4 何がしたいの どこ行きたいの-8 女の影-3
「いいかタット、犬が襲ってきてもビビんなよ」
マリアの隣でそう言ったカンクは、身振りを交えてタットに撃退法を伝授する。
それを睨みながら、マリアは恨めしそうに首を振った。
そうやって撃退し油断させたあと、次にカンクは背中ではなく尻を持ち上げたのである。
何度か繰り返すうち、立派に躾けられていたはずのチャドは欲情し、カンク相手に腰を振り出したのだった。
よりにもよって、マリアの目の前で。
思い出に顔をしかめたマリアの耳に、カンクの最低なセリフが届く。
「で、ケツ上げてその気させたら、ころあい見計らって後ろから、コレもんよ」
その言葉に、タットが眉を寄せて呟く。
「その気でコレ…って……」
カンクが下卑た笑顔で拳を握り縦に振ろうとした瞬間、マリアから容赦のない鉄拳が飛んだ。
「痛いわねっ!」
「……少しはメンツを考慮しろ!」
殴られた頬を押さえるカンクだが、マリアは更に、片手でその両頬を左右から挟み上げる。
場をわきまえない口を戒められ、カンクはタコのように唇を突き出したまま、大人しくなり何度も頷いた。
「すんませんでした。イタイっす。ホントごめんなさい」
チョンマゲを垂らした服従姿勢に、マリアはゆっくりと片手を放し、念を押すようにその青い目を睨みつける。
その視線に貫かれながら、たどたどしく説明を続けるカンク。
「…まぁ、何だ。要は…ほら、…惚れさせたらいーんじゃねー? 仲間より仲良くなれたらなーみたいな」
お茶を濁したカンクの膝でチーズを食べていたエミュレンが、退屈そうに足を揺らしながら「ジュース飲みたいなぁ〜」と呟いた。
マリアの視線が自分から離れ、椅子を引きなおしたところで、カンクが笑みを含んだ声を発す。
「そういや、マリアどうすんのぉ? 親父さんの後継ぐのか?」
「……」
マリアは一瞬天を仰いだあと、カンクをじろりと睨んだ。きゃあと言ってエミュレンの陰に隠れるカンクに、怒りの念を送ったまま、黙りこくるマリア。性懲りもなく続くカンクの態度に、マリアのもの言いたげな深呼吸が絡みつく。
その沈黙を破り、タットはおずおずと尋ねた。
「…マ、マリアさんて、後継ぎなんですか……?」
「うるせぇ、ガキ。後なんか継がねぇよ」
静かながらも苛立って答えるマリアを尻目に、八つ当たりされたタットへと個人情報を横流すカンク。
「マリアは一人息子だしさぁ、親父さんが宝石商で、すんげー坊ちゃんなのよ」
その途端マリアがテーブルを叩き、大声を上げた。
「カンク! あの男の話はすんじゃねぇ!」
びくりと身体を飛び上がらせたタットとエミュレンが、何事かとマリアを見つめる。
その横で、白々しく口元を押さえて見せるカンク。
マリアは舌打ちを残して席を立つと、バーカウンターへと向かった。
テーブルに散らかったカードを一瞥したエミュレンが、怯えと心配で眉を寄せカンクを見上げる。
「どうしたの…? マリアとケンカしてるの? カンク?」
エミュレンの緊張感とは裏腹に、カンクはあっけらかんとした声色で言った。
「いいや。ちょっとふざけてただけ。驚かせてごめんな」
心配そうに見上げる瞳を見つめ返したカンクが、茶目っ気たっぷりにエミュレンを抱き寄せる。その綿菓子頭を優しく撫でた後、カンクは甘えるように言った。
「なぁエマ〜。俺、他の酒も飲みたいんだよな。タットと貯蔵庫に行って、持ってきてくれるか?」
「……いいよぉ?」
すっかり安心した表情のエミュレンが、カンクの膝から滑り降りる。
椅子から立ち上がり軽く体を伸ばしたあと、さりげなく着物の乱れを直すカンク。
左舷のバーカウンターで、いらいらとショットグラスを取り出しホワイトラムを注ぐマリア。その視線が素早く動いた次の瞬間、大きな音が室内に響いた。
威嚇めいた乱暴な音に驚いたタットとエミュレンが、音のした方向を振り返る。
その音の正体は、マリアが酒瓶の底をカウンターへと叩きつけた音だった。
視線の先で力強く酒瓶を握りしめるマリアが、カンクを睨みつけて「止まれ」とだけ言い放つ。
「操魂の丸薬を手に入れて一件落着させたいんだったら、それ以上オレに近づくな」
バーカウンターへと歩み寄っていたカンクが、びたっと足を止め、お手上げとばかりにもろ手を上げた。
いきなりの急所攻撃に降参の意思は示したのものの、カンクは諦め悪くそっと片足を動かす。
その反抗的な行為に、すかさず追い討ちをかけるマリア。
「女のために、丸薬を使いたいんだろ?」
「ぐっは!」
決定的な打診の衝撃に、カンクが悔しそうに喘いだ。
そのままふらふらとよろめき、ミズンマストへとしがみつく。
「女のため……?」
そう呟いたタットの隣を、嫉妬で頬を膨らませたエミュレンが怒りも露な足取りで通り過ぎていった。
口をへの字に曲げ、サンメインデッキへと出て行くエミュレンに、タットが首を傾げる。
と、突然にカンクがタットの背中に抱きついてきた。
「タットー! マリアがいじめるー! 切なくなっちゃったじゃないのー!」
「なんだよ、くっつくな! それに女ってなんだよ! 仇を討つんじゃないのかよ! コラッちゃんと答えろバキャップ!」
振りほどこうと暴れるタットを、なお抱き締めてカンクは叫ぶ。
「タット、俺たち仲間だよな! 一生一緒にいてくれるよなっ!」
「いっ、一生一緒になんかいねぇよ、はなせ……っ!」
「何をォ! 落ち込んでる仲間がいたら、ハグして励まさなきゃダメなんだぞ! ハグしろ、ハグッ!」
「仲間じゃなーいっ!」
そんな二人の様子をサンメインデッキから眺めていたロムが、目を細めて言った。
「何だかんだ言っても、タットはキャプテンと仲が良いでやんスね」
「いよっ、ご両人! 妬けるやないの!」
続いたゾランの声に、水夫たちから笑いが沸く。
羞恥で顔を真っ赤にしたタットが、振りほどけないカンクの腕に噛みついた。
カンクがひるんだその隙に、彼の大きな足を思い切り踏みつけて船長室を飛び出していく。
脱兎のごとき速さでサンメインデッキを通り過ぎたタットが、前にいたエミュレンの手を引きフォアキャビンへと消えていった。
その様子を見た全員が、吹き出して笑いこける。
男たちの笑い声を背に受けながら、タットは一目散に貯蔵庫へと駆け下りていった。
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