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冷たい雨
作:みはる



第三章 その3(前)




      3


 奇妙な光景だと思った。
 北浜きたはまにある小さな割烹料理屋の座敷で、萩原は榊原と向かい合っていた。
傍目から見れば、スーツ姿の萩原が彼よりラフな格好の客を接待して商談を進めていると
いう、このあたりではよく見掛けるシチュエーションのようにも思えた。しかし実際は、
この二人は時期こそ違えど同じ女性と婚姻関係を結んだという共通点で引き合わされた者
同志だったのだ。

 榊原は生成りのポロシャツに紺のブレザーを着て、ベージュのスラックスをはいていた。
がっしりとした筋肉質の男で、陽に灼けた温厚そうな顔には、自分の新妻の前の亭主を
目の前にした今もにこにこと笑みが絶えなかった。
 年齢は三十四歳だったが、その穏やかな表情がもう少し年上のような貫禄さえ漂わせて
いた。
「──いやあ、今日お電話いただいたときは嬉しかったです」
 榊原は徳利を持つと萩原に差し出して言った。「一度こうしてゆっくりお話がしたいと
思っていましたから」
 萩原は軽く会釈して杯を受けた。「半年前に一度お目にかかったきりでしたね」
「ええ、あのときは思いがけず。しかも、立ち話でお別れして」
「今日もわざわざ出てきていただいて申し訳ありません。なにぶん、就業時間があってない
ような会社に勤めているものですから」
「大変でしょう、銀行も今は。私にも取引銀行はありますが、遅くまでお仕事なさっている
ようです」と榊原は神妙に頷いた。
 萩原は愛想笑いをした。榊原が自分に対して極めて好意的な態度で接してくるので、
美雪のことで彼に意見してやろうと思っていた萩原の意気込みは頭打ちにあったようだ。
 それどころか、榊原のこの態度は、自分が放棄してしまった夫や父親としての務めを
代わりに果たしていることによる自信の表れなのかも知れないとさえ、萩原は考え始めて
いた。

 萩原は気を取り直して言った。「あの、榊原さん」
「はい、何でしょう」
「実は──話というのは、他でもない美雪のことなんですが」
「誕生会のことなら、先生からお聞きになられたと思いますが。どうぞ気になさらずに
出席してあげて下さい」
「それは出来ませんよ」
「ご都合がお悪いですか?」
「いえ、そういうことではなくて」
 そう言うと萩原は一つ咳払いをした。「あの、俺──いや僕がこれからお話しすることは、
本来なら僕には言えた義理でもなんでもないんやってことを、僕自身が重々分かってて
言うてるんやと思って聞いて下さい」
「とんでもない。どうか遠慮なさらずに」
 榊原は困ったように頭を掻いて笑った。白い歯だった。
 萩原は彼を見据えて頷き、火を点けようとして手に持っていた煙草を箱に戻した。
「誕生会のことは、単に美雪のわがままです。聞いてやることはありませんよ」
「えっ、でも──」
「いいえ、そうなんですよ。だから榊原さんが行って下さい」
「萩原さん……」
「あの子は──僕がああいう身勝手なことをしたばっかりに、思いがけず犠牲を強いることに
なりました。それは確かにそうなんですが、だからと言うて周りの大人が──僕を含めて
ですが──ちょっと甘やかしすぎたんです。 可哀想な子や、不憫な子やって」
「そうですかね」
「だからあなたのような、あの子に対してその……何の負い目もないっていうか──まだ
真っ白な関係の人が、あの子に対して厳しくしてやってもらいたいんです」
 そこまで言うと萩原は急に顔をしかめた。「いや、こういう言い方はあきませんね。
あなたが気を悪くなさる」
「萩原さん、勘弁してくださいよ」と榊原は言った。
「は?」
「まるで腫れ物に触るって感じじゃないですか。それほど僕は偏屈じゃありませんよ」
「……申し訳ない」
 榊原は小さく首を振って微笑んだ。「しかし美雪ちゃんも、まだまだ甘えたい年頃でしょう」
「けど、いつまでも僕の方ばかり向いてられたら、あなただって不愉快でしょう?」
「不愉快だなんてとんでもない。あの子の気持ち、よく分かってるつもりですから」
 榊原は顔の前で手を振り、やがて真顔になって言った。「それとも、萩原さん。あなたが
迷惑してらっしゃるとか?」
「まさか。僕はあの子の父親ですよ」
 思わず突いて出た言葉に、萩原はまたしても顔をしかめて舌打ちした。
「まったく──節操がないって言うか──」
「いいえ、あなたは確かに父親なんですから。それより僕の方こそ失言でした。申し訳ない」
 そう言って頭を下げた榊原に萩原はバツが悪そうな笑みを見せ、それから美しく盛り付け
された刺身を箸でつついて口に運んだ。













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