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影ふたつ 作者:塚原 蒔絵
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二章ノ五

 置き去りにされた麻生は口を(つぐ)んだまま、ひとみたちを見ていた。
 声をかければ彼らは足をとめたかもしれない。けれど麻生はなにも言わず、小さくなる背中を見つめているだけだった。
 通報した方がいいと頭では理解していても行動できなかった。
 ひとみが言わないでくれと、涙目ながらに言ったからだろうか。
 ぽつりぽつりと雨が降ってくる。それは次第に強くなり、徐々に服が湿ってくる。
 帰ろう、そう思って足を踏み出すと、前方から人が来ているのが見えた。
 スーツに身を包んだその人は麻生を見ると眼を丸くし、次いでこちらに来いと手招きした。
「来てたの、大樹。傘は?」
「持ってない。てか里奈ネェこそ、明日香の墓参りなんて珍しいな」
「たまにはね。妹だし」
 言ってスーツを着た女性――一之瀬は麻生を自身の傘に入れた。静かに雨が降り続ける中、墓石を前に立ち尽くす二人。次第に足元が濡れてくる。
 麻生は声をかけるタイミングに迷ったが、しばらくして口を開いた。
「オヤジ、どうしてる?」
「さあ、一緒に住んでないから。そっちは? 母さん、元気?」
「うん。あでも最近パートのおばちゃんと仲良くないみたい」
「そっか」
 どこかなつかしさを含めた声色のやり取り。実際、二人で会話するのは久しぶりなのだ。
 麻生と一之瀬、姓は違えども彼らは四年前まで姉弟だった。
 四年前、一之瀬明日香が死んで以来、一之瀬家の両親は不仲となり、時を置かず離婚。父方に里奈が、母方に大樹が引き取られたのだ。
 当時は盛大に泣き(わめ)いて駄々をこねたが、さすがに四年も経つと今の距離が普通になる。
「学校、面白い?」
「面白いよ。今度、体育祭あるし、里奈ネェちゃんも暇なら」
「暇じゃない」
 鋭く告げられた言葉が雨音に負けずに響いた。その声色に込められた意志の強さに、麻生は少しだけ眉を下げる。
「……あたしは明日香の仇を取るから。暇じゃない」
 弟だからこそ、麻生は一之瀬の気持ちが理解できるのだ。明日香を失った当時の一之瀬は尋常でないほど荒れていた。
 両親が離婚したことも原因だろうが、一之瀬は明日香を殺した犯人――岩下を見つけるために血眼(ちまなこ)になって駆けまわり、疲労で倒れるまで無茶な生活を続けていた。
 警察官になると言い出したときも周りは反対したのだが、一之瀬は聞かなかった。必ず明日香を殺した犯人を捕まえるのだと。けれど、麻生には分かっていた。一之瀬がただ岩下を捕まえたいのではないのだと。
 怒りのはき出し場所を探しているのだ。
 眼が憎悪しか宿していなかった。
 言葉がとげ(はら)み、誰に対しても冷たくなっていた。
 今では少し落ちついたようだが、一之瀬が岩下と出会いでもしたら――そんなこと想像したくない。
 誰だって、親しい人が豹変ひょうへんする姿など見たくはないだろう。それが負の感情であればなおのこと。
「……あのさ、里奈ネェ。もしここに岩下がいたら、どうする?」
「岩下が、ここに? あいつが明日香の墓参りに来るってこと? ありえない」
 憎憎しげに一之瀬が言葉をはき捨てる。その声を聞いてなお、先ほど岩下を見たと、どうしても麻生は言えなかった。岩下のことで般若(はんにゃ)のように変化する一之瀬を見たくないのだ。
「大樹には言っておこうか、今ね、岩下はこの付近にいるの。だから、捕まえる絶好の機会なの」
「岩下がどこにいるのか、知ってんの?」
「だいたい把握してる」
 無意識か、麻生は岩下の去った方を隠すように動いた。
「じゃ、警察はもう動いてんの?」
「……動いてるよ。岩下が捕まるのも時間の問題」
 このまま会わない方がいいと、麻生は思った。
 出会わない方がきっと、一之瀬は苦しまない。
 出会って、岩下を責めて、例えば拘束したとしても、きっと一之瀬の心は晴れないだろう。
 明日香を――家族を失った悲しみを自分で見つめない限り、彼女の苦悩は消えたりしないのだから。


「あの、ひとみさん?」
 岩下はつながれている手を見つめながら問いかけた。麻生から逃げたあと、ひとみはずっと岩下の手を握って離さないのだ。
 ひとみは黙ったまま歩くのみ。このまま行くと村田家につくだろう。
「まだ、いてくれてたんですね。もう、いないんじゃないかって、思ってたんです」
 ぎゅっと、さらに強く手が握られた。傍にいることを求められている。それは分かったが、返す言葉を持たない岩下は苦笑するに留まった。
「お昼とかに出て行っちゃうのかなって、思ってたんです」
「そうするつもりでしたよ」
「でしたってことは、今は出て行こうって思ってないんですか?」
 盗聴器など発見しなければそうしていただろう。
 手を握り返しながら岩下は少しだけひとみとの距離を詰めた。
「ひとみさん、変なことを訊くようですが、身の回りで変わったことは起きていませんか?」
「……それ、亮ちゃんが話したんですか? もー、黙っててって言ったのに」
 このやり取りだけで、現状を把握(はあく)するには十分だった。
 盗聴器のデータ受信元をキティに割り出させているが、もうその必要もないだろう。十中八九、警察だ。
 岩下の考えはくみ取れていないのか、ひとみは無邪気に怒るだけ。
 ばれたのだから隠しても仕方がないと考えたのか、諦めたようにひとみが口を開いた。
「少し前まではマシだったんですけど、この頃、また酷くなったんです。変なこと、始まりだしたのは四年前。明日香ちゃんが死んですぐでした」
「変なことの具体例を訊いても構いませんか?」
「えっと、植木鉢が落ちてきたり、階段で突き飛ばされたり」
「駅のホームで線路に突き飛ばされたり?」
「ど、どうして知ってるんです!?」
 慌てるひとみを余所よそに岩下の怒りは増えていた。
 どれもこれも、一歩間違えば死ぬ危険性があるものばかり。相手はそれを狙っているのだろう。事故に見える死に意味があるのだ。
 ひとみは四年前の事件を記憶しているただ一人の証人。記憶喪失で未だ真相は闇の中だが、記憶が戻ることを恐れる人は少なくない。
 岩下は先ほど自分を尾行していた輩を思い出した。ひとみとの接触はすでに相手方に伝わっていることだろう。ここで岩下が不用意にひとみから離れれば、それこそ絶好の機会を与えてしまう。 
 見捨てるのも一つの手段だ。しかし、それを選択しない自分が容易に想像できた。
 ふと、岩下の足がとまる。ひとみがとまったからだ。なにやら思案顔で俯いている。
「どうかしましたか、ひとみさん」
「……岩下さん、私、いけないことしてるんでしょうか」
 ひとみが指す『いけないこと』がなんなのかは想像に易かった。犯罪者を(かくま)っていいのかと、問うているのだろう。
 岩下は空を見上げ、数日前を思い出していた。もしあのままひとみに出会わず、ABC公園で死んでいれば、眼の前の少女にこんな顔をさせずに済んだだろう。
 木城に刺された理由は分からず仕舞いだが、彼は岩下のことを憎んでいたのかもしれない。怨みつらみの上、相手を刺し自害する。それだけ岩下は、誰かに怨まれてもおかしくない立場なのだ。
「いけないことをしていますよ。私は、たくさんの人に憎まれていますから」
 眼を閉じて嘲笑(ちょうしょう)ぎみに告げた言葉に、ひとみが顔を上げた。
 辛そうに眉が寄っている。身体が小刻みに震えている。彼女は悲しんでいるのだ。
 手を伸ばすことはできない。
「でも! ……でも、傍にいたいって思っちゃうんです。一緒にご飯食べたり、テレビ見たり、昔みたいに」
「……できませんよ」
 岩下は静かに首を振った。どれだけ望もうとも、日常という名の空間に己の席はない。
 捨てたのだ。あの日、あの場所で、より大切なものを守るため。
「私は、幸せになってはいけないんです」
「私の幸せには、岩下さんがいないと駄目だって言ってもですか?」
 岩下を見上げるひとみ。随分と背が伸びたので昔のように屈まなくても視線がぶつかる。
 この子の成長を見届けられないのが残念でないと言えば嘘になる。
 岩下は苦笑した。それでひとみが笑顔になることなど、けしてない。けれど、それ以外にできることがなかったのだ。
「あなたの幸せの一欠けらに、私が入っていたことをうれしく思いますよ」
 彼女の幸せを遠くで願い、見届ける、それが自分に許された行為。
「今でも! ――でも、望んじゃ駄目なんですね。一緒に、いられない」
 ひたすらに悲しみを打ち消そうとするひとみの姿に、誰かこの少女を抱きしめてあげてくれと岩下は願った。
 己の手は汚れすぎていて、触れることを躊躇(ためら)ってしまう。だから他力本願に望むのだ。水島にしたように、誰かに自分の代わりを、と。
 そんなことをしたところで、ひとみは喜ばない。それが分かっても、触れる勇気が岩下にはなかった。
「雨が降ってきましたね、ひとみさん、帰りましょう」
 歩き出そうとすと服を引かれ、とめられる。
 岩下は振り向けなかった。
「私、明日香ちゃんの事件、岩下さんが犯人じゃないって思ってます」
 声が背中に突き刺さる。岩下は緩慢な動作でひとみに向きなおった。
 少女は黙ったまま俯いている。
「どうしてそんなことを?」
「夢で見るんです。あのときのこと」
「ひとみさん、真実を公にすることだけが幸せとは限らないんですよ」
 濡れた指先で自身の髪をき上げると、髪先の水滴が手の甲を伝う。
「あなたは自分の幸せと引き換えに、誰かの幸せを奪いますか?」
「……それは」
「どちらかしか、選べないんですよ」
 巻き込まない、それが理想だったはず。
 そんなことは百も承知で、巻き込みたくないのであれば遭遇したあの場所で手を取らなければ良かったのだ。
 しかし、岩下はひとみの手を取ってしまった。
 もうやり直しは効かない。
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