第五章 その1(後)
そのとき、デスクの電話が鳴った。課長は救われたとばかりに受話器を掴み取り、前に
立った三人の若者を迷惑そうに見上げながら応対に出た。
「もしもし? ああ、はいはい──」
三人は黙って課長の電話が終わるのを待っていた。
「──ああ、それがご存じの通り、うちも今手一杯なんや──」課長は電話の相手に言った。
「そっちの事情も承知やけど──」
そして課長はちらりと鍋島を見上げた。鍋島は相変わらずむっとした表情で煙草を吹かして
おり、課長と目が合ってもその態度を変えようとしなかった。
そんな鍋島を見つめていた課長は、突然何かをひらめいたような表情になり、そして
言った。「──そうか、分かった。そっちにもいろいろ世話になってるし、この際協力させて
もらうわ。──いや、かめへん。お互い様や。ああ、そしたらすぐに行かせるよ」
課長は電話を切った。そして大きく咳払いをすると、鍋島を見て言った。
「四課がおまえに応援に来て欲しいと言うてきた。今すぐ本部へ行ってくれ」
「ええ? でも──」
「どうしてですか? こっちの今の事情じゃ無理ですよ」と芹沢がデスクに身を乗り出した。
「今から四課が石龍組のガサ入れをする。大掛かりな賭場が開かれてるっていう
タレコミがあったらしい。十分な内定も済んで、いよいよ踏み込むそうや。それで鍋島にも
来て欲しいって」
「撃ち合いになるかも知れないからですか?」
「ああ。石龍組の場合は大いにその危険性がある」
「だったら機動隊で十分じゃないですか。今はこっちだって応援が欲しいくらいなんですよ」
芹沢は食い下がった。
「もちろん、機動隊からも出すそうや。けど、主要メンバーの中に面の割れてへん鍋島を
入れたいらしい。うちも四課には借りがある」
課長はデスクに両肘を突いた。「あっちは鍋島の腕が欲しいんや。相当お気に入り
みたいやな」
芹沢は諦め顔で溜め息をつき、鍋島に振り返った。
「おまえ、そのうち四課に引き抜かれちまうぜ」
「それに──捜一の連中にええカムフラージュができる。所轄はのんびりやってるなと
思わせるのにちょうどええ」
「課長が行けって言わはるんなら、俺はいいですよ」と鍋島は肩をすくめた。「引き抜かれる
のはごめんやけど」
「ああ。悪いが頼むわ。済んだらすぐに戻ってこいとは言わん。何ならちょっと息抜きして、
それから帰ってきたらええから」
「分かりました」
鍋島は頷き、芹沢に振り返ると微かに笑みを浮かべて言った。「まあ、そういうこと
やから」
「……悪運の強いやつだな」芹沢は面白くなさそうに呟いた。
鍋島はちらりと一条を見ると、何も言わずに立ち去った。そして彼が出ていったあとで、
一条はぽつりと言った。
「何だか、気が削がれちゃったわ」
「ああ、肝心の話の方やな」と課長は一条に向き直った。「一条くん、とりあえずここは私に
采配を任せてくれへんか」
「ええ、結構です。お願いします」
「よし、そしたら今から芹沢と一緒に西端千鶴のマンションへ行って、カレーハウスを
訪ねてきた男の手がかりを探してくれるか。昨日、遺体を引き取り来た両親が、篠山での
葬儀が終わったらマンションの部屋を片付けるから、調べることがあったらそれまでに
済ませて欲しいと言うてきた」
「分かりました」
一条が芹沢を見ると、彼は冷ややかな眼差しで彼女を見下ろしていた。そして彼は言った。
「何かと不満はあるだろうけど、そいつはお互い様だからな」
「分かってるわ」
刑事部屋を出た二人は廊下を階段へと向かった。一条は白いバッグの中を覗いて女性捜査官
専用の小型拳銃が入っているのを確かめると、すぐに閉めて肩に掛けた。そして芹沢に後れを
とらないよう、早足で彼を追いかけた。
「──ねえ、彼ってそんなに腕がいいの?」
一条は前を見たままで芹沢に訊いた。
「鍋島のことか」
「ええ」
「とりあえず本部ではそれで名が通ってるみたいだぜ」芹沢は言った。「所轄の刑事が射撃の
腕を買われて応援を頼まれるなんて、聞いたことねえだろ」
「そうね」
「柔道や剣道じゃ体格で損するから、その分射撃の腕を磨いといた方がいいと思って練習
したって本人は言ってるけど、俺はそうは思わねえな。ありゃ天性の才能だ。勘がいいのさ」
「人は見かけによらないものね」
まあな、と芹沢は軽く笑ったが、すぐに真顔に戻って一条を見た。「それに、あいつが
さっきみたいにキレるのもまずないことだぜ」
「……そう」と一条は芹沢を見た。「でも、あなたは怒らなかったわ」
「俺はあいつほど真面目じゃねえから。あんたが何を言おうとどうでもいいのさ」
そう言うと芹沢は階段を下りきったところで立ち止まり、一条に振り返った。
「──と言うより、あいつよりは少しだけあんたに馴れたってことかな」
「何とでも言えばいいわ。どうせあたしはここの人たちから疎まれてるのは分かってるから」
一条がそう言うのをじっと見つめていた芹沢は、やがて背を向けて歩き出した。
「……だったらもうちょっと可愛げのあることが言えねえのかよ」
「え? 何? 何か言った?」
「何でもねえよ」
芹沢は振り返らずに吐き捨てると、すぐに声を小さくして呟いた。
「……ったく、何で俺ばっかあの女の相手しなきゃならねえんだ」
彼は玄関に出て、駐車場に向かった。
「……頭に来る連中ばっかりだわ」
一条は悔しそうに唇を噛んだ。
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