act.12
室内に満ちる奇妙な静寂を破ったのは、我に返った陽菜の声だった。
「ちょ、ちょっとちょっと!何やってるんですかオーヴィスさん!頭を上げてください!ほらっ、起きて起きて!」
半ば叫ぶようにしつつ、陽菜は未だ跪くオーヴィスに駆け寄って腕を引っ張った。
オーヴィスは顔を上げると、陽菜に促されるままゆっくりと立ち上がる。
その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「どうかしたのか?」
「ど、どうもこうもないですよ!いきなり何なんですか!」
「何って、先程言った通り君に挨拶をしたまでだよ。私は光の姫巫女――君の護衛を任された騎士なのだから」
護衛対象である君に礼儀を尽くすのは当然だろう、と。
そう言い添えてから、オーヴィスは何も問題はないとでも言いたげな表情で陽菜を見た。
対する陽菜は、オーヴィスの腕を掴んだまま懇願するような眼差しを相手に向ける。
「でも、護衛対象だからってこんな風に畏まるのはやめてください!私本当は王族でもない普通の人間なんで、こんなことされても正直どうしたらいいかわかりません!……何より、いきなり距離とられたみたいで寂しいです。だから、今まで通り普通に接してくれませんか?」
光の姫巫女だから、と線引きされてしまうより、陽菜個人として接してもらいたい。
年齢も経験も、すべてが上の相手から傅かれるのは落ち着かないし、何より陽菜自身が嫌なのだ。傅かれることが当然などと思いたくない。
第一、自分から望んで光の姫巫女と呼ばれるようになったわけでもない。
光を司る者――神と対話ができたとしても、花の聖印があったとしても、陽菜自身の感覚は一般人のそれと何ら変わらない。
実感なんて、わくはずもないのだ。
「――そうか」
オーヴィスは、陽菜を視界に入れながらぽつりと呟いた。
そのどこか優しい声音に、陽菜は少しだけ期待する。
「わかった。君の言う通りにしよう。だからそんなに泣きそうな顔をしないでくれないか」
「え!」
自分はそんなに不安そうな表情をしていたのだろうか。
陽菜は慌てて両頬を軽く叩き、無理やり表情を変えようとする。
オーヴィスはふっと相好を崩し、陽菜の頭にぽんと手を置いた。
「すまないな。公にされていないとはいえ、君は光の姫巫女という立場にある。私は騎士として立場を弁えた接し方をするべきだと思ったのだが……どうやら君を驚かせてしまっただけのようだ」
「……ごめんなさい、もしかして私オーヴィスさんを困らせちゃいましたか?」
「いや、いいんだよ。君が望むなら、もう先程のようなことはしない。約束だ」
「本当ですか?」
「ああ」
陽菜の揺れる瞳をじっと見つめながら、オーヴィスは小さく頷いた。
オーヴィスの言葉や態度から滲み出るのは、陽菜の言葉に添おうとする真摯な気持ち。
それを感じ取った陽菜は、ようやく心から安堵することができた。
「はー、よかったー……」
ため息とともに言葉を吐き出す陽菜の頭を、オーヴィスがくしゃりと撫でた。
武骨で節くれ立った手が、ゆっくりと髪の上を滑っていく。
エルフィナと一緒にいるときも思ったが、これはどう考えても子供扱いされている。
不快だとは微塵にも思わないが、どうにも釈然としない。
(子供扱いされてるかどうかは実際に聞いてみたわけじゃないからわかんないけど、みんな頭撫でる頻度高すぎじゃないかって思うのよね!てか、この状況を私はどうしたらいいんだ!?いや、別に撫でられるの嫌いじゃないけどなんかさ!だんだん羞恥心ってものがさ!)
撫でる手を止めるに止められず、内心焦りが出てきたところで、ようやく頭上に感じる重みがなくなった。顔を上げれば、壁掛け時計を一瞥しふうと息を吐くオーヴィスの姿があった。
「さて、私はそろそろ仕事に戻らなければ。長々と邪魔してすまなかったね」
退室の意を告げるオーヴィスに、陽菜は掴んでいた腕を離して居住まいを正す。
「いえいえ、とんでもない!わざわざありがとうございました!」
礼を言いながら、陽菜はオーヴィスに向かって軽く頭を下げる。
すると、オーヴィスは「君が礼を言う必要はないんだが」と苦笑しつつ、言い忘れていたとばかりに護衛についての説明を簡単に済ませてから部屋を出ていった。
静けさが戻った室内に一人残された陽菜は、大きなため息をついてからソファーに腰かけ、そのままくたりと体を横に倒した。
「護衛、かあ……」
オーヴィスの話によると、護衛と一口に言っても、四六時中陽菜の傍について行動を共にするというわけではないらしい。騎士隊長というオーヴィスの立場上、長期間席を空けていると本来の仕事に支障をきたす。そのため、オーヴィスは陽菜の護衛と騎士隊長としての仕事の両立を図るとのことだった。
陽菜の護衛は先程下されたばかりの任務ゆえ、細かい内容までは決まっていない。そのため、外出時には必ずオーヴィスを連れて行くということだけは取り決めておくことにした。護衛によって自由を奪ったり、圧迫感を与えたりするのは本意ではないらしく、城内であれば今まで通り陽菜の好きにしてよいとのことだった。もちろん陽菜が必要とするのであればどこへなりともついてきてくれるそうだが。
なるべく時間を空けておくようにする、とは言うものの、二重生活を送るとなれば、オーヴィスの負担はそれ相応のものとなる。
陽菜はそれが心配で、オーヴィスが辛くなるようなら、ゼイルに願い出て護衛の件を解消してもらうことも考えた。しかし、オーヴィスは「心配はいらない」と首を振るだけで、頑として陽菜の提案を受け入れようとはせず、陽菜はそれ以上何も言えなかった。陽菜は「無理だけはしないでくださいね」と言うに留め、そのままオーヴィスを見送ったのだった。
「なんかすごい大事になってきた気がする……今更なんだけどさ」
期間は次の夜会までの一か月間。夜会が開かれたその日、自分は光の姫巫女として公の場に出るのだろう。
けれど、自分には何もない。魔力も、特別な力すらも。一人では何もできない、ただの無力な人間。
自分の置かれた状況すらもまだどこか夢物語のように感じている。それは本当の意味で現状について理解が及んでいない証拠なのだろう。
そんな自分が胸を張って、表舞台に登場してもよいのだろうか。
(――ううん、違う。理解していないんじゃない。私は、ちゃんと理解しようとしていなかったんだ)
この世界のことも、常識も、何もかも。
(一週間、私は何をしていた?この世界に馴染むためとはいえ、みんなの言葉に甘えて、ただ無為に過ごしてた。お城の中をうろうろしてただけだった。でもそんなんじゃダメなんだよね。ちゃんと行動しないとダメだったんだよね)
この数日間で陽菜が知ったことなどたかが知れている。
ゼイルやリード、レティシアから聞きかじった程度の知識しか持っていない。
この世界に根を下ろすというわけではないが、もしもこの世界で生きていくならば、自分はもっと多くの知識を得なければならないのだろう。
“あなたはたくさんのことを知らなければいけないわ。あなたのこと。世界のこと”
ふいに、シルヴィアの言葉を思い出した。
美しく、優しい女神様。
「……そうだね、シルヴィア。私、もっとがんばらなくちゃね。だって前向きに行くって決めたんだもの!」
光の姫巫女は強大な力を行使できると聞く。
力は未知数であるし、それを使って自分が何をしたいのかもわからない。
それならば、まずは知ることから始めればいい。
「――よしっ!」
陽菜は勢いよく身体を起こし、これからどうするべきかを考えてみる。
この世界のことを知るためには、書物を読んだり、詳しい人に聞いたりするのが一番良いはずだ。
「本を読むなら、やっぱり図書館に行くべきだよね?でも何から始めればいいかもわかんないし、不安だなあ……もし質問とかするなら、誰がいいんだろ?」
ぱっと頭に浮かんだのは、宰相であり魔術師でもあるというリードの顔。
彼に最初から最後まで頼り切るつもりは毛頭ない。ただ、取っ掛かりが欲しいだけだ。
リードならば、陽菜にとって適切な答えをくれるのではないだろうか。
「図書館に行くついでに、リードさんの部屋に寄ってみようかな?忙しそうだったら帰ればいいし……いいよね?」
そうひとりごちて、陽菜はゆっくりと立ち上がり、静かに部屋を後にした。
しかし、リードの部屋を訪問した後、陽菜は図書館に足を運ぶことなく自室に戻ってくることになる。
明日、城下町へと出かけることが決まったからだった。
オーヴィスとのシーンが多いけど護衛だから仕方ないよね!
次回はようやく主人公が城外へ出ます。
さあ誰と一緒に城下町へ行くのでしょうか?