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影ふたつ 作者:塚原 蒔絵
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三章ノ一

 岩下に一之瀬を会わせるのは、()けでもあった。
 彼女が岩下を憎んでいるのは一目瞭然(いちもくりょうぜん)で、無言だが、背後で殺気立っているのが感じられる。
 それでも水島は、二人を会わせることを躊躇(ためら)わなかった。
 二人とも自分のバディであり、だからこそ相手の本音を理解しているつもりだ。
 大人になる過程(かてい)で身についた、本心を隠す術のせいで分かりづらいが、岩下も一之瀬も、根は素直なのだ。
 キティが近づいてくる。
「いいの? みずっち、一之瀬を研ちゃんに会わせて」
 後ろにいる一之瀬を(すき)なく(にら)みながらキティが問いかけた。
 彼女にしてみれば水島の行為は暴挙(ぼうきょ)だろう。憎悪(ぞうお)するほど(うら)む相手を眼の前に、冷静さを保っていられる人は少ない。
 けれど水島は迷わず頷いた。
「アイツは首謀者じゃないからな」
「……それ、どこ情報?」
「まだ証拠はない。が、あいつは絶対にやってない」
 自信ありげに頷く水島にキティは、やれやれとため息をついた。彼女にしてみれば確信のない情報などガセネタなのだろう。
 いくつもの足音が静かな廊下に響く。
 刑事と犯罪者が並んで歩く、そんなありえないはずの状況。
「お、噂をすればなんとやら。おい、研一」
 声をかけると、ひとみの病室前で腕を組みながら立っていた岩下が顔を上げた。
「水島くん。……そちらの方は?」
 一之瀬を見て眼を細める岩下。
「こいつは――」
「私は一之瀬里奈。四年前、あなたが殺した一之瀬明日香の姉」
 怒りを隠しもせず岩下に近づこうとする一之瀬。
 そんな彼女の腕をキティが取った。手には小さなナイフ。
 (りん)と空気が張り詰めた。
「待った、それ以上、研ちゃんに近づいたら刺すよ」
「おいキティ!」
「みずっちはお人よしだから誰でも信じたいんだろうけどさ。あたしらは犯罪者なわけ。なにされても泣き寝入りするしかない、そこんとこ分かってる?」
 手のひらに収まるサイズの刃物を、一之瀬の腹部にちらつかせるキティ。
 傍目(はため)には女性同士がじゃれ合っているようにしか見えないだろう。しかし、もし誰かに動きがあれば迷わずキティは一之瀬を刺す。それくらいの(すご)みがあった。
 岩下はひとみの病室を見やる。

「……ひとまず場所を移動しませんか? ここは病室の前ですし」
 病室で寝ている人に迷惑をかけてはいけない、それは一同の思いらしく誰からも反対意見は出てこなかった。
 キティはひとみの傍にいると言って別行動になった。
 一之瀬のことを(こころよ)く思っていない自分がことを面倒にすると身を引いたのかもしれない。
 しかし、場所を移動しようにも病院内に多くの施設があるはずもなく、結局は談話室で落ちついた。
 水島が自分と一之瀬の飲み物を買い、彼女に渡し終えるのを見計らって岩下は声をかけた。
「それで、あなたが明日香さんの」
「姉の一之瀬里奈。一つ、訊ねたいことがあります」
「ええ、どうぞ」
「明日香を殺したのは、あなたですよね」
 一抹(いちまつ)の迷いもなく、(とげ)が目立つ声色で一之瀬は問いかけた。
 岩下は自動販売機から缶コーヒーを取り出し、栓を開ける。
「……そうですよ」
「おい研一!」
「水島くん、黙っていてください」
 壁にもたれかかる水島を制し、ブラックコーヒーを一口飲むと岩下は椅子に腰かけた。病院の椅子にしては随分(ずいぶん)と堅い椅子だ。
「あの日のことをお話しましょう」


 ――四年前

 勘弁(かんべん)してほしいと、そう思った。雨が降ってくるのは自然界の(ことわり)で、それを(うら)む気にもなれないが、せめて張り込みをしていない日にしてほしかったと岩下は空を睨んだ。
 本降りではないが、じっとりと湿気を含んだ空気。もう八月だというのに日本列島を覆う温暖前線の影響で、この頃は六月かと思うほどの雨が続いていた。
 ここはX小学校。
 夏休みを利用して修繕工事(しゅうぜんこうじ)をしているため、現在は立入禁止となっている。
「研一、会津の奴ら、見つかったか?」
 携帯越しに水島の声が聞こえる。あちらも身を(潜/ひそ)めているのか小声だ。
「いいえ、こちらにはいないみたいです」
 辺りを見渡すが、会津組の姿はない。
 出かけ先で偶然、会津組と思わしき男を発見した岩下と水島は、尾行すると上官に告げ、現在身を潜めている最中だ。
 小路(こみち)より改装中の学校へ足を踏み入れたときは尾行を続行するか迷ったが、ここで逃がしては刑事の名が(すた)ると判断した。応援が来るにはまだ時間が足りないだろう。
「やばくなったら連絡しろよ、助けに行ってやる」
「そちらこそ、大きな声を出して見つからないでくださいよ」
「任せろって!」
「しっ! 黙ってください」
 ふと、誰かの声を拾うと、岩下は水島に黙るよう指示した。
 注意して声を辿(たど)ると会話がはっきり聞き取れる。
 物陰(ものかげ)より少しだけ身体を乗り出すと、会津組が(たむろ)しているのが見えた。
 幸いにも、あちらは気づいていないのか、大声で怒鳴っている。
「ええ加減にせぇよ。こちとら渡すもん渡したやろが!!」 
「ええ、こちらももうすぐ準備ができますので」
「ホンマ、はよぉした方がええで? ウチのおやっさん、キレると手におえんからのぉ」
「こちらも、上には急いでくれって言ってるんですが」
 会津組の連中が誰かを囲んで怒鳴っている。怒鳴られている相手が一般人なら、眉をひそめるだけに留まっただろう。
 だがそこにいたのはスーツ姿の刑事たちだった。
 名前は分からないが、署内ですれ違ったことがあるので間違いない。
 彼らは会津組の顔色を(うかが)うように頭を下げ、鞄から封筒を取り出す。
「一部ですが、お約束の品はこちらで」
「おーお、悪いなぁ」
「情報提供料です、お納めください」
 奪うように封筒を取る会津組。中身は十中八九、現金。厚さから見て三百万くらいだろう。
 岩下は眼前で行われていることが信じられなかった。
「なにが……どうなってるんだ」
「研一、どうした」
 動揺(どうよう)を隠しきれない岩下の声色に気づいた水島が問いかけてくるが、返事ができない。
「どうして、警察が」
「アニキぃ」
 混乱する岩下を余所(よそ)に、暴力団の一人が(あわただ)しく駆け込んできた。
「おう、どうした」
「ガ、ガキに見られました!」
「なにぃ?」
 アニキと呼ばれた男が鼻を鳴らす。
「まあええ、殺しとけ。ここには不幸な事故になりそうなモンがぎょーさんありよる」
 (いや)しく笑うと、男の取り巻きも同じように笑い出す。このままでは、その子供が危ない。
 状況を確認するより速く、岩下は怒りと共に足を踏み出した。
 警察がいると知れば、子供に構っている余裕はなくなるはずだ。
「警察だ! お前たち、なにをしている」
「ヤべ、サツだ。ずらかれ!!」
 岩下の姿を見た途端、会津組も、取引をしていた刑事も蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
 どちらを追うか迷いながら岩下は水島に告げる。
「水島くん、正門の方へ回ってください、会津組が行きました」
「正門だな!」
「あと彼らと取引していたのは――」
「きゃあー!!」
 布を裂くような少女の声が聞こえ、岩下は迷わず駆け出した。電話越しに水島がなにごとだと問いかけてくるが、答えている暇はない。
 声を頼りに角を曲がると、小学生の首を絞めている男の姿が見えた。
 男は岩下を見やると、ぐったりした少女をぞんざいに捨て、走り出す。少女を(ほう)れば追ってこないだろうと見透(みす)かされていたのだ。
 苛立(いらだ)ちが(つの)ったが、感情に流されていい場合ではない。急いで少女に駆け寄ろうとする岩下。
 だが、少し離れた場所に見知った少女を発見する。
 彼女は水島のいとこで、休みの日などによく遊んだ、村田ひとみ。
 突如、頭上にできた細い影。
 なにかが頭上から降ってきたのだと瞬間的に岩下は理解した。
 そして、それを落としたのが自分たちに殺意ある人間であることも。
 少女の傍にある鉄パイプも、とめ具が切られたのか倒れかけていた。
 眼の前には二人の少女。同時に(かば)うには距離が開きすぎている。
 だから、岩下は迷わず一方だけを助ける決意をした。
 非道と言われようとも、助けられるのが一方のみなら、もう一方は捨てるしかない。
 腕を伸ばし、名前を呼んで抱きしめた少女。恐怖のためか、岩下にしがみついて離れない。
 降り注いでくる鉄パイプの山。
 一つでもかなりの重さになるそれが、もし小学生の上に落ちればどうなるかなど、分かりきったことだった。
 最後まで開いていた眼には、少し離れた場所に赤い血溜(ちだま)りが確認でき、ガツンガツンと身体に二度の衝撃を受けると、そこで岩下の記憶は途切れた。




 話し終わると口の中が乾いていて、岩下はもう一口缶コーヒーを飲んだ。先ほど飲んだ味より、一段と苦味(にがみが増している気がする。
 一之瀬は黙ったまま動かない。彼女からの言葉を待っていたが、いつまで経っても(しゃべ)りだす気配がない。仕方なく、岩下は話の続きを語りだした。
「彼らが取引していたのは桜州会の情報です」
「桜州会って会津組の親元だよな」
 壁にもたれたままの水島を一瞥(いちべつ)し、静かに頷く。
「会津組は親元の情報を警察に渡して金を受け取り、警察はその情報を元に一斉検挙をかけた」
「谷本警視の手柄で有名になった、桜州会一斉検挙」
 ぼそりと一之瀬が力なく呟いた。
 それもそうだろう、今まで信じて疑わなかった同胞(どうほう)が、彼女の妹を奪った存在だったのだ。
 一之瀬が持っている缶がパキリ、と軽い音を立てる。
「結局、私はひとみさんを助け、明日香さんを見殺しにしました。彼女は私が殺したんです」
 どちらか一人をと(せま)られ、岩下はひとみを選んだ。
 あの時点で明日香の生存が確認できなかったのだから、生存率が高い方を選択したのだと、言い張ることはできただろう。ただそれは、岩下にとって意味の無いことだ。
 救えなかった事実は消えはしないし、明日香を見殺しにした事実は変わらない。
「ひとみさんが警察に狙われ続けたのは、あの場にいたからでしょう。たぶん、取引していた警官の顔を見ているんです」
 岩下はもう一度、コーヒーを口に含む。
「私は明日香さんを殺した罪で犯罪者になり、事実を証言できるのは、ひとみさんただ一人」
「……あなたが無実なら、なぜ拘留中に逃げ出したりしたんです!」
 話が信じられないのか、一之瀬が反論(はんろん)する。
 岩下は焦ることなく、手にある缶コーヒーをもてあそんだ。
「警察は裁判を待たずに、私を死罪にするつもりだったようです。拘留中に逃げたのは、逃げなければ殺されていたから」
 あのとき、怪我も()えきっていない身体で聞かされたのは、自分が(いわ)れもない犯罪者になったことと、もうすぐ殺されるということ。
 躊躇(ためら)っている時間はなかった。迷えばその場で拘束(こうそく)され、殺されていただろう。
 いつか陽の当たる場所に帰れたときに全てを明かそうと、そのときは思っていた。
 しかし闇社会に(抹殺/まっさつ)された自分を正当化する術はなく、一年が過ぎ、二年が過ぎ、やがて岩下も事実を話す気力を失っていった。
 誰もが敵。守ってくれる人などいはしない。テレビを見れば、マイクを向けられた両親が我関せずと、岩下を自分たちの息子でないと言い切る始末。
 金もなく、途方に暮れる日々。
 そんな日々から抜け出すには犯罪に手を染めるしかなかった。
 (ののし)られても構わない。自分は死んだ人間なのだと、そう思えば悲観(ひかん)することもなかった。
 キティに相棒にならないかと持ちかけられたときも、特になにも考えず承諾(しょうだく)した。
 誰とペアを組もうとも、どんな罪を犯そうとも、あの場所には戻れない、それだけは確かで。もしそうなら、いっそ死んでしまってもいいだろうと全てを諦めていた。
 だから田川に銀行強盗のサポートを依頼されたとき、断らなかった。木城に刺されても、慌てなかった。
 これ以上なにも望むことはない。このまま終われたら楽になれる。
 そう思ってABC公園のベンチに座っていたのだ。
 なのに、ひとみと再会し、彼女の手を取ってしまった。
 岩下は立ち上がり、自動販売機の横にあるゴミ箱に近寄る。
「一之瀬さん、私を憎む気持ちはあって然るべきです。私は明日香さんを見殺しにした。ですが、ひとみさんを狙うのはやめてください」
 カコンと音を立て、缶がゴミ箱に落ちた。
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