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冷たい雨
作:みはる



第四章 その2(前)


      2


 裁判所の裏手にある画廊喫茶で、鍋島はテーブルを挟んで中大路と向かい合っていた。
 鍋島は煙草を吹かしていた。自分の方がこの男に用があったわけではないので、何も話す
ことがなかった。だからと言っていつまでもこのニコニコ笑っているだけの男を眺めていても
仕方がない。人の笑顔を見て自分も楽しい気分になるほど、今の鍋島には余裕は無かった。
だから彼は切り出した。
「あの失礼ですが、麗子とはどういう──」
「あ、すいません、お呼び立てしておきながら」
 と中大路は目を見開くと、すぐにまた笑顔に戻って言った。
「ご安心ください。三上さんには鍋島さんのお勤め先をうかがっただけですから」
「そうですか」
 鍋島は少しだけほっとした。いくら麗子が男女の区別なく誰とでも気さくにつき合える
女だとは言え、初めて会う男から彼女の名前を聞かされるとやはりあまりいい気がしなかった。
案外、俺も嫉妬深い方なのかも知れないと、鍋島は思って胸の中で苦笑した。
 ところが、男はさっきまでの笑顔を消した。そして大きく息を吐くと、重々しく口を開いた。
「──僕がご縁のあるのは、三上さんではなくて……のの々村むらさんなんです」
「えっ?」と鍋島は顔を上げた。「真澄ますみ……ですか?」
「ええ、そうです。真澄さんです」
 中大路は頷くと、じっと鍋島を見つめた。
 野々村真澄は麗子の従妹だった。四年ほど前、まだ友達だった麗子から従妹だと言って
紹介されたのが 真澄と鍋島の最初の出会いだった。
真澄は京都に住む開業医の娘で、自宅で茶道と華道を教えており、 アメリカ育ちで自立心の
強い麗子とは正反対の箱入り娘タイプの女性だった。
 そして、そんな彼女がどういうわけか鍋島に恋をした。それに鍋島がようやく気づき始めた
のが、知り合って三年経った去年の秋頃だった。周りにさんざんけしかけられたせいもあって、
鍋島は一途な彼女の気持ちに応えようと、自分の誕生日でもあるクリスマス・イヴに真澄を
デートに誘った。しかし、そこで気づいたのは、自分が本当に好きなのは彼女ではなくて
麗子の方なのだということだった。鍋島は卑劣にも──自分でそう思っているのだが──
自分から誘った真澄をふったのだ。しかも、その日のうちに麗子に気持ちを打ち明け、二人は
つき合い始めたのだった。

 それ以来、鍋島は真澄のことを考えると胸が痛んだ。ふった相手のことをいつまでも憐れむ
のは相手に対するものすごい侮辱だと分かってはいたが、申しわけなく思わずにはいられ
なかった。それというのも、その日以降も鍋島は何度も真澄と顔を合わせていたし、その都度、
彼女は以前と変わらず明るく振る舞い、そして相変わらず鍋島に対して好意的に接してくれて
いたからだ。鍋島はそんな真澄を見ると、どうしても彼女に対する罪悪感を感じてしまうのと
同時に、自己嫌悪に似た気持ちを抱いてしまうのだった。

「──鍋島さん?」
 中大路に声を掛けられ、ぼんやりと考え込んでいた鍋島は顔を上げた。
「あ……はい」
「僕、今年の一月に野々村さんとお見合いをしたんです」
 鍋島はどきっとした。その見合い話が真澄に持ち上がったとき、彼女は自分に対する鍋島の
気持ち次第ではその話を断ろうとしていたのだ。鍋島もそのことを麗子から聞かされ、一時は
本気で悩んだこともあった。その後、真澄が見合いをしたことは知っていたが、相手がどういう
人物で、つき合いが続いているのかどうかまでは知らなかったし、訊けなかった。

「そうですか──それで、おつき合いなさってるんですか?」
「ええ、まあ」と中大路は返事を濁した。
「で、俺に何か?」
 中大路がなぜ自分に会いに来たのか、何となく想像がつきながらも、鍋島はあえて訊いた。
と言うより、そう訊くしかなかったのだ。
「見合いをしてから半年近く経ちます。こんなことを初対面の方に言うのも何ですが、とても
うまく行っていると思ってます。僕は彼女を生涯の伴侶にと決めました。彼女の方もそうです。
いえ、決して自惚うぬぼれているんじゃありません。彼女もそういう意味のことは言って
くれてますし、何より僕に対する言葉や態度から、僕と結婚すると決めたことが感じられるんです」
「それは良かったですね」
 鍋島は頼りなく言った。しかし、言葉通りにほっとしたというのも事実だった。
「ところが、僕の中でまだ解決していないことがあるんです」
「……何ですか」
「初めてうたとき、彼女、正直に言うてくれたんです。『まだ心の中にどうしても
忘れられない男性ひとがいる』って……おそらく、僕との話を断るつもりやったんでしょう」
「そうなんですか」
 激しい心の動揺とは裏腹に、鍋島はとぼけた対応をすることに決めた。
「彼女、ほんまはまだその気持ちが強いようなんです。自分では気づいてないようやけど」
「でも、あなたとの結婚を決めたんでしょう? そんな素振りを見せて、あなたの気持ちを
試そうっていうちょっとした悪戯心でしょう。女の子の好きそうなやり方ですよ」
「でも、式は少し先にしてくれないかと……もう少し時間が欲しいって言うんです」中大路は
心細そうに言った。

 鍋島は何も言わなかった。何を言ってもその相手が自分だということがバレてしまいそう
だった。その態度に何かを感じたのか、中大路は顔を上げるとじっと鍋島を見据え、ゆっくり
と言った。
「──鍋島さん。やっぱりそうなんですね?」
「は?」
「真澄さんが忘れられない相手というのは、あなたなんでしょう?」













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