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平日の夕方、小学生時代からの幼馴染、夕島優が家を訪ねてきた。
そのとき引き籠りの俺は三日着替えていないパジャマを着ていた。それに髪が伸びっぱなしでボサボサだった。だから、会いたくなかった。
でも母親が泣いて頼むから、仕方なく会うだけ会うことにした。
玄関先に出てみれば、優は制服姿だった。
学校帰りなのだろう。
「ね? カタリ君、学校……行こうよ。私、カタリ君がいてくれないと、暇だし……それに、寂しいの」
「……うるせぇよ。あんなとこ、もう行かねぇって決めたんだよ」
「わかってるよ。カタリ君、黄坂達が怖いんだよね。でも、私、頑張って助けるから! 勉強が不安だったら、私が教えるから! ね? 私、カタリ君がいないと寂しいよ……」
「帰ってくれ、頼むから」
優が必死に説得してくれるが、しかし俺は学校に行く気にはなれなかった。
クラスの奴らは人間じゃあない。
鞄をゴミ箱に捨てられるなんて日常茶飯事だったし、便所にいたコオロギを食わせられたこともある。
万引きしていただとか、女子トイレに入ってただとか、そんな根も葉もない噂を流されたこともある。
主に仕掛けて来たのは男子生徒三人組だが、先生含めたクラス中のほぼ全員がそれに同調していたせいで、学校に俺の居場所はどこにもなかった。
あのまま学校にいたら、大袈裟ではなく殺されていたはずだ。
「実は……あの三人、退学になったの。だから、もうみんな、カタリ君を虐めたりなんてしないんだよ。クラスの子達も、悪かった、仲良くしたいって言ってる子もいるから……ね?」
それを聞き、どくんと胸が跳ねる。
あの三人が退学になって、クラスが落ち着いているのなら……ひょっとしたら……普通の高校生活を今からでも送れるのだろうか?
「……ちょっと、考えてみる。今日はもう、帰ってくれ」
「わかった。私、待ってるから、絶対学校来てね。私、ずっとカタリ君のこと待ってるから」
にこっと笑い、優は俺に背を向ける。
数歩進んでから優はまたこちらを振り返り、走ってくる。
「どうした?」
何か忘れ物でもしたのだろうかと思っていると、急に優が顔を近づけてくる。
近い。本当に顔が近い。
優の漏らした吐息が頬に掛かり、暖かい。
混乱して動けないでいると、そのまま優の唇が自分の唇に重ねられた。
「じゃあ、今度は学校で会おう……ね? 私とカタリ君の、約束だから」
俺は頭の中が真っ白で、何も答えられなかった。
優の熱が残っている己の唇に手を触れながら、ただただ頷いた。
優は恥ずかしそうに顔を赤らめ、走っていった。
しばらくぼうっと突っ立っていると、母親が玄関を開けて出てきた。
「どうしたの? 優ちゃんはもう帰ったみたいだけど……」
「…………」
俺は無言のまま、母親が開けた玄関を潜り、家の中に戻る。
「優ちゃんは、名前の通り本当に優しい子ね。カタリのこと、ずっと気に掛けてくれていたのよ。あんたもそろそろ、学校に……」
「……明日、行ってみよっかな」
「え? ほ、本当にカタリ、明日学校に行くの?」
母親は大慌てで居間に走っていって、父親に電話をかけだした。
弾む声で俺のことを話し、それから今晩は御馳走にしたいから早めに帰ってきてほしい、と伝えていた。
そこまで喜ばれるとなんというか、俺としても恥ずかしいというか、気持ちが削がれる節もあるのだが……今までのことを考えれば、母親の行動もいた仕方ないか。
俺だって、母親に言われずともこのままじゃダメだってことはわかっていた。
俺を虐めていた主犯の三人が退学になったのなら、これはひとつの契機だろう。逃せば、またしばらく学校に行けなくなってしまいそうな気がする。
それに……急にキスをしてきた優の真意が、気にならないと言ったら嘘になる。
彼女は、何を思って急にあんなことをしたのだろう。
思い出すだけで唇が暖かくなったような錯覚を起こし、胸の鼓動が激しくなった。