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第二話:朝早く
 自分の部屋から窓の外を見ると、鳥が群れを成して飛んでいた。日曜の、それもまだ午前六時だというのに、鳥というのはなんと規則正しい生活をしているのだろうと感心してしまう。まあ、やつらにしてみればそれが当然なんだろうけど。

「……はぁ」

 それに比べて俺の心は、日曜だというのにブルーなエモーションで満たされていた。
 そのおかげか知らないが、こんなに早く目が覚めちまうし。

「……鳥はいいなぁ、気楽そうで」
「あら、弱肉強食ってのは思ったよりも大変よ?」

 独り言に返事されるという恥ずかしい出来事に、顔を横に向けてみれば、俺の座るベッドの上、俺の隣にルシファーが座っていた。

「おい、どうやって入ったんだ」

 こいつが家に来た当初、いっつも朝になると俺のベッドに潜り込んでいやがったから、ドアに鍵を取り付けたはずなんだが。
 壊したのかと不安になってドアを見ても、壊れている様子も無く普通に開け放たれていた。

「そこはほら、ベルぜブブに頼んで」

 ベルぜブブというと、あの学校での出来事以来見ていないが、確か背の高い秘書風のお姉さんか。どうやったのかは知らないが、あの人は鍵が開けられるようだ。ていうか、そんなことで呼び出しんてんじゃねぇ。

「そんなことよりも、ほら、早く準備して。出かけるんでしょ?」

 不法侵入をそんなことなどと言いやがる非常識さに、軽く頭痛を覚えるが、悲しいかな、段々と慣れてきてしまっている俺がいた。

「ていうかよ、こんな早く行っても店なんて開いてないって」
「え? そうなの?」
「そうなの。だいたい十時くらいだよ」

 アダムに負けず劣らず、ルシファーも世間知らずだった。
 今日は日曜ということもあって、ルシファーは色々買い物がしたいと、三日ほど前、俺に訴えてきた。何でも、服やら小物やら、母さんのお下がりではなく、テレビでやっているような綺麗なものが欲しいのだそうだ。
 気持ちは分かるし、普段助けてもらっている手前、邪険にはできず、押し切られる形で一緒に行くと言ってしまったのが運の尽き。NOと言えない日本人であるところの俺は、沈鬱な気持ちに苛まれているという訳だ。

「まあいいんじゃない? 早く出たって」
「なんでだよ、四時間だぞ。俺はもう一回寝る」

 そう言って俺は布団をかぶるのだが、ルシファーが布団を引き剥がす。……俺の腕力なんて何でもないかのように、抵抗虚しく簡単に引き剥がされてしまったのがちょっと悲しい。

「いいから、ほら行くわよ。さっさと着替える!」
「うおうっ!? ふ、服を引っ張るな!!」

 それから俺は、珍しく感情をむき出しにしたルシファーに引き摺られて、泣く泣く家を出たのだった。







 現在、時刻は午前七時。日曜とはいえ駅前なら人もいようが、いま俺たちがいるショッピングモールに人気は無く、アーチ状の門も閉ざされ中に入ることすら出来なかった。

「ねえ、もしかして、これ入れなかったりする?」
「見たら分かるだろ。こんな朝早くにやってるわけ無いっての」

 ルシファーは、道中ものすごく楽しみにしていたらしく、がっくりとした肩の落とし様は尋常ではない。今にも倒れこんでしまいそうなほど落ち込んでいた。

「そうだ、門を壊して入ったら――痛あっ!?」

 不穏当な発現に、俺は咄嗟に平手を後頭部に決める。
 叩かれたルシファーは、頭を抑えて俺を睨む。

「もう、叩かなくたっていいじゃない。ジョークに決まってるでしょ、空気読みなさいよ」
「……いや、八割は本気だったな」
「なんか言った?」
「いいや、なんでも」

 それにしても、これからどうしようか。日曜の朝早くからこんなところにいるのは、メタボリックを気にしたジョギングのおっさんか、犬の散歩を押し付けられたおっさんくらいのもので……おっさんばっかりだった。なんか嫌だ。

「で、どうすんだよ。あと三時間近くも……帰って寝ようぜ」

 俺としては、この提案が今の最善策であると信じて疑うことは無いのだが、隣のモデル風お姉さんは違ったようで、眉を吊り上げて俺を睨んだりしている。まあ本気で怒っているのではないようで、怖くも何とも無く、逆にかわい……いや、なんでもない。

「駄目よ、駄目。帰るなんてもってのほか、全然駄目。女の子の気持ちが分かってないわ」
「……女の子」

 こっそりと呟いてみると、先ほどとは違う凄い形相で睨まれた。

「だからあなたはモテないのよ」
 ……悪かったな。どうせバレンタインなんて消えろと思ってる男だよ。
「――ま、その方がライバルが減るからいいんだけど」
「ん、なんだって?」
「なんでもない」

 聞き取れなかったが、まあ、大したことではなかったのだろう。気にしないことにする。
 それにしても、こうして隣に立ってこれからどうしようかと考えているルシファーを見ていると、最近俺の周りに溢れつつあるファンタジックな出来事が嘘のように思えてくるほど、ルシファーは普通の人間にしか見えなかった。尤も、これほどの美人が人間であったなら、俺の隣にいるはずがないと思うとそんなに悪いことでもない気がしてくるのはなんでだろう。

「……散歩でもするか?」

 そうして、こんな他人から見たら嫉妬で呪い殺されそうな状況は、俺の生涯でも二度とないだろうと考えると、眠気よりもこんな提案が先に出る。
 本当に面倒な話だ。鬱になるね。

「え、ホント!?」

 ルシファーは俺の言葉に、思ってもみなかったという風に大きく驚いていた。……俺は一体、コイツにどんなキャラクターだと思われているんだろう。そう考えると少しショックだ。
 それから、ルシファーの顔が驚きから笑顔に変わる。その笑顔は普段のどことなく大人びたルシファーの雰囲気とは一転して、まるで遊園地に行くことが決まった時の子供のように無邪気だ。
 少し前、ルシファーに聞いたことがある。ここ人間の世界において、ルシファーやアダムたちは、子供同然なのだと。
 知識や言葉などは、神に近しい存在であることの特性によって自然に手に入るが、しかし経験までも伴うわけではない。それは何も知らないと同じ。つまりは、物知りな子供なのだと。
 そんな事情があるからか、無表情なアダムにおいてもルシファーにおいても、悉く純粋なのだ。知らないものを知る楽しさ、それを初めて肌で感じているからこそ、凄く楽しそうな顔をする。

「それじゃ、町を案内してもらいましょうか。いつもは武史についていってばっかりだから、あんまり知らないのよね」

 だから、そんな嬉しそうな顔を見ると、なんだか何もかもどうでも良くなってくる。眠いだとか、面倒だとか、そんなことよりももっと大事なことを――――

「――――はっ!? いかん!」

 最近、気がつくとなんだか恥ずかしいことを考えている自分がいる。……毒されている。こいつの雰囲気に呑まれかけている。まずい、まずいぞ。気をしっかり持つんだ。
 俺は、普通なんだ!

「ほら、行きましょ」

 ふにゅりと、マシュマロと大福を足して二で割ったような感触が、俺の左側の二の腕を包み込む。
 ここ数日間で少しは慣れたつもりだったが、甘かった。不意な襲撃に俺の理性という名の砦は壊滅状態だ。
 この、人間の魂の奥深く仕舞い込まれて久しい最も原始的な風景に触れるような感覚は……っていかん、落ち着け。心を静めろ、俺。人間、冷静になれば何でもできるはずだ。ビークール。

「よ……よし、行くか」

 少々声が裏返った気もするが、完璧だ。完璧にいつもどおりだ。
 そして歩き出す。
 しかし歩きにくい。この上なく歩きにくい。
 鼓動が早鐘を打つ。思考が真っ白になる。
 初心な男子にこの仕打ちはいかなる拷問か。

「ね、あっちの方は何があるの?」

 そんなイッパイイッパイな俺の心情などお構い無しに尋ねてくる浮かれ気味なルシファー。
 だから、気付かなかった。
 接近する気配。
 そして、為す術も無く、俺は大きく吹き飛ばされた。
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