが、猫は何かに感づいたようにぴょんとソファーを降りてどこかへ行ってしまった。






 ソファーで高笑いし続ける主人は、自らも気づかぬうちに二つのミスを犯していた。

 一つは、妻のネグリジェが乱れていたことを、寝苦しかったと解釈してしまったこと。

 そしてもう一つは、寝室に入る前にノックしてしまったことで、部屋に居た《第三者》に隠れる機会を与えてしまったということ。


 主人の後ろには、鬼の様な形相ぎょうそうをした半裸の若い男が立っていた。
 手には妻の寝室から持ち出したゴルフクラブが握られている。

 若い男はゴルフクラブを両手で握り、大きく振り上げると、無防備な主人の頭目掛けて力の限り振り下ろしたーー



 まるで主人を哀れむかの様にジャンが小さく鳴いた。



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