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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第5章:おわりの街・サンクトヨアシェ(Санкт-Иоас)
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29_少しも寒くないわ(Холодное Сердце)

「大丈夫かな?」


 テーブルに両肘をついたまま、クニカはじっとしていた。しかし沈黙に耐えかね、とうとう口を開く。


「どうかしました?」


 クニカの傍に、シュムが降り立った。今の今まで、シュムは(はり)に手を引っかけ、懸垂をしていた。


「さっきの人たち」

「心配いらない」


 ヘビの牙を、ペンチで丁寧に引っこ抜きながら、チャイハネが答える。青いテーブルの上には、メスと鉗子(かんし)が並べられている。


 いったいチャイハネは、ヘビをどうするつもりなのだろう?


「そうだろ?」

「ええ。逃げ出せる程度のケガです」


 二人にバレないようにして、クニカはそっとため息をつく。


 野盗の話のとおり、道沿いすぐのところに、モーテルはあった。ただし、とてつもなくボロかった。屋根は錆びついており、元が何色だったのかは、まったく分からない。外階段は緑青に覆われており、ちょっとでも力をこめれば、簡単に踏み抜けそうだった。建物の内部もほこりっぽく、かび臭く、床のパイン材はワックスが剥がれ落ち、無残なほど白くなっていた。


 外で寝るよりはマシだし、トイレで寝泊まりするよりもマシだろう。しかし、所詮はその程度である。くしゃみをすれば吹っ飛んでしまいそうなこんなモーテルに、ちゃんとしたシャワーがくっついているようには、クニカには思えなかった。


 憂鬱な思いに駆られていたクニカの耳に、外階段を駆け上がってくる足音が聞こえてきた。リンだった。


「戻ったぞ!」


 ドアを開け放つなり、リンが声を上げた。


「お帰りなさい」

「他の場所はどうでしたか?」

「一晩泊まるだけなら、ここで十分だな」


 椅子に腰かけると、リンは背もたれに背を預ける。


「一晩だけ、だけどな! シャワーだけは何とかなりそうだ」

「それを聞けて安心しました」


 そう言うと、シュムがクニカにウインクした。シュムの意図が分からず、クニカはあいまいにはにかむ。


 暑さとは別の理由で、クニカの身体から汗が噴き出してくる。


「なぁ、入る順番を決めようぜ」

「あたしは最後でいいよ。料理で手が汚れるから」


 チャイハネが仲間(キャラバン)に加わったおかげで、クニカとリンの生活水準は向上した。チャイハネは料理ができるのである。それまで、塩漬け肉を焼いたなんとか、とか、なんとかの缶詰とかしか食べられなかったクニカとリンだったが、チャイハネがレパートリーを増やしてくれた。


「さっきから蛇を解剖してるだけじゃないか」


 リンの言葉に、チャイハネが顔を上げる。それからわざとらしく目を見開くと、チャイハネはリンに薄笑いをする。


 リンの“心の色”が、たちどころに緑から黄色に変わる。


「嘘だろ?」

「リン、たんぱく質の補給は大切です」


 腕を組んだまま、シュムがリンに答える。


「蛇食わなくたっていいだろ! おい、クニカ、お前も何か言え。ありのままの自分をさらけ出すんだ」

「リン、わたしヘビ食べてみたげえっ?!」


 「リン、わたしヘビ食べてみたい」とクニカが言い切るより前に、リンの右腕がクニカの後頭部をわしづかみにし、テーブルに押さえつけた。クニカはそのせいで、最後「うげえっ?!」と言うしかなかった。


 ちなみにクニカは、「ヘビを食べてみたい」などとは、これっぽっちも思っていない。口が勝手に動いたのである。クニカの視界の端で、チャイハネが左手指を組んでいるのが見えた。クニカの言葉を、チャイハネは操ったのだろう。


「チャイ、コイツあれなんだ」


 リンは言う。目は血走っている。


「夜遅くなると眠くなってきちゃって、あることないこと口走っちまうんだよな! 世話焼けるよな、ホント! 笑っちまうぜ! あっはっは」


 チカラアリ(びと)にしては、リンの振る舞いは、主演女優級の演技だった。しかし、当のチャイハネはそんなことにお構いなしだった。投げ出されているクニカの左腕を(つか)むと、いきなり脈をとりはじめる。


「ははん?」

「どうしたんだよ……?」

「いやね、眠くなって変なこと口走っちゃう奴ってのはね、神経がイカレてることが多いんだよ。で、今クニカの脈をとってるんだけど、これが恐ろしいぐらいにゆっくりなんだ。ホント、止まっちまうんじゃないか、っていうくらいに。だからあれだ、副交感神経の(こう)(しん)症状なんじゃないかな?」

「ヤバいのか、それって?」

「ふぐっ、ふぐうっ?!」


 机に頭を押し付けられているせいで、まともに息ができず、声にならない声を、クニカは上げ続ける。


「ヤバいっちゃヤバい。だけど治療はできる」

「どうやって?」

「蛇を喰わせるんだ」

「あっ」


 リンもようやく、自分がかつがれていると気付いたらしい。


「いい機会じゃないですか、リン。ゲテモノを食べる機会なんて、そうそうありません」

「ハァ、分かったよ。クニカも食べたがってるみたいだし」

「え。ちが……」


 ちがう――とクニカが言うよりも、チャイハネが印を結ぶ方が早かった。クニカの唇は、二枚貝のようにぴったりとくっついてしまう。


「もぐ、もぐもぐもぐ……?」

「何モグモグしてんだよ、このばか。オレはさ、血清でも作るのかと思ったんだよ」

「リン、血清ってのはさ、馬がいないとダメなんだ」

「そうなのか?」

「そうさ。薄めたヘビの毒を、まずは馬に注射する。そうすると、馬の体内に抗体ができる。それを人間向けに加工したのが、血清なんだな」


 馬――チャイハネの話を聞くうちに、クニカの脳裏には、ふとニコルの姿が浮かんできた。ウルノワ大学の病院内で、クニカたちと、思わぬかたちで出くわしたのが、北大陸にあるサリシュ=キントゥス帝国の兵士・ニコルだった。


「馬の面倒を見ていたい」


 ニコルはたしか、そんなことを言っていた。かれは今、どうしているのだろう。クニカはふと、そんなことを考える。


 風が強まり、鎧戸が音を立てる。



   ◇◇◇



 数週間ぶりのシャワーを浴び、着替えを済ませると、クニカは人知れずため息をついた。


 この世界で“クニカ”として生き始めてから、半年も経っていない。にもかかわらず、クニカはもう何年も、この世界で生きている気がした。


 それにクニカはもう、自分の体に慣れっこになってしまっている。背が縮むと、周りのすべてが大きく見える――。


「――うわっ?!」


 シャワー室の小部屋をぐるりと見回してみたクニカだったが、ふとそのとき、扉の前にシュムが立っていることに気付いた。


「どうしたんです?」

「ええっと、いきなり立ってたから――」


 あたりは湯気で、まだもやもやとしている。体の熱を逃がすために、クニカはTシャツの襟を(つか)んであおいだ。


 シュムの視線は、あおぐ際にちょっとだけはだける、クニカの襟元に注がれていた。


 イヤな予感がした。


「あ、わたし、もう出ま――」


 クニカが外へ出ようとした矢先、とつぜんシュムが右足を上げ、シャワー室の中に踏み込んできた。後ろ手に個室のドアを閉めると、シュムはクニカに上目づかいをしてみせる。


「え?」

「フフン」


 たじろいでいるクニカに対し、シュムは得意そうだった。シュムの胸のあたりを漂う“心の色”が、ほんのりと赤くなる。いや、“赤い”というよりも“ピンク色”といった方がいいかもしれない。初めて見る色だった。


「クニカ」

「は、はいっ?!」

「ダンマリではいけません」


 シュムはぴしゃりと言ってのける。


「言いたいことがあるのならば、私に言ってください」

「えっと、その……うぶうっ?!」


 たじろいでいるクニカの顔を、シュムは両手で押さえつけ、自分の顔の前に固定する。


「ほら、クニカ、人の目を見て話すんです。目を見て話さないと、伝わるはずのものも伝わりませんよ」

「うぶっ――ぷはあっ?!」


 シュムの手を、クニカは払いのける。シュムの力が強いせいで、頭がい骨が変形してしまうのではないかとさえ、クニカは思った。


「えっと……えっと……シュム?」

「はい、何です?」


 クニカに名前を呼んでもらって、シュムはうれしそうだった。


「あの、ち、ちち、近くないですか、わたしたち?」

「ふふん。それで?」

「だから……その……そ、外に――外に出してくださいッ!」

「ダメです」


 即答だった。


 ちなみにクニカは、ちゃんとシュムの目を見て話している。伝わるはずのものが伝わらなかった――のではなくて、そもそもシュムは、クニカを外に出すつもりなどないのだ。


 とつぜんシュムが腕を伸ばすと、クニカの乳房をわしづかみにした。


「ひぎいッ?!」

「クニカ、いい声です」

「あっ、ちょっ?!」

「大きな声が出せるじゃないですか」


 シュムがまたしても一歩踏み出し、クニカににじり寄った。二人の体が密着する。


 クニカの耳元で、シュムがささやく。


「クニカ、クニカには才能があります」

「さ、才能……?」

「どエスの才能です」


 ネコのように爛々としたシュムの目を見て、クニカはすべてを悟った。


 一階のシャワールームからでは、クニカの声は、リンにもチャイハネにも届かない。シュムはそのことを計算に入れた上で、ここまで押し込んできたわけである。


 シャツの内側をまさぐろうとしてくるシュムを、クニカは必死になって拒む。


「いや、あの、その、こういうことはチャイと一緒にやった方が……」

「大丈夫です、クニカ。今から矯正すれば、クニカはちゃんとどエムになります」


 シュムは言ってのける。


「クニカ、私にそのお手伝いをさせてください」

「いや、だからチャイと一緒に――」

「さいきん、チャイがかまってくれないんです」

「か、かまってくれない……?」

「もともとは私がセメでした」


 神妙な面持ちで、シュムがいきなり語りはじめる。


「えっ。何の話です?」

「でも、私がもたもたしていて、チャイが怒ってしまったんです。以来ずっと、わたしがウケで、チャイがセメなんです。でもそんなのイヤです。私だって『はーい、直腸検査しまーす』とかやってみたい」

「えっ」


 声にならない叫び声が、クニカのお腹の中で反響した。プレイがニッチすぎて、クニカはよく分からない。


「えっ、直腸検査。えっ」


 そのときだった。


「シュム!」


 扉が開け放たれると同時に、そこから伸びた腕が、シュムの首ねっこを掴んだ。


「にゃーん……」


 シュムはせつなそうな声を上げたが、それだけだった。親トラにくわえて運ばれる子トラのように、シュムはおとなしくしている。


 そんなシュムをつかまえているのは、チャイハネだった。


「シュム、クニカがかわいそうだろ?」

「にゃーん……」


 チャイハネはげんなりした様子だった。それでもシュムを手なずけられるのだから、チャイハネはすごい――とクニカは思った。


「ほら、クニカ」

「は、ハイッ?!」

「さっさと戻ろう。リンが蛇を投げ捨てちまう」

「クニカ、しばらくおあずけですね」


 チャイハネから解放されると、シュムはけろりとした様子でクニカに言い放った。


「クニカ、あたしのシャツ引っ張んないでくれよ……」


 クニカにシャツを引っ張られ、チャイハネが声を上げる。しかしここで手を放そうものなら、クニカはあっという間にシュムに喰われてしまいかねない。


 シュムの目の届く範囲から、何としてでも逃げ出さねばならない――クニカはそう心に決めるのだった。

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