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冷たい雨
作:みはる



第三章 その5(前)



     5


 男の名前は戸田毅とだたけしと言い、芹沢が本部のデータベースからリスト・アップした
前科者二名のうちの一人だった。もう一人は調べが済んでおり、残念ながら山蔭留美子が
殺された夜には立派なアリバイがあり、すでに容疑者からは外されていた。
 戸田が山蔭留美子殺害の容疑者として芹沢の目に留まったのは、彼が五年前に起こした
女子大生連続暴行事件で、暴行の手口が文化包丁を使って女子大生の足ばかりを狙い、
浅い切り傷をつけるというもので、今回の被害者に残されていた太股の傷がそんな戸田の
やり口を連想しないでもない、という理由からだった。

「──何で逃げた?」
 戸田と向かい合って座っている芹沢が訊いた。
「あんたらが追いかけてきたからや」
「何言うてんねん、逃げたから追いかけたんや」
 壁にはめ込まれたマジック・ミラーの真横に腕組みして立っていた鍋島が言った。
「そうやったっけな」と戸田は笑った。
「おい、遊んでるんじゃねえぞ」芹沢は低く言った。「今度は足腰立たねえようにしてやろうか?」
「……分かったよ」
 戸田は笑うのをやめ、小さく溜め息をついた。「賭場へ出入りしてたから、それがバレたんやと
思て」
「それだけか? 嘘やろ?」
「ほんまや。あんたらのこと、防犯係の刑事やと思たんや」
「西天満署刑事課って名乗ったはずだぜ」
「いちいち聞いてるかいな」
「今の俺たちの担当は殺しだよ。博打なんて知ったこっちゃねえ。だからおまえは殺人で
起訴されるってわけだ」
「違う、俺は誰も殺ってない!」
「じゃあ何で逃げた!」
「せやから言うたやろ。カードで金を賭けてたから……」
「ふざけんなよ。おまえがそんなことやってたって証拠がどこにある?」
 芹沢はふんと鼻を鳴らした。「博打ってのは、ありゃ現行犯でねえと逮捕できねえんじゃ
ねえか。俺はよく知らねえけど」
 戸田は顔を上げた。「ほな、見逃してくれるんか?」
「ああ、その代わり殺しで死ぬまで刑務所暮らしだ」
「せやから俺は──」
「じゃあ素直に吐けよ。おまえが逃げたのは、四日前の殺しがバレたと思ったからだってな。
おまえには前科がある、今度しくじりゃ間違いなく二度とシャバへは出てこれねえ、そう
思ったんだろ? でねえとあそこまで 必死で逃げねえよな。おまけに人のツラ、こんなに
しやがって」
「俺はもっとひどくやられたよ」
「冗談だろ。おまえのツラと俺のツラじゃ、そりゃもう絶望的に値打ちが違うんだよ」
芹沢はまた鼻白んだ。「釣り合いとるにゃ、おまえにはまだ全然やり足りねえな」
「……なんちゅう刑事や」
 戸田は吐き捨てるように言うと、不愉快そうに芹沢を見た。「あんたらが訊いてるのは、
南森なんもりで殺された女子大生のことやろ?」
「そや。よう分かってるやないか」鍋島が言った。
「そりゃそうだよな。てめえの仕業なんだからよ」
「違う。俺かてテレビは見るし、新聞くらい読むよ。マスコミがえらい騒いでるやんか」
「騒がせてんのは誰なんだよ」
 戸田はうんざりしたように顔をしかめた。「なあ、そんなゴリ押しで人を陥れるなんて
無理やで。お互いトーシローやないんやから、ちゃんと訊いてくれたら答えるよ」
「ずいぶんと偉うなったもんやな」と鍋島が言った。「ほな訊くけど、四日前の夜中の一時から
二時頃、おまえどこで何してた?」
「四日前って言やあ──日曜か?」
「ああ、正確には月曜が始まってすぐや」
「アパートで寝てた」
「それを証明しろ」
 戸田は首を振った。「そんな時間にきっちりしたアリバイがあるやつの方が怪しいのと違うか」
「知った口を利くんじゃねえよ」と芹沢が言った。「けど、それじゃ済まされねえ。おまえが
あの子を殺ったんじゃねえってことを証明できねんなら、こっから帰すわけにはいかねえな」
「何と言われようと、その夜はほんまにアパートで寝てたんや。土曜の夕方から日曜の昼過ぎ
まで仕事で、疲れ切ってたから」
「仕事って、何の仕事だ」
「運送屋や」と戸田は答えた。「あんたら、それも知らんのか? データを管理してるやつに
言うときや。情報ってのは新しないと意味がないってな」
「運転手か?」鍋島が構わずに訊いた。
「いや、相棒が運転して、俺は荷物の積み卸しや」
「宅配便?」
「違う、長距離や。土曜日は下関まで行ってた」
「仕事から上がったんは何時や」
「だから昼過ぎ。一時頃」
「それからどうした?」
「会社の近所で昼メシ食うてからパチンコに行って──一時間もせんうちに切り上げて
アパートに帰った。あっという間に一万円スッたから。あとはずっと部屋にいた」
「誰かが訪ねてきたとか、電話があったとかもないんやな」
「夜中の一時やろ。あるかいな」
 ふうん、と芹沢は頬杖を突いた。「──ところで、おまえは前の事件で女の子の足ばかり
狙ってたらしいな」
「……そうか。俺に目をつけたのはそのせいか」
 戸田は納得したように頷きながら言った。「殺された女、太股を切られてたんか」
「ちょっと今回はエスカレートし過ぎたんじゃねえのか」
 芹沢は静かに言うと戸田をじっと見た。
「だから、俺やないって」
「だったら、ちゃんと俺たちを納得させてみろよ」
「それが出来ひんと思たから逃げたんや」
 俯いていた戸田は顔を上げた。 「──な。信じてくれよ。今の職場の社長は、俺の担当の
弁護士が保証人になってくれたから俺を前科者と承知で雇ってくれてるんや。それを今さら
同じ事件ヤマを踏んで……しかも殺すやなんて、俺にとっても自殺行為もええとこやで」
「だからと言うて、その理屈がおまえのシロの証明にはならへんな。現におまえ、博打って
違法行為はやってたんやろ」
「どうしたらええんや……」戸田は途方に暮れたように呟いた。













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