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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

一声、二声

作者: 腐れ大学生

 夏ホラーに乗り遅れたので悔し紛れに投稿することにしました。

一足先に背筋を冷たくしてくだされば幸いです。

 人気のない小道を、私は歩いていた。

 太陽はとっくに地平線の彼方へと飛び去り、静かな暗幕が世界を覆い尽くしている。

 こつり、こつりと私の革靴が規則的な鳴き声を上げる。辺りの静寂を蹂躙するその音は、まるで闇の王の嘲り声のようだった。

 生温かい風が頬を撫でる感覚に、私は少し首をすくめる。

 そろそろ気温も上がりだす時分だ。寒さに身を震わせ、家に引き籠っていた者たちも、いい加減に外の澄んだ空気を吸いたくなる頃だろう。

 早く暖かくなればいいのに、などと独りごちる。

 人気のない夜道というのは、どうもつまらない。

 単調なアスファルトを観察するのに飽きた私は、空を見上げることにした。

 一般的に空色といえば、淡い青色のことを指す。英語にすらスカイブルーという言葉があるのだから、その地位は確固たるものなのだろう。

 しかし、いざ夜になってみればどうだ。爽やかな青は影を潜め、暗澹たる黒で塗りつぶされているではないか。時折雲の合間から差し込む月光は、夜の空を完全な黒色としないためのアクセントだ。

 少しだけ明るい黒色、矛盾している気もするが、これもまた空色と言えるだろう。

 雲によって拡散された柔らかな月の光は、見慣れた小道を私の定義する空色で染め上げ、つまらない夜道の光景を朦朧とした、夢を見ているような光景に変化させた。

 おぼろ月、と呼ばれるものだろうか。この光に包まれれば、道端の電信柱すらお伽噺に出てくる妖精の住まう樹に見えそうだ。

 月、といえば一つ思い浮かぶ話がある。

 月は常に地球に同じ面を向けている、という話だ。

 理由は知らないし、知りたくもない。

 ただあの美しい月ですら、地球にいる限りは決して見ることのできない二面性を抱えていることに、何とも言えない高揚を感じるのだ。

 そして、人は見えない物に対して想像で対抗する。あの美しい姿の裏には、どんなおぞましい素顔が隠されていることだろう。

 随分昔に、月の裏側には宇宙人の秘密基地がある、などという馬鹿げた噂話を聞いたことがある。

 しかしそれを間違いだとする根拠もないので、安易に否定することはできない。

 見えない物に対する想像の幅は、無限大だ。

 まぁ、実際は既に観測済みであるらしいが。無粋なことをする奴もいたものだ。


 「おーい」


 唐突に、私の思考を声が遮った。慌てて前方に目を向けると、少し先にある街灯の下に人影が立っており、こちらに向かって手を振っている。

 周りを見渡すが、私以外には誰もいない。どうやらさっきの声は私に呼びかけたものらしい。

 こんな夜道で声をかけてくるもの者など、まともな奴であるはずがないが、本当に知人である可能性も捨てきれない。

 私はひとまず人影に近寄り、顔を確かめることにした。

 人影まで十メートル。顔どころか姿すらはっきりとしない。人影は無言で手を振りつづけている。家族の誰かだろうか。

 人影まで五メートル。いまだその姿は明らかではない。人影はまだ手を振りつづけている。久しく会っていない旧友だろうか。

 人影まで一メートル。いい加減に異常を認めるべきだろう。街灯の下には何もいない。

 ただ影が手を振っているだけだった。

 

 異様な光景だった。主について地面を這いずるだけの存在が、今主人のもとを離れて私の目の前で独りでに立ち上がり、手を振りつづけている。

 周囲の暗闇よりも暗いその体は、前後のどちらを向いているのか判別できないが、何故か影の視線は私を捉え続けているということは理解できた。

 私はその影の横を無言で通り過ぎた。

 至近で見たその姿は、人影というよりは、その空間にぽっかりと空いた穴のようだった。

 おぼろ月夜が創りだす夢の夜道の中で、あらゆる光を呑みこむ影は、むしろ唯一現実的なものであるように感じられた。

 全てが朦朧とするこの世界で、はっきりとした形を保っているのはその影のみであったから。

 私が通り過ぎた後も、背には影の視線が感じられた。おそらく今振り返れば、手を振りつづけている影の姿が見られることだろう。


 一声おらびという妖怪がいる。

 人間を見かけると、一声だけ声をかけるという妖怪だ。

 これだけ聞くと、寂しがりで恥ずかしがり屋な奴に思えるかもしれないが、こいつの呼びかけには絶対に応答してはいけない。

 応答すると呪い殺されるという、とんでもない逸話が残っている。

 それ故にこの妖怪の出る地域では、黄昏時に人に声をかけるときは、必ず二声かけたとされている。

 二声かけるということは、自分が人間であることの証明なのだ。

 こういった習慣は、現代にも受け継がれている。例を挙げるならば、電話に出る際に言う、もしもしだ。

 もし、とは申すのなまったものであるが、それを二度繰り返すのは、電話がつながった先が確かに人間であると相手を安心させるための行為なのだ。

 現在ではそのようなことは意識されていないだろうが、電話が普及しだしたばかりの頃は、対話している相手の見えないこの通信手段において、二声の確認作業は必須のものだったのだろう。


 しばらく歩いていると、影の粘つくような視線はいつの間にか消えていた。どうやら諦めてくれたようだ。

 代わりに、前方の街灯の下にまた人影が見えた。

 どうやら女性のようだ。月明かりが長い髪をふわふわと照らし出している。

 また化物に出遭いたくはないので、今度はこちらから声をかけることにしよう。


「おーい、おーい」


 女性からの返答はない。こんな夜道で声をかけてくる奴など馬鹿か変態と相場が決まっているから、彼女の判断は正しいといえるだろう。

 しかし真夜中にこんなところで立っているなんて、何か訳があるのだろうか。

 話くらい聞いてやるべきではないか、などとお節介なことを考えつつ、彼女の方へと歩を進める。


「こんな夜中に、こんなところでどうなさったのですか」


 私が声をかけると、女性はうつむかせていた顔をゆっくりと持ち上げた。

 私はその顔を見て驚愕した。彼女は私の知人だった。

 しかし私を驚かせたのはそのことではなく、その知人は既に死んでいるはずだという事実だ。実際、目の前の彼女の手足は枯れ木のように細く、白装束をまとっている。

 知人は虚ろな目を私に向けると、か細い声をあげた。


「赤子を抱いていて両の手が塞がっているので、髪をとかすことができません。どうか、私が髪をとかす間だけこの子を抱いていてくださいませんか。」


 いつの間にか、彼女の腕の中に赤黒い塊が抱かれている。

 肉の塊のようなそれは、よく見ると人型をしており、生まれたばかりの赤ん坊の様であった。時折脈打つようにして動くものの、泣き声を上げることはないようだ。

 先ほど彼女が言った文句は聞いたことがある。産女だ。

 死んだ妊婦をそのまま埋葬すると、産女になるとされている。

 産女の頼みを聞いてやると、こちらの願いを叶えてくれるとされているが、髪をとかし終わるまでの間、赤子を抱き続けなければならず、また赤子はなんとかして抱いている相手に食らいつこうとしてくるらしい。

 無論、それがわかっていれば対処のしようはある。

 私はたまたま持ち合わせていたサバイバルナイフを口にくわえると、彼女から赤子と思われるものを受け取った。

 受け取った赤子は全身がべっとりと濡れているようで、また大きさの割には随分と重かった。

 知人が懐から櫛を取り出し、髪をとかし始める。

 彼女の髪は死んだ時のままだったらしく、櫛は容易には通らず、時にぶちりと音を立てて、髪を引きぬいているような有様だった。

 しばらくして、赤子の重さが増してきていることに気づく。

 赤子を見ると、どうやら徐々に頭部が大きくなってきているようだ。髪のない頭で、青色の血管が脈動しているのが見える。

 このまま赤子の頭が大きくなりつづければ、彼女が髪をとかし終わる前に、私は頭から丸飲みにされることだろう。もちろんそうなるつもりはないが。


 彼女が髪を三分の二ほどとかし終わった頃だろうか、赤子が一抱えもある石くらいの重さに達していた。いい加減腕にも限界がきており、このまま落としたらどうなるだろうか、などという考えが頭をよぎる。

未だ赤子の頭は大きくなりつづけており、その口はそろそろ私の頭を呑みこめる程度には開けるようになるだろう。

 ふと、赤子の頭部の成長が止まった。サバイバルナイフの先端が、ぷつりと赤子の頬を突いたのだ。

 赤子は少し頭を縮め、また拡張させようとするが、ナイフが邪魔でうまく大きくなることができないらしい。

 私は内心ほくそ笑んでいた。少々不安ではあったが、やはり先人の知恵というものは素晴らしい。久々に墓参りに行く気にもなる、というものだ。

 赤子は未練がましく頭を拡縮しつづけていたが、タイムリミットが訪れた。

 彼女が髪をとかし終わったのだ。

 彼女は櫛を懐にしまうと、こちらに両の手を差し出す。

 私がその腕にそっと赤子を渡すと、彼女はかなりの重量を誇るはずの赤子を軽々と抱き寄せた。


「ありがとうございます。あなたのおかげで未練を晴らすことができました。お礼に一つだけ願いを叶えましょう」


 彼女は再びか細い声をあげる。風が隙間を通り過ぎたようなその声は、どこか背筋を冷たくさせる響きだった。


「ならば、私とここで出会ったことを、誰にも言わないでください」

「わかりました」


 私が願いを言うと、彼女は拍子抜けするほどたやすく私の前から消え去った。ただ一人街灯に照らされる私の顔はきっと唖然としていることだろう。

 それにしても彼女は、私の顔を見ても一切反応しなかった。幽霊になると、生前の記憶はなくなるのだろうか。

 彼女に声をかけたとき、彼女は返事をしなかったことを思い出す。

 死人に口なし。人間は二声、妖怪は一声。ならば幽霊は一声もあげないのだろう。

 彼らはきっと生前の未練を果たすための、プログラムのような存在なのだ。それ故に、適応外のことには反応しない。

 彼女は未練を晴らしたといった、ならば極楽へ行くことができたのだろうか。

 私は彼女の墓参りをすることを決意しつつ、歩を進めることにした。


 しばらく行くと、前を人影が歩いているのが見えた。二度あることは三度あるというが、私は今度こそ人間であると信じて、声をかけることにした。


「おーい、おーい」

「はいはい、どうかなさいました?」


 二声の返事、どうやら三度目の正直のようだ。嫌が応にも胸が躍る。

 近づいてみると、人影はまだ年若いスーツ姿の女性であった。ブラウンのショートカットが街灯の光を浴びて光沢を帯びている。


「実は先ほど妙なものに出遭いまして、少し心細く思っていたのです。よろしかったら、人通りのあるところまでご一緒しませんか」

「もちろん、構いませんよ」


 女性の声は心なしかはずんでいる。もしかしたら彼女も私と似たような目に遭ってきたのかもしれない。

 私は彼女と少し世間話をすることにした。


「いつもこの道を通っているのですか。最近は物騒ですし、女性の一人歩きはあまり安全とは言えませんよ」

「いえ、普段はもっと人通りのある道を帰るのですが、今日はドラマを見逃しそうなので、少し近道をしようと思って。現代妖怪図鑑というドラマなのですが、ご存知ですか」

「ああ、知っていますよ。しかしあれは歴代最低の視聴率だと聞きましたが」

「私は面白いと思うんですけどねぇ」

「何にせよ、ドラマなんかで自分の身を危険に晒すのは感心できませんね」

「えへへ、すいません。次からは気をつけます」

「次、ありませんけどね」


 私は懐からサバイバルナイフを取りだすと、彼女の左胸にそっと刺し入れた。



 起きたばかりのだらしない顔を冷水で洗い、頭を覚醒させる。今日もまた一日が始まるのだ。

 食パンをオーブンで焼き、表面にバターと砂糖を塗りたくる。後はブラジルコーヒーのドリップパックに湯を注げば、ささやかな朝食の完成だ。

 トースト片手にテレビを見ていると、昨日の女性が画面に映し出された。


「本日未明、○市○地区の路地で女性の遺体が発見されました。警察は先日同地区で起きた妊婦失踪事件に関連があるものとして、捜査を進めていく方針です。遺体は、胸部に深い刺し傷があり、死因は出血多量の模様。凶器は……」


 私はテレビの電源を切った。ニュースとは知らないことを知るためのものだ。

 

 人間は二声、妖怪は一声、幽霊は無言。

 ただ、二声かけられたからといって、安心できるわけではない。


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