第一章 その4
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その少女は、刃物で背中と左胸を一度ずつ刺されて死んでいた。
仰向けに倒れていて、開いたままの瞳は上から見下ろしている刑事たちを見つめ返して
いるようにも見えた。
紺と白のボーダーのTシャツを着て、その上に白地に紺の縁取りの入ったニットの
カーディガンを羽織っていた。丈の短い紺のプリーツスカートはめくれ上がり、白い太股を
露出している。
白のヘアバンドに白のソックス、紺のローファーを履いていた。右足の方は脱げて、紺の
ボックス型のバックとともに水たまりに転がっていた。
長いストレートの髪が似合う清楚な感じの美少女で、もし生きていたら自分の洋服が
こんなに血で汚れてしまっているのをきっと嘆くに違いない。小降りだが決して途切れる
ことなく落ちてくる雨が、背中から流れた血をすぐ脇の側溝へと運んでいた。
「──ひでえな。ここまで深く刺したら殺った方もさぞたっぷり血を浴びてるぜ」
芹沢は傘を肩に回し、空いた手をズボンのポケットに突っ込んだまま少女を見下ろして
言った。隣に並んだ鍋島は少女を見ると、その顔をゆっくりと芹沢に向けてじっと彼を
覗き込んだ。
「何だよ。俺の顔に何か付いてるか?」芹沢は少女を見下ろしたまま訊いた。
「いや──」と鍋島は俯いた。
「俺が何か思い出してるんじゃねえかって思ってるんだろ」
「別に。そんなことないよ」
そう言うと鍋島は決まりが悪そうに腕を組んだ。「通り魔かな」
現場は地下鉄南森町駅を地上に出て東に百五十メートルほど行った小学校の
すぐ裏の路上だった。時刻は午前三時をまわっており、場所的にも時間的にも
ほとんど人通りはなかった。今もこうして多くの 捜査員が現場を中心にあちこち動き回って
いるのに、足を止めてその様子を眺めるような人間は一人としていなかった。
やがて担架が運ばれてきて、濡れぼそった少女はその上に乗せられた。するとその拍子に
スカートが揺れて、さっきは見えなかった右の太股の裏あたりが露わになり、そこも大きく
掻き切られているのが見えた。少女には毛布と青いビニールシートが掛けられた。
「目撃者を捜すのは至難の業だな」
芹沢はあたりを見渡して言った。「誰もいねえよ」
「ああ。あそこまでしっかり刺して、そのあと逃げる時間があったんやからな」
芹沢は通り掛かった一人の鑑識係員に声を掛けた。「あの、ちょっと」
「なんや」
振り返った鑑識係員は、二人より少し年上らしき男だった。
「あのバッグの中から身元を割り出すようなものは?」
「向こうにまとめて置いてある。勝手に探し出せ」
係員は親指を立てて自分の後方を示した。雨の中のはかどらない作業に苛立っている
らしい。
二人は係員が示した方向に停めてあったワゴン車まで行き、開けっ放しにした後部座席に
まとめて置いてあった遺留品を調べた。
「──これ、定期入れや」
中には、阪急電車の梅田─岡本間の六ヶ月定期と、大阪地下鉄の東梅田─南森町間の
同じく六ヶ月定期が入っていた。ともに通学定期だった。
「学生か」と芹沢は言った。「……まだ十八だ」
「岡本って言やぁ──六甲女子大かな」
「そっちに学生証がある」
芹沢に言われて、鍋島は座席の遺留品から一枚のカードを取り上げた。
やはり彼女は六甲女子大学の生徒だった。しかもまだ一年生だ。
「山蔭留美子」鍋島は名前を読んだ。「たった二ヶ月の大学生活か」
「いくら新生活で浮かれてたからって、こんな時間までほっつき歩いてたら何があっても
不思議はないさ」芹沢はにべもなく言った。
鍋島はふんと短く溜め息をついて学生証を座席に戻した。確かにその通りだが、だからと
言って人を殺すようなやつがいていいことにはならない。芹沢もそこは分かっているし、
彼なりの正義感も持っているのだろうが、それでも鍋島は相棒の聞き慣れたはずの冷めた
言い草が時々ひどく嫌になることがあった。
二人が署を出た頃から、頭上では雨に加えて不気味な雷鳴が響いていた。そして今、遠くの
空で稲妻が走ったかと思うと、とうとう激しく降り出した。
「おまえがスーツなんて着てくるからだぜ」
乗ってきた車を目指して走りながら、芹沢は鍋島に向かって吐き捨てるように言った。
「……俺もそう思う」鍋島はぽつりと呟いた。
突然、耳元で聞き慣れた着信音が鳴った。
素早く電話を取ると布団の中に引き入れて音を消し、それからゆっくりと布団から手を
出して枕元の電気スタンドのスイッチを回した。小さな池に小石を落としたように、あたりの
視界が開けた。
電話を明かりにかざし、馴れた手つきでボタンを押して画面に現れた メールを読んだ。
眠っていなかったので目は冴えていた。
短い文章のメールだった。
映し出された文字は、 「指令完了」 の四文字のみ。
まず、一人済んだ。
薄笑いを一つ浮かべて、明かりを消した。
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