4 何がしたいの どこ行きたいの-9 分岐点、きっと此処が交差点
不満げな顔で仁王立ちをしたエミュレンが、真っ暗な貯蔵庫に向かってぶーたれ口を開いた。
「マリアなんかきらい!」
エミュレンの尖った下唇に、タットが呆れ顔で視線を送る。
「なに怒ってんだよ、もう……」
タットの指が電灯のスイッチを押すと、貯蔵庫内が明るく照らし出された。目の前には大量の木箱と水樽がうずたかく積まれ、入り口のすぐ横では、銀色の大型冷蔵庫が微かなモーター音を響かせている。大人が楽に寝そべられるほど横幅のある冷蔵庫は、通常より高い位置に設置されていた。
大型冷蔵庫の足元に作られた収納階段を上りつつ、首をひねって唸るタット。ちらりと後ろを振り向き、入り口近くで仁王立ちしているエミュレンを見る。
「…さっきマリアさんが、女のもとへなんて言ってたろ? エマはあの話、何か知って――」
「知らないもん! 女なんて」
間髪いれず返ってきた棘のある声をうけ、タットの脳内には「触らぬ神に祟り無し」という諺が浮かんだ。
(…なんか、エマに聞かないほうがよさそう…)
そう判断したタットは素早く向き直り、冷蔵庫の扉を引き開ける。
てきぱきと酒瓶を集めるタットの後ろ姿を、座った瞳で睨みつけるエミュレン。
その不服そうな視線を背後に感じながら、タットは努めて無関心を装う。片腕いっぱいに酒瓶を抱えたタットは、閉じないよう身体で押さえていた扉を放し階段を下りると、近くにあったバケツに酒瓶を移した。
話題と雰囲気を変えたいと願うタットが、そっけない口調で呟く。
「……じゃあさ、これ――」
「知ってるもん!」
またも間髪いれずに刺の増えた声を浴びせられ、タットの額には怒りの青筋が浮かんだ。
「本当はどっちなんだよ!」
そう叫んだタットに、エミュレンは負けじと叫び返す。
「なによ、バカァ! おとめごころなんだから!」
目の前で拳を握りしめ地団太を踏み鳴らすエミュレンを、タットはうんざり顔で一瞥した。
「わけわかんねぇ……」
溜め息をひとつ吐き、空バケツを手にしたタットがくるりと背を向ける。
歩き出そうとした身体が、突如何かに引き戻された。
その元凶に目をやったタットが力なく呟き、がっくりとうなだれる。
「手ぇ…。離せっての……」
タットの淡いグリーンのシャツは、エミュレンの小さな魔手にしっかりと捕らえていた。
「やだもんっ!」
そう言ったまま一向にシャツを離そうとしないエミュレン。
仕方なくタットは彼女を引きずったまま、強引に貯蔵庫の棚を巡っていく。
引きずられながら口を閉ざしていたエミュレンが、駄々をこねるように足をばたつかせ我慢の限界とばかりにうめき始めた。
「カンクは丸薬っていうもの見つけたら、ぜったいあの人のところに行くつもりなのよーっ!」
「はいはい、誰だよ、そのあの人って」
タットは酒瓶をバケツに入れながら、憎々しげに訴えてくるエミュレンを適当にあしらった。
棚の中の酒を端から端まで確認したタットが、「これでよし」と言って出口へと向かう。
エミュレンが歯を食いしばり、タットを力一杯に引き戻して言った。
「カンクが小さいときにかいぞくにさらわれて、そのとき会ったお姫さまなのぉっ」
海賊。
その言葉に反応し、足を止めるタット。
昨日カンクから聞いた仇の話を思い出して、すぐさま振り返った。
「その海賊! キャプテンの父親を殺したって奴だ!」
タットは確信を持ってエミュレンの目を見つめる。
ぽかんとした表情でタットを見ていたエミュレンが、驚いて息をのみ両手を口の前に当てて言った。
「このおはなし、タットも知ってるの?」
「あぁ。十五の時、海賊船に襲われて……海賊の船長に父親を殺されたって言ってたよ。キャプテンはその後さらわれて、二日後に海へ放り出されたって……」
喧騒の中で引き裂かれた親子の姿を想像し、エミュレンの身体が小さく強張る。
「…カンク、かわいそう…」
そう呟いたまま立ち尽くすエミュレンの足に、いつの間にかやってきていたマックバロンが顔を摺り寄せ「にゃあん」とひと鳴きした。それに促されるようにして座り込んだエミュレンが、さびしげな表情のままマックバロンを膝の上に乗せ撫で始める。
立ったまま黙りこんでいたタットが、思慮深い溜め息と共に呟いた。
「キャプテンは仇を討つために、操魂の丸薬を使うって言ってたんだ。…なのにマリアさん…」
言葉を途切れさせ、考えるように眉を寄せるタット。
そのまま黙りこくった二人の耳に、サンメインデッキからの野太い歓声が届く。
しばしの沈黙の後、タットは深緑の瞳をはっと開き顔を上げた。
「まさか…、そのお姫様って言うのがさっきマリアさんの言っていた、女? ……もしかして! 今でもそのお姫様は、海賊に捕まってて――」
賛同を欲してエミュレンを見やったタットの顔色が、目の前で膨れてゆく桃色の頬を見て青ざめる。「触らぬ神に祟り無し」タットがそう思い出した瞬間、エミュレンは手足をばたばた振り回して叫び散らした。
「うわーん! やっぱりそうなんだぁー! カンクったら、お姫さまを助けにいくんだぁーー! そのために旅してるんだぁーー! もー、きらーい!」
そのフルボリュームに、しょっぱい顔で耳を塞ぐタット。そして墓穴を掘ってしまった事を反省しながら、疎ましそうにエミュレンの駄々っ子ぶりを傍観する。
目の前では不運にも逃げ遅れたマックバロンが、少女の手によって背中の毛皮を捩じ上げられ断末魔の悲鳴を上げていた。
(そうか…。キャプテンは、仇の先にも目的があったのかぁ……)
タットの脳内で正義のヒーローよろしく、颯爽と海賊船に現れるカンク。
それを迎え撃つのは、顔中に真っ黒なヒゲを生やした海賊の大男。
にやりと笑った口元から噛み煙草で染まった黄色い歯が覗き、極悪そうな笑い声が響く。
手にはどす黒く汚れたサーベルが握られ、歩く度に片足の義足がゴツゴツとデッキを打った。
剣を構えてにらみ合うカンクと海賊。
海賊の向こうには、儚げで美しい女性の姿が海賊の手下によって捕らえられている。
「だめー! そうはいかないんだから! いまカンクはあたしのものなの! だからあたしが、お姫さまのことなんかぜったい忘れさせてやるんだからーーっ!」
癇癪を爆発させ、キィーっという甲高い鳴き声を張り上げたエミュレン。
タットがその金切り声に飛びのき視線を上げると、宙に向かって拳を振り上げるエミュレンの姿があった。
どうやらエミュレンのほうも、タットと寸分違わぬ想像をしていたようである。
ヤケクソ気味に拳を振り上げる子供の姿が単純に面白くて、タットはつい吹き出してしまった。
それに気がついたエミュレンが、敵意を持った目つきで舐めるようにタット見上げてくる。
彼女の意識がそれた隙をつきマックバロンは小さな魔手を振りほどくと、疾風の如く逃げ出した。
「――タット?」
その冷たい声色にぎょっとするタットの前で、エミュレンがゆっくりと立ち上がる。
「なにをぼーっとしてるの。目の前でこんなにも傷ついてるレディがいるのよっ! 『そんなヤツよりも、君のほうが1000倍はすてきだよ』とか気のきいたこと言ってなぐさめなさいよぉーー!」
「なんだよそれっ! なんでオレがそんなことしなきゃならないんだよ、ふざけんなっ!」
「なによっ、コンダリアンティ! そんなのじょうしきでしょ! 男としてもなかまとしても!」
角が生えそうなほど責め立てるエミュレンが、タットの胸に思い切り拳を叩きつけた。
バケツをぶら下げながら身をよじるタットも、つい大声を上げる。
「…ってぇな! ちょっと金髪だと思って、むずかしい言葉使うんじゃねーよ! オレは仲間じゃねぇ!」
エミュレンは真っ赤な顔をしてタットのシャツをぐいぐいと引っぱりながら、その柔らかそうな金髪を振り乱す。
「じゃあなんでタットはこの船に乗ってるのよ!」
「金稼ぐためだよ! たまったらオレはこんな船おりてやる!」
小さな手をはがさせようと、タットは後ずさったり身体をひねったりして貯蔵庫中を歩き回った。無駄に歩数を稼ぐ二人ぶんの足音が床に響く中、エミュレンが叫ぶ。
「それまでだって、なかまでしょ! あたしはタットのことお兄ちゃんみたく思ってるのに!」
ぴたりと身体を静止させたタットの心中に、あの不思議な感覚が湧き上がった。
掴み所のない不安めいた感情が、ぞわぞわとタットの心を飲み込んで行く。
(くっそ……まただ。一体なんなんだよ、これ……!)
タットは、この混沌とする心中を何とか理解しようと、自分の意識を集中させた。
暗いのに眩しくて、ぐにゃぐにゃなのに鋭くて、悲しいのか嬉しいのかさえ判らない不思議な感情が、タットの意識めがけて嵐のように襲いかかってくる。
未知なものに対する恐怖が、タットの意識を闇雲に突き進ませた。
感情の中心点に向かって意識を強めるタットの耳に、重複した罵倒が流れ星のように通り過ぎてゆく。
タットはその恐ろしさに、知ってはならないものがこの先にあるのではとないかと思い始めていた。
少年の額に脂汗が浮き上がる。
(……もうだめだ、気持ち悪い…)
みぞおちの辺りがぎゅうっと締め上げられた。
じくじくと痛み出した頭を抱えて、力なくふらついたタットの一歩が地を捉えたとき。
ふっと、別の感情がタットの頬を撫でた。
(…あれ…? 何だ…?)
感情の先に見えた、砂粒ほどに小さいもの。
それは宵の明星のように力強く煌めいていた。
タットの手が、吸い寄せられるようにしてゆっくりと伸びる。
半ばまで腕を伸ばしたとき、タットはその美しさに思わず手を引き戻した。
(何だろう…この感じ…)
むず痒いようなくすぐったいような感覚に、タットの意識がはんなりと漂う。
「だいたい船をおりれるまで、なん年なん日かかるかわかってるの!」
はっとして視線を戻すと、変わらぬ素振りでシャツを引っ張るエミュレンの姿が目に飛び込んできた。
その様子から、タットが感情を探っていた時間はエミュレンの息継ぎ程度であったことがうかがえる。
呆けた表情で立ち尽くし、タットは真っ白な頭のままエミュレンの言葉を反芻した。
タットがなすがままになっていることに気付かず、一人文句を連ねるエミュレン。
「ゾランがマリアに『遊ぶ金たらへんねん、もうちぃっとでええから給料あげてぇな〜』っていってるの、見たもん!」
「………」
「……どうしたの? タット?」
エミュレンがやっと異変に気づき、きょとんとした顔でタットを見上げた。
油の切れたブリキ人形の如く軋みのある動きで、タットの顔が自分の手の平を眺めてゆく。
異常なまでに真剣な眼差しで、何かを指折り数えるタット。
うつむいたまま愕然とするタットの口から、か細い息が漏れた。
「……もらってない……」
「え?」
「オレ、まだ給料もらってねえーーーっ!」
大声で叫ぶなり、バケツを持ったまま貯蔵室を飛び出すタット。
階段を駆け上がっていく騒音が物凄い勢いで遠ざかっていく。
ぽつんと残されたエミュレンは、天井を走るその音を目で追いながら、ひとり肩をすくめ大袈裟な溜め息を吐いた。
「タットって、気が利かないんじゃなくて、本当にお馬鹿さんなのね……」
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