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冷たい雨
作:みはる



第六章 その6



     6


 人気の少なくなった刑事部屋のソファで、一条は呆けたようにだらりと座っていた。
 デスクで課長が黙って彼女の様子を伺っている。しかしどう言葉を掛けて良いのか
分からず、小さく首を振っては手許に視線を戻すのだった。
 間仕切り戸を開け、鍋島と芹沢が戻ってきた。芹沢は通り過ぎざまにソファの一条を
ちらりと見たが、すぐに目を逸らして課長の前へと行った。
「二人を連行しました」芹沢が言った。「女の子の方は少年課で預かってもらってます」
「ご苦労さん。で、あの子の母親の方はどうや。知らせは行ってるんやろ」
「……まともでいられる方がおかしいでしょうね」鍋島が重い口調で言った。
「どうします? 取り調べますか?」芹沢が訊いた。
「いや、今日はもう遅いからええやろう。だいたいのところは認めてるんやろ?」
「ええ。三件とも自分たちのやったことだって」
 芹沢がそう言うのを聞いていた一条はがっくりと項垂れた。彼女は今でも、美登利が
共犯だったとは信じられないでいたのだ。
「とにかく、これで事件は半分解決や。おまえらも疲れてるやろうから、今日のところは
帰ってええぞ」
 そして課長は芹沢を見て、「芹沢、おまえ確かアパートは中津なかつやったな?」と言った。
「ええ。それが何か?」
「それやったら、一条くんを送ってやってくれへんか」
「俺がですか?」
「せや。彼女の宿泊先も中津に近いし。タクシー代は経費で落とすから。な?」
「はあ……」
「送ってやれよ。彼女、だいぶ疲れてる見たいやから」
 鍋島が真面目くさった顔で言った。
「……ああ」
 そして芹沢はゆっくりと後ろを振り向き、濡れた髪のまま長い溜め息を漏らしている一条を
ぼんやりと見た。


 一階のロビーでタクシーを待っていると、後ろから鍋島が近づいてきて彼に訊いた。
「お嬢さんは?」
「トイレだろ」
「ふうん……」
 鍋島は意味ありげに頷き、にやにや笑って芹沢を見た。
「何だよ、余計なこと言うなよ」
「チャンス到来、やな」
 そう言い残すと鍋島は先に帰っていった。その背中を見送りながら、芹沢は困ったように
笑って俯いた。
 やがてタクシーが到着した。芹沢は一条が廊下の奥から出てくるのを待って乗り込んだ。
「──信じられないわ。あの子が共犯だったなんて」
 タクシーの中で一条が口を開いた。
「厳密に言うと彼女は首謀者だ。中年女の方は実行犯ってとこだな」
「あんなに無邪気でいい子だったのに」
「言ったろ。近頃のガキは器用なんだって」
 一条は芹沢を見た。「あなたの穿った見方が正しかったわけね」
「別に、そんなこと言ってるんじゃねえよ」
 芹沢は小さく笑うと、すぐに真顔に戻って一条に振り返った。「まだ強盗の方が残って
るんだからな。それがあんたの本来の事件なんだし、いつまでもがっくりしてられねえぜ」
「分かってるわ」
 そう言いながらも、一条はまた深く溜め息を吐いた。

 タクシーが一条の泊まっているホテルに着いた。ドアが開き、彼女はゆっくりと両足を
下ろした。
「大丈夫か? 足、痛めてるんじゃねえのか?」
「ほとんど治りかけてたんだけど、あのときまた──」一条は顔を歪めた。
「部屋まで送ってくよ」
「いいのよ。このまま乗って帰って」
「かまわねえさ。ここからなら歩いたってすぐだし」
 そう言うと芹沢は笑顔を浮かべた。「心配するなよ。俺は送り狼なんかじゃねえからさ」
「そんな意味じゃないわ」と一条も微笑んだ。「……じゃあ、助けてもらうわ」
 タクシーを降りて二人は中に入った。フロントで鍵を受け取り、一条は芹沢に支えられ
ながらエレベーターに乗り込んだ。
 部屋の前まで来ると芹沢が鍵を回し、ドアを開けた。そして一条に鍵とバッグを渡して言った。
「じゃあな」
「いろいろごめんなさいね」
 芹沢は首を振った。「疲れてるんだったら、明日はゆっくりでいいぜ」
「大丈夫よ。こんなくらいじゃヘコんでらんないわ」
「無理すんなよ」と芹沢は笑った。「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」一条は俯き加減で言った。 
 芹沢は分厚い絨毯の敷かれた廊下を戻っていった。実際、彼自身も今夜は相当疲れていた。

「──ねえ、待って」

 声を掛けられ、芹沢はゆっくりと後ろを向いた。
 一条はさっきの様子のままで、ドアにもたれるようにして立っていた。芹沢は何も言わずに
彼女の言葉を待った。
「……分かってるんでしょ、あたしが何を言おうとしてるのか」
「そりゃあ分かるさ」
「だったら、お願い」
「いいのかよ、そんなこと言って」芹沢はじっと一条を見据えた。「ボーイフレンドが
いるんだろ」
「でも、今ここにはいないわ」一条は俯いた。「いるのはあなたよ」
「確かにな」
「独りになりたくないの。やっぱり……怖かったから」
 そう言うと彼女は顔を上げた。
「そばにいて」

 芹沢は戻ってきた。そして彼女の手を取ると、空いた手でドアを押さえて顔を覗き込み、
言った。
「自分は送り狼じゃねえって言ったやつで、実際その通りだった試しはないんだぜ」
「よく覚えておくわ」
 一条はほっとしたように微笑んだ。その笑顔は、彼女が大阪へ来て初めて見せた、穏やかで
優しい笑顔だったように思えた。
 芹沢は一条にキスをした。二人はそのまま部屋に入り、芹沢が後ろ手でドアを閉めた。




        












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