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冷たい雨
作:みはる



第三章 その1(前)


 第三章  ブルース──Blues


      1


 まだ午後一時をまわったばかりだというのに、陽の射さない薄暗い刑事部屋では天井に
張り付けられた蛍光灯の半分以上が点灯されていた。
 開いたブラインドの向こうでは、河に浮かんだ中州に建つネオ・ルネサンス様式の中之島
中央公会堂が、透き通った雨に洗われて鮮やかな緑を蘇らせた木々に囲まれて静かに佇んで
いた。手前を走る阪神高速は東へ向かう車で溢れ、そのタイヤからは飛沫が盛んに上がって
いる。三日連続の雨だった。

 昼食を済ませて刑事部屋に戻った鍋島は、向かいのデスクで出前の炒飯を食べている高野
警部補と話し込んでいた。

「──それで、おまえらは怨恨の線は薄いと見てるんか」
 高野が言った。
「ええ、断定はできませんが、その可能性は低いんやないかと思てます。昨日と今日で、
かなりの人員を割いて被害者の周辺を洗いましたが、まったく評判は悪くないんですよ。
学校の友達から近所の住人、バイト先の同僚まで、みんな口を揃えてええ子やったって
言うんです」
「母親の方はどうや? 親への恨みが娘にいったのかも知れんぞ」
「それも当たりました。けど、どうやらそっちもシロですね」
「──やっぱり、頭のイカれた野郎の犠牲になってしもたということか」
 高野はうんざりしたように言った。「気の毒にな」
「ただ──引っかかる点はあります」鍋島は煙草の煙を吐いた。
「何や」
「そんな模範的な娘やった彼女が、何であんな遅くにあの場所にいたかってことですよ。
なんぼ家から歩いて十分ほどのところやていうても、真夜中ですよ」
「死亡推定時刻は一時から二時っていうてたな」
「ええ。地下鉄も終わってる時間です」
「誰かと一緒やったとか」
「やっぱりそう考えるでしょ、普通」
「母親に心当たりは?」
 鍋島は首を振った。「バイトが終わったらすぐに帰ってくるもんやと思てたらしいです。
前日の土曜日にも同じバイトがあって、そのときは九時半には帰ってきてたそうですから」
「──やれやれ、子供を信頼しすぎるのもこうなってしまうと考えものやな」
 高野は食べ終えた皿をデスクの奥へ突いて、上着のポケットから煙草を取り出した。
「電話で喋った友達には、誰かに会うようなこと言うてたんやろ?」
「はあ。でもあの夜のことなのかどうかは分からへんのですよ。ただ『もうすぐ逢える』と
だけ言うてたらしいから」
 鍋島は煙草を灰皿で潰し、椅子の背に倒れ込んだ。「十八歳の女の子の恋物語に過ぎひんの
かも知れんしね」
「それは言えるな」と高野は頷いた。「ケータイの通話記録の中に、怪しいのはなかったんか」
「全部素性のはっきりした相手です。アドレスやメールも含めて、すべてを確認しましたが、
今のところ疑わしい人物はいません」
「ともあれ、バイトが終わってから殺害されるまでの行動が空白である以上、偶然通り魔に
襲われたとも断定でけへんな」
「そこなんですよ。現場にはほとんど手がかりは残ってへんし、今のところ苦戦してます」
「芹沢は?」高野は鍋島の隣のデスクを顎で示した。
「所轄の俺らは通り魔の線を調べることになったんで、帳場のパソコンから本部のデータ
ベースの前科者リストを洗ってます。暴行犯の危険人物のリスト・アップです」
「なんや、まだやってへんかったんか?」
「とりあえず事件発生直後に一度はやったんですけどね。その全員がシロやったから、
もう少し網目を細かくして調べてくれって、捜一の班長が」
 高野は同情的な眼差しで鍋島を見た。「いつもの例に漏れず、本部事件はキツイな。ワシも
横浜の事件がなかったら、ほんまやったらそっちに掛かるとこなんやが」
 鍋島は頼りなく笑った。「どうなんです? 宝石強盗」
「こっちもなかなかのもんや」と高野は意味ありげに笑った。
「仲間に轢き逃げされた男が、こっちの施設で育ったんですってね」
「ああ。その施設から高校まで通って、西宮にしのみやの会社に就職したんやけどな。そこを
足がかりに交友関係をあろてるんやけど、とにかく友達の少ないやつなんや──いや、
少ないと言うより、ゼロに等しいな」
「住んでた場所の近所では?」
「挨拶程度のつき合いや。それはめずらしくもないやろ」
「まあね」自分にも思い当たる節のある鍋島は苦笑した。「──で、宝石をこっちでさばいて
るらしいっていう、残りの連中はどうなんですか」
「そっちや、問題は。三人いてるんやけどな。それが今、バラバラになってるようなんや」
「と言うと?」
「宝石が見つかった店──ほれ、天満てんま蓉美堂ようびどうや。あそこの主人に言わせると、
きちっとした身なりの五十過ぎの男が問屋やと言うて訪ねてきたらしい。会社が倒産して、
現物だけもらって首切られたって」
「そんな話に引っかかったんですか、あそこの親父」
 鍋島は呆れたようにふんと鼻で笑った。「だいいち、盗品リストが回ってきてたんと違うん
ですか」
「回ってたことは回ってたが、親父は見てもいいひんかったそうや。で、その男が勤めてた
って会社の名前がどこかで聞いたことのあるような感じで、今年の始めに南港で開かれた
見本市にも出店してたって言われて、コロッと騙されたんやて」
「そんなもんですかね」と鍋島は頬杖を突いた。「──で、主任とあのお嬢さんは?」
「その男のモンタージュ持って、今日は質屋巡りや」
「けど相手は複数で、バラバラに動いてるんでしょ? もう大阪を出たんと違いますか」
「ワシもそう思うんやけどな。お嬢さんがえらい張り切っててな」
「それで係長は留守番ですか」
「それだけやないて。課長が署長に呼ばれてて、さっきからずっと署長室や。ワシはそっちの
留守番や」
「そういや、さっきから静かやと思たらいてへんのか」
 鍋島は部屋の上座を陣取っている課長のデスクに振り返って言った。「何の用なんやろ」
「そら、この二つの事件の進展状況を聞かれてるのに決まってるやろ。横浜からエリートの
刑事が来てるんや、本部長も注目してる」
「中間管理職のしんどいとこですね」
「ああ。ワシもうかうかしてられん」と高野は腕を組んだ。














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