4 何がしたいの どこ行きたいの-8 女の影-1
同日の夕方。
真っ赤な夕焼けが差し込む船長室の中では、風向きと潮と治安がよい海限定の「海上☆大宴会」が始まっていた。
外輪を停止し、風と潮まかせでゆっくりと進むヌック丸の船内に、飽和気味になった電力が供給される。
煌々と眩しい船長室の左舷側では、ハイラーがサンメインデッキに面した窓のあたりで、悶絶するような溜め息を上げていた。そこに置かれた古めかしい蓄音機の針を慎重に下ろしながら、ハイラーは芝居がかった調子で言う。
「コマ〜ンタ〜レヴー? オオウ、ノンノン、私の大事なマドモアゼル…! 今日もその美声を聞かせておくれ〜? ン〜?」
タットが左舷側の中央にある丸テーブルにつきながら、そんなハイラーの背中に目をやる。向かい合うマリア越しに見えるハイラーの妙ちくりんな動きに、タットは苦虫をつぶしたような表情で訴えた。
「……なんでレコードかけるたびに、あんなことするんですか?」
蓄音機に向かうハイラーを目にすれば誰もが口にするその問いに、マリアは淡々とシャッフルするカードに視線を落としたまま、さも面倒そうに答える。
「あぁ、気にすんな。あれがあの蓄音機唯一の汚点だ。ハイラーがなだめすかして褒め称えないと、ぴくりとも動かない。その代わり、動けば最高の音が出る」
マリアの後ろからレコードに針の落ちた接触音がして、たおやかな音色のシャンソンが流れ始める。郷愁を誘うような旋律のあと、蓄音機のホーンからは濁りのない女性歌手の歌声が聞こえてきた。
船長室の中央を貫くミズンマスト。その天井部では、マストを囲むようにして取り付けられた三台の扇風機が揃った動きで首を動かし、西日射す蒸し熱い船長室内に一時の涼しさをもたらしている。
風を切る扇風機の音に交じって、室内の右舷前方からは軽快な金属音が聞こえてきた。次第に早くなるそれは、バーカウンターにいるゴビがシェイカーを振る音だった。
音が止み、ゴビはカウンターに並んだカクテルグラスへと、オーシャンブルーの液体を均等に注ぎ込む。
そこからひとつのグラスを手にとったドルクが、嬉しそうな笑みを浮かべてマリアの横にやってきた。
「マリアさん、ゴビさんって本当に多才ですねー。カクテルだってほら! この完成度ですよ!」
ドルクが目の前に置いた、昼間の海を切り取ったように美しいカクテル。
それを飲み干したマリアが片眉を上げ、すぐさまドルクにグラスを戻す。
「旨い。小料理屋の腕じゃないな」
次のカクテルを作り始めていたゴビが、カウンター内から答えた。
「五年ほどだが、週に一日はメンヤンのカジノでバーカウンターを任されていたからな。すっかり染み付いてしまった」
そう言って傾けたシェイカーからは、バーミリオンの液体が注がれる。
ドルクがつまみの乗った長皿とともにマリアへと二色めのカクテルを配し、もう一枚のつまみ皿をタットの前に置いた。
皿の中から鮭とばをつまみあげたタットがバーカウンターを見やると、カウンターの周りにはカクテルを片手にした水夫たちが群がり、その輪の中心にはカウンターにちょっこりと座ったエミュレンが笑い声をあげている。
「この洋服、きょうカンクに買ってもらったの」と、はにかみながらサマードレスの裾を揺らしたエミュレンに、やんやと投げかけられる賛辞の声。
それを見たタットは、ふんっと鼻を鳴らして目の前のマリアに視線を戻した。タットが不機嫌な表情で頬杖を突き、鮭とばをかじりながら考え込む。
(くっそぉ…悔しいのは、オレだけなのか? 役立たずの新参者が、船上で大きな顔してるんだぞ!)
頬杖にした指先でいらいらと頬を叩くタットの目の前に、割り込むようにしてパフェグラスが差し出された。
はっとして顔を上げるタットに対し、グラスを持っていたゴビはひょいと眉を上げて見せる。
すぐさまそのアイコンタクトの真意に気づいたタットが、すねたような表情で大声を上げる。
「そんなんじゃ、全然ないですからねっっ!」
ゴビがさも可笑しそうな笑い声を上げて、タットの前にパフェグラスを置いてゆく。ストローのささったグラスの中には、エメラルドグリーンのフローズンドリンクがたっぷりと入っていた。
タットが、釈然としない顔でフローズンドリンクを吸い上げる。痛いくらいに冷えたドリンクを飲み下した喉から、きりりとした酸味と柑橘の香りが立ち上り、その後、スパイスの香りが鼻孔をくすぐった。その巧妙なハーモニーに溜め息を吐くタット。勇んで二口目を吸い上げたとき、外のサンメインデッキから何かをどかどか打ちつける音が聞こえてきた。
小首を傾げたマリアがちらりと視線を泳がせ、すぐさま「あぁ」と何かに思い当たる。尋ねたげな視線を送ってくるタットに気がつき、マリアは夕陽色のカクテルを飲み干しながら呟く。
「BBだろう。待ってれば旨いものが食える」
そう言ってタットをいなしたマリアが、カードを軽くテーブルに打ちつけ手早く揃える。
「うまいものですか! なんだろう〜…?」
うぅんと唸って思考を巡らせるタットの前に、マリアから手際よく配られるカード。
それを待ちながらフローズンドリンクを飲んでいたタットが何気なく辺りを見回すと、年代物の蓄音機の前で一人ゆらゆらとリズムを感じているハイラー、バーカウンターでシェイカーを振るゴビ、カウンターに座っているエミュレンと楽しそうに話しているドルクが目に入ってきた。その後ろではソファーに腰かけチェスを楽しむロムとペポニ、壁にかけられた的に向かってダーツを投げているゾラン……とこちらも三者三様の姿。
タットがつい、根本的な疑問を口にする。
「マリアさん…、ここって船長室…ですよね…?」
「言うな、タット。そのことに関しては、言いたい事がありすぎる」
間髪いれずに帰ってきたマリアの答えに、大体のいきさつを想像できたタットは配慮して素直に閉口した。
目の前に配られたカードを集め、扇状に広げて内容を確認するタット。
マリアが作戦を練っているタットを待ちながらつまみの揚げ豆をかじっていると、後ろで船長室の扉が開きビーミッシュが大きな声を上げた。
「さぁ! 海上☆大宴会恒例の、串焼き祭りをおっぱじめようじゃねえかっ! たったいまコンロの準備ができたところよ、肉も野菜も早い者勝ちでぃっ!」
この言葉に、男たちはひょーひょーと歓声を上げながら、サンメインデッキへと出て行く。最後にゴビとドルクが飲み物を運んで船長室を後にし、全開に放たれたままの扉のこちら側には、マリアとタットそれにエミュレンだけが残されていた。
エミュレンがカウンターから飛び降り、二人のもとへと小走りでやってくる。サンメインデッキからは早くも食材を火あぶる音が聞こえてきて、男たちの乾杯も響いていた。
マリアの隣の椅子へとよじ登り、そこで立ち膝をしたエミュレンが言う。
「ねーねーマリア」
「なんだよ、でこっぱち」
「なによ、大食らいのごくつぶしー」
邪気もなく否定しがたい事実を言い放つエミュレンに、マリアは肩を落として口をつぐんだ。
「……」
「ねーぇ? マリアとカンクは、すんごおい仲良し〜なんでしょ?」
「ハァ?」
睨むようにしてエミュレンを見やったマリアだが、彼女はそれを気にもせず笑顔を返して言う。
「カンクが言ってたよ? めったクソ仲のいいお友だちだってー」
「汚ねぇ言葉教えやがって……」
言いながら、マリアはうんざり顔を浮かべがっくりと脱力した。
タットがやっと手中のカードから一枚を捨てる。
マリアとタットがカードを捨てたり拾ったりするのを眺めながら、エミュレンは続けた。
「マリア、しょうじきに答えてくれる?」
「あぁ?」
面倒くさそうなマリアの返事に、エミュレンは両目をじっとりと座らせて言う。
「マリア、カンクの何なのよ」
マリアはぴたりと動きを止めて顔をしかめると、「そういう言い方はよせ」とエミュレンを指差した。
エミュレンは尚も同じセリフで詰め寄る。
「カンクの何なのって聞いてるの! どうしてそんなにカンクと仲がいいのよー! いっしょになって旅する目的はなんなのぉっ!」
「あーあーあーもぉうるせぇな! 仲良くなんかねえよ、マージンがあるから付き合ってるだけだ!」
流れるような動きでポケットからフィクスリーフを取り出したマリアは、箱を叩き、飛び出した一本をくわえようとしたところで、動きを止めてエミュレンを見た。そして甚だ迷惑そうな唸り声を上げると、タバコの箱をテーブルに放り出す。
その肩を掴んだエミュレンが、マリアの身体をぐいぐいと押してわめいた。
「もう、あやしいー! ホントにホントなのー!」
「どういう意味だ、このクソガキャ! そんなにオレが人生投げてるように見えんのかっ」
そう叫びながらマリアは、フルーツ皿から荒っぽくチェリーを拾い上げ、自分の口に運んだ。うるさいエミュレンの口にも強引に放り込む。
二人がキーキーと騒ぐ間、じっとカードと睨み合っていたタットが、迷った挙句に「ああ!」と目を輝かせると一枚のカードを抜き取った。
「これだっ!」
自信とともにテーブルへと捨てられた札。それを一瞥したマリアが、タットへとチェリーの種を吹き飛ばす。
「いてっ」
タットの額にヒットした種は、跳ね返ってどこかへ飛んでいった。
マリアがタットの捨て札を威嚇するように、指先でテーブルを叩く。
「この局面で、そんな危ないカードを切ってどうする! 勝つ気あんのか蜂の巣!」
マリアは「見せてみろ」と言うと身を乗り出し、タットの手持ちカードをテーブルに広げた。なにやら難しそうな説明を始めるマリアの背中を、エミュレンが「答えなさいよー」と言いながらボコボコと殴る。
そこへ、皿一杯に盛られた熱々の串焼きを持ったカンクが、船長室へと入って来た。 |