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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第5章:おわりの街・サンクトヨアシェ(Санкт-Иоас)
30/50

30_竜の娘は生きている(Нефрит)

雲の内にある光、そして、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星こそが、お前の星である。(『ユダの福音書』、第57頁)

 何かの弾みで、クニカは目を覚ます。外では、雨が降っているようだった。モーテルのくすんだ白壁を、雷鳴がきしませる。


 頭を振って眠気を追い払うと、クニカは立ち上がった。寝る前に、皆で


「誰かが起きて、外の様子を見張ろう」


 ということに決めたためだ。


 初めにシュム、次にクニカ、という順番であ。ところが肝心のシュムは、クニカの隣で寝息を立てている。


 (いぶか)りつつも、クニカはダイニングへと向かった。



   ◇◇◇



 扉の隙間からは光が漏れていた。扉をそっと押すと、クニカはダイニングをのぞき込む。


 ダイニングでは、チャイハネがテーブルに肘をついている。一本のろうそくが、かすかな光を放っている。チャイハネはその光の中で、所在なくマッチ箱をいじっていた。


 いつもは長袖の白いシャツに身を包んでいるチャイハネだったが、このときばかりは、腕まくりをしていた。


 チャイハネの腕を見て、クニカはどきりとする。腕には、青い花の刺青(タトゥー)が施されていたからだ。


「チャイ?」

「――おっと」


 クニカに気付くと、チャイハネはシャツの袖を引っ張り、腕の刺青(タトゥー)を隠してしまった。


「変なモノを見せちゃったかな?」

「いや、そんなことは」


 クニカは、しどろもどろな返事をする。一目だけでも、チャイハネの刺青(タトゥー)は、出来心で彫ったもではないことと分かった。


 クニカは、空いていた椅子に座る。


「眠くないの?」

「夜行性だからね」


 チャイハネの言葉にピンとこなかったクニカだったが、よく考えてみれば、チャイハネは“(サヴァー)”の魔法使いである。夜に目が冴えてしまうのは、チャイハネにとって当然のことなのだ。


「見張りの交代だろ? だったら、あたしひとりで十分さ。明日の昼にはお世話になるよ」

「あ、分かった」


 会話への興味を失ったのか、チャイハネは再びマッチ箱を転がしだした。皆が寝静まり、することがない以上、チャイハネは長過ぎる夜をじっとして過ごさなくてはならない。そんなチャイハネに同情はするものの、クニカは具体的にどうすればよいのか分からなかった。


 が、とりあえず会話をつなげようとする。


「あの、チャイ」

「何?」

「その……どうしてタトゥーを入れてるの、って、訊いていい?」

「なんだそりゃ」

「だって……」

「別にいいけどさ、クニカ。その前にあたしにも質問させてくれよ」

「何?」

「クニカの父さんって、何の仕事してた?」

「それは、えっとー―」


 クニカは天井を見上げる。


「じ、実はね、チャイ、わたし、記憶がなくってさ――」

「へぇ?」

「うん。リンには言っておいたんだけど、チャイにはまだだったよね? あ、シュムにも言っておかなきゃ。そうしないと――」


 ここでクニカは、言葉に詰まってしまった。チャイハネが唇を引き結んだまま、クニカをじっと見ていたためである。チャイハネは、クニカの瞳の奥を覗きこんでいるようだった。


「目は右上を向いていて、まばたきはさっきよりも多い」


 いじっていたマッチの箱を、チャイハネは机に投げ出した。


(どう)(こう)は開いているし、指はせわしなく動くし、声は上ずっているし、息も荒い」

「うっ……」

「つまりクニカは、あたしに嘘をついている」

「ご、ゴメンナサイ……」

「しかし、これはどういう意味だろうか?」


 チャイハネは語り続ける。


「『あたしに嘘をついている』というところが、ひとつのポイントだ。つまり、あたしはクニカに信用されていない、ということになる。では、どうして? ――実はクニカは、なにか良からぬことを企んでいて、あたしたち全員をワナにはめようと――」

「え? いや、そんなことは――」

「フフフ……」


 慌てふためいているクニカを尻目に、チャイハネは肩をすくめる。


「いいよ、別に。訊かれちゃ困ることの一つや二つくらい、だれにだってある。生きてりゃ色々ある。そうだろ?」

(生きてりゃ色々、か)


 チャイハネの言うとおり、色々なことがある。というより、クニカの今の生は、まさに色々なことの典型のようなものだろう。


「話は変わるけどさ、クニカ」


 物思いにふけりかけたクニカをよそに、チャイハネは言う。


「自分の才能には、いつから気付いてる?」

「才能?」

「そうだよ」


 机から身を乗り出すと、チャイハネはクニカに耳打ちした。


「才能があるだろ?」


 クニカの脳裏に、シャワールームにおける、シュムの言葉がよみがえってくる。


――クニカには才能があります。


 しまった――クニカは絶望する。シュムを追い払ってくれたのだから、チャイハネはきっと味方だろう、と、クニカは思い込んでいた。しかし、思い出してみてほしい。チャイハネはシュムに、直腸検査という離れ技をやってのける人物なのである。このままぼんやりしていたら、クニカなどひとたまりもないだろう。


 しらばっくれるなら、今しかない。


「わたし、そんな才能ありません」

「なに言ってんだ」


 きっぱりと言い放ったクニカに対し、チャイハネはけげんな様子だった。


「リンだって言ってたぞ、特殊だ、って」


 クニカは、椅子から転げ落ちそうになった。


「そんな……信じてたのに……」

「そうそう、それだよ」

「え?」

「いや、正確には“祈り”ってヤツかな?」


 だらしなく口を開けていたクニカだったが、ようやく全てを理解した。リン、チャイハネそしてシュムの聖三位一体(スヴィタヤトロイツァ)にもみくちゃにされる――という話ではなくて、チャイハネは、単にクニカの魔法について訊きたかっただけなのだ。


「なんだ、そんなこと……」

「『そんなこと』って言い草はないだろ」


 あきれ返った口調で、チャイハネは背もたれに背を預ける。


「もっと感動したっていいじゃないか。クニカにしか使えない、特別な魔法なんだからさ」

「『特別な』って……」


 クニカの心の内に、ある予感が芽生える。


「チャイ……もしかして、分かるの?」

「“竜”の魔法さ」

「“竜”?」


 (ドラクォン)という音がイメージに結びつかず、クニカはチャイハネの発音をなぞる。


「あたしもさ、初めは信じてなかった」


 チャイハネは話を続ける。


「でも、クニカは人の心が読める。人にテレパシーを送れるし、テレパシーを受信することだってできる。人の怪我も治せるし。要するに、だ。『そうなってほしい』と思って祈ったことの全てを、クニカは現実に置き換えることができる。あたしの知っている伝承の限りでは、“竜”属性に間違いない。すごいことなんだよ? 分かってる?」

「でも……伝承上、って……」

「良かったじゃないか。クニカは伝説の生き証人になってんだよ。歴代の巫皇(ジリッツァ)にだって、”竜”の魔法使いは、ひとりだっていなかった。でもクニカ、その才能は、“竜”の属性としか説明できない。何かがあるんだな、きっと。宿命みたいなものが」

(宿命、か――)


 宿命という単語が、自分の肩にのしかかってくるような錯覚に、クニカは襲われた。


「あの……チャイ?」

「何だい?」

「もしダメだったら?」

「ダメ?」

「だから……もしわたしが宿命に応えられなかったら、どうなると思う?」

「応える? 何のために?」

「それは……」


 クニカは言いよどむ。チャイハネの言うとおり、いったいクニカは、何のために宿命に応じようというのだろう? どうしてこの世界に転生したのかもわからず、なぜ性別が女に変わっているのかもわからず、これからどうなるかも分からず、仮に死んだとして、どこへ行くのかも分からない。そんな状況の中で、しかし宿命にだけは生真面目に応じようとするのは、不自然なことのように、クニカには思えた。


「分かってないじゃん、クニカだって」

「ご、ゴメンナサイ……」

「いや、それでいいんだよ」

「え?」

「だってそうだろ」


 溶けて傾いたろうそくを、チャイハネは立て直す。


「あのさ、クニカ、歌を歌いながら、『私は今歌っています』なんて言う奴いないだろ? もし言える、っていうんなら、そいつは本当の意味で歌った経験なんてないんだろうな。とにかくさ、宿命だって、そんなもんだと思うよ。宿命を自覚して生きている奴なんて、世の中にはいないね。だから、分かんなくていいんだよ。好きに生きればいいんじゃないかな? だからこそウルトラに行くんだろ? 自分の意志でさ」

「そう……かもしれない」

「『かもしれない』じゃなくて、『そう』なんだよ」


 とは言われたものの、クニカには、いまいち実感が沸かなかった。それは、背負っているであろう宿命についてもそうだったし、その宿命を背負わなくてもいいという、チャイハネの言葉に対してもそうだった。


 心全体が分厚い膜に覆われているようで、クニカは心細くなる。そして、いつものように、クニカは首からぶら下げている銀製のロケットを握りしめていた。


「ところでさ、クニカ」


 チャイハネは、そのロケットを指さした。


「そのロケットは、どうしたんだい?」

「あ、“お守り”。リンからの」

「リンから?」


 チャイハネが目を丸くする。


「へぇ。アイツもかわいいところあるんだな」

「そうかな?」


 クニカはロケットに視線を落とした。銀製のロケットは、留め金の部分が壊れていて、中に入っているであろう写真を見ることはできない。


(写真か……)


 写真には、だれかの肖像画が収められているのかもしれない。このときになって初めて、クニカは“お守り”の中身が気になりだした。


「ねぇ、チャイ。ここの留め金って開けられる?」

「どれ、貸してごらん。――いや、これはずいぶんと……」


 チャイハネの唇が、「ふ」という音を発しかけて止まる。


 きっと、チャイハネは「古ぼけた」と言おうとしたのだろう――クニカはそう考え、チャイハネの言葉を受けたつもりで、そのまま話を続けた。


「うん。古いんだけどさ、リンにとっては、大切なモノらしいんだよね? だから、わたしもそれを着けてると、その――守られてるっていうか、大切にされてるな、って感じるっていうか……」


 照れくさかったので、クニカはずっと、床に視線を落として話していた。だから、チャイハネの“心の色”が、瞬間的に


 真っ黒


 になったのを、クニカは見逃してしまった。


「どうかな、開けられそう?」


 チャイハネは何かを言ったが、クニカは聞き取れなかった。


「ゴメン、チャイ、もう一回言って」

「いや、ちょっときついかな? ハハハ」


 早口に言うと、チャイハネはロケットをクニカに返す。


「留め金がくっついてるから、開けるのは無理かな。悪いね」

「そっか……ごめんね、チャイ。無理言っちゃって」

「気にすんな」


 チャイハネが言葉を切ると、周囲は沈黙に包まれた。


「ま、とにかく今日は寝ることだ。あとはあたしに任せな」

「うん。おやすみ、チャイ」

「おやすみ。良い夢を」


 寝所に戻っていく途中、自分の背中にチャイハネの視線が投げかけられているのを、クニカは何となく感じとっていた。

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