東京拘置所の恐怖
私の友人や知人の中には、かつて刑務所に入っていた人間が何人かいます。刑務所のとんでもない話を、いろいろと聞きましたが……中でも怖かったのは、拘置所の独房の話ですね。
知らない方もいるかも知れないので、拘置所と刑務所の違いについて簡単に説明します。警察に逮捕されると、まずは留置場に入れられます(たまに例外もありますが)。その後、検事によって起訴されると身柄を拘置所に移されることになります。さらに裁判の結果、実刑判決を受けると刑務所へと送られる訳です。
ちなみに有罪判決というのは、多くの場合「有罪だが、執行猶予が付いた判決」のことを指すそうです。
そんな東京拘置所には、雑居房と独居房があります。雑居房とは、一つの部屋に数人を収容している房のことです。常に数人で生活しているため、人間関係には本当に気を使うと聞きました。しかも、周りは犯罪者ばかりです。ちょっとしたことで「お前、気ぃ使えよ!」「ンだとこの野郎!」などと言う展開になるらしいです。拘置所で揉めても、何もいいことはありません。下手をすると、さらに刑が増えてしまうことにもなりかねませんし。
そんな訳ですから、独居房に行くことを望む人もいます。知人によると「拘置所に入る時の審査で、水虫があると言っておけば独居房に行ける」とのことでした……本当かどうかはしりませんが、もし東京拘置所に入る羽目になった時は試してみてください。
しかし独居房の方が安全か……というと、そうでもないようです。独居房は独居房で、なかなか恐ろしい事件に遭遇するとか。
まず、何よりも怖いのはGです。そう、あのカサカサ動く人類の天敵ですね。奴は恐ろしいことに、東京拘置所の独居房に出没するそうなのです……。
想像してみてください。手足を広げて寝るのがやっとの狭い室内で、夜中にカサカサ音がする訳です。これは本当に、シャレならん怖さですよね。
しかも、独居房では自由がありません。Gが部屋に出現したとしても「きゃあ」と叫んで逃げることが出来ません。部屋の中に閉じ込められたまま、闘うしかないのです。殺虫剤も使えぬ状態で……。
その上、独居房は時間にも厳しいです。消灯時間(午後九時だそうです)を過ぎて騒いでいると、看守に「お前、何やってんだ!」と怒鳴られるそうです。看守を敵に回してもいいことはありません。そのため、暗闇の中で静かにGと闘わなくてはならないとか。恐ろしい話ですね。
まだ他にも、怖い話があります。
知人は独居房の中で、週刊紙を買って読んでいたそうですが……週刊紙ではたまに、怖い話などが載っています。昼間はヘラヘラ笑って読んでいられますが、夜になるとかなり怖いのだそうです。
東京拘置所には死刑執行のための装置がありますし、実際に何人もの死刑を執行してきました。そのせいかどうかは知りませんが、妙な空気が漂っているそうなのです。
そんな東京拘置所の独居房で、昼間に怖い話など読んでしまうと……夜になると、本当に怖い時があるらしいのです。独居房の壁に何かの気配がする。あるいは、部屋の隅に何かが蠢いているような気がする。
こういった不気味な感覚というのは、普段なら気のせいで済ませられます。しかし、独居房だとそうもいきません。何せ、そこから逃げられないのですから……。
「いや、本当に怖いんだよ。何かがいるような気がしても逃げられないだろ。死刑になった奴の幽霊とか出たらどうしようって、真剣に考えちゃうんだよ」
知人は、しみじみと語っておりました。ちなみに、この知人は強面でガサツな性格です。大抵のことにはビビらないタイプなはずなのですが、それでも恐ろしかったようですね。
もっとも幽霊の場合、見える人と見えない人がいます。しかし相手が人間の場合、そうはいきません。
独居房には、頭のおかしい人も大勢います。これは、件の知人が刑務所で聞いた話ですが……仮にAさんという人がいたとしましょう(知人とは別の人です)。Aさんも東京拘置所の独居房にいたのですが、隣の房にいる人間が、昼夜を問わず独り言をブツブツ言っていたらしいのです。それも大声で……映画『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターは隣の房に一晩中、悪口を言い続けて自殺に追い込んだそうですが、逃げ場の無い独居房で休みなしの独り言を聞かされ続けていたら、本当に気が狂いそうになるらしいです。
Aさんは困り果てた挙げ句、ついに決断しました。壁に蹴りを入れ、騒いだそうです。
「ブツブツ言ってんじゃねえぞコラ!」
結果、看守たちが飛んできました。理由を話すと、Aさんは別の独居房に移動になったそうです。ちなみにAさんがなぜ騒いだのかと言いますと、「隣の奴が頭おかしいから」と訴えただけでは「我慢しろ」と言われて相手にされないそうなのです。隣の人間に暴言を吐き暴れることにより……看守たちに「この二人を近くに置いておくと、いつか問題が起きかねない」という危機感を抱かせ、ようやく部屋を移動できたのです。
また、朝になるとどこからともなく「アーッ!」と叫ぶ声が聞こえてきた、とも言っていました。入る前からおかしかったのか、あるいは入ってからおかしくなったのか……いずれにせよ拘禁生活というのは、人間の精神を蝕んでいくようですね。
さらに、もう一つ……夏のある日に、独居房のあちこちから突然「死刑執行反対! 死刑執行反対!」という声が聞こえてきたそうです。看守は「静かにしろ!」と怒鳴りながら、あちこちの独居房を回っていたとか。死刑反対派の人間が仕組んだ一種のデモなのかもしれませんが、詳しいことは不明です。
これらの話が本当かどうかは分かりません。多少、大げさに言っている部分はあるかもしれません。ただ、それを語る知人の表情に嘘は無かったと私は信じています。こんな話を聞かされると、絶対に逮捕されたくないな……という気持ちになりますね。
最後に一番恐ろしい話を。知人が東京拘置所に収容されていたのは二〇〇〇年の頭でした。その当時の独居房のラジオ(備え付けのものであり、決まった番組以外は聴けないそうです)では、アニメ『ハンター×ハンター』のラジオ番組が流れていたそうなのです。声優の竹内順子さんと三橋加奈子さんがパーソナリティーを務めていたようですが、知人はハンター×ハンターの存在すら知らず「何じゃこれは?」と思ったとか。
これに関しては当時、いろんな噂が流れたそうですが……知人いわく、もっとも信憑性が高かったのは「アニメオタクだった宮崎勤死刑囚(当時はまだ執行待ちでした)が法務大臣に何通も情願書を送ったため」という噂だったとか。どこが信憑性が高いんだよ、と私は内心でツッコミましたが。