2 天に小便かけんなよ-6 ハイラーの教え-2
ハイラーは両腕を大きく広げ、ツンと顎を上げてウットリした目つきをすると、クスクスと笑いながらタットのもとに歩み寄ってきた。
「美しい官能が身も心も突き抜け、恍惚を呼んだ時、人は神に感謝をしたくなる…。それが人生というものだよ、君たち。耽美主義の世界へ、よ・う・こ・そ。ふふふふふ」
そのトンチキな態度が一瞬でマリアの怒りを買い、すぐさまハイラーの長い髪が乱暴に掴まれ、引っ張られる。
「丸坊主になりたいんだな?」
そう言ってハサミを鳴らすマリア。
「ヒー! やめたまえっ!」
自慢の貴族めいた髪型を切られまいと、ハイラーが必死に魔の手を振りほどく。
ハイラーを放したマリアが、ふんと鼻を鳴らしてから吐き捨てた。
「感謝なんかするかよ。大体な、神なんて居るわけねぇだろうが。神を当てにするほうが馬鹿なんだよ。祈ろうが拝もうが、結局人は自分の力で生きるんだからな」
頭上から降るその言葉に、タットがハーフでの毎日を思い出す。
タットは、フォクスルデッキで空を見上げるカンクを見つめていた。
カンクの表情には、食前の祈りをするドルクを思わせる微笑みが湛えられている。
遠くを見つめたままで、タットが呟いた。
「…オレもそう思うな…」
それを聞いたハイラーが、乱れた髪と眼帯を整えながら言う。
「なんだ君たち、仲がいいじゃないか」
タットは顔を上げると、ハイラーを見上げて拗ねたように言った。
「だって世の中不公平じゃん! 何もかも平等じゃないなら、神様なんかいないはずだよ」
後ろからマリアが「意見が合うじゃねーか」と言って口角を上げる。
タットはハーフ島で、毎日神を呪って暮らしていた。
たった一枚の壁で人生が狂わされてしまうのは、あんまりだと思っていたからである。
同じ人間でありながら、リッチスに生まれた者は豊かな生活を送り、プアーズで生まれた者は貧しさの余り明日をも知れぬ生活……。どうしてそうなのか、自分の何が悪かったのか、幼いタットは納得できる説明を求めて、神にすがり幾度となく泣いた。
しかし神は、タットに対して何の答えも与えてはくれなかった。
「オレ……何度も何度も神様に訊ねたよ。自分で望んだ訳でもないのに、何でオレはこんな生活を強いられるのか教えてくれ!って。…でも、神様は…何にも教えてくれなかった。アイツ、金持ちが望めば何だって与えるのに、オレの声なんか一度も聞いてくれなかったんだぞ! そんな風にひいきするなんて、アイツは絶対に神様じゃないんだ!」
深緑色の瞳の奥に、憎しみを灯して語るタットの前で、
突然、ハイラーが笑い声をあげた。
「ふはぁーはははぁーははーはははぁー!」
その芝居めいた高らかな笑いに驚き、タットが飛び上がる。
「な、なんで笑うんだよ! しかも、そんな不自然にっ!」
おびえるタットを見て、ハイラーはうやうやしく紳士的な御辞儀をして見せた。
「ん〜これは失敬。しかし君よ、私がなぜ笑ったのか解るかな?」
ハイラーは自分の顎に指を沿え、タットが答えるのをウットリと待っている。風が吹いてはシルクのガウンがはためき、座っているタットの目前でうんざりする物がチラチラ見え隠れしていた。
げんなりとした気分でタットが答える。
「…どうせまた、オレのこと馬鹿にしてんだろ?」
「ノン、タット。それは被害妄想というやつだ。私が笑った理由は、君の主張がお門違いだったからだよ、アラジン坊や。ただ単純に願いを叶えたいのなら、探すべきなのは神ではなく、魔人のランプだろう?」
「…え…」
先が読めたのか、マリアが手を振って話をさえぎる。
「ぐあー、うぜーうぜー! オレは聞かねーぞ!」
マリアがバケツを手に取り、タットの頭に思い切り水をぶっかけた。そしてずぶ濡れのタットの顔にタオルを投げつける。
「終わったからな、タット。ちゃんとデッキの掃除しとけ!」
そう言い残して、マリアは足早に去っていった。
タットが、すっかり短くなった髪の毛をタオルでかき回す。
「…乱暴だよなー、あの人…」
顔を上げると、タオルの隙間からハイラーと目が合った。
ハイラーはどこからか一輪のバラを取り出すと、それでタットの鼻先をつんと突き、気取った口調で語り始める。
「見たまえタット…このバラの美しいこと。…神は憎らしいほどに公平なのだ、いつ何時であっても、それは変わる事がない」
瑞々しく咲き誇る深紅のバラの香りが、タットの鼻孔をくすぐった。
「……よく…解んないんすけど…」
それを聞いたハイラーは呆れ顔になり、大袈裟なまでに手を振り払う。
「ノォン、ノン! 仕方のない俗物だな、君は。いいだろう…このハイラーも、君の為なら高みから降りようではないか。ふふふ、ケツの穴かっぽじってよく聞きたまえよ」
「耳の穴ですよね」
タットの指摘を気にも留めず、ハイラーは手にしたバラを髪に飾ってから話し始めた。
「君は、天に向かってションベをした事があるか?」
そのあまりに唐突で予想外な質問に、タットが素っ頓狂な声を上げる。
「はぁ?」
「何だ、ないのか。ないなら一度やってみるといい。すっかり不様な気持ちになれて、なかなか背徳的だ。………ふふふ、あの背徳感…ウ〜ンたまらない…若き日の思い出…。ン〜、思い出してきたぞ…ン〜…」
しばしの間、瞳を閉じて陶酔していたハイラーが、クワッとその目を開き目にも留まらぬ速さで腰紐を引き解くや、堂々とガウンを開き光輝く太陽に向かって大声で叫んだ。
「それならよかろう! このハイラーが今、ここでやって見せようじゃないか! はーはっはっはー、イーーーッツ・ショーウターイム!」
「いや、いいですから! 話の先をお願いします!」
タットが慌てて立ち上がり、その行為を止めに入る。
背徳的世界への誘いを断たれたハイラーが、悶えるような声でタットをなじった。
「ノォォーン! 悦の邪魔をするなバカモノ! …なんだ、話のほうが聞きたいのか? 大人の遊びは見なくてもいいと! オォ、まったく救いようのないノーマル・ボーイだな君は!」
すっかりと気分も萎えたタットが、早くこの話題を終わらせようと口を開く。
「話さないなら、オレもう仕事に戻りますけど?」
そう言われたハイラーは、タットに向き直ると素早くガウンを着なおした。
「オオウ! 待ちたまえ! 私も少し走りすぎたようだ…それでは、話を続けようじゃないか! まぁ、見たくなったらいつでも言いたまえよ?」
「なりません」
タットのつれない態度に、ハイラーがさも残念そうに口ひげをさする。「まぁ、腰を据えたまえ」と促してタットを座らせると、咳払いを一つしてから話し始めた。
「良いか、タット。天に向かってションベをすれば、必ず自分はびちゃーでグワーだ。なぜだと思う?」
「なんでって…そういうもんだからでしょ」
タットの口調からは、興味の欠片も感じられない。
ハイラーがタットを指差し、ツンとした表情で言った。
「そう。それを、ションベでグワーの法則という」
「名づけるならもっと…」
「この世には…いくつかの法則がある。それこそ神が振る采配の如く、公平で平等なルールがな。この世で生きる限り、そのルールから逃れることは絶対に許されないのだ」
話が小難しくなり、タットの眉間に皺が寄る。
ハイラーが潮風の中、恍惚とした仕草で両手を広げ天を仰いだ。
「ションベでグワーの法則……これはどんな小さな行動にも必ず結果が伴うようになっている、という意味だ。つまり、どんな人間にだって報いというものは必ずやって来るのだ」
タットが困ったような表情でハイラーを見上げる。
「……うーん…」
「まだ解らないと言うのか、タット。ふーう、鈍い子だ」
ハイラーはタットの前で片膝をつき、髪に飾っていたバラを抜き取ると、タットの髪に飾りつけた。
「このハイラーが言いたいのはただひとつ。お前をひどい目にあわせた奴なら、今頃ちゃんとひどい目にあうのだから、お前が恨んだり憎んだりしなくても大丈夫。という事だよ、バンビーノ」
「…オレが恨んだり憎んだりしなくても…?」
ハイラーが自分の黒い眼帯を示して頷く。
「ウィ。ウィ。この眼帯に誓って、そう断言しようじゃないか」
タットは自分の中で長い間凝り固まっていた物が、スーッと消えてゆくのが感じられた。その不思議な感覚に戸惑いながらも、ハイラーを見つめるタット。 |